日産・セフィーロ

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セフィーロCEFIRO )は、日産自動車が生産、発売していたセダンである。日本国内での販売期間は1988年から2003年

概要

初代モデルはスカイライン・ローレルとシャーシを共通するFR(後輪駆動)車。2代目以降はFF(前輪駆動)となり、2代目にはステーションワゴンの設定もあった。

これらは後継車であるティアナの海外輸出のネーミングで使用していたが、現在は使用していない。

歴史

初代 A31型(1988年 - 1994年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1988年9月1日、発売。当時S13型シルビアのオプションパッケージなどでしか採用例のなかったプロジェクターヘッドランプを標準で採用した斬新なフロントマスクが特徴的であった。流麗なデザインながらボディ形状はプレスドアを採用した4ドアセダン(その代わり後席窓ガラスの開口面積が小さい)で、1989年5月にモデルチェンジしたスカイライン、1989年1月にモデルチェンジしたローレルとは基本コンポーネンツを共有する姉妹車。マルチリンク式のリアサスペンションを持ち、駆動方式はFR。発売当初はDUET-SS装着車を除いてマニュアルトランスミッションが選択可能、エンジンは2LのRB20系エンジン3種(EGI付SOHCのE、EGI付DOHCのDE、EGI付DOHCターボのDET)を搭載。RB20DEは無鉛プレミアムガソリン仕様、RB20DETはR31スカイラインに搭載の180psから205psにパワーアップした仕様であった。生産工場は、当時、姉妹車のスカイライン・ローレルなどを生産していた村山工場と、サニー・プレセアなどを生産していた座間工場[1]であった。

ユーザーが自らの嗜好に沿ってエンジン、サスペンション、トランスミッション、内装生地、内装色、外装色などを組み合わせて注文できるセミオーダーメード方式「セフィーロ・コーディネーション」を導入。発売当時の組み合わせは810通りあった。組み合わせた仕様の詳細はセンターコンソールボックスのふたの内側に貼られた仕様書で確認できる。なお、メカニズムの仕様による価格差は存在しても、快適装備類に差異はほぼ存在しない。外装には特に表記されないもののエンジンとサスペンションの組み合わせを表現する名前があり、RB20E搭載車には「タウンライド」RB20DE搭載車は「ツーリング」RB20DET搭載車は「クルージング」、超音波センサー付き電子制御サスペンションDUET-SS装着車には「コンフォート」、4輪操舵システムHICAS-II装着車に「スポーツ」の名前がつけられていた。CMや広告写真にはHICAS-II装着のRB20DE搭載車「スポーツツーリング」が多く使われた。

発売当時のセフィーロ・コーディネーション
搭載エンジン
サスペンション
RB20E
(SOHC)
RB20DE
(DOHC)
RB20DET
(DOHCターボ)
トランスミッション 内装生地 内装色 外装色
標準
サスペンション
タウンライド ツーリング クルージング 4速E-AT/5速MT ダンディ/
エレガント/
モダン
オフブラック/
ブラウン
9色
(注文色2色)
電子制御
DUET-SS装着
コンフォート
タウンライド
コンフォート
ツーリング
コンフォート
クルージング
4速E-AT
4輪操舵
HICAS-II装着
スポーツ
タウンライド
スポーツ
ツーリング
スポーツ
クルージング
4速E-AT/5速MT

同時期に登場したシーマ、16年ぶりに復活したスカイラインGT-R1990年に登場したプレセアプリメーラアベニールとともにバブル期の日産を象徴する名車でもあり、バブル崩壊後経営が悪化した日産を支えた名車でもあった(2代目は初代以上の大ヒットを飛ばし、トヨタマークII/チェイサー/クレスタ3兄弟とともにアッパーミドルセダンのトップクラス車種となった)。

標準車のRB20DETターボエンジン搭載グレードのクルージングをベースとし、日産の特装車専門の子会社オーテックジャパンで、エアロパーツ、エンジンチューン、コノリーレザー製本革シート、オリジナル品の本革巻ステアリング、ブリヂストン・ポテンザ(タイヤ)、PIAA製アルミホイールなど、カスタマイズを施した「オーテックバージョン」が前期型の途中から追加設定され、1990年9月にマイナーチェンジされた中期型以降も引続き設定されていた。

1990年9月、最初のマイナーチェンジで中期型になったのを機に、前期型で設定されていたセミオーダーメード方式の「セフィーロ・コーディネーション」が廃止され、ヘッドランプをフォグランプ内蔵異型角型2灯式ハロゲンタイプにしたモデル[2]なども追加された。R32型スカイラインGT-R(GTS-4)に搭載の4WDアテーサE-TSシステムを移植しRB20DETと組み合わせた、国内向けセフィーロでは最初で最後の4WDモデル[3]「アテーサクルージング」(後期ではSE-4)の追加も試みられた。

1992年6月、再度のマイナーチェンジの後期型では2,500ccのRB25DE搭載モデルの追加があり、同時に全車5速ATのみとなり、バンパーの大型化で3ナンバー化される。

平成の始めごろから、警察の捜査用覆面パトカーとして大量採用されていた。

姉妹車のスカイラインやローレルと共用する部品が多く、手軽にチューニングでき4ドアで実用性に優れることからチューニングカー、特にFRということもあってドリ車のベースとして一部に人気を博した。程度のよいMT車は希少であったため、AT車をベースにMTに載せ替える改造も行われ、この流れは後のシルビアなどにも行われていく。

海外輸出販売も好調で、これまでのローレルに代わり東南アジア・オセアニアでは「セフィーロ」、ラテンアメリカでは「ローレルアルティマ」のネーミングで売られていた。日本国内仕様との違いは、フロント部のロゴマーク(国内向けはセフィーロのロゴであるのに対して海外向けは日産のロゴマーク)がことなるのとメーターが220km/h(日本向けは180km/h)対応であること。また、ローレルアルティマには専用のRB24Sエンジンが搭載されていた。

2代目 A32型(1994年 - 1998年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1994年8月、マキシマとの統合により従来型のFRから一転、FFとなった。生産が日産追浜工場に移管された。エンジンは国内車種第一号となった新開発のV6横置きのVQエンジンが搭載され2,000ccのVQ20DE、2,500ccのVQ25DE(日本のみ)、3,000ccのVQ30DEが設定された。

グレード構成はディッシュタイプのアルミホイールや足踏み式パーキングブレーキ(MT除く)、クロームグリルなどを装備したラグジュアリー志向の「エクシモ(含イニシア)」と、スポーク形状のアルミホイールやリヤトランクスポイラー、エアロパーツ、レバー式サイドブレーキ、カラードグリルなどを纏ったスポーティー志向の「Sツーリング」の2シリーズ構成とした。運転席SRSエアバッグ[4]を全車に、ABSを上級グレードに標準装備(それ以外ではオプション)とし、安全性を訴求するとともに各デバイスの低価格化への礎を築くきっかけとなった。J30型マキシマ譲りの広い室内、シンプルかつクリーンなエクステリア、それにしなやかな乗り心地を披露するリヤマルチリンクビームサスペンション(B14型サニーと基本構造は同じ)を採用したことも功を奏し、A32型は販売的にも日産のアッパーミドルクラスセダンとしては大成功を収めた。また、ブラウン内装や助手席側エアバッグなどを装備した「デュアルセレクション」ならびに「デュアルセレクションII」もモデル途中に発売されて人気に拍車をかけた。

1996年、オーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」を発売。「Sツーリング」ならびに「25Sツーリング」をベースに専用前後エアロバンパー、サイドパネル、リヤスポイラー、専用アルミホイール(R33型スカイラインと同デザインの16インチ)などを装備。

1997年2月、マイナーチェンジ。全車にABSとフロント両席エアバッグが標準装備となった。ファインビジョンメーター(上級グレード)やマルチリフレクター式ヘッドライト(Sツーリング系はブラックインナー、エクシモ系はクロームインナー)ならびにマルチリフレクター式リヤコンビネーションレンズを採用し、ドアトリムとパワーウインドーの形状を変更、センタークラスターの木目調パネルの面積を拡大するなど高級感の向上が図られた(反面、リヤの番号表示灯が2個→1個となり、灰皿のクローム加飾が廃止されるなどコストダウンも敢行された)。上級グレードにSRSサイドエアバッグを標準装備するなど安全面の向上も図られた。同時に、Sツーリングに装着されるアルミホイールが15インチから16インチにサイズアップされた。この改良を機に新グレード「25SツーリングJ」と「20エクシモG」が追加され、ほどなくしてオーテックジャパン扱いのエアロセレクションもベースモデルに沿った改良を施され、再登場した。モデル途中、ブラウン内装やインフィニティ・I30と同形状のグリルなどを採用した「ブラウンセレクション」も発売され話題を呼んだ。

1997年6月、国内市場専用のセフィーロワゴン(WA32型)登場。歴代で唯一のワゴンモデルである。テンプレート:Main

1998年 韓国ルノーサムスン(当時の三星自動車)が「SM5」という名称でライセンス生産を開始。テンプレート:Main

1998年1月、小改良。セダンの25SツーリングJ、イニシアが廃止される。

1998年5月、セフィーロ誕生10周年記念モデル「10th ANNIVERSARY」を発売。セダン・ワゴンそれぞれに設定され、後者は本革&ウッドのコンビステアリングや専用デザインのアルミホイールなど通常のモデルにはオプション設定すらない装備が奢られた。

1998年12月、セダンはA33型にフルモデルチェンジされる(ワゴンはWA32型が継続生産された)。

2000年9月、ステージア・プリメーラワゴン・アベニールに統合される形でワゴンを生産終了(セフィーロワゴンはセドリックワゴン/グロリアワゴンの受け皿でもあった)。

2代目以降はFFになったため、リヤサスペンションの特性上、4WDの製作が難しかったため後継車ティアナが出るまでFFのみであった。

A32型セフィーロは当時の日産の世界戦略車種として位置づけられ、北米へは「マキシマ」や「インフィニティ・I30」、ヨーロッパやロシアへは1995年より「マキシマQX」として投入されるなど、世界各国で広く発売されていた。また、台湾の裕隆汽車公司でもA32型セフィーロの現地生産を行っていた。

尚、海外仕様のAT車で足踏み式パーキングブレーキを採用したのはSM5のV6モデルのみで、それ以外は国内仕様のSツーリングと同じサイドレバー式を採用した。

台湾のセフィーロは日本におけるセドリックと同等に位置づけられる高級車(A32型セフィーロは台湾で継続生産されていたY30型セドリックの後継車種)であり、最上級グレードの名称は当時のセドリックと同じく「ブロアムVIP」であった。外観については前期は日本仕様とほぼ同じだが、後期については大型バンパーや専用リヤガーニッシュ、大型フロントグリルを用いる改良を受けている。

3代目 A33型(1998年 - 2003年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1998年12月、A33型にモデルチェンジ。ワゴンはWA32型が継続生産。内外装デザインはイルカをモチーフとして取り入れた。他社に先駆けユニバーサルデザインを多く取り入れている。搭載するエンジンはV型6気筒DOHC VQ25DD型直噴およびVQ20DE型リーンバーンの2機種。グレード体系は先代A32系同様、エクシモ系とSツーリング系の2系統を持つ。

2000年1月、オーテックジャパンによる特別仕様車「AUTECH(オーテック)」を発売。

2000年3月、ヨーロッパ向け「マキシマQX」を第70回ジュネーブモーターショーに出品。

2001年1月、マイナーチェンジ。海外向け車種のインフィニティI30と同様の前後バンパーの変更により全長がセフィーロ史上最長の4,920mmに延長された。エクシモのアルミホイールを16インチにサイズアップし、グリルを新意匠のものに変更[5]するとともに、初代以来続いていた(CEFIROの)頭文字「C」と末尾文字「O」をモチーフにしたマークを廃止、代わりに日産のCIエンブレムをセットした。また、これを機にSツーリングは廃止されエクシモ系のみとなった。同時にオーテック扱いの「AUTECH」は名称を「AX」に変更。コスト削減の一環からサンルーフ、レーダークルーズコントロール、アクティブヘッドレストの設定を廃止。

2002年8月、平成12年排出ガス規制に適合しない2,500cc車が廃止され、2,000ccのみとなる(5MTも廃止)。「エクシモNAVIエディション」を追加。VQ20DEの出力もリーンバーンからストイキに変更されたことで160ps→150psとなった。

海外仕様のAT車で足踏み式パーキングブレーキを採用したのは台湾・タイ仕様のA34(後述)、インフィニティ・Iで、それ以外は国内仕様前期のSツーリングと同じサイドレバー式を採用した。

2003年2月、国内市場向けモデルの販売終了。後継はティアナ

ただし、タンチョン・モーター・マレーシアSDN.BHD[1]などでは引き続き生産、カタール[2]サウジアラビア[3]などではマキシマの名前で生産されていた。また、台湾においては日本での生産が終了した後もフロントマスクを大幅に変更したものが「A34型」として発売されていた。

前期・後期ともに警察の覆面パトカーとして納入されている。

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車名の由来

スペイン語で「そよ風」「地中海に春をもたらす西風」の意味で、英語のzephyr(ゼファー)と語源が共通する。この意味としてのスペイン語"céfiro"ではセにアクセントがあり、フィロと発音する方が近く、フィーと伸ばすことはない。

エピソード

セフィーロが発売された直後の1988年、CMキャラクターに井上陽水を起用。最初期のCMは、林の中の道を走るセフィーロを後ろからカメラが追いかけ、併走した瞬間セフィーロの助手席に座っていた井上がパワーウインドウを下げてカメラに向かって「みなさんお元気ですか?失礼します」と話しかけるものであった。これはこれで話題になったのだが、その放映を開始して間もなく昭和天皇下血するなど体調を崩したため国内は一気に自粛ムードとなり、このCMも放映中止が真剣に検討された[6]。ただ発売直後でありそういうわけにもいかず、苦肉の策として、映像はそのままCMソングの音量を上げて「みなさんお元気ですか?失礼します」の部分は消音したバージョンが放映されたことから、これがまた話題となった。後に井上がセフィーロのそばでホースで散水する新バージョンのCMが急遽制作され、1988年12月以降はこれを使用した。ちなみに当初は井上に運転させようと検討していたが、彼が運転免許を持っていないことが判明したため、助手席に座っていた。井上はこの車のCMに1990年頃まで出演しており、彼はずっと助手席に座っていた。CM放映終了後、井上は1991年、42歳の時に免許を取得した。

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:自動車テンプレート:1980-1999 NISSAN Timeline

テンプレート:NISSAN Timeline
  1. 座間工場で生産されていたA31型セフィーロの車体番号は、最初に8が付いたA31-800001番~とCA31-800001番~になっている。
  2. NA車のみに追加されたNシリーズ
  3. 2・3代目はFF車になったことでリヤサスペンションの機構上、4WDの製作が困難であったために後継のティアナ登場までは4WDの設定なし
  4. ちなみに日本車で最初に全車標準装備としたのはホンダ・ドマーニである。
  5. 本体自体はインフィニティI30(前期)と同一品である。
  6. 「みなさんお元気ですか?」のフレーズが陽水の独特な発音により「宮さんお元気ですか」と聞こえてしまい不謹慎と判断されたため