FNS歌謡祭

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組FNS歌謡祭』(エフエヌエスかようさい、英字表記:FNS MUSIC FESTIVAL)は、フジテレビ系列で毎年12月第1水曜日の19:00 - 23:18(JST)に生放送されている年末大型音楽番組である。

概要

コンテスト時代(1974年 - 1990年)

「FNS歌謡祭音楽大賞」は、フジテレビ開局15周年となる1974年に制定された。

目的は「テレビを通して新しい日本の歌謡曲の方向を定め、明日のテレビ文化の創造を目指し制定する事」としていた。日本音楽事業者協会音楽出版社協会日本レコード協会が協賛をした。

1974年7月2日、第1回授賞式予選が開催されその模様はフジテレビ系列局を通じて生放送で全国にテレビ中継された。

設定されていた賞はグランプリ(1974年から1975年までは年間最優秀グランプリ、1976年から1977年までは最優秀グランプリのテロップを表示)、最優秀新人賞(1974年のみ最優秀ホープ賞)、最優秀歌唱賞、最優秀ヒット賞、最優秀視聴者賞、最優秀歌謡音楽賞、優秀新人賞、最優秀作詞賞、最優秀作曲賞、最優秀編曲賞、特別賞等であった。

グランプリ受賞者に贈られる賞金は当初100万円であったが、後に500万円までに増額された。

ノミネートについては、視聴者4000人を対象に実施したアンケート調査の結果を元に選抜された。

1974年と1975年については分割して年に2度、上期賞が6月に、下期賞が12月にそれぞれ設けられており、即ち第1回が1974年上期賞、第2回が1974年下期賞、第3回が1975年上期賞、第4回が1975年下期賞と回を重ねて開催された時期である。

審査対象期間は上期賞を前年の12月1日から本年5月31日迄とし、下期賞を本年6月1日から11月30日迄と定められた。

その上に1期毎に予選と本選を開催すると云う2部制が採用されたため、1年で4回(上期賞予選、上期賞本選、下期賞予選、下期賞本選)にも亘って開催されていた。

審査は上期賞と下期賞それぞれに各部門の最優秀賞を決定し、下期賞本選に於いてその中から年間最優秀グランプリを決定すると云う手順を踏んだ。

最初(1974年)の年間最優秀グランプリは五木ひろしが受賞したが五木はこの他第9回(1980年)と第13回(1984年)にも最優秀グランプリを受賞しており、最優秀グランプリ通算受賞回数では歴代単独第1位の記録を持つ。

第5回(1976年)からは開催を年に一度に減らされたが、2部制については引き続き導入された。

予選は12月第1火曜日に「発表!FNS歌謡祭'76~'77音楽大賞」「発表!FNS歌謡祭'78~'85優秀賞」と題し、部門別に発表されたノミネート曲の中から各部門の最優秀賞受賞曲が選考された。

本選は12月第3火曜日に「決定!FNS歌謡祭'76~'77音楽大賞最優秀グランプリ」「決定!FNS歌謡祭'78~'85グランプリ」と題し、各部門の最優秀賞受賞曲から最優秀グランプリ等の最終審査が行われた。

第15回(1986年)からは2部制を廃止し、12月の第1火曜日(一部は第2火曜日)に「決定!FNS歌謡祭'86~'90グランプリ」と題し民放初の試みとして3時間の生放送枠を取り、ノミネート曲の発表から最終審査迄の模様を一度の中継放送で一挙に発表する形式に改められた。

平成に入ると、音楽祭受賞に左右されないアーティストが増え、ヒット曲を出しているにもかかわらずノミネートを辞退するアーティストが続出したことで音楽祭としては成り立たなくなり、『日本歌謡大賞』や日本テレビ系列『日本テレビ音楽祭』やテレビ朝日系列『全日本歌謡音楽祭』、テレビ東京系列『メガロポリス歌謡祭』等民放テレビ局主導の音楽賞番組が次々と姿を消していく中、本番組も例外ではなく、時代の波に呑みこまれたこともあり、第19回(1990年)限りでコンテスト形式の音楽祭を終了した。

コンサート時代(1991年 - )

第20回(1991年)から『FNS歌謡祭』のタイトルをそのまま踏襲したものの、その年を象徴する歌手がその年の自身の代表曲を披露するのみとなるコンサート形式に変更され、予想外の視聴率を上げそれ以降安泰となる。

最初の第20回(1991年)のみ歴代の最優秀グランプリ受賞者が招かれ、それぞれの代表曲を披露した。

第26回(1997年)からは『火曜ワイドスペシャル』および『サザエさん』(再放送)枠の廃止に伴い、放送日が第1木曜日に変更になった。

第32回(2003年)からは放送日が第1水曜日に、放送時間が19時から23時18分までの4時間18分にそれぞれ変更になった。これは2003年は第1木曜日(12月4日)に東アジアサッカー選手権[1]の中継が入ったためである。

第39回(2010年)はコンサート形式になってから20年目を迎えた。『クイズ!ヘキサゴンII』(2011年9月終了)や『はねるのトびら』(2012年9月終了)、同年10月改編で水曜日21時へ移動してきた『ホンマでっか!?TV』など、水曜日の人気レギュラー番組の改編期以外の休止を極力避けるため放送日は第1土曜日(12月4日)に、放送時間は19時から23時10分まで[2]の4時間10分に短縮された。

第40回(2011年)は12月の第1土曜日(12月3日)にワールドカップバレーの中継が入ったことと、水曜19:00枠が『クイズ!ヘキサゴンII』の唐突な打ち切りと3ヶ月間『水曜スペシャル』の調整もあったためか、2年ぶりに第1水曜日(12月7日)の放送になっている。

第42回(2013年)は同年4月よりフジテレビ水曜10時枠の連続ドラマが再開されたが、例年通り12月の第1水曜日(12月4日)の放送となり、当該枠で放送のドラマ『リーガルハイ』は休止となる。

放送日

放送日 放送曜日 男性司会者 女性司会者 進行役 会場 平均視聴率
1 1974年7月2日 火曜日 小川宏 吉永小百合 小林大輔 帝国ホテル
「孔雀の間」
26.2%
1974年7月18日 木曜日 日本劇場 34.0%
2 1974年12月5日 帝国ホテル
「孔雀の間」
不明
1974年12月19日 新宿コマ劇場 26.4%
3 1975年7月1日 火曜日 小林大輔
岩佐徹
京王プラザホテル
「コンコードボールルーム」
25.9%
1975年7月17日 木曜日 中野サンプラザ 22.3%
4 1975年12月2日 火曜日 フジテレビ旧河田町社屋
第6特設スタジオ
28.8%
1975年12月16日 中野サンプラザ 30.3%
5 1976年12月7日 浅茅陽子 不明→不在 フジテレビ旧河田町社屋
第6特設スタジオ
不明
1976年12月21日 中野サンプラザ 28.2%
6 1977年12月6日 関口宏 芳村真理 フジテレビ旧河田町社屋
第6特設スタジオ
30.6%
1977年12月20日 中野サンプラザ テンプレート:Color
7 1978年12月5日 露木茂 中野サンプラザ 不明
1978年12月19日 日本武道館
8 1979年12月4日 中野サンプラザ
1979年12月19日 日本武道館
9 1980年12月2日 中野サンプラザ
1980年12月16日 日本武道館
10 1981年12月1日 中野サンプラザ 26.3%
1981年12月15日 日本武道館 29.2%
11 1982年12月7日 中野サンプラザ 24.1%
1982年12月21日 日本武道館 28.3%
12 1983年12月6日 中野サンプラザ 20.1%
1983年12月20日 日本武道館 26.6%
13 1984年12月4日 中野サンプラザ 23.4%
1984年12月18日 日本武道館 22.8%
14 1985年12月3日 中野サンプラザ 19.1%
1985年12月17日 日本武道館 21.2%
15 1986年12月16日 日本武道館 24.4%
16 1987年12月8日 露木茂
古舘伊知郎
不在 24.8%
17 1988年12月6日 フジテレビ旧河田町社屋
第6特設スタジオ
不明
18 1989年12月12日 日本武道館
19 1990年12月11日 露木茂 楠田枝里子
20 1991年12月10日 グランドプリンスホテル新高輪[3]
「飛天」
27.6%
21 1992年12月8日 不明
22 1993年12月7日
23 1994年12月6日
24 1995年12月5日
25 1996年12月10日 川端健嗣 横浜アリーナ 24.0%
26 1997年12月11日 木曜日 21.7%
27 1998年12月3日 グランドプリンスホテル新高輪
「飛天」
19.7%
28 1999年12月2日 22.2%
29 2000年12月7日 22.5%
30 2001年12月6日 テンプレート:Color
31 2002年12月5日 19.0%
32 2003年12月3日 水曜日 21.2%
33 2004年12月1日 21.8%
34 2005年12月7日 草彅剛 黒木瞳 川端健嗣 20.1%
35 2006年12月6日 川端健嗣
高島彩[4]
21.3%
36 2007年12月5日 20.7%
37 2008年12月3日 不在 19.7%
38 2009年12月2日 草彅剛 18.5%
39 2010年12月4日 土曜日 不在 21.7%[5]
40 2011年12月7日 水曜日 高島彩 川端健嗣 19.9%
41 2012年12月5日 不在 18.3%
42 2013年12月4日 滝川クリステル 18.8%

※「予」は予選、「本」は本選を表す。

司会者・進行役

  • 1977年より小川から『夜のヒットスタジオ』の司会を務めていた芳村にメイン格の司会者が交代。翌1978年からは芳村のアシスタント格として当時フジテレビアナウンサーだった露木が抜擢され、以後1986年まで9年連続で芳村・露木のコンビにより授賞式の進行が行われた。メイン格はあくまでも芳村であったが、グランプリや各部門賞の受賞曲・受賞歌手の発表については、他の音楽祭においては男性司会者が総じて行っていることに準じて露木が行い、芳村は主に受賞歌手・関係者へのインタビューを行う役を担当した。このコンビのテキパキとした、また場の高揚感・緊張感を巧みに高める司会ぶりは歴代司会者コンビの中でも随一とする声も多く、当時10 - 20代辺りの視聴者にとっては未だに「本番組の司会」=「芳村・露木」というイメージを持っている人も少なくない。
  • 1987年 - 1989年は、露木と古舘の男性コンビが授賞式の司会を担当した。前年まで10年連続で司会を担当した芳村が1987年秋に『夜ヒット』からの勇退、同年末の本番組の司会も辞退したことから、芳村からの事実上の「禅譲」という形で、当時『夜ヒット』で芳村のパートナーを務めていた古舘が司会に抜擢されるに至った。しかし『夜ヒット』が1990年の秋改編を以って終了したことが影響し、古舘は同年の司会には起用されず、結果としてこの男性司会コンビの体制は3回で幕を閉じた。
  • 司会が2人体制となる回におけるメイン格の司会は、1974年 - 1976年=小川 → 1977年 - 1986年=芳村 → 1987年 - 1995年=露木 → 1996年 - 2004年=楠田 → 2005年=黒木 → 2011年=草彅。通常はフジテレビ所属アナウンサーが芸能人とコンビを組む場合には「アシスタント」となる場合が一般だが、1987年 - 1995年の露木に関しては相手役であった古舘・楠田両者が局アナ出身者(前者は元テレビ朝日所属、後者は元日本テレビ所属)であり、且つアナウンサーとしてのキャリアとしては露木の方が先輩にあたることなどが考慮されてか、当時の新聞欄などでも司会者として古舘・楠田より先に露木の名前がクレジットされており、番組内での自己紹介の順序も露木の方が先であったなど、全編を通じメイン格司会者としての扱いがなされた(芳村時代について露木は芳村の後に自己紹介を行うなどあくまでも芳村のアシスタント役であった)。
  • 2005年 - 2009年は黒木と草彅の司会が定着していた。ただし、2008年は草彅が所属するSMAP北海道札幌市札幌ドームでコンサートを開催したため、司会を外れ(SMAPとしては中継出演)、黒木が番組史上初の単独司会となった。草彅は翌年司会に復帰しているが、本番組で司会返り咲きを経験するのは彼が初めてである。2010年は黒木が外れ(理由は言及されなかったが、おそらく同時期に愛知県名古屋市で自身の座長舞台が開催されたため。2011年も起用されずそのまま降板となった)、草彅が単独で司会。男性司会者のみになるのは1989年以来、約20年ぶり。また、男性単独司会は史上初である。
  • 2011・2012年は草彅と高島(進行役より昇格。前年限りでフジテレビを退社しフリーに転身)の司会体制。
  • 2013年は高島が産休のため草彅のパートナーには高島と同じフォニックス所属である滝川が起用。
  • 基本的に司会者は、当時のフジテレビの代表的な番組の出演者、もしくは同局のエース格アナウンサーが起用されることが多い(小川 - 『小川宏ショー』、吉永・関口 - 『スター千一夜』、芳村・古舘 - 『夜のヒットスタジオ』、楠田 - 『なるほど!ザ・ワールド』、草彅 - 『SMAP×SMAP』『僕らの音楽』(ナレーション))。
  • 進行役とは司会者の補佐をする役回りで、フジテレビ所属アナウンサーが担当する。第1回当初からあったものの途中で廃止。2005年に川端が司会から配置転換される形で一時的に復活したが、2011年を最後に再び廃止された。

視聴率

  • 平均最高視聴率は1977年の本選の36.0%
  • 視聴率は1996年以降は15%以上を維持しており、2003年 - 2007年にかけて5年連続で20%超を達成した。民放各局の年末音楽特番ではほぼ毎年視聴率1位を獲得している。
  • 2007年(平均視聴率20.7%)は「フジテレビ社長賞」を受賞している。

会場

  • コンテスト時代には、ほとんどの年が公開生放送であった。コンサート形式になった現在は横浜アリーナで開催された1996年と1997年を除き、ホテルの宴会場を使って関係者以外の立入りを規制した非公開で開催している。理由は、他局とは一線を画した厳か、且つ豪華で格調の高い音楽番組を制作するためであると言う。また、一時期はフジテレビクラブ会員が少数ではあるが招待されていた。

コンテスト時代の歴代受賞一覧

グランプリ(大賞)

※1974年から1975年までは「年間最優秀グランプリ」、1976年から1977年までは「最優秀グランプリ」として授与された。

年(回) 受賞歌手 受賞曲 備考
1974年(年間) 五木ひろし みれん

上期最優秀視聴者賞と下期最優秀視聴者賞も受賞

1975年(年間) 布施明 シクラメンのかほり アーティストのみ最優秀歌唱賞も受賞
1976年(第5回) 都はるみ 北の宿から 最優秀歌唱賞も受賞
1977年(第6回) 石川さゆり 津軽海峡・冬景色 最優秀歌唱賞と最優秀視聴者賞も受賞
1978年(第7回) 沢田研二 LOVE (抱きしめたい)
1979年(第8回) 西城秀樹 YOUNG MAN (Y.M.C.A.)
1980年(第9回) 五木ひろし ふたりの夜明け
1981年(第10回) 寺尾聰 ルビーの指環
1982年(第11回) 松田聖子 野ばらのエチュード
1983年(第12回) 細川たかし 矢切の渡し
1984年(第13回) 五木ひろし 長良川艶歌
1985年(第14回) 中森明菜 ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕 アーティストのみ最優秀ヒット賞も受賞
1986年(第15回) 中森明菜 DESIRE -情熱- 最優秀ヒット賞も受賞
1987年(第16回) 近藤真彦 愚か者
1988年(第17回) 中山美穂 Witches
1989年(第18回) 光GENJI 太陽がいっぱい
1990年(第19回) B.B.クイーンズ おどるポンポコリン

最優秀歌唱賞

年(回) 受賞歌手 受賞曲 備考
1974年 上期(第1回) 布施明 「積木の部屋」
下期(第2回) 森進一 北航路
1975年 上期(第3回) 野口五郎 哀しみの終るとき
下期(第4回) 布施明 傾いた道しるべ
1976年(第5回) 都はるみ 北の宿から 最優秀グランプリも受賞
1977年(第6回) 石川さゆり 津軽海峡・冬景色 最優秀グランプリと最優秀視聴者賞も受賞
1978年(第7回) 西城秀樹 ブルースカイブルー
1979年(第8回) ジュディ・オング 魅せられて
1980年(第9回) 五輪真弓 恋人よ
1981年(第10回) 岩崎宏美 すみれ色の涙
1982年(第11回) 五木ひろし 契り
1983年(第12回) 松田聖子 ガラスの林檎
1984年(第13回) 安全地帯 ワインレッドの心
1985年(第14回) 安全地帯 悲しみにさよなら
1986年(第15回) 小林旭 熱き心に
1987年(第16回) 中森明菜 難破船
1988年(第17回) 中森明菜 I MISSED "THE SHOCK"
1989年(第18回) 細川たかし 北国へ
1990年(第19回) - - 該当者なし

最優秀新人賞

※1974年は、「最優秀ホープ賞」として授与された。

年(回) 受賞歌手 受賞曲
1974年 上期(第1回) 中条きよし うそ
下期(第2回) 西川峰子 あなたにあげる
1975年 上期(第3回) 細川たかし 心のこり
下期(第4回) 岩崎宏美 ロマンス
1976年(第5回) 内藤やす子 弟よ
1977年(第6回) 高田みづえ 硝子坂
1978年(第7回) さとう宗幸 青葉城恋唄
1979年(第8回) 倉田まり子 How!ワンダフル
1980年(第9回) 田原俊彦 ハッとして!Good
1981年(第10回) 近藤真彦 ギンギラギンにさりげなく
1982年(第11回) シブがき隊 100%…SOかもね!
1983年(第12回) THE GOOD-BYE 気まぐれone way boy
1984年(第13回) 岡田有希子 Dreaming Girl 恋、はじめまして
1985年(第14回) 本田美奈子 Temptation(誘惑)
1986年(第15回) 少年隊 仮面舞踏会
1987年(第16回) BaBe I Don't Know!
1988年(第17回) 大和さくら 王将一代 小春しぐれ
1989年(第18回) マルシア ふりむけばヨコハマ
1990年(第19回) 忍者 お祭り忍者

最優秀ヒット賞

年(回) 受賞歌手 受賞曲 備考
1974年 上期(第1回) 殿さまキングス なみだの操
下期(第2回) 中村雅俊 ふれあい
1975年 上期(第3回) かまやつひろし 我が良き友よ
下期(第4回) 布施明 シクラメンのかほり
1976年(第5回) 子門真人 およげ!たいやきくん
1977年(第6回) ピンク・レディー 渚のシンドバッド
1978年(第7回) ピンク・レディー UFO
1979年(第8回) 渥美二郎 夢追い酒
1980年(第9回) もんた&ブラザーズ ダンシング・オールナイト
1981年(第10回) 竜鉄也 奥飛騨慕情
1982年(第11回) 岩崎宏美 聖母たちのララバイ
1983年(第12回) 大川栄策 さざんかの宿
1984年(第13回) 中森明菜 北ウイング
1985年(第14回) 中森明菜 飾りじゃないのよ涙は
1986年(第15回) 中森明菜 DESIRE -情熱- 最優秀グランプリも受賞
1987年(第16回) 荻野目洋子 六本木純情派
1988年(第17回) 光GENJI
1989年(第18回) プリンセス・プリンセス
1990年(第19回)

最優秀視聴者賞

年(回) 受賞歌手 受賞曲 備考
1974年 上期(第1回) 五木ひろし
下期(第2回) 五木ひろし
1975年 上期(第3回) 五木ひろし
下期(第4回) 五木ひろし
1976年(第5回) 五木ひろし
1977年(第6回) 石川さゆり 津軽海峡・冬景色 最優秀グランプリと最優秀歌唱賞も受賞
1978年(第7回) 山口百恵 プレイバックPart2 最優秀歌謡音楽賞も受賞
1979年(第8回) 山口百恵 しなやかに歌って
1980年(第9回) 八代亜紀 雨の慕情
1981年(第10回) 五木ひろし 港ひとりうた
1982年(第11回) 細川たかし 北酒場
1983年(第12回) 五木ひろし 細雪
1984年(第13回) 細川たかし 浪花節だよ人生は
1985年(第14回) 五木ひろし そして…めぐり逢い
1986年(第15回) 五木ひろし 浪花盃
1987年(第16回) 五木ひろし 追憶
1988年(第17回) 五木ひろし 港の五番町
1989年(第18回) 石川さゆり 風の盆恋歌
1990年(第19回)

最優秀歌謡音楽賞

年(回) 受賞歌手 受賞曲 備考
1974年 上期(第1回) 野口五郎 告白
下期(第2回) 山口百恵 ひと夏の経験
1975年 上期(第3回) 山口百恵 冬の色
下期(第4回) 桜田淳子 天使のくちびる
1976年(第5回) 研ナオコ あばよ
1977年(第6回) 山口百恵 秋桜
1978年(第7回) 山口百恵 プレイバックPart2 最優秀視聴者賞も受賞

特別賞

年(回) 受賞歌手 受賞曲
1974年 上期(第1回) 梓みちよ 二人でお酒を
南こうせつとかぐや姫
由紀さおり みち潮
下期(第2回) グレープ 精霊流し
伊集加代子 おしえて
1975年 上期(第3回) 沢田研二 巴里にひとり
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド スモーキン・ブギ
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
下期(第4回) 内山田洋とクール・ファイブ 中の島ブルース
1976年(第5回) 近江俊郎 湯の町エレジー
二葉百合子 岸壁の母
美空ひばり 雑草の歌
1977年(第6回) 五木ひろし
ビューティ・ペア
1978年(第7回) 郷ひろみ&樹木希林 林檎殺人事件
五木ひろし 5周年記念特別賞
布施明
都はるみ
石川さゆり
1979年(第8回) ゴダイゴ ビューティフル・ネーム
銀河鉄道999
金沢明子 津軽じょんがら節
1980年(第9回) YMO ライディーン
山口百恵
1981年(第10回) 五木ひろし
1982年(第11回) 該当者なし
1983年(第12回) 沢田研二 10周年記念特別賞
西城秀樹
五木ひろし
1984年(第13回) ケニー・ロギンス Foot Loose
一世風靡セピア 前略、道の上より
ジャッキー・チェン I Love You,You,You
1985年(第14回) おニャン子クラブ セーラー服を脱がさないで
とんねるず 雨の西麻布
森進一 女もよう
1986年(第15回) おニャン子クラブ メドレー
石井明美
フィンツィ・コンティーニー
CHA-CHA-CHA
北島三郎 北の漁場
1987年(第16回) 光GENJI STAR LIGHT
石川さゆり 津軽海峡・冬景色
a-ha リビング・デイライツ
1988年(第17回) 志村けんとだいじょうぶだぁファミリー ウンジャラゲ
五木ひろし 15周年記念特別奨励賞
1989年(第18回) 美空ひばり 川の流れのように
CoCo EQUALロマンス
1990年(第19回)

コンサート時代の歴代トップバッターと大トリ

トップバッター

年(回) 歌手
1991年(第20回)
1992年(第21回)
1993年(第22回) 中森明菜 愛撫
1994年(第23回)
1995年(第24回) 米米CLUB JUST MY FRIEND
1996年(第25回)
1997年(第26回) SPEED WHITE LOVE
1998年(第27回) モーニング娘。 抱いてHOLD ON ME!
1999年(第28回) A・RA・SHI
2000年(第29回) 感謝カンゲキ雨嵐
2001年(第30回) 君のために僕がいる
時代
2002年(第31回) 松浦亜弥 ♡桃色片想い♡
2003年(第32回) NEWS NEWSニッポン
2004年(第33回) 大塚愛 さくらんぼ
2005年(第34回) SMAP BANG! BANG! バカンス!
2006年(第35回) SMAP Dear WOMAN
2007年(第36回) SMAP 弾丸ファイター
2008年(第37回) SMAP Still U
2009年(第38回) SMAP そっと きゅっと
2010年(第39回) SMAP This is love
2011年(第40回) がんばろうニッポン 愛は勝つ シンガーズ 愛は勝つ
2012年(第41回) SMAP SHAKE
2013年(第42回) SMAP 「SHAKE」

大トリ

年(回) 歌手
1991年(第20回) とんねるず 情けねえ
1992年(第21回) とんねるず 一番偉い人へ
1993年(第22回) CHAGE&ASKA YAH YAH YAH
1994年(第23回) とんねるず ガニ
1995年(第24回) 郷ひろみ 逢いたくてしかたない
1996年(第25回)
1997年(第26回) 安室奈美恵 CAN YOU CELEBRATE?
1998年(第27回) 野猿 Get down
1999年(第28回) 野猿 Be Cool!
2000年(第29回) 郷ひろみ なかったコトにして
2001年(第30回) 北島三郎 まつり
2002年(第31回) 浜崎あゆみ Voyage
2003年(第32回) SMAP 世界に一つだけの花
2004年(第33回) 浜崎あゆみ Moments
2005年(第34回) SMAP Triangle
2006年(第35回) SMAP ありがとう
2007年(第36回) SMAP Christmas Night
2008年(第37回) SMAP この瞬間、きっと夢じゃない
2009年(第38回) SMAP 「世界に一つだけの花」
2010年(第39回) 出演者合唱 「世界に一つだけの花」
2011年(第40回) SMAP 僕の半分
2012年(第41回) SMAP gift
2013年(第42回) SMAP シャレオツ

演奏

※1990年よりオーケストラ制度が廃止されたが徐々に生演奏の良さが見直され、2002年頃より小規模ながら復活した。しかし1989年までのオーケストラの編成の形はとられず、バイオリンのみというのが多い。指揮者も設置されず。2004年以降紹介された楽曲のうち半数がハウスバンドによる生演奏となる。

音響

近年はホテルの大宴会場で開催されているため、音響の悪さを指摘する声が絶えない[6]。特に2011年はの出演時に音響トラブルが発生したため、フジテレビのツイッターアカウントに苦情が殺到した[7]。2013年の嵐の出演は収録となり、生演奏を売りにしているこの番組で、皮肉にも瞬間最高視聴率を記録した[8]

テーマソング

  • 本番組のテーマソングとして、「花咲く歌声」(JASRACで登録されている正式な曲名、作詞:保富康午、作曲:広瀬健次郎)がある。コンテスト時代の番組中では、副題「音楽大賞讃歌」とともに、テロップで紹介されていた。
  • このテーマソングは、コンテスト時代の第1回(1974年)から第19回(1990年)までのオープニング及びエンディングにおいて、東京混声合唱団によるコーラスで歌われていた。また、1980年代のオープニングでは歌詞テロップも表示されていた。
  • コンサート形式に変更された1991年以降は歌われなくなり、インストルメンタルのみとなっている。また、曲名のテロップも表示されなくなった。これは歌詞の一部に「歌に賞を贈ろう」という趣旨のものが含まれており、コンサート形式には合わないことによる(この楽曲の歌詞についてはノートの項目を参照)。
  • 現在、オープニングとエンディングでの「花咲く歌声」の全員合唱の復活を要望する視聴者が多く、フジテレビにもそういった要望が多数寄せられているという。2005年には、歴代司会者トーク名場面の中で、「花咲く歌声」の合唱が放送された(一部分のみ)。これは、1990年以来15年ぶりのことである。
  • CM前後のジングルは、長らく同じものが使用されており、CM前ジングルは、現在この番組の5秒CMにも使用されている。
  • 2001年、演奏楽器がオーケストラからシンセサイザーに変更された。

出演者のエピソードなど・その他

テンプレート:独自研究 テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • 番組開始初期の1970年代から番組の黄金期と言われる1980年代にかけては、当時を代表するアイドル達(西城秀樹山口百恵郷ひろみ松田聖子田原俊彦近藤真彦中森明菜ら)が続々と登場し、数々の名場面を残した。1982年に松田聖子が「野ばらのエチュード」でグランプリを受賞し感極まって(化粧が落ちた)黒い涙で大泣きしたのは有名である。
  • 1985年、中森明菜が大賞を受賞した際はトロフィーと花束で両手が塞がりマイクが持てなくなる一幕があった。中森はそのことを口にせず周囲は対応を取ろうとしなかったが、候補者として同じステージにいたアン・ルイス岩崎良美が中森から花束を受け取ってさりげなくフォローしたため、スムーズに歌唱へと移った。
  • 1975年、第3回(本選)の生放送開始直前、超満員の観客が見守る中でナイフを持った34歳(当時)の男がステージに向かい、司会の吉永小百合を襲うというハプニングが起きた。会場は一時騒然となったが、男はその場で取り押さえられ、吉永にも怪我はなかった。
  • 美空ひばりは芸能生活30周年を迎えた1976年に特別賞を受賞し、1度だけ出演したことがあり、「雑草の歌」を歌唱した。1989年、ひばりの死去に伴って特別賞が授与された(死後追贈)。
  • 日本国外からジャッキー・チェン(1984年)、ケニー・ロギンス(1984年)、フィンツィ・コンティーニー(1986年)、a-ha(1987年)、スティング(2001年)、デスティニーズ・チャイルド(2004年)、ダニエル・パウター(2006年)、シェネル(2012年)などが出演している。
  • コンサート形式に変更されてからの数年間は、「ベストヒットセレクション」として1990年代のみの形式変更後の曲しか放送されていなかった。
  • コンサート時代は歌手同士のコラボレーションステージを演出の売りとして行っている。2009年以降はそれが増加傾向にある。
  • 本番組放送翌日には、フジテレビの情報番組ワイドショー番組で本番組の名場面や舞台裏模様を放映することが恒例。
  • 2001年は「2001FNS歌謡祭・放送10周年記念」と題して行ったが、これはコンテスト時代の年数を勘定に含まない形で「10周年」としていたためであった。2004年は第1回(1974年)から通算した年数により「30周年記念・2004FNS歌謡祭」と題して行った。
  • 「秘蔵VTR感動の名曲集」(第1回からの名場面ピックアップ映像集)は、2002年に初めて放送された。
  • 2003年から2005年までは、ジャニーズ事務所所属タレントやOBを中心とした「ジャニーズ名曲セレクション」(2003年〜2004年)→「ジャニーズヒストリー」(2005年)も併せて放送されていた。
  • 2004年は、歴代司会者のうち初代の小川・吉永や、黄金期を務めた芳村・露木のトークの名場面が放送された。
  • 2005年では黒木・草彅を除く全ての歴代司会者のトークの名場面が放送された。
  • 黒木が初司会を務めた2005年は歌手としても出演(芸能生活25周年記念)し、「すみれの花咲く頃」、「運命〜ぐうぜん〜」の2曲を歌唱した。草彅もSMAPとして歌っており、司会が双方とも歌手としても出演する形となった。さらに、2007年はかつて黒木が在籍していた宝塚歌劇団のメンバーとともに『すみれの花咲く頃』を熱唱した。
  • 草彅が司会に起用された2005年以降は、SMAPがトップバッターとトリの双方を務めることが恒例(ただし2010年は後述の形となり、2011年はトリは務めたものの、トップバッターは担当せず)。
  • 出演アーティストのほとんどはメイン会場にいるが、地方でのコンサートの関係でメイン会場に行けない場合もある。その際は、FNS系列各局が中継技術協力を行い、コンサート会場または会場近くのFNS系列局から中継を結んで歌を披露している。また出演アーティストが座る席には烏龍茶が配られることが恒例[9](他にオレンジジュースバナナ[10]もある)。
  • 客席にフジテレビの若手女性アナウンサーが映ることがしばしばあるが、これは港曰く「見切れてもいいAD」なのだそうで、彼女達は出演者誘導などの裏方仕事に従事している。
  • 2000年代後半以降、話題性のある芸能人・著名人(俳優女優・スポーツ関係者)がゲスト出演する演出が恒例となっている。
  • 2005年4月6日放送の『ワンナイR&Rスペシャル』で松浦ゴリエプロデュースによる「FNS志賀歌謡祭」という企画を放送していた。アシスタントプロデューサー志賀直哉に対して離婚経験芸能人が判定する『行列ができる離婚相談所』や生放送部分もあった(この企画はFNS歌謡祭責任者の港浩一の許可が下り、実現した)。
  • 2008年の放送では、番組開始35周年と開局50周年を記念して「フジテレビ音楽番組50年秘蔵映像」を放送。過去の本番組からはもちろんのこと、『夜のヒットスタジオ』、『ミュージックフェア』、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、『僕らの音楽』、『ヒットパレード'90s』、『G-STAGE』、『SOUND ARENA』『日本歌謡大賞』などの歴代フジテレビ系列音楽番組からの秘蔵映像が紹介された。また『情報プレゼンター とくダネ!』(当時、木曜日に「朝のヒットスタジオ」という歌のコーナーを放送)司会の小倉智昭が会場出演。以後小倉の出演が恒例化している(小倉は翌朝の『とくダネ!』で後日談を語るのも恒例)。
  • 2010年の放送では、2009年が全部で46曲だったのに対し74曲と大幅に曲数が増えた。そのためトークがほとんどなかった。また、2005年からトリの常連となっていたSMAPは、香取慎吾が23:00からテレビ朝日系列でのレギュラー番組『SmaSTATION!!』生出演により退席したため、SMAPとしてでなく出演歌手(全員ではない)、進行役で『世界に一つだけの花』を歌った。
  • 同じ2010年ではがコンサートと被ったため、生出演できなくなり、事前に収録したものを流した。また、同年の『第61回NHK紅白歌合戦』で両軍司会を務めることが決定していた嵐と松下奈緒が紅白放送前に嵐の「果てない空」を松下のピアノ伴奏でコラボレーションした。紅白司会者同士が民放の音楽番組で放送前に共演するのは稀である。
  • 2011年・2012年の放送では、高島彩(司会)・北川悠仁ゆずとしてアーティスト出演)夫妻が双方出演している(2011年の回では結婚後の夫婦初共同出演となった)。だが、直接共演するシーンはなかった。
  • 2011年3月27日には「東北地方太平洋沖地震東日本大震災)復興支援」を目的とした本番組の特別編『FNS音楽特別番組 上を向いて歩こう 〜うたでひとつになろう日本〜』が19:00 - 21:54JST)にて放送され、司会は草彅剛と高島彩が担当した。また、同番組はAMラジオ局ニッポン放送茨城放送で同時生放送、TBCラジオIBCラジオラジオ福島で同日深夜に録音放送された。そして8月6日(テレビ大分は8月14日)には同年2度目の本番組特別編『FNS歌謡祭 うたの夏まつり2011』が放送された。それ以降も『FNSうたの夏まつり』のタイトルで毎年7月下旬〜8月上旬のプライムタイムで放送が行われている。
  • 2011年7月24日放送の『FNS27時間テレビ』では、本番組のメインステージに似せたセットを使用し『FNS歌へた祭』というパロディが行われた。
  • 系列局でも、テレビ大分ではクロスネットの都合で、放送日時を差し替えることがある。また、テレビ山口は、1987年9月30日限りでフジテレビ系列から脱退(TBS系列のニュース・番組の関係でクロスネット局であったTBS系列フルネット完全移行)したため、遡っての1986年度限りでの放送終了を余儀なくされた。広島テレビ日本テレビ系列)では、テレビ新広島開局まで放送されていたが、日本テレビ番組の関係で、前半同時ネット・後半同日深夜に録画で差し替え、となる場合があった。新潟総合テレビでは、テレビ新潟開局までNST土曜スペシャル内で放送されたことがある。山形県では当初から1992年までは山形テレビで放送されたが、1993年4月のテレビ朝日系列へのネットチェンジの影響でしばらく放送されなかった[11]が、1997年4月にさくらんぼテレビが開局したため、4年ぶりに山形県での放送が復活した。
  • 2012年12月5日と2013年6月19日には、『森田一義アワー 笑っていいとも!』において、タカタカアンドトシ)と当日担当のテレフォンアナウンサー(2012年12月は本田朋子、2013年6月は生田竜聖(いずれも放送時点のフジテレビアナウンサー))のMCで「(年号)FNSタ歌謡祭」という企画が行われた。2012年12月放送回は「2012FNS歌謡祭」放送当日に行われ1980 - 1990年代前半にヒットした曲を歌手が生歌唱する内容。2013年6月放送回は当日の「テレフォンショッキング」ゲストの田原俊彦が代表曲を歌唱する内容だった。なおCM前後のジングルなどのは本家のものがそのまま使用された。

ネット局

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 フジテレビ フジテレビ系列 制作局
北海道 北海道文化放送
岩手県 岩手めんこいテレビ 1991年度から
宮城県 仙台放送
秋田県 秋田テレビ 1981年度から1986年度まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
山形県 さくらんぼテレビ 1997年度から
福島県 福島テレビ 1982年度まではTBS系列とのクロスネット局
新潟県 新潟総合テレビ 1980年度までは日本テレビ系列とのトリプルネット局
1982年度まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
長野県 長野放送
静岡県 テレビ静岡
富山県 富山テレビ
石川県 石川テレビ
福井県 福井テレビ
中京広域圏 東海テレビ
近畿広域圏 関西テレビ
島根県
鳥取県
山陰中央テレビ
岡山県
岡山県
香川県
岡山放送 1978年度までは岡山県のみ放送
1979年度から電波相互乗り入れに伴い香川県でも放送
広島県 テレビ新広島 1975年度から
愛媛県 テレビ愛媛
高知県 高知さんさんテレビ 1997年度から
福岡県 テレビ西日本
佐賀県 サガテレビ
長崎県 テレビ長崎 1989年度までは日本テレビ系列とのクロスネット局
熊本県 テレビくまもと 1981年度までは日本テレビ系列とのトリプルネット局
1988年度まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
鹿児島県 鹿児島テレビ 1981年度まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局
1993年度までは日本テレビ系列とのクロスネット局
沖縄県 沖縄テレビ
大分県 テレビ大分 日本テレビ/フジテレビ系列 1992年度まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局
宮崎県 テレビ宮崎 日本テレビ/フジテレビ/テレビ朝日系列

過去のネット局

系列は放送終了時点のもの。
放送対象地域 放送局 系列 備考
山形県 山形テレビ フジテレビ系列 1992年度まで
1993年4月のテレビ朝日系列へのネットチェンジに伴い打ち切り
広島県 広島テレビ 日本テレビ/フジテレビ系列 1974年度のみ
1975年度からテレビ新広島へ移行
山口県 テレビ山口 TBS/フジテレビ系列 1986年度まで
1987年9月のFNS脱退に伴い打ち切り

スタッフ

2013年
  • 制作:港浩一
  • 音楽:武部聡志
  • 構成:山内浩嗣
  • フジテレビ音組 respects:石田弘
  • フロアディレクター:大野悟、後藤夏美、島田和正
  • 送出ディレクター:冨田哲朗
  • プロデューサー:土田芳美、宇賀神裕子
  • チーフプロデューサー:きくち伸
  • 演出:浜崎綾
  • 制作著作:フジテレビ
過去のスタッフ

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

関連番組

  • FNSうたの夏まつり - 当番組の派生番組として、2012年から毎年夏に同番組が放送されている。両番組共、コラボレーションがメインとなっている。司会は草彅剛と加藤綾子アナウンサー(2014年現在)。
  • MUSIC FAIR - 同局で毎週土曜日18:00 - 18:30にレギュラー放送している音楽番組。同番組で誕生したコラボレーションが、当番組で披露される場合がある。司会は鈴木杏樹恵俊彰
  • 新堂本兄弟 - 同局で毎週日曜日23:15 - 23:45にレギュラー放送している音楽番組。同じく同番組で誕生したコラボレーションが、当番組で披露される場合がある。MCはKinKi Kids
  • 僕らの音楽 - 同局で毎週金曜日23:30 - 23:58にレギュラー放送している音楽番組。同じく同番組で誕生したコラボレーションが、当番組で披露される場合がある。司会は当番組と同様の草彅剛と加藤綾子。
  • めざましテレビ - 当番組を放送した翌日の同番組でダイジェストで全曲を振り返るのが恒例となっている。

各局の年末音楽特番

外部リンク

テンプレート:草彅剛 テンプレート:FNS歌謡祭グランプリ テンプレート:FNS歌謡祭最優秀歌唱賞 テンプレート:FNS歌謡祭最優秀新人賞 テンプレート:Navbox

テンプレート:FNSの日
  1. 本来は5月を予定していたが、SARSの影響で延期になった。
  2. 土曜は23時10分からレギュラー番組が設定されているため。
  3. 2006年までは新高輪プリンスホテル。
  4. 2010年まではフジテレビアナウンサーでそれ以降はフリーアナウンサー。
  5. 瞬間最高視聴率は80年代の同番組のVTR集「感動の名曲集PART2」を放送した午後8時59分に29.4%を記録した。[1]
  6. 何故ホテルの宴会場?音響の悪さ指摘する声続出、AOLニュース 2013年12月6日
  7. 嵐の歌が「あまりにひどい」と話題 謝罪したフジのツイッター「炎上状態」、J-CASTニュース 2011年12月8日
  8. 生歌重視の『FNS歌謡祭』で“口パク”嵐が最高瞬間視聴率23.4%を獲得、日刊サイゾー2013年12月6日
  9. 2012年12月2日放送分の『新堂本兄弟』で槇原敬之がこの旨を語った。
  10. 2013年1月27日放送『新堂本兄弟』で、高見沢俊彦が、高橋みなみ「バナナ食べ過ぎ」と言及。
  11. ただし、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(仙台放送・秋田テレビ・福島テレビ・新潟総合テレビ)を受信出来た場合は引き続き視聴可能だった。