テレビ静岡

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テンプレート:日本のテレビ局 株式会社テレビ静岡(テレビしずおか、Shizuoka Telecasting Co., Ltd.)は、静岡県放送対象地域としてテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。 略称はSUT(静岡ユーエッチエフテレビ時代の略称、Shizuoka UHF Televisionに由来。)。 フジテレビジョンFNNFNS)系列。

概要

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ファイル:FNNID.png
フジテレビ系列のリモコンキーID地図

キー局であるフジテレビと産業経済新聞社などを統括するフジ・メディア・ホールディングスのほか、静岡鉄道中日新聞社とも関係が深い。フジテレビ系列の基幹局で、静岡県の民放テレビ・ラジオ5社の中では唯一のネットワーク基幹局である。[注 1]

コールサインJOQH-DTVリモコンキーID 8)(アナログ放送は静岡親局にJOQH-TV、浜松中継局にはJORH-TVが割り当てられていた。。

本社は、静岡市駿河区栗原18番65号。

2002年に導入した「テレしず」という愛称(ただし、静岡県内向けであり、他県ではほとんど使用していない)を使うことが増えており、デジタル放送におけるウォーターマークも「テレしず」と表示されている。

キャッチコピーは「元気をピ・ピ・ピ テレしず」。

2009年6月、同社代表取締役社長として、元フジ・メディア・ホールディングスおよびフジテレビ取締役で、静岡市清水区(旧清水市)出身の小林豊が就任した。小林は1980年代に『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』でディレクターを担当し、「ブッチャー小林」の愛称で知られる。

自社制作のローカル番組ではよしもとクリエイティブ・エージェンシー吉本興業)所属のタレントがレギュラー出演する番組が在静局で最も多い。中でも『くさデカ』ではDonDokoDon平畠啓史が単独で出演する番組として静岡県民には知名度が高いことで知られている。

資本構成

2010年3月31日時点の出資状況は以下の通り[1]

キャラクター

現在

  • テレシーズ(男の子)(2003年 - )
  • しずティ(女の子)(2005年 - )
  • にゃんぱち(ペットの猫)(2005年 - )
  • テレシーズの両親のキャラクターもいるが、名前は付いていない。
  • テレシーズのおじいさんのキャラクターもいるが、名前は付いておらず、既に亡くなっている。テレシーズの家にはおじいちゃんの写真が飾ってある。

過去

  • おはなし坊や(1973年 - 2002年頃、開局5周年キャラクター)
  • ごてんばあさん(1978年 - 不明、ごてんばあさんの歌)
  • にじゅうまるくん(1988年、開局20周年の年限定)

歴史

  • 1967年(昭和42年)11月1日 - 予備免許取得[注 2]
  • 1968年(昭和43年)
    • 2月13日 - 静岡ユーエッチエフテレビ株式会社設立。
    • 10月9日 - 初の試験電波を、日本平の送信所より発射。
    • 10月30日 - 社名を株式会社テレビ静岡に変更。
    • 11月1日 - アナログ放送のサービス放送を開始(カラー放送も同時に開始)。
    • 12月24日 - アナログ放送の本放送を開始。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - FNS発足と同時に加盟。
  • 1973年(昭和48年) - 開局5周年。記念テーマソング「いのちは星より重いんだ」(通称・おはなししましょう)を制作。
  • 1978年(昭和53年) - 開局10周年。記念テーマソング「ごてんばあさん」を制作。
  • 1980年(昭和55年)8月16日 - 静岡駅前地下街爆発事故取材中、大規模な二次爆発が発生、記者とカメラマンが被災。その瞬間の映像はFNNを通じて全国に配信。
  • 1983年(昭和58年) - 開局15周年。記念テーマソング「ロマンチックシティ」を制作。音声多重放送開始[注 3]
  • 1986年(昭和61年) - 3月、本社社屋の隣に新館が増築、報道スタジオや報道部が移転した[2]
  • 1993年(平成5年) - Jリーグ清水エスパルスの筆頭株主となる(1997年10月まで)。
  • 1994年(平成6年) - 静岡市伝馬町に「メディアシティビル」を建設(2002年、メガネトップに売却)。
  • 2002年(平成14年) - 愛称に「テレしず」が加わる。
  • 2003年(平成15年) - 社名ロゴ変更(4代目・メガ丸-E書体)、新キャラクター「テレシーズ」登場(シンボルマークとしても使用)。
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
  • 2009年(平成21年)6月 - 代表取締役社長に、元フジ・メディア・ホールディングスおよびフジテレビ取締役の小林豊が就任する。
  • 2010年(平成22年)10月4日 - アナログ放送の終了告知テロップの常時表示を開始(静岡県内2局目)。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - アナログ放送を終了。浜松放送局のコールサイン「JORH-TV」も同日付で廃止。

ネットワークの移り変わり

本社・支社

本社
本社には2つのスタジオが存在する。開局後数年して設置されたAスタジオと、1986年に完成した新館に同時に設置され稼動を開始したニューススタジオの2つ。
かつては静岡市葵区伝馬町に「メディアシティ静岡」ビルを所有し、ビル内に「百人劇場」と称するホールを構えていた。ここには副調整室(サブコン)設備と放送用機材も備えられており、公開番組の収録や生放送に適宜使用されていたが、テレビ静岡本体の財務事情に絡みビル自体を外部に売却したため、ビル名称は「トップセンタービル」へ変更され、「百人劇場」もテレビ静岡の手を離れた。
東京支社
大阪支社
名古屋支社
浜松支社
沼津支社
  • 静岡県沼津市大手町二丁目4番1号

チャンネル

リモコンキーID 8

物理チャンネル

中部(静岡市、志太・榛原)

静岡 JOQH-DTV 17ch
玉川 22ch
清沢 22ch
井川 22ch
静岡大原 26ch
藤枝 22ch
藤枝葉梨 32ch
藤枝堀之内 32ch
藤枝岡部 32ch(垂直偏波)
島田 17ch
島田伊太 38ch
島田川根 41ch
中川根 35ch
本川根 43ch
中川根徳山 26ch
相良 45ch(垂直偏波)

西部(中東遠、浜松市・湖西市)

浜松 22ch
三ヶ日 38ch
佐久間 22ch
東佐久間 52ch
天竜横山 17ch
天竜船明 17ch
水窪 31ch
秋葉 17ch
春野 38ch
南春野 49ch
龍山 31ch
湖西 34ch
17ch
掛川家代 35ch
小笠 22ch
袋井 38ch
三ヶ日都筑 42ch

東部(駿東・富士・三島・沼津)

富士宮 22ch
富士川 38ch
芝川柚野 38ch(垂直偏波)
芝川内房 38ch
白糸 38ch(垂直偏波)
十里木 38ch
御殿場 17ch
小山須走 52ch
三島 22ch

伊豆(田方・熱海・伊東・賀茂)

伊豆長岡 17ch
修善寺 38ch
湯ヶ島矢熊 35ch
湯ヶ島大滝 34ch
中伊豆 41ch(垂直偏波)
中伊豆地蔵堂 47ch(垂直偏波)
中伊豆姫之湯 38ch(垂直偏波)
熱海 17ch
熱海網代 48ch
伊東宇佐美 48ch(垂直偏波)
伊東小室山 48ch
東伊豆 31ch
河津 17ch
下田 17ch
下田稲梓 17ch
下賀茂 37ch
伊豆東海岸 17ch 域外中継局として東京都大島町に設置

(参考)アナログ放送のチャンネル

2011年7月24日終了時点

静岡市

静岡 JOQH-TV 35ch
静岡賤機 44ch
静岡瀬名 52ch
静岡麻機 57ch
静岡羽鳥 58ch(垂直偏波)
玉川 58ch
清沢 39ch
井川 57ch
静岡大原 57ch
静岡籠上 43ch
静岡丸子 59ch(垂直偏波)
清水興津 44ch

志太・榛原

焼津 39ch
藤枝 38ch
藤枝堀之内 60ch
藤枝葉梨 55ch
岡部 60ch(垂直偏波)
島田 58ch
島田伊太 39ch
島田川根 57ch
中川根 44ch
中川根徳山 44ch
本川根 56ch
相良 45ch

中東遠

御前崎浜岡 44ch
小笠 55ch
掛川桜木 45ch
磐田見付 43ch
森 38ch

浜松市・西遠

浜松 JORH-TV 34ch
三ヶ日 43ch
佐久間 32ch
東佐久間 41ch
天竜 42ch
天竜横山 56ch
天竜船明 43ch
浜松阿蔵 61ch
水窪 40ch
秋葉 61ch
春野 43ch
南春野 35ch
龍山 38ch

駿東・富士

富士宮 39ch
富士川 60ch
芝川柚野 59ch(垂直偏波)
芝川内房 48ch
白糸 37ch(垂直偏波)
御殿場 37ch
三島 59ch

伊豆

伊豆長岡 56ch
修善寺 44ch
伊豆茅野 56ch
中伊豆 30ch(垂直偏波)
伊豆小土肥 45ch
熱海 43ch
東伊豆 37ch
河津 40ch
下田 43ch
下田稲梓 25ch・37ch
(37chはデジタル在京キー局混信対策)
下賀茂 43ch

その他、愛知東部・長野南部・山梨東南部・神奈川西部でも受信可能。

主なテレビ番組

※HVはハイビジョン制作番組

アニメ番組はテレビ静岡アニメ番組一覧を参照。

放送中の自社制作番組

終了した自社制作番組

ニュース番組

深夜番組

人力舎 人力舎の芸人を起用した深夜番組で、キメラ(人力舎系列)との共同制作

その他

旧ロゴ時代(2003年まで)にネットされていたフジテレビ系の番組

◇の番組は現在も放送中 ◆の番組は既にレギュラー番組は終了しているが現在は特番として放送している番組

途中で打ち切られたフジテレビ系の番組

開局時に静岡放送からネット移行したフジテレビ系の番組

他系列テレビ番組

現在当社で放送されている他系列番組は編成の通り少なく、フジテレビの番組をキー局と同時ネットする例が多い。

現在

テレビ東京系列

製作局の表記のない番組はテレビ東京製作。

静岡県の民放の中では、アニメ番組を多く放送しており、バラエティ番組に関しては2013年10月改編で3つになっている。

静岡県民放送(現:静岡朝日テレビ)開局まで放送されていたテレビ朝日系の番組

静岡第一テレビ開局まで放送されていた日本テレビ系の番組

(※は静岡県民放送(静岡朝日テレビ)開局まで)

ほか

過去テレビ静岡で放送されていたテレビ東京系列の番組

他多数。

過去テレビ静岡で放送されていた独立局の番組

アナウンサー

男性アナウンサー

女性アナウンサー

  • 北村花絵
  • 伊藤弘美(2012年入社)
  • 北清杏奈(2013年入社、NHK甲府放送局契約アナウンサー(2年)から移籍)
  • 吉澤美菜(2013年入社、NHK鳥取放送局契約アナウンサーから移籍)
  • 林愛実(2014年入社、NHK山形放送局→テレビ愛媛から移籍)

報道キャスター

FNNテレビ静岡スーパーニュースのキャスター

  • 中川慎也
  • 柴田浩伸

テンプレート:テレビ静岡アナウンサー

過去に在籍したアナウンサー

男性

  • 伊藤伸也
  • 内田検二
  • 小澤一彦(現在は番組審議室に在籍)
  • 加藤洋司
  • 鈴井慎一
  • 田中雄介(1992年 - 1996年、フリーになった後に「田中雄望」(たかな ゆうぼう)の芸名を使用していたこともある)
  • 繩田広
  • 野崎一裕(現・岩手めんこいテレビ報道部長)
  • 橋爪達也(現・WOWOWプロデューサー)
  • 大庭荘介(現・フリーアナウンサー)

女性

オープニング・クロージング

開局 - 1978年
  • オープニング 富士山を描いた浮世絵と富士山の実写映像の組み合わせ。BGMは前と同じもの。
  • クロージング 中継局紹介の静止画(幾何学模様)。女性アナウンサーが中継局のチャンネルを全部読み上げていた。その後、オープニングと同じ映像が流れる。
1978年 - 2003年1月
  • オープニング ちゃっきり節をボサノバ風にアレンジしたBGMに、富士山の日の出の空撮と海岸の映像。なお、一時期は、アナウンスも入れていた。テロップは何度か更新されている。
  • クロージング オープニングと同じBGMに、静岡放送局のアナログ送信所や、富士山と静岡市清水区(清水港)を日本平から撮影した映像。2000年頃からは「バンドでエンド」のコーナーも入れられた。
2003年2月 - 2005年
  • オープニング 富士山の全景
  • クロージング オルゴール風のBGMにのせて、富士山の夜景のイラストをバックに中継局を紹介。富士山の青い影をバックに「おやすみなさい…」のメッセージもファンタジーに演出していた。
2005年 - 2011年7月24日 デジタル・アナログ共通映像(テロップのみ別)、これよりハイビジョン制作 デジタル放送初代・アナログ放送最終版
  • オープニング 富士山の映像(前とは別の映像・音楽) - 「テレシーズと歩こう」(テレビ静岡キャラクターソング、歌:井上あずみ
  • クロージング 「テレシーズと歩こう」 - 地デジカCM(アナログ放送はアナログ放送終了のお知らせ) - 夜の静岡市内の空撮
  • 2006年から、デジタル・アナログとも、地上波アナログ放送の終了と地上デジタル放送移行を告知するスクロールテロップが挿入され、放送局名とコールサインのテロップ挿入位置が右下から右上に変更された。この際、オープニング映像のマイナーチェンジが行われている。
  • 2010年(時期不明)からクロージングの映像と音楽が差し替えられた。映像は夜の静岡市内の空撮であるが、新たに撮影したものに差し替えられた。
  • アナログ放送では2010年7月5日のアナログ放送レターボックス化に合わせ「テレジースと歩こう」がレターボックスで放送された。一方他の部分はレターボックス化されていなかった。
アナログ放送最終日(2011年7月24日)の最終画面
  • 2011年7月24日のアナログ放送終了(デジタル完全移行)の際、停波直前の23時58分より約1分間ブルーバックにて、上部分を「ご覧のアナログ放送の番組は(改行)本日正午に終了しました。(改行)今後はデジタル放送をお楽しみください。(改行)長い間のご愛顧ありがとうございました。」と4行で表示、下部分は四角囲みで、局名と静岡・浜松両局のコールサインを3行で表示(ただし画面は正午の通常番組終了から表示されていたブルーバック告知画面と似ており、上部分は3行目まで同じだが4行目が追記され、四角囲みは問い合わせ先と電話番号を局名・コールサインに置き換えたもの)。これを以て40年以上にわたるアナログ放送の歴史に幕を下ろした[3]
2011年7月25日 - 現在使用中
  • オープニング 青空をバックにテレシーズファミリーと「おはようございます」のテロップ〜中川あゆみ「ありがとうに包まれて」レコーディング風景〜「テレシーズと歩こう」
  • クロージング 「テレシーズと歩こう」〜「ありがとうに包まれて」レコーディング風景(オープニングと同じ映像)〜テレシーズの街をバックにテレシーズファミリーと「おやすみなさい」のテロップ
  • 「テレシーズと歩こう」の部分を除き、「ありがとうに包まれて」がBGMとして使用されている。

情報カメラ設置ポイント

  • 伊東
  • 沼津(香貫山)
  • 由比
  • 清水(エスパルスドリームプラザ撮影可能)
  • 本社屋上
  • 静岡駅北口(ホテルアソシア静岡屋上)
  • 浜松

おはなしキャンペーン

ごてんばあさんの歌

1978年、当社が開局10周年を記念して制定されたイメージソング。スポットIDでこの曲が流れ、1979年にレコード発売された(発売元はRVC。B面は『土曜音楽会いちばん星みつけた』のテーマソング、「いちばん星みつけた」)。作詞は当時電通社員だった作家の伊集院静(伊達歩というペンネームを使っていた)、作曲は小森昭宏、歌は藤本房子静岡県の市郡名の殆どが歌詞に含まれている。1番は静岡市より東側、2番は西側の地名が入っている(スポットID放送の際、湖西市が飛ばされていた為、レコード化の際にシャウト風に入れた)。ただし、ごてんばあさんというキャラクターは存在していたものの、局のマスコットキャラクターとしてではなく、このスポットIDでのみアニメーションで登場していた。尚、この曲は2009年2月4日に同局が考案して発売された「しずおかCD」に収録されている。しずおかCDではレコード音源を使用しているため、「テレビ静岡 おはなししましょう」が「これが静岡 おはなししましょう」に変更されている。

タンママシーン

ごてんばあさんの流れを継いだシリーズで、前回と同じく作詞は伊達歩、作曲は小森昭宏、歌は藤本房子という布陣だった。こちらは静岡県の歴史に関する事柄を歌詞に取り込んでいる。スポットIDではごてんばあさんは引き続き登場している。

トゥモロー

作詞は康珍化、作曲は和泉常寛、歌はビックバン

ウエルカム静岡

作詞は柴法子、作曲は井上大輔、歌は19BOX

しず姫参上!!

ピンクのレオタードを身にまとった相楽晴子を中心の地元の人々がダンスを展開する。CMソングの作詞はSHOW、作曲は服部清、歌は元フォーリーブス長田栄二

その他

本社は開局当時から現在地であるが、社屋は2度の増築を経ている。南幹線(静岡県道407号静岡草薙清水線)沿いに建つスタジオは最初の増築で生まれたものである。開局当初、敷地奥に現存する「事務棟」内に小規模な「簡易スタジオ」のみであったが、自社制作番組の拡充と制作力強化の必要性、さらには音響面の問題などから、本格的な制作スタジオ新設要望が出され、それに応える形で現存する「スタジオ」が新設された。次の増築は1986年、敷地奥の事務棟に隣接する場所に「新館」が建設された。主調整室報道スタジオ報道部の一部がここに移され、電波送受信用の鉄塔も新館屋上に新たに設置された[注 5](のちにお天気カメラも設置された)[4]

本社前の道路(静岡県道407号静岡草薙清水線 通称:南幹線、またはカネボウ通り) を「テレしず通り」と呼ぶこともある(本社社屋の前には「まことに勝手ながら、テレしず通りと呼ばせていただきます。」という看板が立てられている)。この呼称はテレビ静岡の他、K-MIXや中日ショッパー(静岡県の都市部で配布されるフリーペーパー・中日新聞系)でも使用しているが、それ以外で使用されることはほとんどなく、南幹線カネボウ通りという呼称が一般的である。

隣県に本社を持つ東海テレビ(THK)同様、略称の「SUT」はあまり用いられないが、そのロゴマークも制作されている。しかし略称の知名度自体低いため、使用されたり、見掛ける機会はあまり無かった(現行ロゴにも同様のことが云える)。だが、かつてのマスコットキャラクター「おはなし坊や」が着用している服に「SUT」の三文字が描かれていた[注 6]

2002年に変更する前の社名ロゴは、太ゴシック系の斜体ロゴであった。このロゴが開局以来使われていたとの説もあるが、実は2回ほどマイナーチェンジしている。旧ロゴ時代に作られた「SUT」のロゴは2種類あり、1つはサガテレビの現行ロゴのように「S」「U」「T」の文字が連なっているもので、かつて放送されていた「FNNテレビ静岡スーパータイム」のスタジオや、開局10周年を記念してデザインされたベリカードに用いられた。そしてもう1つは、「S」「U」「T」の三文字が富士山のような形状を模すように連なっているもので、旧社章としても使われた。かつて用いられていた中継車(緑とオレンジ色のデザイン)の前方にそれを象った銘板が取り付けられていた。いずれも現行ロゴ導入と共に、お役御免となってしまった。

報道スタジオは、報道部が有事即応を目的に設置を要望していたものであり、1986年春から使用が開始された。報道専用であるが、省力化などを目的として報道以外の番組にも使用されており、1986年4月、土曜深夜と編成枠を交換[注 7]して新たに立ち上げた情報生番組『情報交差点DO!』(岡本夏生がローカルタレントから全国デビューのきっかけを作った番組)でもこのスタジオが使用された。

以前は「浜松本社」を設け、建物内に「浜松スタジオ」も併設していた(ただし機材は常設ではなく、使用時には中継車の機材をスタジオに繋げる「中継車ドライブ」方式であった)が、組織再編などで後に廃止した。なお、「浜松本社」のあった場所は現在、静岡エフエム放送(K-MIX)の本社・スタジオとなっている。現在は場所を変え「浜松支社」として営業活動や県西部の報道取材拠点となっている。

  • これに関連して、アナログ放送は浜松放送局に静岡放送局と別のコールサイン(JORH-TV)が付与されており県西部向けに一部のCMを差し替えて放送していた在静民放局で浜松中継局にコールサインが付与されているのはテレビ静岡と静岡放送の先発2局。ただし静岡放送はラジオのみ)。民放テレビエリア内での一部地域におけるCM差し替えを行っているのは全国的に見てもテレビ静岡、静岡放送[注 8]札幌テレビ放送 (STV) [注 9]の3局のみである。

1980年に起きた静岡駅前地下街爆発事故では、テレビ静岡と静岡第一テレビ(SDT)の記者・カメラマンが、一次爆発の数十分後に起きた大規模な二次爆発に巻き込まれた。テレビ静岡、静岡第一テレビの記者・カメラマンともに重傷(一部は重体)となった(その後全員治癒し職場復帰)。この事故で「爆心」となってしまった雑居ビル(第一ビル)には当時、テレビ静岡の営業部静岡支社が入居しており、在静マスコミでは一番大きな被害を受けた社でもあった。なお、このビルの斜め向かいに静岡第一テレビも営業支社を構えており、取材陣が被害を受けた2社が偶然ながら営業拠点の被害も受けたことになった。

ロゴ変更前の一時期、イメージソングがあった。楽曲は「話をしよう」(小比類巻かほる)だった。

視聴率

2013年末現在、年間視聴率で2002年から12年連続で三冠王を達成している[5]

脚注

注釈

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

  • 社屋についての記述は『テレビ静岡社史「テレビ静岡二十年の歩み」』(1988年出版)などから引用・要約している。

外部リンク

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  1. 『日本民間放送年鑑 2010』 - 日本民間放送連盟編(2010年)
  2. FNNテレビ静岡ニュース」のオープニングタイトルデザインも同時期(1986年4月)に変更され、1999年末まで10年以上に亘り使用されていた。
  3. テンプレート:Cite web
  4. テレビ静岡社史「テレビ静岡二十年の歩み」(1988年)から引用・要約
  5. テンプレート:Cite web