オレたちひょうきん族
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『オレたちひょうきん族』(オレたちひょうきんぞく)は、フジテレビ系列で1981年5月16日から1989年10月14日まで毎週土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていたお笑いバラエティ番組である。通称「ひょうきん族」「ひょうきん」。
目次
概要
1981年5月16日に『決定!土曜特集・オレたちひょうきん族』のタイトルで、ナイター中継中止時の雨傘番組として放送され、同年10月10日より『決定!土曜特集』の冠を取ってレギュラー放送となった。そのため、土曜日にプロ野球中継(ヤクルトや大洋、中日主催の巨人戦)がある時はしばしば番組が返上された。
当時は製作局のフジテレビが視聴率ノルマを廃し、制作者が作りたいものを作る路線に転じ「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにしていた頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人の漫才ブームによる勢いとが相まったバラエティ番組である。開始当時の裏番組には、『8時だョ!全員集合』が放送されており、初回視聴率は9.5%(関東地区)であったが、『欽ドン!』以降低迷状態が続いていたフジテレビの土曜20時台を見事に立て直し、1980年代バラエティのリーダー格番組にまでなった。8年半の平均視聴率は、17.8%(ビデオリサーチ、関東地区)[1]。
また、吉本興業に代表される関西系事務所と渡辺プロ・太田プロに代表される関東系事務所のタレントが通常番組で共演するということは当時としては非常に画期的であり、その後の吉本興業の東京進出(正確には再進出)へと繋がるきっかけを作った。
初めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、「つまらない」「人気が出ない」と見るやすぐに企画をやめ、新企画を練っていた。また、初期においてはスタジオに一般視聴者を入れてのコーナーもあったが、その後は客は入れず、ギャグごとに笑い声が被さる演出(録音笑い。ラフトラックとも。外国のシチュエーション・コメディでよく見られる、いわゆる声のエキストラ)がなされた。
オープニングに流れる曲は、ロッシーニ作曲の『歌劇「ウィリアム・テル」序曲第4部「スイス軍隊の行進(終曲)」』。これは『スネークマンショー』のオープニングをパロディにしたことによるもので、放送当初は『スネークマンショー』と同じ伊武雅刀がナレーションを行っていた。OP映像は、初期は単純な合成映像が使われたが、1983年4月から使われた東洋現像所ビデオセンター制作によるオープニングでは、当時としては珍しい最先端のCG映像を使用している。OPナレーションは千葉繁が担当したが、池田秀一と古谷徹などがゲストで担当したこともある。
エンディングはEPOの『DOWN TOWN』。EPOは番組初期のアイキャッチ(“♪チャンネル〜はそのまま”など)も担当していた。それ以外のエンディングは後述参照。
番組のBGMには、『バビル2世』、『勇者ライディーン』、『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『機動戦士ガンダム』、『うる星やつら』、『超時空要塞マクロス』、『宇宙刑事ギャバン』などのサウンドトラックがよく用いられていた。
スタジオ以外でのロケーションによる撮影は、当時フジテレビの本社があった新宿区河田町やフジテレビ通り(現・あけぼのばし通り商店街。曙橋駅近く)一帯で行われたのが殆どだったが、北海道や軽井沢などでも行ったことがある。
2003年 - 2004年には計5巻のDVD-BOX(それぞれ3枚組)が発売されている。
また、放送ライブラリーでは、1983年11月12日放送分と1989年10月14日放送の最終回スペシャル「TAKECHANマン忠臣蔵」を閲覧することができる。
2008年の『FNSの日』は『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』と題し、当番組をベースに7月26日から7月27日にかけて放送された。これは、当番組2代目プロデューサーの三宅恵介が定年を迎えるにあたり「もう一度ひょうきん族をやりたい」と、メインキャストのビートたけしと明石家さんまに声をかけたことから実現したもので、さんまが総合司会、たけしが中継先からではあるが19年ぶりの出演となった。たけし・さんまの他にも、島田紳助、山田邦子、片岡鶴太郎、ラサール石井、渡辺正行、ジミー大西ら本番組のメンバーも総出演。オープニングの曲も本番組と同じ『ウィリアム・テル序曲』、『懺悔室』のコーナーでエンディングを迎えるなど、本番組のテイストがふんだんに盛り込まれた内容となった。
出演者
レギュラー
- ビートたけし(ツービート) - メインキャスト[2]
- 明石家さんま
- 島田紳助(紳助・竜介)
- 片岡鶴太郎(特番第7回から出演)[3]
- 山田邦子(レギュラー時代より出演)
- 西川のりお(のりお・よしお)
- おさむ(ザ・ぼんち)[4]
- ウガンダ(ビジーフォー)
- 島田洋七[5](B&B)
- 太平サブロー・シロー(当時)
- ヒップアップ
- コント赤信号(1983年1月より出演)[6]
- ブッチー武者(アッパー8、懺悔の神様役)
- たけし軍団(1984年より以下の一部メンバーが出演)
- 石井めぐみ(1984年より出演)
- 村上ショージ(1982年より出演)
- Mr.オクレ(1985年より出演)
- 前田政二(1985年より出演)
準レギュラー
特番時代(1981年5月 - 1981年8月)
- ビートきよし(ツービート)
- 松本竜介(紳助・竜介)
- 島田洋八(B&B)
- 伊丹幸雄
- 春やすこ・けいこ
- 九十九一
- まさと(ザ・ぼんち)
- 上方よしお(のりお・よしお)
- 春風亭小朝
- 栗山順子(「ひょうきんベストテン」に黒柳徹子役として出演)
- オール阪神・巨人
- クルミ・ミルク
前期(1981年10月 - 1985年9月)
- ビートきよし(ツービート)
- 松本竜介(紳助・竜介)
- 島田洋八(B&B)
- 伊丹幸雄
- 春やすこ・けいこ
- 九十九一
- 安岡力也
- 山本リンダ
- 日吉ミミ
- 安倍律子(現・安倍里葎子)
- 若人あきら(現・我修院達也)
- 榎本三恵子(有名な「蜂の一刺し」に因み、ハチの着ぐるみで出演)
- 牛の吉田君(ホルスタインの雌牛)
- 吉田君のお父さん(“牛の吉田君”の飼主である一般の酪農家。収録の度に茨城から牛を連れて来ていたが、ビートたけしの発案で番組に出演するようになった。決め台詞は「ガッチョ〜ン」)
- よめきんトリオ - 松金よね子、渡辺めぐみ、KINYA
- 劇団東京乾電池 - 高田純次、ベンガル、角替和枝
- 上方よしお(のりお・よしお)
- まさと(ザ・ぼんち)
- モト冬樹(ビジーフォー)
- グッチ裕三(ビジーフォー)
- オール阪神・巨人
- 今いくよ・くるよ
- クルミ・ミルク(ビートたけしがミルクの方を、女性ではあるが顔と太目の容姿を見て「お笑い界の坂上二郎」と呼んでいた)
- 小山茉美
- 劇団東京ヴォードヴィルショー - 坂本あきら、石井愃一、佐渡稔
- 川上さんと長島さん - プリティ長嶋、ドン川上(現・DON)
- 斉藤清六
- 可愛かずみ
- キャメロット
- 月亭八方
- 天地真理
- 松本明子
- 松村花子(アダモステ(仇申亭北(ペイ))の横で三味線と合いの手を入れていた曲師)
- 稲川淳二
漫才ブームの影響が強く、ツービート、B&B、ザ・ぼんち、紳助・竜介、のりお・よしお等このブームで人気を得た若手芸人を中心とした合同コント番組という要素が強かった。また、安岡・日吉・山本は最終回にゲスト出演した。
後期(1985年10月 - 最終回)
- 岡本麗
- キャメロット
- 天久美智子(あめくみちこ)
- 月亭八方
- 間寛平
- がってん娘
- 轟二郎
- 天地真理
- デーブ・スペクター(声:富山敬)
- 松本明子
- 野沢直子
- 八神康子
- 石井光三
- 塩沢とき
- 劇団七曜日
- ペコちゃん
- 木野花
- 迫文代
- 三田佳代
- 松村花子
- 浅川奈月(「ひょうきんベストテン」で小泉今日子を演じていた子役)
- 神谷明
- 園まり
- 坂田利夫(コメディNo.1)
- 稲川淳二
- 久本雅美
- 柴田理恵
- くず哲也
- マギー司郎
- コロッケ
- ロス・プリモス
- ピンクの電話 - 清水美子(現・清水よし子)、竹内都子
- チャイルズ - きりこ(現・磯野貴理子)、りん、ゆうこ
- 関根勤
- 芹沢名人(たけし軍団)
- ジミー大西
- おきゃんぴー - 中野真里子、阿本真亜子
- 佐野量子
- 大島智子(現・大島さと子)
- 渡辺理砂
- 渡辺千秋
- 若井小づえ
- ウイリー沖山
- ゆーとぴあ
- 浅見美那
- 相原巨典
- 森川正太
- イリア
- 水島びん(アッパー8、出張懺悔の神父役)
フジテレビアナウンサー
レギュラー(「ひょうきんベストテン」を担当、「ひょうきんアナ」とも呼ばれた)
準レギュラー
- 本間淳子(1983年 - 1984年ごろ「朗読の部屋」ほかコーナー進行)
- 牧原俊幸(1984年ごろから不定期出演)
- 山中秀樹(1985年ごろから不定期出演)
- 露木茂(1986年4月ごろから「ひょうきん私の秘密」コーナー進行)
- 逸見政孝(「ひょうきんスペシャル」に数回ゲスト出演)
- 有賀さつき(1989年ごろから不定期出演)
- 岩瀬恵子(1986年7月ごろから「青春グラフティ」コーナー進行)
- 川端健嗣(1986年6月から1987年10月まで「関根くんの知られてる世界」コーナー進行)
- 笠井信輔(1987年10月から「ひょうきん流行通信」コーナー進行)
- ほか、三宅正治、福井謙二、向坂樹興などがチョイ役で出演。
オープニングナレーション
- 初代テンプレート:0:伊武雅刀(「ひょうきんベストテン」にもゲスト出演)
- 2代目:須永慶
- 3代目:千葉繁、向殿あさみ
- 4代目:新井真由美
- 5代目:村上満理子
- 6代目:おきゃんぴー
- 7代目:第三軽品UNIT
- ※2代目と3代目の間には、人気アニメ作品の登場キャラクターたち(担当の声優)が、週替わりでナレーションをした。
- 『Dr.スランプ アラレちゃん』出演:則巻 アラレ(小山茉美)/山吹みどり(向井真理子)/則巻千兵衛(内海賢二)
- ※自称、シリアスで暗い性格でひょうきんに向いてないと悩む千兵衛の相談に乗るみどり、その横で終始んちゃ・ほよよ等のアラレ語炸裂のアラレ。
- 『パタリロ』出演:パタリロ(白石冬美)
- ※パタリロ語録で番組に「大人っぽい意見」。パックインミュージックリスナー向けに「こんばんはチャコです。」と挨拶。
- 『タイガーマスク』出演:タイガーマスク(富山敬)/健太(野沢雅子)
- ※実在のタイガーマスクにやたら詳しく声優の仕事にも詳しいプロレスマニアの健太に困るタイガー。
- 『うる星やつら』出演:諸星 あたる(古川登志夫)/ラム(平野文)
- ※クイズ形式で進む、ラムとあたるの夫婦漫才。
- 『銀河鉄道999』出演:星野鉄郎(野沢雅子)/メーテル(池田昌子)
- ※999が、惑星「ひょうきん」に、たどり着いた。
- 『機動戦士ガンダム』出演:アムロ・レイ(古谷徹)/シャア・アズナブル(池田秀一)
- ※ジオン軍の秘密兵器「ひょう金属」と「オジンの兵士」
- 『宇宙戦艦ヤマト』出演:古代進(富山敬)/森雪(麻上洋子)
- ※救ったハズの地球が「ひょうきん」に汚染されていた。
- 『鉄腕アトム』出演:アトム(清水マリ)/お茶の水博士(勝田久)
- ※アトムをひょうきん仕様に改造しようとするお茶の水博士。
- 『ゲゲゲの鬼太郎』出演:鬼太郎(野沢雅子)/目玉おやじ(田の中勇)
- ※妖怪「ひょうきん族」退治にきた鬼太郎親子。
- 『巨人の星』出演:星飛雄馬(古谷徹)/星一徹(加藤精三)
- ※ひょうきんの星を目指すため「ひょうきん養成ギブス」を開発
- 『ヤッターマン』出演:ドロンジョ(小原乃梨子)/ボヤッキー(八奈見乗児)/トンズラー(たてかべ和也)
- ※番組の人気を奪うために現れた、おなじみのドロンボー一味(三悪)。
- 『科学忍者隊ガッチャマン』出演:健(森功至)/ジョー(ささきいさお)/ジュン(杉山佳寿子)/甚平(塩屋翼)/竜(兼本新吾)
- ※科学忍者隊メンバーで唯一ひょうきんになれない「コンドルのジョー」は1人苦悩する。
- 『アタックNo.1』出演:鮎原こずえ(小鳩くるみ)/早川みどり(坂井すみ江)
- ※こずえとみどりのかけあい。「そうよ、わたしは負けないわ。年齢の壁に挑戦するんだわ!アターック!」
- 『バイオニック・ジェミー』出演:ジェミー(田島令子) /ビートたけし
- ※ひょうきんサイボーグに改造されたジェミーの色っぽいナレーションに釣られてやって来たたけしが吹き替えを見て悲鳴を上げる。(海外ドラマ)
- 『スーパージェッター』出演:ジェッター(市川治)
- ※放送から20年以上経ち、結婚してマイホームローンに追われる平凡な中年となった現状を寂しがる。
- 『いなかっぺ大将』出演:風 大左衛門(野沢雅子)/大柿キク子(岡本茉利)
- 『魔法使いサリー』出演:夢野サリー(平井道子) /花村よし子(加藤みどり)
- ※魔法使いである事を隠しているつもりのサリーだが最終回でとっくにバレてるとつっこむよし子。当時の加藤は仕事はすでにサザエさんのみになっており、よし子を数年ぶりに演じた。
- 『Dr.スランプ アラレちゃん』出演:則巻 アラレ(小山茉美)/山吹みどり(向井真理子)/則巻千兵衛(内海賢二)
決定!土曜特集 オレたちひょうきん族
1981年5月16日から8月29日まで『決定!土曜特集』枠で放送されたパイロット版。同年10月10日から『決定!土曜特集』の枠を取ってレギュラー放送された。2009年10月からフジテレビONEで全放送分が放送された。
出演者
- ツービート(ビートたけし・ビートきよし)
- 紳助・竜介(島田紳助・松本竜介)
- B&B(島田洋七・島田洋八)
- のりお・よしお(西川のりお・上方よしお)
- ザ・ぼんち(ぼんちおさむ・里見まさと)
- 明石家さんま
- 春風亭小朝
- 今いくよ・くるよ
- ヒップアップ(島崎俊郎・小林すすむ・川上泰生)
- 太平サブロー・シロー(太平サブロー・太平シロー)
- 春やすこ・けいこ
- クルミ・ミルク
- 栗山順子
- 山村美智子(フジテレビアナウンサー・ナレーションのみ)
- 伊武雅刀(オープニングナレーション)
ゲスト
番組リスト
- 第1回(1981年5月16日)初回視聴率9.5%
- 第2回(5月30日)視聴率8.8%
- オープニングコント「オーケストラ」
- 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はビートたけしの「いたいけな夏」。
- 「ゴルゴ17」 - 主役:島田紳助。
- この回のエンディングからEPOの「DOWN TOWN」に変更。
- 第3回(6月6日)視聴率8.3%
- 第4回(6月13日)視聴率10.1%
- 第5回(6月27日)視聴率10.4%
- オープニングコント「オーケストラ」
- 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はビートたけしの「いたいけな夏」。
- 「じゃぱにーずぐらふぃてぃ」 - 主役:ザ・ぼんち。
- 第6回(7月11日)視聴率9.1%
- オープニングコント「オフィスレディ」
- 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はビートたけしの「いたいけな夏」2週連続ランクイン。
- 「ザ・シネマ「七人の恋人」」 - 主役:のりお・よしお。
- 第7回(7月18日)視聴率13.4%
- 第8回(8月29日・決定!土曜特集版 最終回)
CSでの再放送時に関して
1998年にフジテレビCS放送が開始されてから絶え間なく放送、2009年8月8日にCSにおいて2度目の最終回を迎え翌週8月15日から3度目の放送を開始した。が、2011年8月23日の島田紳助の芸能界引退で紳助出演番組の2次利用が使用不可能になったことを受け、ひょうきん族のほぼ全ての回に紳助が出演していたことから、CSの放送は打ち切られ[7]、CSのホームページも閉鎖された。その前にも、紳助が不祥事を起こしてタレント活動を自粛した期間は、放送を一時中断していた。
CS放送中、権利上や諸事情により放送されない場合があった。また放送はするものの、コーナーそのものがカットされたり、ひょうきんベストテンの10位から4位の発表時にボカシが入ったり、映像が静止画に差し替えられたことも少なくなかった。レギュラー第1回放送分も、何らかのコーナーが10分程度カットされている。再放送がカットされたケースは現在のところ以下の通りである。
- 1982年9月4日のTBSドラマ『ピンキーパンチ大逆転』との連動企画を行った回
- サザンオールスターズの出演した回
- オフコースの出演した回
- シブがき隊、少年隊などのジャニーズ事務所所属タレントの出演した回(過去に在籍した人も含む)
- バーニングプロダクション所属タレントの出演した回(過去に在籍した人も含む)
- 内藤やす子が出演した回はDVDには収録されている。
- キヨちゃんマン(タケちゃんマンの脇役キャラクター)の登場する回
- 田代まさしの出演した回
- 再放送時に不祥事が報道され、放送を控えていたが、2010年に田代が再び不祥事を起こしたために放送自粛となった。
- 1985年3月30日放送分の山村美智子が番組を卒業した回
- ナンデスカマンロボの登場する回
- ビートたけしが収録をサボタージュした回
ちなみに、ひょうきんスペシャルの回はレギュラーと分けて放送。1982年12月25日のブラックデビル最終回もこの類に入る。2002年の秋までスペシャルを放送。2003年の元日にスペシャルのみを集中放送した。しかし、2006年から1985年12月放送以降のスペシャル版も通常の枠と一括され放送されるようになった。また、1981年5月16日 - 9月26日の単発枠時代に放送した回は、2009年フジテレビONEで「パイロット版」として放送した。
2009年8月15日から、不定期で三宅と番組出演者、川端健嗣のトーク番組『ひょうきん族話の泉』が放送された。
主なコーナー
主なキャラクター
※詳細は各項を参照。
番組に出演したゲスト
※順不同で記述。
お笑い・バラエティタレント
歌手(アイドル・アーティスト含む)
俳優・女優
- 石坂浩二
- 竹中直人
- 八名信夫(悪役商会)
- 仲谷昇
- 池田まさる
- 久保菜穂子(当時フジテレビのアナウンサーだった岩瀬惠子のコーナーにゲスト出演)
- 竹下景子
- 木の実ナナ
- 浅野ゆう子
- 黒木瞳
- 小山茉美
- 沢口靖子
- 樋口可南子
- 前田正人(『オレ達全員奈津子の子』、『中卒・東大一直線』、『いちばん太鼓』などで準主役級の役を演じた子役)
- 石原真理子
- 蟹江敬三
- 宮崎美子
- 大信田礼子
- 松居一代
- 磯野洋子
- 赤座美代子
- 高田美和
- 芦屋雁之助
- 荻野目慶子
- 丹波哲郎
- 野村昭子
- 高品格
- 関弘子
- 田島令子
- 荻島眞一(1983年2月5日放送分の「タケちゃんマン」に出演)
- 新井康弘(1983年2月5日放送分の「寺内チン太郎一家」に出演)
- 浦辺粂子
作家・スポーツ選手・文化人他
- 景山民夫
- 糸井重里
- 川崎徹
- クラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥・長与千種)
- 極悪同盟(ダンプ松本・クレーン・ユウ・ブル中野)
- 日高のり子
- 小森和子
- 荒勢
- 福井敏雄
- 浜村淳
- 俵孝太郎
- 上田馬之助
- 落合博満・信子夫妻
- 北野さき(ビートたけしの母)
- 呂明賜
スタッフ
スタッフの姓と名の間にミドルネームが付けられていた。テンプレート:誰範囲2。
- 作・構成
- 高平アクサイ哲郎、大岩ナリキン賞介、詩村マルユウ博史、永井ウタマロ準、榎ハーレム雄一郎、廣岡サモア豊、高田ギョロメ文夫、大倉ヨイショ利晴、鶴間ゴカボウ政行、益子ニクマン強、萩原カラオケ芳樹、高橋ニセモノ秀樹、本郷ミズワリ実、小笠原ヒッコシ英樹、加藤ムクチ芳一、岩立ブラボー良作、植竹シメサバ公和、内村イトコ宏幸、伊藤ダイサン正宏、清水トレンディ東
- プロデューサー
- 横澤オジン彪(初回 - 1987年8月)、三宅恵介(1987年9月 - 最終回)
- 三宅はプロデューサーとしてはミドルネームを使用していなかった。
- ディレクター
- 佐藤ゲーハー義和、永峰アンノン明、荻野ビビンバ繁、三宅デタガリ恵介、山縣ベースケ慎司
- ひょうきんディレクターズとしてレコード「ひょうきんパラダイス」をリリース。
- 1987年8月末で佐藤・山縣両名が降板。翌9月より佐藤は荻野と『笑っていいとも!』のプロデューサーを共同で担当することとなり(荻野は引き続き『ひょうきん族』と『笑っていいとも!』のディレクターも兼任)、後に『夢で逢えたら』などのプロデューサー業に専念することとなる。
- アシスタント・ディレクター
- 清水淳司、吉田正樹(現・ワタナベエンターテインメント会長)、窪田豊、栗原美和子(現・共同テレビ第1制作部企画担当部長兼エグゼクティブプロデューサー)、片岡飛鳥(『めちゃ2イケてるッ!』総監督 → バラエティ制作センター企画担当部長 → 現・総合メディア開発コンテンツ事業局コンテンツ映像センター室長)、竹石康晴、佐藤一巳、豊島浩行
- キャラクターの衣装デザイン
- やまもと寛斎ほか
放送局
系列は放送終了時点のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 | |
北海道 | 北海道文化放送 | 同時ネット | ||
青森県 | 青森テレビ | TBS系列 | 遅れネット | |
岩手県 | 岩手放送 | 現・IBC岩手放送 | ||
宮城県 | 仙台放送 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
秋田県 | 秋田テレビ | 1987年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
山形県 | 山形テレビ | |||
福島県 | 福島テレビ | 同時ネット | 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局 | |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1983年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
長野県 | 長野放送 | 同時ネット | ||
静岡県 | テレビ静岡 | |||
富山県 | 富山テレビ | |||
石川県 | 石川テレビ | |||
福井県 | 福井テレビ | |||
中京広域圏 | 東海テレビ | |||
近畿広域圏 | 関西テレビ | |||
島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビ | |||
広島県 | テレビ新広島 | |||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 | 遅れネット | 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 |
岡山県・香川県 | 岡山放送 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
愛媛県 | テレビ愛媛 | |||
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
福岡県 | テレビ西日本 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
佐賀県 | サガテレビ | |||
長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
||
熊本県 | テレビくまもと | フジテレビ系列 | 1982年3月までは日本テレビ系列とのトリプルネット局 1989年9月までテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | 同時ネット | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
遅れネット | 1982年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット |
ネット局に関する備考
当時クロスネット局だった福島テレビ・新潟総合テレビ・テレビ山口・テレビ長崎・テレビくまもと・テレビ大分・テレビ宮崎・鹿児島テレビは以下の対応が取られていた。
- テレビ長崎・テレビくまもと・テレビ宮崎の3局は土曜20時台はフジテレビ系放送枠だったため当初から同時ネットで放送された。
- 福島テレビ・新潟総合テレビの2局は、開始当初はクロスネット局だったため1983年9月までは遅れネットで放送されていた。
- 福島テレビは開始当時の土曜20時台はTBS制作の『8時だョ!全員集合』をネットしていたため、本番組は開始から日曜16:00に放送されていた。1983年4月にTBS系列とのクロスネット局(1983年3月まではFNSのみ加盟)からフジテレビ系フルネット局に再ネットチェンジ(JNN脱退・FNN加盟)したものの、ネットチェンジと同時に本番組には切りかえずに、視聴者保護のため同年9月まで『8時だョ!全員集合』を継続して同時ネットで放送した。
- 新潟総合テレビでは1983年9月までの土曜20時台はテレビ朝日系番組の時差ネット枠だった。そのため、本番組は水曜日16:00から放送されていた。
- 福島テレビはフジテレビマストバイ化で、新潟総合テレビは新潟テレビ21(テレビ朝日系列)開局に伴いフジテレビ系フルネット局化で、2局とも1983年10月から同時ネットとなった。
- 当時日本テレビ系列とテレビ朝日系列のトリプルネット局だったテレビ大分と、日本テレビ系列とのクロスネット局だった鹿児島テレビは日本テレビの番組の同時ネットを、1987年9月までフジテレビ系列とのクロスネット局(FNSのみ加盟)だったテレビ山口はTBSの番組を同時ネットをそれぞれ放送していたため、当初から遅れネットで放送されていた。
- フジテレビONE(CS放送)でも再放送を実施していたが、島田紳助引退の影響で2011年8月から放送を休止している。
備考
- この当番組が放送されていた土曜20時台で放送中の『めちゃ2イケてるッ!』総監督を務める片岡飛鳥は、『ひょうきん族』にADとして参加していた。
- 初回の土曜特集特番のみ、レギュラー候補としてとんねるずが出演していた。しかし、当時としては珍しい師匠の居ないコンビであったこと、芸風が独特ゆえに他のタレントに受け入れられなかったこと、さらに当時の所属事務所がライバル局である日本テレビ系専属タレントとして売り出していた等の理由からレギュラー入りは見送られた。
- コントの中には、中京テレビのローカル番組『ジョークドキュメントBBS放送局』で使われたモノを手直ししてで使うことがあった。両番組に出演していたラサール石井によると、『ひょうきん族』の構成作家の中に『BBS放送局』の構成も手掛けていた作家がいたことから、コントのパイロット版として『BBS放送局』でやってみてうけたものを『ひょうきん族』で使うことがあったという。また、ひょうきんベストテンでコント赤信号の扮したアイドルグループが中継で出演するという設定を、中京テレビ社屋前で収録して放送している。ちなみに、当時の中京テレビは既に日本テレビの単独系列になっていた。
- 番組後期の裏番組であるTBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の放送期間中にメインである加藤茶と志村けんが『ひょうきん族』の収録現場に顔を出したことがある。
- 末期の1989年1月7日に放送予定だった『'89新春ひょうきんスペシャル』が昭和天皇崩御に伴う報道特別番組に差し替えられたため放送が延期となった。
- 1989年3月には番組の途中で、映像が途切れる放送事故を起こした(地方のネット局は環境映像などで対応。フジテレビのみ黒画面のまま)。なかなか復旧しなかったのでリアルタイムで話題になり、レギュラー放送よりも、かなり視聴率が高かった。さんまは後日の放送で「放送事故に負けた」と嘆いた。
- 2003年正月に放送された『さんまのまんま』(関西テレビ)にゲスト出演したビートたけしは、番組の中で「俺が60歳になったらもう1度(ひょうきん族を)やってもいいかな」と語っていた。また、この番組の中で2人はお互いを「そんなに笑いを取れて羨ましい」(たけし)と「世界の北野と呼ばれていいわ。俺も何か残るもんが欲しい」(さんま)と嫉妬にも似た感情をもっており、今でもお互いが刺激しあう関係であることが吐露された。そして、2000年代には火曜20時台で『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』、『踊る!さんま御殿!!』と互いの冠番組同士がしのぎを削っており、後にたけしの思いは形を変えながらも、2008年に『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』として実現することとなった。
- 映画監督の森田芳光は、1985年に雑誌のインタビューで「今はコメディー映画を撮らない方がいい。いくら撮ってもひょうきん族を超えることはできない」と発言している。
- 映画監督のロバート・ゼメキスは、1988年の来日時にホテルで「日本にもヘンなテレビショーがあるじゃないか。昨夜見た『ひょうきん族』ぼくは笑っちゃったよ」と発言している(『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』パンフレット所載)。
番組終了とその後
末期の1988年頃には視聴率が一桁台になることが多くなっていった。この頃には同番組の顔であるたけしが事件を起こした以降、ほとんど出演しなくなっており、「タケちゃんマン」の代わりに「かまへんライダー」を入れる、「ひょうきんベストテン」を終わる、『全員集合』に似た形式の公開収録をたびたび行なうといったテコ入れを施すも、結局視聴率を回復させるには至らず、1989年8月、ついに同番組の打ち切りを発表した。
その頃の出演者の状況として、楽屋においてたけし、さんまら一部を除く多くの出演者が「(副業による)金儲けの話しかしなくなっていた」とさんまが語っており、そんな状況に嫌気が差していたたけしの「もう(番組を)終わりにしたい」という旨の発言を受けて終了になった、とも後年さんまは語っている。ちなみに『さんまのまんま』にたけしがゲスト出演した際に、たけしが「なんでアレ(ひょうきん族)終わっちゃったの?予算が無くなったから??」とさんまに問うたところ「アンタが終わりにしたいと言うたからやないか!!」と突っ込まれていた。
1989年10月14日に最終回を迎え、1981年5月16日の単発放送時オープニングで、出演者たちがディナー・コントをする場面を、1989年10月14日時点の出演者で再現。放送開始時ディナーの最後にビートたけしが「オレたち!」と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!!」と叫んで番組が始まったのを、最終回エンディングでも再現し、ディナーの最後にビートたけしが「オレたち!」と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!!」と叫んだ後、ビートたけしが続けて「おしまい!」間をおいて「さあ帰りましょう!」の言葉で締められた後、最終回エンディング曲が始まり、出演者・番組スタッフの拍手歓喜の中、エンドロールが流れ始め、ディナーテーブルのセットがあるスタジオから、次々に出演者[9]・番組スタッフが去り、照明が次々に落とされる中、ディナーテーブルだけが照らされ、最後は「長いあいだ本当にありがとうございました」のテロップで締められ、8年間の歴史に幕を閉じた。ちなみに、単発放送時でのこのコントのBGMはアントニオ・ヴィヴァルディ「四季」の「春」で、最終回には同曲の「秋」を入れたが、殆ど誰も気づいてくれなかったと『ひょうきん族話の泉』で三宅ディレクターが明かしている。なお、最終回エンディング曲は、EPOの「DOWN TOWN」(ニューレコーディングバージョン)だった。
エンディングテーマ曲
土曜日の放送ということもあり、曲名や歌詞に“土曜日”“土曜”“Saturday”といったキーワードが含まれている曲が使われ(「グラマー・ボーイ」・「パレード」・「恋はNo-return」・「卒業写真」を除く)、これによって“土曜日といえばひょうきん族”というイメージを定着させた。
2002年11月に“オレたちひょうきん族 オリジナル・サウンドトラック”CDが発売する予定だった。しかし直前で発売中止となり、2014年現在まで発売されていない。原因は不明。
歌手名/ユニット名 | 曲名 | 使用期間 | 備考 |
---|---|---|---|
星に願いを | 1981年5月16日 | 『決定!土曜特集 - 』第1回のエンディングテーマ | |
EPO | DOWN TOWN | 1981年5月 - 1982年9月 | |
土曜の夜はパラダイス | 1982年10月 - 1983年2月 | ||
麻香ヨーコ | グラマー・ボーイ | 1983年3月 - 1983年4月 | ED放送の前年1982にシングルレコードで発売された曲で、当番組のED用に用意された曲ではない。 2011年現在までCD化されたことは無く、歌手もこの曲以外で、目立った芸能活動はしていない。 |
山下達郎 | パレード | 1983年4月 - 1983年11月 | |
EPO | 涙のクラウン | 1983年12月 - 1984年9月 | |
DOWN TOWN(ニューレコーディングバージョン) | 1984年10月 - 1985年9月 1989年10月14日 |
1984年10月放送用にTVスタジオで収録されたアレンジバージョン。当初は演奏シーンともにエンディングに流れた。 そのためこの演奏形態でのDOWN TOWNはEPOのレコードおよびCDには収録されておらず、 2012年現在、当番組のED映像資料以外での視聴は困難である。 最終回のエンディングテーマ | |
山下達郎 | 土曜日の恋人 | 1985年10月 - 1986年9月 | |
松任谷由実 | 土曜日は大キライ | 1986年10月 - 1987年9月 | |
SATURDAY NIGHT ZOMBIES | 1987年10月 - 1988年9月 | ||
恋はNo-return | 1988年10月 - 1989年9月 | ||
卒業写真 | 1989年10月7日 | 最終回直前スペシャルのエンディングテーマ |
脚注
関連項目
- 日本お笑い史
- ひょうきんミニ放送局
- タケちゃんの思わず笑ってしまいました
- THE MANZAI (1980年代のテレビ番組)
- 笑ってる場合ですよ!(もう一度笑ってる場合ですよ!)
- 明石家ウケんねん物語
- FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!
- めちゃ×2イケてるッ!:後輩番組で、1996年10月以後に『ひょうきん族』の枠で放送されているお笑い番組。
外部リンク
テンプレート:Navboxes- ↑ 2004年9月10日朝日新聞「懐かしのお笑い、なぜ人気(サブch.)」
- ↑ ビートきよしの出演が無くなってからは、「ツービート」表記は無くなった。
- ↑ 初代OP時でのクレジット上での扱いは正式レギュラーが顔つきで紹介された後に、タレント名だけがテロップで表示される、いわゆる「準レギュラー」格での扱いで、正式レギュラー扱いとなったのは1983年、2代目のOPに切り替えられてからのことであった。
- ↑ 一時、裏番組『ダントツ笑撃隊!!』(日本テレビ)に出演して番組を離れるも1982年に復帰。「ぼんちおさむ」を名乗るようになってからも当番組では「おさむ」名義のままだった
- ↑ 1982年頃に降板し、約2年間番組を離れていたが石井章雄の洋七が好評で「W洋七」として復帰し、太平サブローの洋八と「B&B」として活躍
- ↑ オープニングでは「赤信号」の名義だった。
- ↑ 放送局の損失額は2億3000万円に
- ↑ ただし、衛星受信の放送のみに許可されており、IPTV向けの放送では許可されていない。
- ↑ 最後に退場した山田邦子にスタッフから大きな拍手が送られた。これは『ひょうきん族』の流れを『やまかつ』で継ぐ意味もあった。