天地真理
天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 - )は、1970年代前半に国民的アイドルとして人気を博した日本の女性歌手。埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。
目次
来歴
出生時の姓名は齋藤 眞理(さいとう まり)であったが、結婚後の本名は青木 眞理(あおき まり)である。なお「眞理」という名の命名者は、埼玉県比企郡都幾川村・法燈禅林皎円寺(臨済宗妙心寺派)住職であった柳瀬有禅である。
うさぎ年生まれ。蠍座。血液型はO型。2歳の頃、両親が離婚し[1]、母親に連れられて大宮から東京・中野へ転居(1955~1956年、中野保育園に通う)。さらに、世田谷区上北沢に移り、1958年、上北沢小学校に入学。小学5年のころ母親に買ってもらった88鍵のアップライト・ピアノ(Kreutzer 社製)に親しみ、演奏の腕を上げる。1964年、国立音楽大学附属中学校に入学。中学在学中に練馬区桜台、さらに神奈川県座間市相模台に転居。1967年、国立音楽大学附属高等学校に進学。当初はピアノ科に入るも、そののち声楽科へ転科。高校在学中からジョーン・バエズ[2]等のフォークソングを愛好する。1970年3月、国立音楽大学附属高等学校声楽科卒業[3]。同年4月、「中里音楽事務所」に所属(同年11月には契約破棄)。同年7月、女優・天路圭子(映画監督斎藤耕一の妻)と偶然出会い、芸能界接触の糸口をつかむ[4]。同月、TBS系視聴者参加番組『ヤング720』に出演。同年12月、渡辺プロダクションへの所属が内定。1971年4月、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)との正式契約を結ぶ。デビュー当時の公称では、身長158cm、体重46kg、B83cm、W56cm、H88cmである[5]。趣味は靴[6]の収集。好きな食べ物はメロン[7]。好きな色は青・白。チャームポイントは並びのよい白い歯・ややうわ向きの鼻。憧れの土地はパリ。
1970年代前半に天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなる。後に続くアイドル歌手の基本スタイル[8]を確立した。キャッチフレーズは「(あなたの心の隣にいるソニーの)白雪姫」。なお、デビュー当初には「可愛いアヒルちゃん」という愛称も用いられた。
デビュー当時の所属事務所は渡辺プロダクションであった。その後、渡辺プロダクション傘下の渡辺ワークショップ、エヌ・エンター・プライズ、スムーズクリエイツ、サムシングリアル、有限会社ケイワイと所属替えし、現在は天地真理ファンクラブがマネージメントしている。
梶原一騎の著書『わが懺悔録』(こだま出版、1986年)によれば、自身原作の劇画『朝日の恋人』(のちに、『太陽の恋人』と改題)の主人公の名前「天地真理」を、当時デビュー予定の彼女の芸名に使いたいという申し出が渡辺プロダクション側からあったという。
国民的アイドルとして活躍
1971年6月6日、TBS系人気番組『時間ですよ』(第2期・第3期)での銭湯「松の湯」従業員役(川口晶の次のレギュラー)のオーディションを受け、西真澄と一緒に最終審査まで残ったが、合格したのは西真澄であった。しかし、選考時に天地を見た主演の「おかみさん(松野まつ)」こと森光子が彼女の不合格を惜しみ、それまでの台本にない急ごしらえの新登場人物として出演させることを同番組演出の久世光彦[9]らに提案したため、「松の湯の健ちゃん(宮崎健)」こと堺正章がひたすら憧れる「隣のまりちゃん」役(厳密な役名は「マリ」)としてテレビ画面に登場、一躍脚光を浴びた。1971年7月21日の初出演時には、「松の湯」隣家2階の窓辺で白いギターを爪弾きながら「恋は水色」を歌った。
同年10月1日にアイドル歌手として「水色の恋」[10]でデビューし大ヒットした。以後、1974年までにかけて「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「ふたりの日曜日」「若葉のささやき」「恋する夏の日」「空いっぱいの幸せ」「恋人たちの港」「恋と海とTシャツと」「想い出のセレナーデ」からなる一連の大ヒット曲を発表する。相前後してデビューした南沙織、小柳ルミ子とともに『三人娘』と呼ばれた。ヒット曲は主に『森田公一とトップギャラン』で知られる森田公一が手掛けていたことは有名。オリコンシングルチャートでは5曲が1位を取っており、この記録は、後に松田聖子に破られるまで女性ソロシンガーでの最多記録であった。70年代初期における天地真理ブームは老若男女を問わず厚い層に波及し、正に国民的スーパー・アイドルとなった。
1972年から1975年にかけて、テレビで冠番組の『真理ちゃんシリーズ』(TBS系列、毎週木曜日19:00-19:30)を担当し、『真理ちゃんとデイト』(1972年10月5日-1973年3月29日)、『となりの真理ちゃん』(1973年4月5日-9月27日)、『とび出せ!真理ちゃん』(1973年10月4日-1974年3月28日)、『アタック真理ちゃん!』(1974年4月4日-9月26日)、『はばたけ!真理ちゃん』(1974年10月3日-1975年3月27日)の5シリーズが放送される。内容はおもに人形たちとともに天地が童話等を題材とした小歌劇を演ずるというもので、当時の低年齢層視聴者の人気を独り占めにした。
1972年2月5日、「ちいさな恋」発売開始。同年3月19日、「青山タワーホール」にて第1回ファンクラブの集いが開催され、2000人が集合。同年5月21日、「ひとりじゃないの」発売開始。同月28日、「日比谷公会堂」にて初コンサート「真理ちゃんと日比谷でデート」が開かれ、5000人の観衆が集まる。同年7月5日より、TBSテレビ水曜劇場「おはよう」にレギュラー出演。同年9月1日、「虹をわたって」発売開始。同月30日から封切りの松竹映画『虹をわたって』(監督:前田陽一)に主演(星野マリ役)。同年11月16日、「ひとりじゃないの」で第3回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。同年12月3日、第5回日本有線大賞大衆賞受賞。同月5日、「ふたりの日曜日」発売開始。同月24日、「日本武道館」にて「3人娘クリスマス・ショー」開催。同月31日には第14回日本レコード大賞大衆賞を受賞し、「水色の恋」ピアノ演奏と「ひとりじゃないの」歌唱を披露。
1973年、春の選抜高校野球甲子園大会において「虹をわたって」が入場行進曲に選ばれる。
1973年3月、第10回ゴールデン・アロー賞特別賞(1972年度)受賞。同年4月7日、埼玉県所沢市の西武園ユネスコ村での「若葉のささやき」(3月21日発売開始)の新曲発表会において、3万人の入場を予定していたイベント「真理ちゃんと3万人のウィークエンド」に、全国から10万人に及ぶファンが集まる。同月29日から上映の松竹映画『愛ってなんだろ』(監督:広瀬襄)に主演(浅見麻里子役)。同年7月1日、「恋する夏の日」発売開始。同月19~27日、急性盲腸炎のため銀座・菊地病院に手術入院。同年8月14~20日に大阪・梅田コマ劇場で初のワンマンショーを行う。同年10月21日、「空いっぱいの幸せ」発売開始。同年11月18日、ファンとのイベント「真理ちゃん気球に乗って大空へ」が開催され、5000人が参加。同年12月31日、「若葉のささやき」(編曲:竜崎孝路)が第15回日本レコード大賞編曲賞受賞。さらに同月、第6回日本レコードセールス大賞ゴールデン賞受賞[11]。
1973年のブロマイド年間売上枚数が女性部門で1位になる。また、人気アイドルとしてキャラクターグッズ(下敷きなどの文房具やトランプなどの玩具)が多数つくられ、さらにはブリヂストンからは自転車「ドレミまりちゃん」[12]なども発売された。今では当たり前となったアイドルグッズのはしりといえる。
1974年元旦~7日、東京・日本劇場で小柳ルミ子とハッピーニューイヤーショーを行う。ゲストは井上順。同年2月1日、「恋人たちの港」発売開始。同年3月25~31日、東京・浅草国際劇場で「天地真理ショウ」を行う。同年4月3日、大阪フェスティバルホールにてフォークコンサートを開く。同月5日~9月21日放送のTBSテレビ・アニメ『星の子チョビン』(原作:石森章太郎)でナレーターを担当。同年6月1日、「恋と海とTシャツと」発売開始。また同日、葉山マリーナ第1回天地真理杯ヨットレース開催。同年8月15~21日、大阪・梅田コマ劇場でワンマンショーを行う。同年9月1日、「想い出のセレナーデ」発売開始。同月15日、東京「九段会館」にてライブコンサート開催。同年10月、第1回横浜音楽祭・音楽祭特別賞受賞。同年12月10日、「木枯らしの舗道」発売開始。
1975年元旦~6日、昨年に引き続き東京・日本劇場で小柳ルミ子とハッピーニューイヤーショーを行う。ゲストは愛川欽也。同年2月3日~3月4日、約1カ月の休暇をとり、単身でヨーロッパに滞在する。同年4月1日、「愛のアルバム」発売開始。同月19日、東京・中野サンプラザホールで初のリサイタルを昼夜2回行う。同年5月21日、「初めての涙」発売開始。同月31日~6月24日、日本劇場のミュージカル『君よ知るや南の国』(原作:ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』)に主演(ミニヨン役)。同年8月7~12日、大阪・梅田コマ劇場でワンマンショーを行う。同年9月1日、「さよならこんにちわ」発売開始。同月から10月にかけ各地で民音コンサート開催。同年12月5日、「夕陽のスケッチ」発売開始。
1976年1月元旦~7日、東京・浅草国際劇場の「新春・森進一ショー」に特別ゲストとして出演する。同年4月17日、東京・芝の郵便貯金ホールで「天地真理コンサート・私は天地真理」(その内容はのちにレコード化される)を行う。太田裕美が激励に駆けつけた。森光子は客席でコンサートを鑑賞していたが、アンコールの「水色の恋」で再び緞帳が上がると、客席から舞台に上がり、「水色の恋」を歌う天地に寄り添い激励した。同月21日、「矢車草」発売開始。同年7月20日、葉山マリーナ第2回天地真理杯ヨットレース開催。同月21日、「愛の渚」発売開始。同年8月7~9日、大阪・梅田コマ劇場でワンマンショーを行う。
同年8月27日~9月1日、デビュー5周年を記念し日本劇場にて「天地真理ショー――愛の渚」が開催される。同年9月8日~12月16日、音協全国縦断ツアー「天地真理リサイタル――そよ風に誘われて」敢行[13](9月8日中野サンプラザホール、9月17日浜松市民会館、9月27日川崎産業文化会館、10月27日名古屋市民会館、10月30日京都会館第1ホール、11月28日日立小平会館、12月7日大阪厚生年金会館、12月10日宇都宮栃木会館、12月16日千葉文化会館)。同年12月5日、「夢ほのぼの」発売開始(TBSテレビ水曜劇場『ふたりでひとり』劇中歌として歌われる)。
紅白歌合戦には1972年、1973年、1974年と3度出場している。1度目は「ひとりじゃないの」、2度目は「恋する夏の日」、そして3度目の出演が「想い出のセレナーデ」である。この「想い出のセレナーデ」を歌う際に、紅組キャプテン佐良直美が当時日本で初公開されたダ・ヴィンチの『モナ・リザ』[14]にちなみ「微笑(ほほえみ)といえば天地真理さん」と紹介したが、歌っているときの天地は憂いを帯びた表情が大半で、それが何とも言い表せない可憐絶妙な魅力を醸しだしていた。
芸能活動休業以後
1977年1月23日、甲状腺機能不調などを理由に東京・港区三田の東京専売病院に緊急入院、約1か月後の2月20日には退院するもののひきつづき休養生活に入り、芸能活動を約2年半にわたり休業した[15]。休養期間中は単に心身を休めるのではなく、東京音楽学院に定期的に通ってレッスンに励み、また繁忙期には楽しめなかったショッピング・絵画製作・ひとり旅などを満喫し充実した日々を過ごした。なお、休業中といえどもナベプロ恒例の新年会には欠かさず出席していた。
1979年5月1日、天地は新宿・厚生年金ホールで開かれた「森田公一とトップギャラン結成10周年記念コンサート」に招かれ、ひさびさに公衆の面前に姿を現した。同年6月7日、「天地真理を励ます会」が発起人森光子・森田公一立ち合いのもとCBSソニー録音スタジオ[16]において200名を超える取材陣を前に開かれた。復帰会見では「とにかく歌が好き。私には歌しかないと思っていました。」というメッセージをみずから公表し、また、約2年半休業の間ファンクラブが存続していたことに対し支援を忘れなかったファンへの感謝の辞を述べていた。同月10日午前8時5分から放送のTBSラジオ『ラジオリクエスト大賞・森田公一の青春ベストテン』[17]へのレギュラー出演を機にカムバック。このときの所属事務所は渡辺ワークショップである。同月16日からは美顔器「エレンスパック」のテレビコマーシャルにも登場、ナレーションは森光子が務めた。
同年10月15日、東京芝・ABCホールで復帰コンサート「天地真理 明日への出発(たびだち)」(主催:渡辺ワークショップ、CBSソニー) を行う。ファンとより近い会場でという天地の希望により400席のホールで開催され、収容数を100名超えるファンが駆けつけた。特別ゲストに森田公一を迎え、演奏は当時太田裕美のバックバンドであった「コズミックララバイ」と淡海悟郎が担当した。客席で森光子が鑑賞した。このコンサートは翌日のワイドショー番組や新聞等で大きくとり上げられた。
同年12月に森田公一作曲、松本隆作詞「愛・つづれ織り」を発表。ライブハウス新宿ルイード他全国でのミニコンサートを精力的に行う他、テレビおよびラジオでも天地の復帰を祝う番組に多数出演した。翌1980年9月に「初恋のニコラ」(原曲歌唱シルヴィ・ヴァルタン)をカバーし発表するも以前ほどの大ヒットには結びつかなかった。
1982年9月に再々デビュー。所属事務所はエヌ・エンタープライズ。ラジオ日本『思い出の愛の歌』のパーソナリティーを務める。天地と男性局アナによるMCで進行し、洋画の名曲等を紹介するような落ち着いた内容で、30歳を過ぎた天地に合った落ち着いた大人の雰囲気のある番組であった。
当時、東京紀尾井町のホテルニューオータニにあった「クリスタルルーム」においてピーターとレビューショーを行い、天地の新しい魅力としてマスコミに大きくとりあげられた。その後、舞台(芝居)へ意欲的に出演する。沢竜二主演の大衆演劇の芝居、新宿紀伊国屋ホール『上州乱気流』他、下北沢本多劇場でも数々の舞台に参加、『堕落』では御木本伸介とシリアスな芝居にも取り組んでいる。舞台、映画やテレビ等で女優として活躍する傍ら、フジテレビ系の『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演した時期があった。
1983年2月、「私が雪だった日」を歌うことにより、「白雪姫」時代の終幕を飾る。
その後、アダルトへと路線変更し、同年12月にセミヌード写真集を、また1986年にはヌード写真集を発売。にっかつロマンポルノ『魔性の香り』(原作:結城昌治、監督:池田敏春)に主演(滝村秋子役)。1986年、アダルトビデオ『危険なレッスン』(監督:渡辺優)を発売。
1986年3月15日公開の映画『まんだら屋の良太』(原作:畑中純、監督:石山昭信)に出演(芸者お染役)。同年9月、カフェバー経営者と結婚、翌年女児を出産するが、1996年に離婚する。
1990年代前半には太りぎみとなり、明石家さんま司会の番組にしばしば準レギュラー出演、天然風のキャラで人気を博す[18]。1993年公開の松竹映画『中指姫 俺たちゃどうなる?』(監督:堤ユキヒコ)にちょい役出演(銭湯脱衣所で憩うある婦人役)。1994年10月から1995年9月までの1年間、『笑っていいとも!』にレギュラー出演した。
その後、減量に成功し痩身法についての著書『スリムになるってステキなことネ 天地真理の白雪姫ダイエット』(双葉社、1997年)を出版したり、ダイエット商品の広告で雑誌に頻繁に登場したりするようになる。1997年7月、ヘアヌード写真集『東京モガ』を発売。同年、岩下志麻主演の松竹映画『お墓がない!』(監督:原隆仁)に出演(未亡人敏江役)。
2001年まで数年間、ラジオ日本の『天地真理の深夜発熱烈熱愛大放送』(木曜深夜1:00-)という番組のパーソナリティーを務めていたが、同年5月に降板した。降板の理由は更年期障害と言われていたが、本人はこれをきっぱりと否定している。2003年1月からは、同じくラジオ日本の『今夜もノリノリ歌謡曲』(深夜1:00-)の奇数週金曜日をパーソナリティーとして担当。2003年9月には日テレのバラエティ番組『壮絶バトル!花の芸能界 衝撃の天地真理スペシャル!』で、あまりの変貌ぶりに誰もが驚愕するほどかなり太った姿でテレビ出演する。その後、上沼恵美子等が司会を務める関西ローカルのバラエティ番組にゲスト出演することがあった。
2006年10月1日(デビュー曲「水色の恋」発売日から丸35年目の日)には、35周年記念CD-BOX『天地真理 プレミアム・ボックス』が発売された。これは天地の歌手としての業績のほとんどを網羅したモニュメンタルなCD全集[19]である。
2007年以降の天地は、おも立った芸能活動はほとんど行われていない状況だったが、2010年10月19日にTBSテレビ番組『解禁!(秘)ストーリー 〜知られざる真実〜』出演で久々の画面登場を果たす(収録日は歌手デビューの記念日10月1日)。出身校である国立音大附校舎の一室で、かつての三人娘の一人である小柳ルミ子と対談し、アイドル時代当時のファンの過熱ぶり、一時休業に至った際の真相、そして今後の決意を語っていた。
2011年4月1日、歌手・天地真理の実績と歌を再び伝えるために、「天地真理ファンクラブ」が新たにスタートする。現在、かねてからのファンや再び聴き始めたファン、そして新しい世代からも、再評価を支持する声が高まりつつある。
2011年5月25日、天地の代表曲の一つ「ひとりじゃないの」が東日本大震災復興支援チャリティーソングとして、石川ひとみ、伊藤蘭、太田裕美、大島花子、桑江知子、サエラ、ザ・リリーズ、ラヴァーズソウル、広谷順子、中尾ミエ、松本明子、michiko、山下久美子による歌唱で発表されている(2011/05/25 配信 itunes.apple.com)。
デビュー40周年にあたる2011年および2012年にはファンクラブ主催でさまざまな記念イベントが行われている。
2011年10月1日の40周年記念日に、40年前の同日にデビュー曲「水色の恋」を発表した会場、ケネディハウス銀座(旧「銀座メイツ」[20])において、年来の親友太田裕美を来賓に迎え歌手デビュー40周年祝賀会が催された。同日夜には銀座シネパトスにおいて主演映画『虹をわたって』がニュープリントで上映された。更に、同年11月5日の天地の誕生日には、銀座シネパトスにおいて主演映画『愛ってなんだろ』がニュープリントで上映された。
2012年1月28日、古賀政男音楽博物館けやきホールにおいて「酒井政利のJポップの歩み〜アーティストクローズアップ編〜第14回 天地真理 Part2」が開催され、特別ゲストとして登場した。補助席が出るほどの大盛況で、イベントの最後に「真理ちゃんコール」が会場に響きわたった。同年7月1日、ファンクラブ制作、長女の青木真保プロデュースによりCD『天地真理オリジナル・ミュージック・コレクション』が発売される。天地真理初の作曲作品「子守歌 母の愛」が特別収録されている。久しぶりの新曲(インストルメンタル作品)として発表された。同年8月26日から新潟を皮切りに全国9か所で「天地真理ファンの集い」が開催される。同年9月30日に東京の名画座、銀座シネパトス(映画館)にて主演映画『虹をわたって』および『愛ってなんだろ』の上映と天地と青木の舞台挨拶がおこなわれた。また、このイベントで、有木竜郎率いる若い世代の4人組の天地真理クラシック・ユニット(ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)が「もの想う季節」「子守歌母の愛」「ひとりじゃないの」の演奏を初披露し全国から集まった満員のファンに感動を与えた。同年10月1日よりエフエム軽井沢で新番組「天地真理ミュージック・コレクション」がスタート(初回10月1日には22時から60分の特別番組、その後毎週土曜日17:45~18:00の15分番組)し、IPサイマル放送で配信、全世界のファンへ向けて天地の音楽が発信される。同年12月9日、東京・千駄ヶ谷のサロン・デュオにおいて天地真理クラシック・ユニットによるクリスマス・サロンコンサートが開催された。
2013年5月5日、天地真理についての最初の本格的研究書である『氷の福音 《天地真理》をめぐりたる象徴学的研究』が塩崎雪生によって著述・刊行される。同年6月1日、東京新宿「角筈区民ホール」において、アルバム「私は天地真理」の音源とソニー・ミュージック・ダイレクト所蔵写真とを用い1976年4月17日郵便貯金ホールにておこなわれたコンサートを再現する「スクリーンコンサート」が催された。(この新編集「私は天地真理」映像は、2014年1月より東京・阿佐ヶ谷「アート・アニメーションのちいさな学校地下劇場」において毎月1回上映されている。)
主な作品
シングル
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水色の恋 | 1971年10月1日 | 田上えり | 田上みどり | 森岡賢一郎 | 風を見た人 | オリコン最高順位3位 |
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ちいさな恋 | 1972年2月5日 | 安井かずみ | 浜口庫之助 | 馬飼野俊一 | ある日私も | オリコン1位獲得 |
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ひとりじゃないの | 1972年6月21日 | 小谷夏 | 森田公一 | 馬飼野俊一 | ポケットに涙 | オリコン1位獲得・最大のヒット曲 |
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虹をわたって | 1972年9月1日 | 山上路夫 | 森田公一 | 馬飼野俊一 | トンガリ屋根の教会へ | オリコン1位獲得 |
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ふたりの日曜日 | 1972年12月5日 | 山上路夫 | 平尾昌晃 | 竜崎孝路 | 真冬のデイト | オリコン最高順位3位 |
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若葉のささやき | 1973年3月21日 | 山上路夫 | 森田公一 | 竜崎孝路 | 海にたくした願い | オリコン1位獲得 |
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恋する夏の日 | 1973年7月1日 | 山上路夫 | 森田公一 | 馬飼野俊一 | 花ひらくとき | オリコン1位獲得 |
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空いっぱいの幸せ | 1973年10月21日 | 山上路夫 | 森田公一 | 竜崎孝路 | もの想う季節 | オリコン最高順位3位 |
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恋人たちの港 | 1974年2月1日 | 山上路夫 | 森田公一 | 竜崎孝路 | 爽やかなあなた | オリコン最高順位4位 |
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恋と海とTシャツと | 1974年6月1日 | 安井かずみ | 森田公一 | 竜崎孝路 | 花嫁のともだち | オリコン最高順位8位 |
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想い出のセレナーデ | 1974年9月1日 | 山上路夫 | 森田公一 | 竜崎孝路 | わたしの場合 | オリコン最高順位4位 |
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木枯らしの舗道 | 1974年12月10日 | 山上路夫 | 森田公一 | 穂口雄右 | ブランコ | オリコン最高順位14位 |
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愛のアルバム | 1975年4月1日 | 山上路夫 | 森田公一 | 森田公一 | 京都でひとり | オリコン最高順位15位 |
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初めての涙 | 1975年5月21日 | 安井かずみ | 宮川泰 | 森岡賢一郎 | 君よ知るや南の国 | オリコン最高順位26位 / ミュージカル『君よ知るや南の国』挿入歌 |
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さよならこんにちわ | 1975年9月1日 | 山口洋子 安井かずみ[21] |
筒美京平 | 筒美京平 | 明日また | オリコン最高順位36位 |
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夕陽のスケッチ | 1975年12月5日 | 宮中雲子 | 筒美京平 | 萩田光雄 | 小さな人生 | オリコン最高順位58位 |
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矢車草[22] | 1976年4月21日 | 岩谷時子 | 筒美京平 | 森岡賢一郎 | 一杯のレモンティー | オリコン最高順位50位 |
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愛の渚 | 1976年7月21日 | 岩谷時子 | 弾厚作 (加山雄三) |
森岡賢一郎 | 愛がほしい | オリコン最高順位51位 |
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夢ほのぼの | 1976年12月5日 | 橋本淳 | 小林亜星 | 森岡賢一郎 | 海辺まで10マイル | |
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夏を忘れた海 | 1979. | 安井かずみ | 森田公一 | 戸塚修 | ひとかかえの愛 | 2000枚限定[23] |
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愛・つづれ織り | 1979年12月21日 | 松本隆 | 森田公一 | 渡辺茂樹 | 旅人は風の国へ | |
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初恋のニコラ | 1980年9月1日 | Mate Peters Nagy Istvan Michel Mallory (訳詞:麻木かおる) |
青木望 | 不器用な女(ひと) | ||
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私が雪だった日 | 1983年2月1日 | 山川啓介 | 網倉一也 | 石川鷹彦 | 今は想い出 |
アルバム
オリジナル・アルバム
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1972年度オリコン年間アルバムチャート1位 |
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<center>オリコン最高順位2位 |
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オリジナル・ポップス&フォーク |
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ライブ・アルバム
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その他のアルバム
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ベスト・アルバム(LPのみ)
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ベスト・アルバム(CD)
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ジャケット写真とCDケースを変更 |
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ミニ・アルバム |
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<center>1995年3月5日 |
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コンプリート・シングル・コレクション・アンド・モア |
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CD2枚組。 2009年8月19日にはBlu-spec CD盤が初回完全生産限定で発売 |
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Disc 1
Disc 2
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CD2枚組。完全生産限定盤。Blu-spec CD2仕様。 |
CD-BOX
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収録曲を参照 | 歌手デビュー35周年記念CD BOX。 DVD1枚+CD9枚 |
映画
- めまい(1971年、松竹)- 下田波子 役 ※監督:斎藤耕一 共演者:辺見マリ、范文雀、小川ひろみ、天路圭子、田中好子など ◎「斎藤マリ」の芸名による無名時代唯一の出演作。
- 虹をわたって(1972年、松竹)- 星野マリ 役 ※共演者:日色ともゑ、左時枝など
- 舞妓はんだよ全員集合!! (1972年、松竹)-バスガイド役(「ふたりの日曜日」を歌う)※共演者:吉沢京子、早瀬久美、大信田礼子など
- 愛ってなんだろ (1973年、松竹)- 浅見麻里子 役 ※共演者:生田悦子、小鹿ミキなど
- チョットだけョ全員集合!! (1973年、松竹)-校医役(「恋する夏の日」を歌う)※共演者:小鹿ミキ、キャッシーなど
- ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!(1974年、松竹)-お向かいの真理ちゃん役(「木枯らしの舗道」を歌う)※共演者:キャンディーズ、アン・ルイス、ホーン・ユキ、篠ひろ子など
- 魔性の香り (1985年、にっかつ)- 秋子 役 ※共演者:鰐淵晴子、風祭ゆきなど
- まんだら屋の良太(1986年、ニューセレクト)- 温泉芸者お染 役 ※共演者:神保美喜、高瀬春奈など
テレビ番組
ドラマ ・バラエティ番組など
- 時間ですよ 第2シリーズ(1971年 - 1972年、TBS)
- 刑事くん 第35話「ちいさな恋」(1972年5月1日、TBS)- 婦警キタハラタエコ役
- 花嫁はおかみさん(1972年、CX)- 喜多川ユリ役
- おはよう(1972年、TBS)
- 時間ですよ 第3シリーズ(1973年、TBS)
- おしろい花(1974年、NTV)
- きんきんケロンパ歌謡曲(1972年 - 1974年、現テレビ東京)- 「きんきんマリマリ歌謡曲」のタイトルコール
- ふたりでひとり(1976年、TBS)
- 暁に斬る! 第15話「越後湯けむり女の情」(1983年、KTV)
- オレたちひょうきん族(CX)
- 月曜ドラマランド「意地悪お手伝いさん」シリーズ1~3(1984年 - 1985年、CX)- 弁護士見習い役
- 月の川(1984年、TBS)- 時沢加津子役
- 金曜女のドラマスペシャル「あなたの夫、殺します」(1987年、CX)- 白沢美々役(銀座のホステス)
- 明石家さんまのスポーツするぞ!大放送(CX)
- さんまのナンでもダービー(ANB)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(1994年10月 - 1995年9月※木曜日担当、フジテレビ)
- ただいま満室(2000年、ANB) - 栗田若菜役
- 壮絶バトル!花の芸能界 衝撃の天地真理スペシャル!(2003年9月4日、NTV)
- 思い出のメロディー(2004年、NHK)
CM
- ブリヂストンサイクル ブリヂストン自転車ドレミまりちゃん -「白雪姫が魔法の鏡にききました。鏡さん鏡さん、世界じゅうで一番楽しいものなあに」というナレーションとともに「おとぎの国の小さな森に 白雪姫の贈り物 ドレミ ドレミ ブリヂストンのドレミまりちゃん」と歌う。
- ポピー 天地とアグネス・チャンをモデルにしたフィギュア「ポピーちゃん」[25]なるものが発売され、CMにも出演している。
- 参天製薬 目薬サンテドウ -「サンテサンテサンテドウ 心の底を みつめる瞳 サンテドウ あなたはわたしを愛してるかしら サンテサンテサンテドウ サンテドウ」(「愛する瞳」作詞・作曲:浜口庫之助)
- 不二家 不二家チョコレート メロディ -「野原でひとり歌ったら あの人に聞こえるかしら 風よわたしの歌 そおと運んで あなたのお口にメロディ 不二家メロディ」(「愛のメロディ」[26]作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃)
- エスビー食品 S&Bゴールデンシチュー -「しましまで 胴長の かわいいわたしのマスコット エスビーゴールデンシチューでバルディちゃんが1万匹」[27]と歌う。
- 旭硝子 美顔器エレンスパック(1979年)- 歌うは「ひとかかえの愛」(作詞:藤公之介/作曲:森田公一)の一節「暖かな あなたの心に 触れたくて 今」。森光子の「あれっ、そうだやっぱり真理ちゃん。きれいになったわ。」というせりふのあとに「自然な素肌をカムバックさせるエレンスパック」という男性ナレーションが入る。これは、当時長期休業ののちにカムバックを果たした天地のイメージを効果的に活かしたものである。
- なお、以上のほかに、三和銀行やクロバー(編み針)、味の素(マヨネーズ)、富士フイルム(フジカラー)のイメージ・ガールも務めた。
写真集
- 天地真理写真集(スコラ、1983)- 撮影:清水清太郎
- 天地真理写真集(辰巳出版、1986)- 撮影:清水清太郎
- 東京モガ(モッツコーポレーション、1997)- 撮影:沢渡朔
ビデオ
- 天地真理 KAUAI(日本ビデオ映像、1983)
- 危険なレッスン(ファイブスター、1986) - 涼子 役 1989年、笠倉出版社から再発された。
- これならできる! 天地真理のらくらくダイエット スリムになるってすてきなことね(モッツコーポレーション、1997)
参考文献
- 『天地真理 恋と花と空と ALL ABOUT MARI & SONG』(新興楽譜出版社、1972)
- 「季刊ポッポ」第2号『総特集 天地真理のすべて』(新興楽譜出版社、1973)
- 「近代映画」第387号『臨時増刊 天地真理スペシャル』(近代映画社、1973)
- 「ヤング・アイドル・ナウ」第2号『天地真理』(勁文社、1973)
- 塩崎雪生『氷の福音 《天地真理》をめぐりたる象徴学的研究』(塩崎研究所、2013)
関連人物・項目
脚注
- ↑ 「母から父のことを打ち明けられたのは、高校1年のときです。それまでは、父は私が生まれてからすぐ亡くなったと、母から教えられていました。もう、高校生ということで、母も私に打ち明ける気になったのだと思います。「あなたのお父さんとは、あなたが2才のときに別れたの。お母さんのせいで、寂しい思いをさせてごめんなさいね」「お母さん、私、知ってたよ。気にしなくていいから」私は必死の笑顔でそう答えました。本当はそのとき、初めて知ったことでした。でも、母の顔を見ると「ここで私が泣いたら、お母さんを悲しませる」そう思い、必死に笑顔を作ったのです。私に泣かれるのを覚悟していた母は、ホッとした表情でした。母の顔を見て「これでよかったんだわ」と私は自分自身にいいきかせました。その夜、私はベッドでひとり、気のすむまで泣きました。」(天地著『スリムになるってステキなことネ』p.23~24)
- ↑ 1973年3月27日~4月4日の9日間にわたるヨーロッパ旅行の際、バエズ本人と出会うことができ、天地はバエズから祝福のキスを受けた。
- ↑ 国立音高在学中の1969年よりヤマハ音楽振興会附属教室ヴォーカルコースで学び、プロ歌手となるためのレッスンに励んだ。
- ↑ 塩崎雪生『氷の福音』第14章「ちいさなアクロバット」参照。
- ↑ なお、1997年(45歳)時点でのスリーサイズは、B84cm、W61cm、H89cmである(天地著『スリムになるってステキなことネ』p.164)。
- ↑ サイズは22.5cmである。
- ↑ 日劇でのあるショーに出演の際、メロンが大好物である旨発言したところ、たちまち全国のファンからメロンが山のように届けられたが、結局処理に困り青果物業者に引き取ってもらったという逸話は名高い(天地著『スリムになるってステキなことネ』p.16)。ちなみに苦手な食べ物はにんじんとかまぼこである。
- ↑ たとえば「恋する夏の日」におけるテンポのよい振り付けや曲のイメージを増幅させるテニスウェア等の独特の衣裳、「虹をわたって」における歌詞の合い間にはさみ込まれるファンからの「真理ちゃ~ん」というエールなど。
- ↑ 久世は「小谷夏」とも名乗って作詞家としても知られており、天地の持ち歌である「ひとりじゃないの」「思い出の足音」「風花のさよなら」「さびしかったら」「出不精のピーターパン」「二月の風景画」「ひこうき雲」「返信」「ポケットに涙」「涙から明日へ」などの作詞も手がけている。
- ↑ この作品は、後にアルゼンチンタンゴ「ホテル・ヴィクトリア」からの盗作ではないかと騒がれたが、著作権料折半で決着した。
- ↑ この年の7月19日、天地の母が東京・新宿に小料理店「てまり」を営業開始。同店は1980年6月の閉店まで天地ファンの集いの場として連日賑わった。
- ↑ おもに女児向けで、3歳用・5歳用・7歳用がある。なお、同時に発売された男児向けには当時流行の『仮面ライダー』が宣伝キャラクターとして採用されていた。
- ↑ このツアーが実質的にアイドル時代最後の大規模活動となる。なお、歌われた曲目は以下の通り。第1部「青春の輝き」「ふたりの日曜日」「虹をわたって」「矢車草」「愛の渚」「雨あがりのサンバ」「見つめあう恋」「ディス・オールド・ギター」「サラダの国から来た娘」「春の風が吹いていたら」「歌謡童話白雪姫」「ひとりじゃないの」。第2部「童話作家(ピアノ弾き語り)」「哀しきマリオネット」「なごり雪」「『いちご白書』をもう一度」「追憶」「ジョーク」「陽ざしの中で」「旅人よ」「愛の日々」「夕焼け横丁の人々」「想い出のセレナーデ」「若葉のささやき」「空いっぱいの幸せ」「恋と海とTシャツと」「恋する夏の日」「水色の恋」。
- ↑ 1974年4月19日~同年6月10日に東京・上野の東京国立博物館本館1階特別第5室で開催された「モナ・リザ展」では総計150万人を超える入場者が記録された。展示最終日前日の6月9日(日曜日)には6万1千人の来館者があった。蛍光灯と白熱灯とをたくみに用いて照明に工夫が凝らされ、大川光雄をはじめとする展示責任者の間では「ルーヴルに展示されているときよりもみずみずしい」とささやかれたという。
- ↑ 2010年10月のテレビ出演時に天地は、休業の真因は数年にわたって積み重ねられてきた極度の過労によって活動継続に困難を生じたことである旨、涙ながらに告白。
- ↑ 発起人もレコード会社側も事前に多数の記者殺到を見込んでいなかったため、会場としてあまり広くない部屋を用意していた。
- ↑ 第1回放送分は「天地真理を励ます会」が開かれた日の翌日6月8日にTBS第1スタジオにおいて録音されたものである。
- ↑ その天然キャラは、中村玉緒が受け継ぐことになる。
- ↑ ミュージックCDのほかに、「真理ちゃん」シリーズから選び採られたヒット曲歌唱シーンを収録したDVDが1枚添えられている。
- ↑ 天地は1971年10月1日、この銀座メイツにおいて「水色の恋」を歌うことによりプロ歌手としての一歩を踏み出したのである。なお同店はもとナベプロ直営であったが、1983年経営権が他に移り「ケネディハウス銀座」と改称された。
- ↑ 安井かずみ作詞作品に朝倉理恵が歌った「さよなら、今日は」(1973年11月21日発表)があるが、天地歌唱のものとはまったく別の曲である。
- ↑ この曲に歌われた「矢車草」とは、ユキノシタ科ヤグルマソウ属の「ヤグルマソウ」(矢車草)ではなく、「ヤグルマギク」(矢車菊、キク科ヤグルマギク属)をさしている。矢車菊はサファイアを思わせる花の青さが特徴、ドイツの国花であり皇帝ヴィルヘルム1世が愛好し紋章に用いた。また、恋する相手の襟元などにその花を飾り、青みの褪色具合などにより恋の成就を占う風習がある。なお、ノヴァーリスの『青い花』は、すなわちこの矢車菊の青に触発され着想したものである。
- ↑ 芸能活動休業中もファンクラブ会費を払い続けてくれた会員のみに対し配布された。
- ↑ 「好きなもの」等についての独白および天地自身によるピアノ演奏が収録されている。
- ↑ このほかにも同世代のアイドルをモデルにしたフィギュアや、専用のステージまで発売されていた。
- ↑ 歌詞は3番まである。2番「海辺でひとり歌ったら あの人に聞こえるかしら 波よわたしの恋 そっと伝えて……」、3番「わたしはきょうも歌うのよ あこがれを心に秘めて 歌はあなたのもと 飛んでゆくのよ……」。
- ↑ 「バルディちゃん」とは、1972年夏季開催のミュンヘン五輪で採用された公式マスコット Waldi をさす。