三人娘

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三人娘(さんにんむすめ)とは、主に若手の同世代の女性歌手3人の総称、もしくはその3人によるユニット活動である。

解説

本来のグループ歌手(例えばキャンディーズ)のように当初からグループ活動を意図して結成されたものではなく、後から所属芸能事務所レコード会社マスコミなどにより付けられた「三人をグループ的に扱うためのキャッチコピー」としての意味合いが強い。

従って、結成時期(命名時期)は比較的はっきりしているが、「解散」などといった概念はグループ歌手と異なって無く、ユニットの解消は自然消滅のように起こる。芸能活動の性質としては、グループ歌手と比べて独立性が強いものから、ソロ活動よりユニットとしての活動が多かったものまで幅広い。また、同世代の同じジャンルの歌手で構成されているので、メンバー同士がお互いにライバルでもあり、世間から何かと比較もされやすい。ユニットが自然消滅した後でもしばしば比較される場合もある。中には、機会があるごとに再集結するユニットも存在する。

主な三人娘

  • 初代三人娘 - 黒柳徹子横山道代里見京子、(又は水谷良重
    ヤン坊ニン坊トン坊』で声優として主演し、一躍人気を集め、日本タレントで初めて「三人娘」と呼ばれたユニットである。登場当初は単に「三人娘」と呼ばれたが後発組が「~三人娘」と言う名称を使用することが多くなったため、後年に識別上「初代三人娘」と言われることが多くなった。なお里見ではなく、水谷良重(のち2代目水谷八重子)とする場合もある。
  • NHK三人娘 - 馬渕晴子冨士眞奈美小林千登勢、(又は黒柳徹子
    テレビ放送初期のころ、NHK専属の女優であった3人がドラマ『輪唱』をきっかけに人気を獲得し、こう評された。この3人のうち1人を黒柳徹子と入れ替えて紹介されている場合もある。
  • 七光り三人娘 - 朝丘雪路、水谷良重、東郷たまみ
    服部良一の下で歌を習っていた3人がそれぞれ、伊東深水(朝丘)、14代目守田勘弥初代水谷八重子(水谷)、東郷青児(東郷)、という大御所の愛娘であったことを逆手に取り、メンバーの水谷が自ら命名。1950年代半ばから後半にかけて共に共演し、名を売った。東郷は早くに芸能界を引退し、父同様に絵画の道へ進んだが、朝丘・水谷は現在まで女優としても第一線で活躍を続けている。
  • 新三人娘 - 南沙織小柳ルミ子天地真理
    1970年代アイドルの元祖ともいえる歌手によって結成された三人娘。全員1971年デビューの同期生。ユニットというよりは、同期生のライバルの総称という傾向が強い。尚当時の活動期は単に「三人娘」、または「三代目三人娘」と言われたが、後年便宜上に「新三人娘」の呼称を使われている。詳しくは新三人娘を参照。
  • フジの三人娘 - 有賀さつき河野景子八木亜希子
    1988年に入社したフジテレビの女性アナウンサー(現在は全員退社)3人による俗称。「女子アナブーム」を築き上げ、女子アナウンサーをタレント及びアイドル化させた根源とも言われている。また、「女子アナ」という省略型の用語が定着したのも、この3人の頃からである。
  • AKB三人娘 - 指原莉乃(HKT48)、大島優子渡辺麻友
    前田敦子が卒業し初めて行われた第5回総選挙で当初、「大島の連覇達成か、渡辺の悲願の1位」かとみられていたが、第1回より着実に力を付け、第4回総選挙で第4位となり1位を射程圏内に収めた指原が速報で1位となり、当日の開票速報でも逃げ切り史上初めて15万の大台に乗せ、前田・大島に次いで史上3人目の絶対エースになった。
  • 太田プロ三人娘 - 前田敦子、大島優子(AKB48)、指原莉乃(HKT48)
    AKB総選挙で1位を取った3人のこと。前田は第1回・第3回、大島は第2回・第4回、指原は第5回で1位となり、指原自身は史上3人目の絶対エースになった。

関連項目