さんまのナンでもダービー

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組さんまのナンでもダービー』は、テレビ朝日系列にて1993年4月13日から1995年9月26日まで毎週火曜19:00~19:54に放送されたスポーツバラエティ番組である。明石家さんま冠番組

番組概要

競馬の要領で、パネラー(解答者)はレース(競技)に勝ちそうな人に賭け、レースを行い、そのレースの勝者に賭けたパネラーには得点が支払われる。最終的にその得点が最も多かったパネラーが優勝というシステムである。行われるレースの殆どは人間が競うユニークなものばかりで、そこから人気競技(企画)が生まれた(後述)。

番組における最大の特徴は芸能人がそのレースに一喜一憂する姿。的中すれば喜び、外れれば泣き、番組ではそんなシーンがいつも展開されていた。

番組は高視聴率で人気も高かったため、レギュラー化以前はパイロット版として数回、レギュラー時にも期首毎に、レギュラー放送終了後にも数回、それぞれ特別番組として放送された。特番では、1996年春の特番の最終レース終了後のインタビューで江頭2:50が下半身露出をしスタジオから悲鳴を浴びせられた(この異様な雰囲気の中、明石家さんま大熊英司だけは至って冷静であった)。その件だけでなく、打ち切りまでの経緯によって発生したさんまとテレ朝上層部との確執も相まって、この時の特番がさんま出演の事実上最後の放送となり、さらに江頭はその後、「『ぷっ』すま」までテレビ朝日系の番組には出演が許可されなかった。[1]

出演者

司会・進行

他にテレビ朝日の男性アナウンサー(真鍋由国吉伸洋田畑祐一他)が最終レース以外のナレーターと実況を担当した。また特番では、当時まだ関西テレビに在籍していた杉本清が(当然テレ朝・関テレ双方同意の元ではあるが)局の垣根を越えて実況を務めた事もあった。稀に白川次郎(元ラジオたんぱ<現社名・ラジオNIKKEI>アナウンサー。放送当時はまだラジオたんぱのアナウンサーだった)が実況を努めたこともある。

レギュラーパネラー(解答者)

基本的に毎回、ゲストも含めて5人(組)がパネラーで登場。特番では2人(以上)1チームの5チームによる対抗戦、更には番組対抗の特番としてこの番組が用いられる事もあった。

マスコットキャラクター・ドンピー

番組途中よりマスコットキャラクターとして“ドンピー”が登場。このキャラクターは“ドンキーくん(仮)”として登場し、その後一般公募でドンピーと決まった。このキャラクターは風貌から太った馬だと思われているが、実際はペガサスという設定である(ドンピーの背中には退化したような羽根が二枚付いていた)。後述の着ぐるみレースのレギュラー出走馬として、5枠から出走していた。初期のころは、解答者の期待を煽り、ベッティングをさせるが、結局は凡走に終わり、怒りを買うのが大体のパターンであった。

初お披露目となった特番の際、その軽妙な動きから元死体役者の實原邦之(『名物選手』を参照)が中に入っているのではないかとヒロミに突っ込まれ、「ドンキー實原」と命名されそうになった。それに乗っかる形で、以降マスコットとして登場した際には、「ピストルで撃たれ後ろに倒れる」とパフォーマンスを披露していた。

ゲスト解答者の森脇健児が、「(着ぐるみレースは)1日10本撮り(収録)という過酷なスケジュールでこなされる」と、ドンピー本人が語っていたことを、番組中で明らかにした。 また、ヒロミは「こんな可愛い顔をしてるけど、実際はガラの悪い関西弁をしゃべる」ことも暴露している。

特記事項

基本的なルール(レギュラー放送時のルール)

  • 最初に、各パネラーが10万S$(サンマドル:番組独自の単位)を持った状態でスタート。(特番時は20万S$から開始)
  • パネラーは、レースの説明やパドック(各選手の紹介)のVTRと競馬新聞風の資料(後述「予想紙」)、スタジオで行われるさんまの予想、そしてオッズ(倍率:街頭でのアンケート等によって決定される)を参考にしてS$を賭ける。
    • パネラーの掛け金の数が6桁までで最大99万9999S$まで賭けられる。初期は電光掲示板で表示したが、後期にはモニターの画面で表示された。
  • 1R→2R→ボーナスレース(ダブルアップ一発勝負)→最終レースの順番に行って、最終的に最も多い得点を持っているパネラーが優勝(同点がいた場合には両者優勝とする)。更に、100万S$以上獲得した場合は、世界一周旅行を獲得(レギュラー回開始当初からなかったものの途中から実施、但し100万S$万以上獲得したパネラーが複数いた場合は、優勝者のみ)。その為、最終レース前まで100万S$が複数居た場合は最終レースで100万S$を残すか100万S$を分配して勝負するか運命の分かれ目になっている。
    • 最初に、100万S$になったのはレギュラー放送回ではB-21スペシャルが最初。最終回でも最終レースで的中者無しにも関わらずに100万S$越えした。(このケースは数度あった。)
    • 特番時は、世界3周(最大で世界5周)にグレードアップした(ただし、番組内でさんまが「おいしい世界一周」などとコメントしており、実際は焼肉屋への招待のようなものだった)。
    • 初期は準優勝にも賞品があり、視聴者には、来週放送回のパネラーの中で、優勝者と準優勝者を予想するプレゼントクイズも出題された。

1 - 2R

  • 連勝複式(順位に関わらずに当てる馬券)で、3点まで賭ける事ができる。予想が当たった場合は、掛け金とオッズに応じて配当が払い出される。予想が外れた場合は没収。

ボーナスレース

  • 着ぐるみレース(後述)を、枠番による複勝式で予想。(S$は賭けない)
  • 最下位のパネラーから順番に、1人1頭を選択。ただし、既に他のパネラーが選んでいた選手を選ぶことが出来ない。
  • レース後、1位又は2位の選手を予想したパネラーにはボーナスとして規定のS$(1位3万S$、2位1万S$)が支払われる。ある回では、あまりに上位と下位の差が大きく付いた為、ボーナスレースが未放送となり、自動的に最下位に3万S$、ブービーに1万S$を支払った事もあった。
  • 後に『ボーナスレース』に代わり、『ダブルUP一発勝負』が登場。基準値を超えるか超えないかを当てる二択クイズが1問出題され、正解すれば所持しているS$が2倍に倍増するが、不正解なら半減する。ただし、このクイズには解答しなくても良い(解答しなかったパネラーのS$はそのまま)。

最終レース

  • ニッカ池・ダービー池を用いたがまんカップ(後述)の結果を、枠番による連勝単式(順位通りに当てる馬券)で予想。このレースのみ、4点まで賭けることができる。
  • このレースが終わると、さんまの「それでは、最終的所持金を見てみましょう!」の掛け声とともに各パネラーの解答席表示盤が高速で動作し、動作が止まった段階で最終的所持金(S$)が表示される(最終的に0S$に終わったパネラーもほぼ毎回存在した)。

主なレース(競技・企画)

  • 実際の競馬同様にグレード制が採用されており、特に、特番では「明石家記念」や「テレビ朝日杯」などのGI(I はローマ数字の1の代用)レースが催された。
  • レースの勝者には賞金が出た。重賞レースは賞金が高かった。
  • 基本的にレースは6枠6頭(チーム戦であっても1頭2頭と数えた)立て。但し、一部重賞では6枠7頭立て(6枠のみ2頭)、さらに一部重賞では6枠8頭立て(5・6枠のみ2頭)で行われた事もあった。

一般レース

計算ハンデトロフィー
レギュラー化以前から実施。コース上に置かれた簡単な計算問題を解きながら進んだ。ハンデ頭(100問)の1枠はちびっ子のそろばん名人や暗算名人で、他に芸能人も参戦していた。
超人パワートライアル
たった1人で、トラックや人をいっぱいに乗せたバス等をゴールへ運ぶレース。「スタート後の第1歩で勝負が決まり止ったら終わる」と言う格言が有った程にペース配分も要求された。
10人11脚
レギュラー化以前から実施。後の小学生クラス対抗30人31脚の原点。
人間ばん馬
ばんえい競走と同様、荷物を載せたそりを引っ張るレース。但し、馬ではなく複数の人間がそりを引っ張るチーム戦。
鉄人イカダ
数名のチーム戦。レースの前半はイカダを漕ぎ、後半は水に飛び込んでいかだを引っ張って泳ぐ。主にGI、GIIレースとして開催された。
廃車転がし
数名のチーム戦。廃車となった自動車を横から押すなどして転がし、途中の障害を越えつつゴールまで運ぶ。
風船割りステークス
コースに設置された風船を尻で割っていく。
はしご神輿
6名+2名のチーム戦。予め1人が乗ったはしごを6人で神輿のように担ぎ、途中でもう1人を乗せてゴールを目指す。
お笑い対抗氷上(雪上)リレー
文字通り、お笑い芸人が3~4人1チームで氷上(雪上)に設置された障害物をよけながら着順を競うリレー。レギュラー前のスペシャル特番では、第1回と第3回に実施され、レギュラー定着後も何回か行われている。いずれのレースも、極楽とんぼ(レギュラー放送時は前説を担当)、ダチョウ倶楽部たけし軍団大川興業(江頭2:50を含む)、ココリコネプチューンさまぁ~ず(当時はバカルディ名義)など、現在も活動を続けるお笑い芸人が参加する貴重なレースとなった。第1回では、予想屋のさんまが「お笑い対抗のレースなので、勝ちにこだわるよりも笑いに走ろうとするやつが出てくる」と、大御所らしい読みを展開する。さんま本人は、そのチームをたけし軍団と読み、「ダチョウ倶楽部は、やる時はまじめにやるという人間性の持ち主」と、本命視するが、この2チームは終始は、笑いに走り、トップ争いに絡むことはなかった。

着ぐるみレース

色んな名物着ぐるみ(大幸薬品の正露丸日本食研のキャラクター「バンコ」・CAPCOMの「ロックマン」等の番組スポンサー企業の着ぐるみやセーラームーン野原しんのすけなどのアニメ、特撮のキャラ等)が様々なレースで勝負した。番組のキャラクターのドンピーも参戦した(ドンピー登場以前は、さんまのまんまのまんまちゃんが放送局の垣根を越えて出場していたこともある)。

ダービー池(ニッカ池)でのがまんカップ

番組の最終レースに行われた、生き残り方式の恒例レース。脱落した順に6位、5位、と順位が確定して、最後まで残った選手が優勝(1位)。テレビ朝日の旧社屋の池(ニッカ池、番組中期以降ではダービー池と呼称)の中や池の上を舞台に、数々の死闘を繰り広げた。

潜水がまんカップ
一斉に池に沈められた後、水面に浮き上がらない様に潜り続ける。浮き上がってしまった人から脱落、池に最も長く潜っていられた選手が優勝。手入れがあまりされていないドブ状態の池の中に潜る為、過酷さが増している。初めてダービー池が使用されたレース。スペシャル版の第1回、第2回、第5回に登場した。第1回と、第5回は、同じぬいぐるみ役者が優勝し、第2回は電撃ネットワークダンナ小柳が優勝、2着には3回とも、死体役者の實原邦之(名物選手参照)が輝いている。第1回放送分では206倍の高配当となり、この記録は番組終了まで破られることはなかった。後にさんまが『踊る!さんま御殿!!』の中で、「出場者がこのレースで本気を出し、救急車を呼ぶ騒ぎになったので中止になった」と語っていたこともあるが、番組内では確認されていない。
セミ人間抱きつきがまんカップ
池の上に吊り下げられた円柱に抱きつき、池に落ちないように耐える。落ちてしまった人から脱落、最後まで柱に抱き付いていた選手が優勝。レギュラー化以前の特番では個人戦であったが、レギュラー開始後の特番の際はペアで柱に抱きつく形式が定着した。中期以降は一定時間経過後に池の中の噴水が作動する仕組み(円柱に水がかかり滑りやすくなる)が導入されたため、早期に勝負の決着がつくようになった。枝打ち親子、元暴走族夫婦、SMAPなどの好走がレースを盛り上げた。
懸垂がまんカップ
池の上に吊られた鉄棒にぶら下がって、池に落ちないように耐える。落ちてしまった人から脱落、最後までぶら下がり続けられた選手が優勝。抱きつきがまんカップ同様、噴水などの障害も導入されている。
両手連結がまんカップ
出走馬はペアで構成され、上下の出走者がお互いの手首をつかみ合い、下の出走者を救う態勢でどれだけ耐えられるかを競う。
連動ロープがまんカップ
懸垂がまんカップと同様にぶら下がるが、1本のロープで繋がっているため1人が落下するとその反動で揺れていき、特に体重が重い出走馬が落下すると大きく振られていく。
中学生限定ダービー池クラシック競走
実際の中央競馬クラシックレースと同様に、ダービー池でも参加資格を中学生に限定した「ダービー池クラシック競走」を開催。皐月賞日本ダービー菊花賞三冠レースのほか、上位2名に前記クラシック競走への優先出走権が与えられるトライアル競走を実施した。なお、トライアル競走も当時の中央競馬のレース体系に習い、同じレース名(例・皐月賞トライアル弥生賞など)を使用したが、日本ダービートライアル競走は「ANB杯」(当時の中央競馬ダービートライアル競走は「青葉賞」と「NHK杯」)、「菊花賞」のトライアル競走は「朝日新聞杯」(前記同様に、当時の菊花賞トライアルは「神戸新聞杯」と「京都新聞杯」)と名称を変更して実施した。ルールは連動ロープがまんカップを採用。
  • 過酷なレースであるにもかかわらず、『あっぱれさんま大先生』で教え子だった山崎裕太、当時若手であったココリコ極楽とんぼ、特番ではSMAP香取慎吾森且行ペアと、様々な芸能人も出走した。
  • また、テレビ朝日系列局のアナウンサー対抗で、円柱ではなく特大マイクをどれだけ長く抱きつけることが出来るかを競う「マイク抱きつきがまんレース」(テレビ朝日からは、通常は実況を務める大熊アナが出走。小型マイクを装着して選手と実況役を兼務した)等、亜流の形式を実施する事もあった。
  • 特番ではGIレース(テレビ朝日杯など)として開催され、優勝者にはカップが寄贈された。
  • 力はもちろんのことだが、体重の軽い方がぶら下がったときの負荷が少なく比較的有利であった。GI等有力者が多いレースを除き、さんまの予想でも体重の軽い人を本命にすることが多かった。中でも、小学生同士の連動ロープがまんカップで、通常このような勝負で勝てるとは思えない小学生講談師が、体重の軽さが有利に働き、運動で実績のある小学生がいる中、2着に健闘したこともあった(しかも、3着だった小学生の体重が重すぎてロープが激しく揺れ、振り落とされるアクシデントがあっての2着だったので力負けではない)。

名物選手

松島暁人
ロッククライマー。当時中学生であり、最終レースのダービー池に準レギュラーで出演。綱のぼり企画にも登場した。優勝回数が非常に多く、いつも一番人気であった。対戦者の中には渡辺二郎タイガーマスクおさるなどがいたが勝利をする。1度はおさるに負けて苦汁を飲み、逆に当時無名であったおさるの知名度が全国区になったほどだった。ダービー池クラシック競走のトライアルレース「弥生賞」では、実績十分で断然の一番人気だったが、花粉症だったためまさかの大惨敗。初出走で人気薄の山崎裕太が2着に入る大波乱を起こさせたが、本番の皐月賞ではぶっちぎりの優勝で雪辱を果たした。
日本女子体育大学ダンス部
10人11脚などに出走。初出場から前半までは上位に入るほどの好成績だったが、後半あたりから不調が続いていた。最後の参加では見事に有終の美を飾った。体育大学女子部員全員、ジャージ姿ではなく練習、大会演技等で着用する長袖レオタード姿で参加。日頃練習で鍛えたむっちり体型に深紅の長袖レオタードを着用し、白のハイソックス運動靴。時には長い髪を後ろに縛ってヘルメットをかぶり、肘や膝サポーターを装着したり、頭にハチマキを締めて競技場グラウンドをはじめ山岳地帯や浜辺等で行われる競技に参加して頑張っていた。女子部員の身体に無駄なくフィットした長袖レオタードに身を包んだ豊満なに大きなお尻、鍛えられて太くなった両腕、逆三角形がプクンと出る女性器の膨らみと練習で太く綺麗に美しく鍛えられた太股は、スタジオならび視聴者まで賑わせるほど魅了し、人気と注目を集めた。「ダービー池(ニッカ池)でのがまんカップ」には参加しておらず、理由としてはルール上、参加者全員ウエットスーツ必着だった為、参加しなかったという。中には特例でもいいからダービー池で深紅の長袖レオタードに、白のハイソックスに運動靴。頭にヘルメットを装着して頑張る女子大生の姿も見たかったという意見もあった。
後番組『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』でも、レオタード姿で頑張る女子大生の姿に感化され、長袖レオタードの恰好で参加する女性参加者も現れた。1996年夏ごろに放送された「リクエスト100m ぴったり走って100万円」では、参加者の大半がジャージ上下、シャツに短パン姿で出場する中、大学の新体操部に所属する現役の女子大生がこの競技に出場した。服装はシャツに短パンではなく、練習、大会演技で着用する白と黒のツートーンのハイネックローレグタイプの長袖レオタードを着用し、白のダンスシューズ。短めの黒髪をシンクロナイズドスイミングのように競技中乱れないようにゼラチンでしっかり固めた恰好で参加者が集う競技会場である陸上競技場に会場入りした。スポーツタイマーで自分が目指している目標タイムを体内時計で数え、ボタンを押した後は競技場トラックのスタートラインに立った。真夏の暑い日差しの中、長袖レオタードは汗でびしょ濡れになった状態の中でクラウチングスタートした後は全速力で走りぬき、転ぶこともなく無事にフィニッシュラインに到達しゴールをしたが失敗に終わっている。1997年年始では、「ひらひらペーパー箸でキャッチできたら100万円」という種目で、内容は天井に設置されたマシーン「マザーシップ」からランダムに落とされる薄い紙を地面に落ちる前に箸でキャッチし、3回連続で達成出来れば100万円獲得というものが行われた。その競技には、卒業した大学の新体操部に所属していた30代前半の一児の母親が挑戦。学生時代に練習で鍛えたむっちり体型も、新体操をやめて仕事や家事、育児に専念してから肉がついて太めの身体になったものの、ジャージ上下、シャツに短パン姿ではなく、大学時代に着用した黒を基調としたVネック長袖レオタードを10数年ぶりに着用して挑戦することとなった。本番前、母親は着替えが終わり、むっちり体型のうえに太ってしまった身体に無駄なくフィットしたVネック長袖レオタードに身を包み、豊満なに大きなお尻、仕事や家事、育児でて太くなった両腕女性器も逆三角形にプクンと膨らむだけでなく、股布に形が浮き出るくらい密着していた。太く綺麗に美しく鍛えられた太股も見せ、長い髪をリボンで後ろに縛り、白のダンスシューズを履いた恰好でスタジオ入りした。冬場の寒い中、太股を冷やしながら待機し、出番が来た時はを持って「マザーシップ」の真下に立った。競技では魅惑な動きでキャッチしようとして挑んだが、箸でひらひらペーパーをつかむことが出来ず失敗に終わっている。多局では1997年に日本テレビで放送された「だんトツ!!平成キング」の種目のひとつである「水上ござ渡り」に元女子体操選手の信田美帆が出場。他の出場選手がシャツに短パン姿で出場する中、本人は現役時代に着ていた臙脂色の長袖レオタードを水着の代用として着用し、ハーフシューズは履かず裸足の姿で挑戦したが半分にも到達せず水中に沈んでしまい、泳いで戻って行った。
マッスル北村ボディービルダー)とその仲間達
初出走はスペシャル版第2回の時の「干潟トライアスロンカップ」に個人で出走し、優勝を果たす後、第3回の「ピアノ壊し競走曲カップ」に出走し2着を収める。そして初のG1タイトルとなる(前述)「鉄人イカダグランプリ」において「マッスル北村率いるボディビルダーチーム」として参戦。前半の漕ぎ100mでは後方に甘んずるも、後半の泳ぎ50mで一気に挽回し見事優勝を納める。そのレースでの注目は「日米海軍対決」ということで、4枠に「アメリカ海兵隊チーム」5枠に「海上自衛隊チーム」の争いに注目が集まっていたため、ボディビルダーチームは予想では無印に近く、優勝「ボディビルダーチーム」2着「海上自衛隊チーム」は105倍の万馬券となり、唯一の正解者である和田アキ子が1レースで100万以上Sを手に入れその回は優勝した。
それ以降G1では「人間ばんばグランプリ」での2着、そしてレギュラー化が始まる直前のスペシャルでの「雪上船引きグランプリ」で優勝、番組初のG1・2冠馬となり、レギュラー化にあたって「ボディビルダー最強説」を作る大きな布石となった。レギュラー化以降、初のG1レースとなる「トラック綱引きグランプリ」においては予想「◎3つ」の最高評価を受けるものの、最低の評価を受けていた「引越し屋チーム」にも負ける5着に甘んじた。これ以降、2回目の開催となる「鉄人イカダ」などのパワーレースでも不振が続き、最強神話は崩れたかに思えた。
しかしスペシャル版の「ダービー池・両手連結ガマンカップ」において、本命のロッククライマーチームを押さえて3度目となるG1タイトルを獲得した。レギュラー終了後のスペシャル版においては志茂田景樹と「ミステリアスペア」を組んで、「セミ人間カップ」に出場し、何度かG1タイトルを獲得している。さらに外見に似合わないオカマ口調の個性キャラクターが視聴者を大いに喜ばせた。
また、東京大学出身の知力を買われて、計算ハンデなどの頭脳系レースにも出走し、活躍した。
ナリタブラリアン (ポニー) と主戦騎手・森安輝正(当時JRA騎手)
放送当時、三冠馬になったナリタブライアンにあやかり名づけられたポニーで、本名はオパール号。ナリタブライアン同様にシャドーロールを装着していた(ただし赤色。ナリタブライアンは白色のもの)。森安騎手の調教により、ポニーから「競走馬」へと成長。ポニーや人間、自転車などの異種混合レースで活躍。後に、ポニーのみのレースも(いわゆるポニー競馬)開催。最終的には、1995年の秋と年末で連覇を達成するまで成長したが三連覇の懸かった1996春では敗れた。
また、森安騎手自身、JRAプロフィールの趣味の欄に「さんまのナンでもダービー準レギュラー」と書いており、思い入れは強かった。この他、当時若手騎手だった後藤浩輝園田競馬場所属の若手ジョッキーだった木村健ヒシアマゾンに騎乗してブレイクしていた中舘英二などがレースに参加したこともあった。
實原邦之
元死体役者。第1回放送となる「ニッカ池・潜水ガマンカップ」において、大外6枠8番で出走。なぜか下馬評は低かったため、2着入賞となったこのレースでは番組放送終了まで破られなかった206倍の高配当を演出した。
2回目と5回目のスペシャルでも開催された、「潜水ガマンカップ」において自己記録を上回りながらも2着に甘んじ、「ダービー池のナイスネイチャ」とあだ名されるようになった。
第6回スペシャルで初開催となった「セミ人間」においては、「タレント」として出走。前述のマラカー同様、本来の肩書きとは畑違いなレースの出走、「芸能界にしがみつきながら生きている」という強引な触れこみであったが、2度の3着と成績は決して悪くなかった。
レギュラー化以降もマラカー同様、ダービー池の名物的存在であったが、勝ち星に恵まれなかった為マッスル北村のコーチを受け肉体改造を図り、出走。パワーレースで「潜水」でもなし得なかった、初優勝を飾る。
以降もそれなりの成績を治め、1994年のサッカーW杯にあやかって開催された「抱きつきワールドカップ」にはその実績を買われて日本代表として出場、イラン人出場者を破って優勝し、本家W杯のサッカー日本代表の雪辱を果たした。ちなみに本選のW杯では4着に甘んじ、優勝はブラジル人だった。
おさる
レスキュー隊員や自衛隊員、ロッククライマーらが出走した障害物レース(壁を乗り越えるなど、自衛隊の訓練のような障害)で、芸人であるにもかかわらず2着に入る。それ以降度々出走、顔がそっくりと言われる薬師寺保栄と対決した事もあった。
天地真理
大穴要員として活躍。ハンデ付きの中距離走レースで1km近くのハンディがありながらナリタブラリアンに敗れる等の話題を見せた。
ケイン・コスギ
ダービー池の「ペア抱きつき我慢カップ」において父親のショー・コスギと一緒に出走して優勝した事から、以降はほぼレギュラーで出走(基本的に大外の6枠である事が多く「ショー・コスギの息子」と枕詞がつく)。また、当時ケインがニンジャブラック/ジライヤ役で出演していた『忍者戦隊カクレンジャー』の出演メンバー5人(小川輝晃広瀬仁美土田大河合秀)で出走した事もある。
中務顕貴
自転車少年と言われ日本縦断・世界各国を自転車で旅をした。当時中学生で最終レースのダービー池に準レギュラーで出演したが松島に比べて優勝には恵まれなかった。本番組出演以前、フジテレビの情報番組「タイム3」で自転車の旅企画で話題になっていた。
アムリット・マラカー
ネパールの星。1回目の潜水がまんカップにおいて、さんまの本命予想にもかかわらず10秒持たずに浮き上がり惨敗。2回目も同様に惨敗した。その後もダービー池の名物選手として出走するもそのほとんどが、下位という成績(1度だけ恋人が応援に来た回があり、その回は2着に入るという大波乱を起こした)だった。マラカー引退レース(しがみつき)では、マラカー以外の5人がデブキャラ(小学生の相撲チャンピオン、ウガンダ・トラ等)というやや姑息な出走メンバーではあったが、これまでの戦績から下位人気に甘んじた。結果は1着で最後の最後に初勝利を飾り、引退に華をそえた形ではあった。
花相撲保存会のおばちゃん軍団
平均年齢は60歳前後。重い丸太でできたムカデ競走で大活躍した。最初に登場した時は、運動自慢の他のチームに勝てるわけがないという見方が大勢を占め、予想上無印扱いだった。しかし、いざレースが始まると僅差の2着に入る大波乱を起こし、さんまやパネラー陣を絶句させた。その後出場したムカデ競走ではこの衝撃を覚えていたパネラーが多く、1番人気に支持され、見事1着になった。
世界トップクラスの陸上選手
番組には、棒高跳び現世界記録保持者のセルゲイ・ブブカをはじめとしたワールドクラスの陸上選手が多く出場した。特番時のメインレースではオリンピック短距離メダリストのデニス・ミッチェル、さらにはフランキー・フレデリクスがハンデ付きのスプリントレースに出場したが、生で行われるレースであるにもかかわらず、本番直前になって長めのウォーミングアップの時間を取るため、さんまやパネラー陣の評判は必ずしも良いものではなかった。そのため、フレデリクスが出走した次の特番のオープニングでは、パネラーの関根勤に「今日は世界の陸上王は来てないのか?」と皮肉を言われていた。
枝打ち名人親子
主に「抱きつきがまんカップ」に出走。その実力は普段の仕事場である杉の木に登って仕事をしていることもあってかとても強く、一時期は「抱きつきレース無敗」とパドックで紹介されるほど。また、息子の方は綱のぼりレースにも出走。新聞予想のほとんどの◎はさんまを含めレスキュー隊についていたが、終始ペースを落とすことなく優勝し(レスキュー隊は3着)、さんまやパネラー陣が舌を巻くほどの実力を見せた。
元暴走族夫婦
抱きつきレースにおいて3連覇を達成するが、夫婦共にスポーツの経験が無かったため、さんまやパネラー陣をよく驚かせた。また、4連覇のかかったレースでは、枝打ち名人親子と噴水がかかりながらも一騎打ちの様相を呈した名勝負を繰り広げ、最後には落下しかけた旦那を妻が必死に支えるなどの執念を見せ、2着だったもののスタジオ中が感嘆の声を挙げていた。

予想

この番組で放送される出走表・レース予想(井崎脩五郎らによる)が、テレビ雑誌(ザテレビジョンTVガイド)と、ファンファーレ(週刊競馬報知:廃刊)に、「三馬」のタイトルで掲載されていた。井崎のみ、穴狙いを示す黒三角・白三角の他に「注」マークも使用していた。

番組終了後

番組終了後、さんまはそれ以降テレビ朝日ではレギュラー番組を持つことはなく、単発番組においても、1996年春の特番以来「ま。いっか、」、「ミュージックステーション」、くりぃむしちゅー初の冠番組くりぃむしちゅーの一度だけいい夢見させてスペシャル」(2003年9月26日放送)など、2、3年に1回程度出演するだけで、ほとんどテレビ朝日制作の番組に出演していない。その後2007年8月30日の「アメトーーク!」で、村上ショージのエピソードを語るためVTR出演、2009年8月6日の「雨上がり20周年企画」で出演を果たした。なお、朝日放送などのテレビ朝日系列局制作番組には出演している。そして、翌年の2010年10月9日の特番で約15年ぶりに冠番組を持った。

2012年3月24日に、テレビ朝日とよしもとクリエイティブ・エージェンシーから、アメリカ合衆国のテレビ番組制作会社「ワーナー・ブラザーズ・インターナショナル・テレビジョン・プロダクション」と共同で世界展開することが発表された。米国4大ネットワークにおいてのレギュラー番組化を目指すという[2]

主題歌

オープニングテーマ
歴代エンディングテーマ
挿入歌
  • 特車隊の歌-特車隊の歌(最終レースパドックにて使用)

スタッフ

  • 企画:杉本高文(明石家さんま)、笠博勝
  • 構成:堀田延鈴木弘康(ECLIPSE)
  • ナレーション:国吉伸洋、田畑祐一(共にテレビ朝日アナウンサー)
  • TD:有泉重正
  • カメラ:木原吉昭
  • MIX:小池幸宏
  • 音声:小出雅三
  • 映像:監物直
  • 照明:高見光平
  • PA:ロッコウプロモーション、共立
  • 中継SW:山内克彦
  • 中継カメラ:西山和伸
  • 中継映像:笹川貴夫
  • 中継音声:小田哲也
  • 中継照明:弓削和幸
  • ロケ技術:纐纈晃浩、長塚史規、七沢甲
  • 美術:黒田信彦
  • 美術進行:内村和裕、宮内佳子、小島透
  • 大道具:高田一則、小塚信人
  • 小道具:長谷川剛、石井周次
  • 電光板:テルミック
  • メイク:杉山和子、高橋明美
  • タイトル:安田達夫
  • マルチ:HIBINO
  • 編集:長谷川一彦、北村英人
  • MA:飯森昌信、内形卓矢
  • 効果:中山孝継
  • TK:吉条雅美
  • 技術協力:TSPテレテック
  • 協力:リップ
  • 広報:太田正彦
  • 制作進行:加藤守啓、丸山博一、中野光春
  • ディレクター:杉村全陽瀬戸口修、小林巌(NAVI)、河口勇治/梅沢文也、志岐誠、守屋吉謙、太田淳一三木康一郎
  • プロデューサー:湧口義輝/見山欣也(NAVI)
  • 制作協力:NAVI
  • 制作著作:テレビ朝日

ネット局

関連項目

脚注

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  1. さらに11年後の『笑いの金メダル』の収録中にまたしても江頭は下半身露出を犯し、番組自体の出入り禁止処分と番組リニューアルから『大改造!!劇的ビフォーアフター』のレギュラー放送再開までABC制作の日曜20時枠は迷走した。
  2. テンプレート:Cite news
  3. 開始から半年間は火曜21:00〜21:54の放送。後番組に「火曜サスペンス劇場」の同時ネット

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