コント赤信号
コント赤信号(コントあかしんごう)は、3人からなるコントグループ。略称は赤信号。
メンバー
概要
明治大学の落語研究会の同期だった渡辺と小宮がお遊びでコントをやっていたところに、2人とともにテアトル・エコー研修生だった石井が加わり、3人で1977年10月からコント活動を始める。国立音楽大学の学園祭の司会とコントをしたときに、初めてコント赤信号を名乗る。グループ名は渡辺が命名した[1]。
1978年にテアトル・エコー研修生の3人がコント太平洋の紹介でストリップ『渋谷道頓堀劇場』へ赴いて杉兵助に弟子入り。1978年11月に正式なプロのコメディアンとなり、杉の書く幕間コントに出演して修業を積んだ[2][3][4]。
コント赤信号の解散が決まっていたところに、『田端グループ』(ゆーとぴあ・ホープ一門)のホープの提案によりゆーとぴあのコント大会に参加することになり、それまでの杉兵助の書いたコントに代わり、解散前に1本だけのつもりで渡辺が書いた台本を元に3人で練り上げた暴走族コントを始める。渡辺をリーダーにして、スタイルに変更したコントは評判も良く[2]、杉兵助の進言により『花王名人劇場』(東阪企画・関西テレビ)で1980年にテレビデビュー[3][5]。その後に出演したゆーとぴあのコント大会の前の1週間でホープからコントの基本を叩き込まれる[6]。志生野温夫によると、『おはよう!サンデー』(日本テレビ)が初レギュラーとのこと。
1984年には「赤信号劇団」というラサール石井、渡辺正行、小宮孝泰らコント赤信号オールメンバーにより旗揚げされる。初演演目『マゼランブルー』(鴻上尚史作・演出)
赤信号を有名にした暴走族コントは渡辺が設定を考案し、「福助の足袋」「丸井よ」のフレーズや偏差値ネタは渡辺が書いた台本が基本となっている[7]。「兄貴!兄貴!」「待たせたな」等のギャグは、ホープが考案して赤信号に授けた [8]。特に「待たせたな」は、今でも希に用いる。
渋谷道頓堀劇場時代に澤田隆治プロデューサーから石井光三を紹介されて、石井光三オフィスに所属[9]。リーダーの渡辺は円満独立(暖簾分け)している。
ネタ番組の減少のため赤信号3人による活動はほとんどなくなり[10]、現在は主に、それぞれピンで芸人・脚本家・演出家活動などしているが解散はしていない。近年では「伊東四朗一座」(伊東が出演しない場合は三宅裕司主催で「熱海五郎一座」となる)で3人が揃って出演する機会が多い。
3人別個にテレビドラマ『3年B組金八先生』にも出演した。特に石井は1999年放送の第5シリーズで、生徒に暴行され休職する教師という、物語上重要な役柄を演じた。渡辺と小宮も2007年放送の第8シリーズで保護者役(小宮は1999年放送の第5シリーズにおいても保護者役を演じている)を演じた。
2003年12月20日、石井と小宮がレギュラー出演していたアニメ映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE2 UFO襲来! トルネード大作戦!!』に、渡辺がゲスト出演。声優として3人揃って久方ぶりに登場した。
2009年1月1日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』にて、約20年振りに3人揃ってのコントを披露し、その後毎年コントを行っている。2013年1月には、笑点の演芸コーナーにも出演し、コントを披露した。
M-1グランプリでは、毎年渡辺か石井が審査員を務めるのが慣例となっていた。2005年の第5回大会では両者が審査員を務めた。
出演番組
テレビ
- ジョークドキュメントBBS放送局(中京テレビ)
- オレたちひょうきん族(フジテレビ系)
- おはよう!サンデー(日本テレビ系)
- うるとら7:00(日本テレビ系)
- 流れ星佐吉 第18話「とんだ情けの大道中」(関西テレビ系)
- ドラマ23(TBS系)
- 「コント赤信号の東京恋愛事情」
- 「コント赤信号のゴールドラッシュ」
- 「ピンク色のメイドさん」
- サタデーナイトショー(テレビ東京)
- お笑いベストテン(テレビ東京)
- 電動アシスト自転車でどこまで行ける?人生充電の旅 還暦目前 コント赤信号が行く旧東海道小田原から箱根越え編(2014年8月5日、BS朝日) - 旅人
出典
- ↑ ラサール石井『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM-1まで』角川SSC新書、2008年、pp.20-22
- ↑ 2.0 2.1 西条昇『東京コメディアンの逆襲』光文社文庫、1998年、pp.64-66
- ↑ 3.0 3.1 小宮孝泰プロフィール 小宮孝泰公式サイト内
- ↑ 石井(2008)、p.28
- ↑ 石井(2008)、pp.42-43
- ↑ 石井(2008)、pp.44-46
- ↑ 石井(2008)、p.40
- ↑ 吉川潮『コント馬鹿 小説<ゆーとぴあ>ホープ』芸文社、2010年
- ↑ 石井(2008)、pp.57-58
- ↑ 石井(2008)、p.97