ゆーとぴあ

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ゆーとぴあは、日本のコントコンビである。活動時期は、19781989年19962008年ゴムパッチン芸で一世を風靡した。ライムライトニュースタッフエージェンシーサワズカムパニー三木プロダクションに所属していた。

メンバー

概説

第1期(昭和期)

1978年浅草松竹演芸場で結成。ピースが口に咥えた極太ゴム紐をホープが引っ張り、顔面に直撃させるゴムパッチン芸で、一躍脚光を浴びた。

花王名人劇場』への初出演を前に、澤田隆治プロデューサーと「よろしくネ」のポーズやゴムパッチン芸を改良し、学園ドラマ風の掛け合いから、生徒(ピース)に咥えさせたゴム紐を教師(ホープ)が引っ張りつつ、

人生は長いようで短い。短いようで長い。そう、この1本のゴムのように…
「さあ、人生を噛み締めろ」
「人生は、長い、長い、道のりを歩かなければならない」
「人生とは、痛みに耐えるものなんだ」
「人生は厳しい。そして、人生は2度ある」

…等と説教するツカミを加えて、人気を不動のものにする。

ゴム紐が伸び切ったところで生徒がすかさず口を開き、教師に逆襲するというバリエーションもある。ゲストやを相手に敢行する場合もあり、誰もが痛がることから察するに、実際に相当痛い模様。

コマーシャルにも多数出演するなど幅広く活躍したが、その後ゴムパッチンがマンネリ化して受けなくなったため、『ゴム地獄からの脱出』と名打ってゴムパッチン無しのパターンにも挑むが、ジリ貧に喘ぐ。

『田端グループ』の長としてホープの若手育成能力を高く評価する澤田が、東阪企画のスカウト兼教育係にと誘ったがこれを断わり、自前の芸能事務所『チャンプ企画』を設立。しかしこれが元で借金が嵩み、ホープは躁鬱病から睡眠薬ギャンブル依存症に陥って、家庭も崩壊した。

ご容態に伴う自粛」で営業が激減した事でも打撃を受け、1989年に所属事務所に無断で解散を強行。この時ホープの盟友ビートたけしの計らいで、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内で『最後のゴム』と題した解散式を行ったが、ホープはニュースタッフエージェンシーから破門を申し渡されて仕事を干され、借金苦から芸も荒れて、表舞台からフェードアウトする。

ピースは歌舞伎町のスナックの雇われ店長で糊口を凌いだ。

第2期(平成期)

ホープは『たけし軍団』に対抗し、ぼんちゃん(西田和晃)らチャンプ企画で面倒を見ていた若手を率いて『ホープ軍団』の活動を本格化したが浮上せず。写真週刊誌フライデー』の企画で、自分に多額の保険金を掛けて内戦下のアフガニスタンに渡り、ムジャーヒディーン民兵の前で慰問と称してゴムパッチン芸を披露するなど、捨て身の営業も行ったが挽回できずにいたところ、旧知のサワズカムパニーの社長と偶然再会。ちょい役を紹介される内に、グルメや温泉番組のレポーターとして定着した。

しかし舞台に未練のあるホープは、『コント百連発』(相方は轟二郎)『アッパー8』(相方は武者)を解散した弟弟子の水島びんらと『コントSOS』を組むなどしたがパッとせず、ピースの副業もバブル崩壊で行き詰まったため、ホープと義兄弟の契りを結ぶ石倉三郎の取り成しで、古巣のニュースタッフエージェンシー(渋谷道頓堀劇場)に詫びを入れ、1996年にコンビ再結成した。

ピースに学生服が似合わなくなったため、

「先生、人生とは何でしょうか」
「先生が教えられる事は、何もない。お前は人生の何たるかを知っている。先生が教えて貰いたい位だ」

…とのボケを加えるなど、ゴムパッチン芸もバージョンアップした。

『東京新喜劇21』を共同座長として率いた他、従前ピン活動も継続した。2006年公開の『トリック劇場版2』は、監督の堤幸彦が大ファンだった事から、ゆーとぴあのギャグを前提に脚本構成されており、重要な役回りを与えられて出ずっぱりで出演。これを期に人気復活するものと当て込んで、自費でグッズやCDなどを用意したが、大量に売れ残ったため、また借金を背負った。

2007年には結成30周年記念公演を行ったが、これも失敗して借金を増やし、2008年9月23日にピースが座長の劇団を旗揚げした後、10月20日にホープが一方的にコンビ再解散と、ゴム封印を発表した。

解散を知らされていなかったピースは、フジテレビのインタビューにおいてショックを受けた様子で「凍結と思っていた」「電話一本欲しかった」と述べた[1][2]

ホープは2009年4月にブッチー武者・酒井晴人激弾BKYU座長)と『ホープ軍団』を再旗揚げし、同年11月26日、下積み時代から親交の深いビートたけしの命名により『ホープ軍団』から『コント八ッ場ダム』へと改名した。

またホープは、仕事が減ったベテラン芸人や、売れない若手に活動の場を提供する『お笑い職業安定所』を主宰している。

主なギャグ

  • 「よろしく~ねっ!」
左足を右の方に蹴り上げて両腕を左横に振る、人が走るようなポーズ
初期にはレギュラーの『あるある探検隊』の決めポーズ(二人が肩を組み、手を広げて一歩前に飛び出すポーズ)に似た格好もしていた。
  • 「も~嫌っ!」
「よろしく~ねっ!」の締め挨拶版、ポーズは一緒。
  • 「先生!」「何だ生徒」「名前くらい覚えて下さいよ」「そうだったな、バカ」「バカバカ言わないで下さいよ。僕にだって名前があるんです」「じゃ佐藤」「僕は山本です」「いや、お前は佐藤だ」
  • 「血だ!」
北の湖魁皇が土俵上で同じポーズを良く見せている
  • 「おでーかんさまぁ、おねげぇしますだ」「こうなったら、一揆を起こすしかないべ」
  • 「何だ、この(陰険な)静けさは…」
滑った時に用いる自虐ギャグ。レオナルド熊の持ちネタを承継

出演情報

テレビ

『田端グループ』以外の芸人も数多く発掘・推薦してスターダムに伸し上げたが、『ラッキーパンチ』を紹介した際「ヨゴレは駄目」と見下したプロデューサーと衝突し、人気絶頂だったにも関わらず、7週勝ち抜きの時点で途中降番させられたテンプレート:要出典

ほか

城後光義

映画

オリジナルビデオ

CM

発売メディア

EP

CD

DVD

  • 『MCアンジャッシュin東京コントまつり「ゴムパッチン顔面直撃!」の巻』(竹書房2006年)ASIN B000EBDGSS

書籍

  • 『パロディギャグ大行進 ゆーとぴあの体罰教室』(双葉社なんでもプレイ百科37、1981年
  • 『コント馬鹿 小説(ゆーとぴあ)ホープ』(吉川潮芸文社2010年)ISBN 9784863960367

脚注・出典

  1. 2008年10月21日『FNNスーパーニュース』、10月22日『情報プレゼンター とくダネ!
  2. 上記のインタビューでホープは「大腸癌で余命2年と宣告された」「前歯が抜けてしまって、もうゴムを咥えられない」と述べたが、実際には短時間の内視鏡手術で済む大腸ポリープだった。

外部リンク

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