シブがき隊
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テンプレート:Infobox Musician シブがき隊(シブがきたい)は、かつて存在した布川敏和・本木雅弘・薬丸裕英によるアイドルグループ。所属事務所はジャニーズ事務所。
目次
メンバー
プロフィール | 愛称 | イメージカラー | |
---|---|---|---|
布川敏和 (ふかわ としかず) |
テンプレート:生年月日と年齢、B型、神奈川県川崎市出身 | フックン |
テンプレート:Colorイエロー |
本木雅弘 (もとき まさひろ) |
テンプレート:生年月日と年齢、A型、埼玉県桶川市出身 | モックン |
テンプレート:Colorレッド |
薬丸裕英 (やくまる ひろひで) |
テンプレート:生年月日と年齢、B型、東京都武蔵村山市出身 | ヤックン |
テンプレート:Colorブルー |
概要
- 1981年4月、TBS『2年B組仙八先生』に出演した3名により結成。 約7年後の1988年8月7日、東京厚生年金会館で解隊宣言を発表、同年11月2日をもって“解隊”した。
- 1982年5月、「NAI・NAI 16(シックスティーン)」で歌手デビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「YMF 正面突破」(YMFとはヤックンモックンフックンの略)。同期に「花の82年組」の小泉今日子・三田寛子・堀ちえみ・中森明菜・松本伊代・早見優・石川秀美らがいた。同年12月の『第24回日本レコード大賞』では最優秀新人賞を受賞、又『第33回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たした(その後紅白歌合戦は1986年の第37回[1]まで、5年連続で通算5回出演)。
- 「ZOKKON 命(LOVE)」のイントロのフレーズにアメリカのロックバンド「ナイト・レンジャー」の代表曲「Don't Tell Me You Love Me」(当時の邦題/炎の彼方)のイントロのリフをそのまま使った事が音楽雑誌等でネタにされることがあった。
- 名前の由来は「シブい“ガキ”」を意味しており、雑誌『セブンティーン』の一般公募によって『シブがきトリオ』に決定。その後まもなくして『シブがき隊』に改められた。
- あえて「トリオ」から「隊」とした意味を、メンバーは当時あるテレビ番組で「『たのきんトリオ』は『トリオ』だったけれど、ぼくたちは『隊』という形で(メンバーやファンなどの)みんなと連帯したい」などと答えていた。その「隊」へのこだわりは、前述のとおり“解散”という表現ではなく「『隊』がわかれるから“解隊”」とした点にも現れている。
- 一方で、薬丸が「メントレG」にゲスト出演した際、『トリオ』を『隊』に変えた理由として「当時、イモ欽トリオやうなずきトリオがすでに人気だったので、同一視されないように『隊』に変えた」と語っている。なお、薬丸自身は同番組で「シブがきトリオ」という名称を当初はあまり好んでいなかったことも明かしている。
- ちなみに、一般公募以前は正式名称が確定しておらず、テレビ東京『ザ・ヤングベストテン』の中では「Aチーム」と呼ばれたり(Bチームは少年隊)、『2年B組仙八先生』に出演していた事から「仙八トリオ」などと呼ばれていた。
- 当初は薬丸がセンターの立ち位置だったが、途中から本木がセンターになった。
- 結成当初、センターに立っていたことから、薬丸は他のメンバーに冗談ぽくリーダーと呼ばれることがあった。しかし実際には、特にリーダーは誰だということは決まっていなかった。
- バックバンドは「シブ楽器隊」という名前であった。バンド名は事務所の社長・ジャニー喜多川が命名。
- 1986年、同事務所から『少年隊』がデビューしその歌唱力とキレの鋭いダンスを見た瞬間、メンバーらは「こりゃ絶対勝てないな~」と思ったと言う。
- 解散後、本木と布川はジャニーズ事務所をすぐに離れた。薬丸は残ったものの、1年後にジャニーズ事務所を離れた。
- 解散以来、3人が公の場に揃って出たことは全くなかった。しかし、本木も布川もそれぞれ薬丸が司会の『はなまるマーケット』の「はなまるカフェ」にゲスト出演している。ただし、本木と布川は何回かプライベートで会ったことがあるそうで、「はなまるカフェ」でそれを知った薬丸はショックを受けていた。その後、本木主演の映画「おくりびと」が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した際、授賞式の翌朝、同番組でロサンゼルスより生中継にて薬丸が本木にインタビューし、久しぶりの二人の出演が実現した。 また薬丸のレギュラー番組『オジサンズ11』に布川がゲスト出演し共演を果した。
- 薬丸はシブがき隊内で浮いていたという意識が強いらしく、『速報!歌の大辞テン』に出演する際にしばしば「シブがき隊は僕と他の二人に分裂していた」という旨の発言をしていた。逆に布川は上昇志向の強い薬丸とマイペースを貫く本木の間でどう振舞うべきか困惑することが多かったという。また、薬丸はチェッカーズや吉川晃司といった続々と出てくるライバルに闘志を燃やしていたが、逆に布川や本木はチェッカーズと仲良しで、チェッカーズが住んでいた合宿所にも遊びに行っていた。それを知った薬丸は「どれだけ自分たちのファンを持って行かれたと思ってるんだ!」と憤っていた[2]。
- 2008年12月31日の『第59回NHK紅白歌合戦』に本木がゲスト審査員で出演、白組司会のSMAP・中居正広からの『シブがき隊の再結成、100%ないかもね?』とのムチャ振りに対し、冗談交じりに『そうかもね?』と応えた。
- スシ食いねェ!の曲誕生いきさつについて薬丸は、「トーク番組で間が持たないときに布川が『スシ食いねぇ!』とよく叫んだのがきっかけで歌が誕生した」と話している。[3]
- 2010年の夏に布川が『ふっくん布川』として『スシ食いねェ!』を捩った『そば食いねぇ!』でソロデビュー。解散から22年ぶりの歌手活動である。
- 2011年2月21日に布川がヘイヘイヘイにゲスト出演した際、当時振り付けを覚えるのが嫌いで本番では、踊りが一番上手だった本木を見ながら踊っていたため踊りがワンテンポ遅れていたと語っている。また間にいた薬丸が邪魔で本木の踊りが見えなかったという。
- 2012年1月13日、TBS『ぴったんこカン・カン』で、スタジオゲストに薬丸裕英・VTRで本木雅弘(ドラマ運命の人の番宣で安住アナと沖縄へ)と布川敏和(妻子とともに石垣島と“シブがき島”へ)が出演と、同一番組内に解隊後初めて揃って出演となった(共演ではない)。
主な出演作品(ソロは除く)
バラエティ番組
- ザ・ヤングベストテン (1981年 - 1982年、テレビ東京)
- レッツGOアイドル (1982年 - 、テレビ東京) 司会者
- 夕やけニャンニャン (1985年 - 1987年、フジテレビ)
- 欽ドン!お友達テレビ (1986年、フジテレビ)
- 今夜見納め!これが最後のシブがき隊 (1988年、日本テレビ) 解散番組
- ザ・ベストテン (1982年-1988年、TBS)
- 夜のヒットスタジオ(1982年-1988年、フジテレビ)
- レッツゴーヤング(1982年-1986年、NHK)
- ヤンヤン歌うスタジオ(1982年-1987年、テレビ東京)
- 8時だョ!全員集合(1982年-1985年、TBS)ゲスト出演
- ミュージックステーション(1986年-1988年、テレビ朝日)
- 志村けんのだいじょうぶだぁ(1987年-1988年、フジテレビ)
テレビドラマ
- 2年B組仙八先生 (1981年 - 1982年、TBS)
- 女7人あつまれば (1982年 - 1983年、TBS) 暴走族「黒蜥蜴」のメンバーという役柄
- 源さん(1983年5月16日~9月26日、日本テレビ、月曜スター劇場)
- 噂のポテトボーイ (1983年10月13日~1984年3月29日、TBS)
- オールスターアイドルドラマ「走れ青春42.195キロ」 (1984年4月11日、テレビ東京)
- ふたりの恋人・殺し屋から愛をこめて!~ロマンチック連続殺人 (1984年8月18日、TBS)
- シブがき隊のスシ食いねェ!(1986年5月5日、フジテレビ、月曜ドラマランド)
- さよならは一度だけ…(1988年11月4日、フジテレビ、男と女のミステリー)
映画
- ボーイズ & ガールズ (1982年7月10日公開、東映)
- 三等高校生 (1982年12月18日公開、東宝)
- ヘッドフォン・ララバイ (1983年7月16日公開、東映)
- バロー・ギャングBC (1985年4月27日公開、東映)
ラジオ
- シブがきトリオ 夜をまるかじり! (ニッポン放送)
- シブがき隊 ホット!ヒット!!はっと?! (ニッポン放送・おりも政夫との共演)
- シブがき隊 青春キャッチボール (TBSラジオ)
- シブがき隊 マジジェネレーション (TBSラジオ)
- ライオン リクエスト30・シブがき隊の俺たちマジだぜ! (文化放送)
- シブがき隊のスーパーギャング (TBSラジオ・1986年4月~9月、木曜担当)
CM(ソロは除く)
- ハウス食品「リトルボール」 (1982年のグループ初CM)
- ハウス食品「おにぎり囃子」
- ハウス食品「コロコロリン」
- ハウス食品「グーチョコパー」
- 牛乳石鹸共進社「ラブジュ」
- 牛乳石鹸共進社「牛乳石鹸」(進物用キャンペーン)
- サクラクレパス「ふちどりMARKER・メタリック」
- 小学館「マイアイドル」
- 日興證券 (出演は無く、歌のみでの参加)
みんなのうた
- スシ食いねェ!(1985年、NHK)
ディスコグラフィ
シングル
- NAI・NAI 16(シックスティーン)(1982年5月5日)
- 100%…SOかもね!(1982年7月21日)
- ZIG ZAG セブンティーン(1982年10月28日)
- 処女的衝撃!(ヴァージンショック)(1983年2月25日)
- ZOKKON 命(LOVE)(1983年5月5日)
- Hey! Bep-pin(1983年8月8日)
- 挑発∞(MUGENDAI)(1983年10月13日)
- サムライ・ニッポン(1984年1月15日)
- 喝!(カツ)(1984年3月30日)
- キャッツ&ドッグ(1984年6月1日)
- アッパレ! フジヤマ(1984年7月7日)
- べらんめぇ! 伊達男(ダンディ)(1984年10月3日)
- 男意ッ気(イッキ)(1985年1月11日)
- DJ in My Life(1985年4月3日)
- 月光淑女!(ムーン・ビーナス)(1985年6月29日)
- KILL(1985年10月2日)
- トラ! トラ! トラ!(1986年1月22日)
- スシ食いねェ!(1986年2月1日)
- OH! SUSHI(スシ食いねェ! 英語ヴァージョン)(1986年4月10日)
- 飛んで火に入る夏の令嬢(1986年6月1日)
- 千夜一夜キッス倶楽部(アラビアンキッスクラブ)(1986年9月5日)
- 恋人達のBlvd.(ブールバード)(1986年11月21日)
- ドリーム・ラッシュ(1987年3月21日)
- 反逆のアジテイション(1987年7月22日)
- 演歌なんて歌えない(1987年11月21日)
- PSST PSST(プス プス)(1988年2月26日)
- 恋するような友情を(1988年7月15日)
- 君を忘れない(1988年10月8日)
アルバム
- ボーイズ & ガールズ(1982年7月1日)
- for'83 -We come together,we'll run together-(1982年12月1日)
- 夏・Zokkon -Memories For You-(1983年7月1日)
- Love∞MUGENDAI(1983年11月21日)
- “純情元年五月五日” ~LOVE from HONOLULU~(1984年5月5日)
- Honesty まじ(1984年12月8日)
- バローギャングBC ~From桑港~(1985年4月21日)
- エキゾティック(1985年11月21日)
- 5th ANNIVERSARY(1986年5月5日)
- 情熱的新世界 -PASSIONATE PARADISE-(1986年7月21日)
- HOROSCOPE ホロスコープ(1986年12月21日)
- NEXT STAGE(1987年5月5日)
- PSST PSST(1988年3月16日)
CD-BOX
- シブがき隊 1982-1988(CD5枚組)(2008年6月10日)