松尾伴内

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テンプレート:Infobox お笑い芸人 松尾 伴内(まつお ばんない、1963年5月3日 - )は、日本のタレントレポーター。本名、松尾 憲造(まつお けんぞう)。

長崎県大村市生まれ、東京都目黒区育ち。新潟県新潟市在住。血液型A型。オフィス北野所属。東京都立桜町高等学校卒業。

主に明石家さんまから「松ちゃん」「ばんち(伴内の読み違い)」などと呼ばれている。

妻は女優栗林知美。2005年に双子の男の子が誕生。

来歴・人物

漫才ブームで人気芸人となったビートたけしに着目し、弟子入りするためにニッポン放送の通用口付近でいわゆる“出待ち”をした。しかし、人見知りである松尾は声を掛けるきっかけが掴めず、『ビートたけしのオールナイトニッポン』収録後のたけしをただ見送ることが続いた。松尾の存在に気付いた高田文夫は、たけしに「タケちゃん、あいつ(松尾の事)ヤバイよ」と警告していたという。

また、松尾が切迫した表情でたけしに近づき(たけし曰く「刺されると思った[1]」)、弟子入りを志願し3番弟子となる。初期はその異常性を前面に出して注目されており、1983年には景山民夫に(たけしに続く有望株として)「鶴ちゃん(片岡鶴太郎)、文珍、松尾ぐらいかね」と挙げられたりしている(「極楽TV」)。1982年、たけしの内弟子時代に「オレたちひょうきん族」でデビュー。初出演回のコントで粉まみれになり、いきなり洗礼を受ける。

近年は、ビートたけしよりも明石家さんま小堺一機との仕事が多い。一時期、外部修行としてさんまの付き人を務めていたこともあり、さんまとはプライベートでも非常に親しい間柄である。また小堺とは年に1回、小堺主演の舞台で共演。20年以上出演を続けており、2014年現在、同公演では最も古株のキャストである。

40代のベテランであるにも関わらず、「まだ若手ですから」と言う。リアクション芸は芸能界でも1、2を争う。

有名なのは新幹線の売り子さんの「○○円になります」の言葉に驚いたという話。さんま絡みの仕事では、「あいうえおの、お」→「おーっ!!」などの掛け合いがお馴染みであるが、これは『痛快!明石家電視台』(毎日放送)から生まれたものである。また、明石家電視台出演時には、さんまと同じ新幹線に隣同士で乗って移動しているが、延々互いに喋り続けるので他の客が迷惑していると宮迫博之らから突っ込まれている。このネタは明石家メンバーで行くカラオケで作られる事も多いという。

また、他の番組では普通の服装をしているが、『痛快!明石家電視台』では度々乙女チックな衣装で登場し、さんまのツッコミに対して「男女兼用でございます」と答えるのがお約束のネタとなっている。

妻の栗林とは、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』での共演(栗林はイメージガールとして出演していた)で知り合い、松尾が散々栗林にアタックをし続けていた。結婚は、松尾が栗林とデートの約束をしていたが彼女は忘れており、何と松尾が10時間近く同じ場所で待ち続け、それを知った栗林が結婚を申し入れたといわれている。たけし曰く「よく松尾なんかと結婚する気になったなあ、あいつは家に最初に彼女を連れてきて都はるみのビデオをいっしょに見せられるんだぜ。結婚なんて一生できないとおもってたよ」(週刊ポスト「21世紀毒談」より)。その後、双子の男の子2人が生まれるが、育児疲れにより新潟県の実家に帰ってしまった栗林のために実家の近くに家を建て、そこから仕事に通っている(「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー2008」より)。ただし近年は、東京都内に月に約6万円のアパート(ガスをつけるのもかなり特殊な方法で、本人曰く「バランス釜 」というものらしい)で単身赴任をしており、「お前は芸能人やろう」とさんまに注意された。また、新潟へは月1回ほど帰って、子供達と会っている。

ピーナッツアレルギーを持っており、ピーナッツの入った料理を食べただけでも失神する。魚介類も苦手で、『朝だ!生です旅サラダ』の中継レポーターをラッシャー板前に譲っている。

くりぃむしちゅー上田晋也に似ているのをネタにしており、逆に上田も松尾に似ていることをネタにしている(上田が自身の番組で松尾の真似をすることもあるが、海砂利時代に舞台上で「松尾伴内です」と自己紹介ネタを披露していた)。『明石家電視台』のエンディングコーナーでは、上田が松尾になりきり、松尾本人とともに「ダブル伴内」として登場したことがある。そして二人同時に「どちらも男女兼用です。お求め易いお値段です」と言っていた。また最近では、明石家定食である「答えが間違えているのに何度も聞く」を上田が実践している。

そんな礼儀正しい性格だが、たまにタメ口を言ってしまい怒られた事があったという。師匠のビートたけしに食事に誘われた際、「○○食べたいか?」と聞かれ、「ああ」と言い、たけしにこっぴどく怒られた経験を持つ。また、温厚な小堺一機にもタメ口を使った為、小堺から、「今後もそういう風な言い方で呼ばれるんだ」と落胆してしまったという(しかし、それからは敬語で接しているという)。明石家さんま曰く、「わざとではない」と言う事。

食事方法も変わっており、普通の男性のようにがっつりと食事をとらず、チマチマと食べている。例えばロケの際にメロンパンをもらっても、袋から5mm~1cm四方のサイズにちぎって食べる。また、『明石家電視台』終わりの新幹線の中でも、弁当を食べる際はおかずを一口食べて、蓋を閉めてまた食べるという変わった食べ方をするという。

エピソード

  • アパートでそのまんま東(後の宮崎県知事)と同居していた頃、自分の持ち物を押入れにしまい込み、扉の襖に外から鍵をかけていた(東に無断で使われるのを防ぐため)。
  • 入門当時の芸名は本名の『松尾憲造』だったが、1984年の一斉改名の際に現在の芸名に改名した。
  • 若白髪であることを気にしており、毛染めを欠かさない。『ビートたけしのオールナイトニッポン』では、たけしから「ビゲンの鬼」などと呼ばれ、色の選定に失敗したことなどを突っ込まれていた。
  • 11PM』の1分間のお色気コーナーを必死で毎回録画し、60分テープ分にした。
  • だいたひかるの住居のリフォームをレポートした際、のらくろの弁当箱を発見。テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」への出品を勧めた。その後だいたは番組出演に際しその弁当箱を持参。15000円の高値がつき、松尾の眼力に評価が高まった。
  • 松尾の芸能生活10周年に本人が作詞作曲を行い、自費出版で演歌のCDを出したが、それを知ったビートたけしから「そんな事をするより、お笑いをやれ」と怒られ、ビンタの鉄拳制裁を喰らっている。
  • 明石家さんまによると、女優の穂花のファンであるとのことである。
  • 有吉弘行は芸能界リアクション芸人四天王のひとりに松尾をあげている。ちなみに他は出川哲朗ラッシャー板前上島竜兵
  • 南明奈とは遠い親戚である。

メディア出演

テレビ

現在のレギュラー

特番

過去のレギュラー

ドラマ

CM

舞台

映画

CDシングル

  • 別れ雪
  • 悲しみ花

脚注

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外部リンク

  • 『オールナイトニッポン』放送開始20周年記念特別番組『ALL DOGETHER NOW(オール・ドゲザー・ナウ)』(1986年10月1日