プロダクション人力舎
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox プロダクション人力舎(プロダクションじんりきしゃ)は、お笑い芸人専門の芸能事務所。
沿革
1977年(昭和52年)、19歳からお笑いタレントのマネージャー一筋だった玉川善治が設立。社名は「人の力の在り処」というヒューマンな意味と駄洒落を込めている[1]。設立当初は、劇団東京乾電池が所属、その後もシティボーイズ、マギー司郎、竹中直人、中村ゆうじ、B21スペシャルなどを世に送り出した。またどこの事務所にも所属していなかったとんねるずもデビュー前に誘われたことがあった。設立当初はキャバレーの仕事が多く、お笑いが徐々にテレビ番組へと移行していく端境期だった。玉川は45歳になるまで、所属タレント全員のマネージャーとしてスケジュール管理などを行っていた[2]。
1992年(平成4年)、シティボーイズやB21スペシャルが独立させた際に戻ってきた資金で[2]、若手芸人育成を目的として東京初のお笑い専門学校「スクールJCA」を設立した。現在、テレビ番組を中心に活動している所属タレントのほとんどが同校出身者である[2]。
2010年(平成22年)6月に玉川善治が死去し、玉川大が代表取締役に就任。
社風
「お昼過ぎにお腹がすいたら出社、六時には退社、土日祝日はきっちり休み」という噂が流れたほど、社風は大らかで緩い。そのためか、所属人数は他事務所に比べて圧倒的に少ないものの、各芸人の個性が育っている。
この事務所は芸人を売れるように育てようという意識がなく、スクールJCAを出たとしても(スクールJCAから芸人になれるのは数組程度であるため、JCAの場合はデビューまでが厳しいといえる。JCA卒業後、他の事務所に移籍する芸人もいる。)、自力でプロモートをかけなくてはならない。「独立してこそ一人前」という説があるが[1]、実際は、光浦靖子(オアシズ)によれば、玉川が「タレントが月1000万円以上稼ぐようになると売り方が分からなくなる」といい、虻川美穂子(北陽)が「大物、稼ぎ頭になったタレントを置く気が無く、大竹まことさんや、B21スペシャルも追い出されるように、独立させられた」と証言するように、売れたタレントに移籍を奨めていたという。実際、シティボーイズ、B21スペシャルらは独立したが、1990年代以降は売れて移籍した芸人はほとんどいない。ただ、簡単に独立できるわけではなく12ヶ月連続で月収1000万円以上が続く事が絶対条件である。また、マネージャーと共に独立した場合はそのマネージャーの最初の給料は玉川が決めていたという。マネージャーがそのタレントとの独立を望まない場合は人力舎に残ることも可能である[3]。
上下関係は先輩に対して「さん」付けしなければいけない程度で厳しくなく、先輩のアンジャッシュやアンタッチャブルにおぎやはぎはタメ口で話すなど、芸人の間でも先輩後輩としての区切りを意識していない(TV出演時は別だが、先輩が後輩を厳しく注意することはない)。一時、入ったばかりの新人が先輩芸人に必要以上に挨拶をしていたらしいが、おぎやはぎ矢作が「それ(挨拶)をやめさせろ」という発言をしたらしく、最近は以前以上に上下関係がなくなったとの情報もある。これは「必要以上に先輩というだけで気を使わせないため」「恐怖政治のような上下関係は笑いにおける妨げになる」という矢作なりの考えがあってのこと[4]。また、ライブの関係者席に知らずに芸人が座って叱られたり、など、しきたりやマナーについても指導される事があまりなく無頓着である[5]。ただし、他の事務所の芸能人と共演する際は先輩への挨拶・敬語等が不可欠なため、東京03が『オールスター感謝祭』に出演した際、司会の島田紳助から事前に挨拶がなかった事で生放送中に恫喝され、その一件がスポーツ新聞の一面に報じられた事がある[6]。また、それ以前にも大水洋介(ラバーガール)が「切り替えが難しい」と語るなど[7]、独特の苦労もあるようである。
おぎやはぎ所属以前の人力舎は、今のアットホームな雰囲気はなく、芸人同士の会話も皆無であり険悪で荒んでいたと言われていた。彼等が入ってきてから、おぎやはぎ(特に矢作兼)が芸人間を取り持って和やかな雰囲気を保ち、一つに纏め上げた。東京03はそれを「人力舎の三大革命」の一つとして語っている。
所属芸人は、漫才よりもコントもしくは漫才コントを得意としているコンビ・グループが多い。そのことから「コントの人力舎」と称される事がある[8]。代表例として、東京03とキングオブコメディがキングオブコントを制覇するなど、実力は高い。その影響か「バカ爆走!」を始め事務所のライブでは普通のライブとは異なり、芸人が登場する際に拍手をしないのが定着している[9]。また、アンタッチャブルがM-1グランプリを制覇するなど、漫才の実力の高い芸人もいる。
給料に関してはアンタッチャブルが「笑っていいとも!」(フジテレビ系列)出演時に「事務所がもっていく分は4割ほど」と発言している。他のお笑い専門の芸能事務所と比べると芸人がもらえるギャラの比率が高いようで、松本人志、高須光聖によるラジオ番組「放送室」2006年10月7日放送分で松本が「吉本やホリプロは低いが、人力舎(のギャラ)はやっぱ凄いらしいで」と発言している。松本と食事を共にした人力舎所属のある若手芸人は「もうお金はいらない」と豪語していたと語り、松本曰く「吉本であそこまで稼ぐのは相当大変」と事務所間のギャラの配給制度の差に感心していた。ただし、コンテストなどの賞金も4割持っていくらしく(他事務所では賞金は全額タレントの取り分という場合が多い)、M-1グランプリで優勝したアンタッチャブルは賞金から約400万円持っていかれ、事務所のリフォーム費用として使用されたと語っている。東京03とキングオブコメディもキングオブコントの賞金を同様に4割引かれた。
年に一度のペースで刑務所慰問も行っている。
不祥事
2010年(平成22年)に東京国税局から前年9月までの4年間で約2億4千万円の所得隠しを指摘され、重加算税を含めた追徴税額、約1億円を修正申告した。[10]
主な所属タレント
- ビシバシステム(住田隆、ふせえり)
- オアシズ(光浦靖子、大久保佳代子)
- アンジャッシュ(児嶋一哉、渡部建)
- アンタッチャブル(山崎弘也、柴田英嗣)
- ドランクドラゴン(鈴木拓、塚地武雅)
- 北陽(虻川美穂子、伊藤さおり)
- おぎやはぎ(小木博明、矢作兼)
- 東京03(豊本明長、飯塚悟志、角田晃広)
- キングオブコメディ(今野浩喜、高橋健一)
- ラバーガール(飛永翼、大水洋介)
- エレファントジョン(加藤憲、ガッテン森枝)
- 鬼ヶ島(アイアム野田、おおかわら、和田貴志)
- S×L(加藤翔平、酒井啓太)
- 本田兄妹(ひでゆき、あやの)
- リトレイン(瀧音圭輔、速水優)
- ブルーセレブ(内間一彰、丸山雄史)
- イシクラノオノ(石倉竜馬、小野大樹)
- ピテカントロプス(大和田匠、中村聡)
- 巨匠(岡野陽一、本田和之)
- ザンゼンジ(三福英敬、武田裕司)
- ドリーマーズ(戸谷秀一、坂本崇裕)
- ワルステルダム(松尾美梨亜、大久保真生)
- ジプシーダンス(篠田俊、前田涼)
- 竹内兄妹(経宏、夕乃、いく実)
- 敏感-ファイル(服部敬太、柘植達大)
- おすし(桜井雅俊、鐘ヶ江祐一)
- ザ・フライ(井村俊哉、雨宮龍也、今野和人)
- からあげディスコ(茶野繰世、要田佑介)
- サービス(平岡隼馬、井上正太、坂口晋)
- 地球(さこうけいじ、マントル一平)
- アンゲラー(桑原和也、酒井貴裕)
- 南風(岩木康平、河田知広)
- モダンボーイズ(類家大地、長岡大喜)
- リンゴスター(小川裕史、平田俊之、高野尚之)
- レトロ小町(木村成希、吉澤宏明)
- スパナペンチ(永田敬介、高橋諒哲)
- 真空ジェシカ(川俣岳、川北茂澄)
- ピレニーズ(小島大輔、吉岡慶)
- フルパワーズ(大内崇史、福永洋一)
- サムライ日本(花村多賀至、池島美樹、及川のび太)
主なJCAプロモーションタレント
- マロンフェスタ(中村紀之、栗須公一)
- じぐざぐ(阿部未来、ジャンプ)
- フライアウトワンマン(真野暁良、しゅうえい)
- インべージョン(小橋川共佑、翁長玄)
かつて所属していたタレント
- シティボーイズ
- B21スペシャル
- 金谷ヒデユキ - 後に81プロデュースに移籍。
- パワーズ - かつて須間一弥と火野玉男(現在の堀部圭亮)が組んでいたコンビ。
- 東風 - かつて活動していた山田尚(現:やまだひさし)・藤岡太郎によるコンビ。
- Z-BEAM - かつて阪田マサノブと前田真之輔が組んでいたコンビ。
- キリングセンス - かつて河崎健男と萩原正人によって活動していたコンビ。後にタイタンに移籍。
他、多数。
関連項目
- ビジトジ
- スクールJCA
- Template:テレビ静岡制作水曜24時35分枠 - テレビ静岡制作(一部ローカル局に番販あり)で、人力舎芸人メインのローカル番組枠。毎年、夏頃より新番組が2クール放映される(オフは過去番組のリピート)。
脚注
外部リンク
テンプレート:日本音楽事業者協会- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite webテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 柴田英嗣(アンタッチャブル)の『JUNK』での発言より
- ↑ お笑いタイフーン! vol.14より
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 『東京スポーツ』2009年9月15日付、14面
- ↑ 2006年12月号「日経エンタテインメント!」(日経BP社)
テンプレート:Cite journal - ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ