刑務所
刑務所(けいむしょ)は、法令に違反し、裁判などの結果、刑罰に服することとなった者を収容する刑事施設である。
歴史
刑罰としての拘禁は13世紀ころから用いられるようになり、宗教裁判の広がりと共に頻繁に行われるようになったが、その当時は修道院などを一時的に使用する場合が多く、刑務所、あるいは牢獄といえば裁判を待つ未決囚や執行を待つ死刑囚などを拘禁する場所を指した。当初は長期の拘禁を予定していなかったため、裁判所庁舎などの地下などに簡易的につくられた非衛生的なものが多かった。
現代の刑務所に相当する施設は16世紀ごろから出現したとされ、ロンドンのブライトウェル宮殿やロンドン塔、アムステルダムの懲治場、バスティーユの城塞を使用したものなどが代表的である。やがて、軽罪者らの罰金や債務支払いを強制するための身柄拘束施設としての役割も持ち始め、牢獄などと融合しつつ刑事施設化していった。また、死刑の縮小に伴い広がっていたガレー船漕奴刑や植民地流刑は、18世紀ころには、植民地の独立や帆船の出現など社会情勢の変化と共に衰退していき、受刑者の拘禁施設の建設の必要性が高まっていった。一般に、このころの刑務所は、1703年にクレメンス11世が建設したサンミケーレ感化院など一部の例外を除き、非衛生的で悪弊に富んでいたため、受刑者の人権を確保するための運動が行われるようになった。有名な運動家としてジョン・ハワード(John Howard)などが挙げられる[1]。
19世紀にはいると自由刑が刑罰の中心に座るようになり、各地で本格的な刑務所の建設が行われた。主な刑務所の制度としてはオーバーン制(独居拘禁制)とペンシルベニア制(共同拘禁制)の2種類があり[2]、アメリカ合衆国ではオーバーン制が、ヨーロッパではペンシルベニア制が採用され広まった。やがて、所内に近代的な工場を持つものや、金網のフェンスのみでコンクリート塀のないもの、高層ビルディング形式のものなど、監獄のイメージを払拭するような刑務所も誕生していった。
第二次世界大戦後、国際連合は刑務所全般の非衛生的環境、非人間的な強制労働、奴隷的な待遇の改善のために『囚人の待遇に関する最低限の基準』を採択した。これは1951年7月31日と、改めて1977年5月13日に国際連合経済社会理事会の会合で承認された。[3]また、国際連合薬物犯罪事務所は障害、とりわけ精神障害者、社会的少数者を始めとした特別な配慮が必要な社会的弱者の人道的配慮のために、国際人道法、国際人権条約や文書を踏まえた『手引書』を作成した。[4]
機能
刑務所は刑を執行される場所という機能が大きい。刑は禁固刑から懲役刑、死刑などの身柄が拘束されるものに限定される。罪の償いを行うべき場所であり、それが前提で運営されている。ただし、社会復帰が見込まれる者に対してはそのための支援が行われる場合もある。なお、市民的及び政治的権利に関する国際規約の第10条第3項は『刑事施設の目的が更生と社会復帰である』ことを明記している。また、拘束の程度も各国でまちまちであり、ペルーで反政府活動により禁固20年の刑に服していたロリ・ベレンソンの例では、獄中結婚のほか出産も行っている。
日本において死刑囚は刑務所には収容されず、死刑執行施設がある拘置所(札幌刑務所・札幌拘置支所、仙台拘置所、東京拘置所、名古屋拘置所、大阪拘置所、広島拘置所、福岡拘置所のいずれか)に収容される。
入出所
テンプレート:節スタブ 刑法犯罪についての矯正教育はほとんど行われていない、刑務所に執務する常勤心理職は主に判決後の処遇場所の決定などに参与する。ようやく近年になって、非常勤の臨床心理士を採用し矯正教育を行うようになり始めた。少年犯罪の重罰化の中で、少年院から少年刑務所への処遇変更に大きな抵抗があったのは、川越刑務所などの少年刑務所において矯正教育の体制が整えられていなかったからである。これらの矛盾は現場の刑務官や職員の努力によって克服されつつある。刑務所の存在について教育刑的な制度は未整備な状態にある。
周辺地域への影響
刑務所が周辺地域に与える影響として、脱獄からくる社会的な不安や治安の悪化などが一般的に懸念され、刑務所建設などで地域住民による反対運動が行われることが多いが、地方自治体などでは、日本国内における脱獄事件が近年では皆無であること、「刑務所職員および家族の移住などに伴う人口増加」、「刑務所内の物資購入などの消費活動の増加」、「就職先の拡大」などのメリットをアピールし、刑務所のイメージ向上に務めている。また、周囲の壁の色や収容棟の塗装を明るくしたり、網走刑務所のように、観光名所の一つとしてアピールしたりする所もある。
一方、アメリカでは、過疎の農村に誘致された刑務所は受刑者の家族の訪問を困難にさせ、受刑者と家族の結びつきを弱め、出所しても帰る所がないためにギャング集団の一員になってしまうという問題や、刑務所の誘致による地域活性化にしても、看守や施設管理の仕事は訓練や技術力が不足している地元民には回ってきにくく、刑務所で消費される生活物資は大企業から供給されることが多く、安価で従順な受刑者による刑務作業が近隣住民の労働力と競合するという問題が発生しているといわれている[5]。
刑務所廃止論
刑務所は人権侵害といった弊害があることから、刑務所を廃止すべきだという主張が存在する。(『en:Prison abolition movement』を参照)
アメリカの社会学者アンジェラ・デイヴィスは、学校教育の改善・懲罰や復讐ではなく補償と和解にもとづく裁判制度・麻薬使用の非犯罪化と麻薬依存治療プログラムの充実などで刑務所を廃止できると主張している[6]。
暴動
脚注
- ↑ 『監獄ビジネス』 51-52頁。
- ↑ 『監獄ビジネス』 46-47頁。
- ↑ Standard Minimum Rule for the Treatment of Prisoners
- ↑ Handbook on prisoner with special needs
- ↑ 『監獄ビジネス』 146-147頁。
- ↑ 『監獄ビジネス』 113-122頁
関連項目
- 刑事施設
- 日本の刑務所
- 囚人
- 死刑
- 刑死
- 懲役
- 徒罪(徒刑)
- 禁錮
- 拘留
- 少年刑務所
- 科料
- 懲罰
- 懲罰房
- パノプティコン
- 集治監
- 仮釈放
- 留置場
- 拘置所
- 刑務官(看守)
- 差入店
- 刑務所内強姦
- 行刑密行主義
- スタンフォード監獄実験
- プリズンドッグ - 囚人が介助犬を育てる制度。アメリカの刑務所で実践されている。
- 自立準備ホーム