アンタッチャブル (お笑いコンビ)

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テンプレート:Infobox お笑いコンビ アンタッチャブルは日本のお笑いコンビである。通称「アンタ」。所属事務所プロダクション人力舎爆笑オンエアバトル第6代チャンピオン、2004年M-1グランプリ優勝者。

メンバー

山崎弘也(やまざき ひろなり)
ボケ担当。埼玉県春日部市出身。1976年1月14日生。
柴田英嗣(しばた ひでつぐ)
ツッコミ担当。静岡県静岡市清水区出身。1975年7月15日生。

略歴

1994年結成。プロダクション人力舎の運営するタレント養成所、スクールJCAの3期生同士。

1990年代半ば、『ボキャブラ天国』(フジテレビ)シリーズに出演。

1990年代後半 - 2001年には、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)、アンジャッシュとの3組で結成したユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで人気を博した。

1999年、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合テレビ)に第2回から出演。毎回高得点をマークし、注目を集める。

2003年、『M-1グランプリ』(朝日放送)で敗者復活戦を勝ち上がり、最終決戦進出(結果3位)。これをきっかけにテレビ出演が増える。

2004年、『爆笑オンエアバトル』第6回チャンピオン大会において、第4回を除くすべてのチャンピオン大会でファイナル出場するも毎回優勝を逃していたが、念願の優勝を果たした。また、北見収録回では、2004年度1位・歴代2位・自己最高の541KBを獲得している。10月から『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)にレギュラー出演。『M-1グランプリ』優勝。

2005年4月から『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日)にレギュラー出演。

2007年5月、恵比寿ザ・ガーデンルームにて芸歴15年目にして初の単独トークライブ「アンタッチャブルトークライブ『っていうか、断りゃよかった。』」を開催。2009年8月には、草月ホールにて「アンタッチャブルのシカゴマンゴ“他力本願”ライブ2009」を開催した。

2010年2月 - 2011年1月、体調不良と女性トラブル[1]のため、柴田が約1年間芸能活動を休業した。コンビでの活動は柴田の復帰後も行われておらず、現在ではそれぞれがピンで活動しており、休業前からのコンビでのレギュラー番組には山崎のみが出演している。

M-1グランプリ

2003年(第3回)大会

準決勝で敗退するも、敗者復活枠から決勝進出。敗者復活で勝ち残れると思っていなかった2人は前日、別々のところで徹夜マージャンをしていた。敗者復活決定時、おぎやはぎ小木博明はメンバー以上に喜び(あまりの喜びっぷりに山崎は「おぎやはぎが勝ち上がったのかな?」と思ってしまったほどだった)、最終決戦進出決定後には入ってはいけないはずの出演者控え室に戻ってきてしまい、最終決戦に臨むネタ(親友)も決めてしまった。最終決戦では3位に終わったが、大会委員長の島田紳助は「来年は本命じゃないかと思うくらい凄かった」とコメントを残している。

1本目「ファーストフード店」のネタでは、柴田のツッコミに対してラサール石井に「彼(柴田)のツッコミが普通ではない。僕はもう一度それを見たい。」と評された。また、このネタの一部分で2丁拳銃のネタと同じボケ(二人とも自動ドアを開けてしまう部分)をしてしまい、一時期「前のコンビがウケていたからそのギャグをやっちゃった大胆なコンビ」と思われていた。実際は、決勝戦本番中(2組目の後)に敗者復活枠が決定するため、敗者復活組が5番目前後のネタを見ることはできずに偶然かぶってしまった(木曜JUNK『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』2006年8月31日、2008年12月25日などでたびたび話題にしている)。なお、2丁拳銃はアンタッチャブルが3位になったことで4位に落ち、10年目の最後の年に決勝進出できなかった。

この頃の山崎は、柴田に内緒でくりぃむしちゅー有田へ「芸人を辞めて有田の座付き作家になりたい」と言う話を持ちかけており、M-1で優勝するまでは、本気で漫才師を辞めて作家になるつもりでいた。このことから有田は、2003年大会以降でアンタッチャブルが躍進した理由を「(やろうとしている柴田と辞めようとしている山崎という)価値観が違う2人が漫才をやったから弾けた」と分析しており、「取材でなぜアンタッチャブルが優勝したかを聞かれたときも『山崎が(漫才を)辞めようと思ったからです』と言ってる」と述べている[2]

2004年(第4回)大会

予選の段階では人力舎からはあまり期待されていなかった。しかし、いざ決勝進出が決まると事務所は急に優勝を期待し始め、M-1決勝の2日前に優勝賞金を当てにして事務所の改装工事が行われたものの、その反面「M-1決勝のネタ合わせに事務所の稽古場を使いたい」というメンバーの要望は受け入れられず、近所の公園でネタ合わせをした。この大会で柴田が着ていたシャツは、おぎやはぎの矢作兼が2001年大会の決勝進出時に着ていたシャツ。「自分たちの分も」という理由で託された。また、スーツはくりぃむしちゅーの上田に買ってもらい「これでとってこい」と言われたと当人が語っている。

同じく優勝候補とされた笑い飯の得点が表示されたとき、メンバーの予想に反して点が伸びなかったため、優勝候補とされるコンビのハードルの高さを知り、自分達も同様に優勝候補とされていたことから緊張した。実際、メンバーは出番が来るまで西田哲夫と談笑しており、笑い飯の出番直前では、まるでもう優勝が決まっているかのようなテンションで「いってらっしゃい!」と笑顔で送り出した。そのため、最終決戦進出が決まった際には「これで負けたら笑い飯に会わせる顔がない、笑い飯の分まで頑張ろう」と思ったという[3]

決勝1回戦では「娘さんをください」というネタを披露。一般審査制が廃止された第2回大会以後のファーストラウンド歴代最多得点(673 / 700点)を記録。また、唯一審査員全員から95点以上の得点を得て(最高97点、最低95点)審査員全員から単独1位評価を受けた[4]島田洋七に昨年のラサール石井に引き続き、「やっぱり、眼鏡かけてるツッコミの君上手いよ」と評されて柴田が謙遜しようとしたが、なぜか山崎が謙遜した。また、審査員の春風亭小朝に「これ以上のネタを持ってこれるか?」と心配されたが、2回戦では「息子の万引き」というネタを披露、7人中6票を獲得して優勝した。

特徴・エピソード

  • 結成当初のコンビ名は「シカゴマンゴ」だった。これは二人にコンビを組ませた(スクールJCA・お笑い養成所時代の)先輩が考えたもの。その後まもなく、山崎は独断でコンビ名を「アンタッチャブル」に変更した。映画タイトルの『アンタッチャブル』が由来である。初めてのライブ出演のとき「シカゴマンゴ」のコンビ名が出演表に書かれていなかったことから、柴田は「このライブには出られない」と思ったが、スタッフから「アンタッチャブルさん」と呼ばれ、そのときに初めてコンビ名が変わったことに気づいたという。なお、「シカゴマンゴ」は、2010年3月までに出演していたラジオ番組の名称として用いた。
  • 若手の頃、山崎は仕事に遅刻をしてしまうことがたびたびあった。柴田が占い師の元へ仕事の悩みを相談しに行くと「今のままでは相方に足を引っ張られて、あなたも潰れてしまう」と言われた。しかし、時間に遅れても舞台にやって来る山崎の姿を見て柴田はいつも感謝して泣いたと語っている(テンプレート:いつ範囲)。当時は、日村勇紀(バナナマン)やビビる大木の家へお互いに行き来することが多かったため、柴田はビビる大木と新コンビを結成しようかと真剣に考えたこともあったという(テンプレート:いつ範囲)。
  • ネタ作りでは設定を決め、まず柴田がツッコミを先に作り、山崎がそれに合わせてボケを考える、そしてその山崎のボケが面白かった場合柴田がメモをする、という作り方。
  • このネタ作りが発端で、TBSラジオの『JUNKアンタッチャブルのシカゴマンゴ』では、「ツッコミ先行宣言」という、柴田がツッコミを発表しボケの部分を聴取者から募集しているコーナーが存在した。
  • また、2人とも覚えるのが嫌いという理由で、ネタ作りでは一字一句台詞を決めるようなことはなく、要所要所のキーワードだけを決めている。その他の細かい言い回しなどはアドリブで行う。しかし、本番前のネタ合わせは繰り返し綿密に行われている。
  • 上記の理由のためか、山崎のボケで柴田が笑ってしまう事もあり、一度山崎の顔芸が柴田のツボにはまり漫才が続行できないほどになったこともある。(「目撃者」のネタで柴田が「ちょ、一回戻ろうよ、やり直す」と仕切り直したことがある)また、「出産」のネタのように山崎のボケの意味がわからずに柴田のツッコミまでに時間がかかる場合もある。
  • 芸風は主に漫才で、プロダクション人力舎の中ではずば抜けた実力を持っていると言える。早いテンポでのボケ・ツッコミともに、非常にハイテンションでの漫才を展開している。漫才のツカミの例として山崎の強引なネタの入りに柴田がしぶしぶ付き合う、柴田の自然なネタの入りに山崎が乗ってこない、仕方なく乗った柴田の役が予想外なものなどのパターンがある。 一時期『エンタの神様』(日本テレビ)で、漫才のネタをベースにしたコントもやっていた。
  • 漫才中にテンションが上がりすぎたのか、一度『爆笑オンエアバトル』において不動産をネタにした漫才では、「トイレと台所は別がいいですか?」というボケに対し「キッチンと台所が一緒の家なんて…」とツッコミを言い間違えた。しかし、本人たちはおろか、観客も気付かないままでネタが進行していったことがある。
  • 決まり文句は「あざーっす!(ありがとうございますの意味)」・「いやいやいや」など。
  • 芸風については、トーク番組などで褒められると山崎は手を横に振りながら後ろを向き「いやいやいやいや」と乗せられるリアクションを取ることが多い。それに対し、柴田は当初ツッコんでいたが、のちに揃って「いやいやいやいや」と言うようになった。また、ネタを披露する際に客席から拍手が出ると「気を使わなくて良いですよ」などと言うことがある。
  • ビートたけしからは「アンタッチャブルは言ってることは面白くないんだけど、面白いんだよね」と評されている[3]
  • 伊集院光との交流が深く、ブレイク前から『GameWave』(テレビ東京)や『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)など伊集院の深夜番組に準レギュラーとして頻繁に出演し、伊集院と息の合った掛け合いを見せた。その伊集院光とは現在も親交が厚く、伊集院主催の若手芸人野球チームの合宿には、当日の深夜に『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』の放送があったにも関わらず、参加した[5]。その際に、伊集院の「ラジオはあくまで生放送で」(つまり、草野球という私事で、本来は生放送の番組を録音放送で代替させてはならない)という意向と両立させるために、合宿所の近くにあった茨城放送のスタジオとTBSラジオを繋いで番組を生放送するという「離れ技」も行った(茨城放送は本来NRN系列局であり、同時間帯はニッポン放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』がネットされていた)。また、急遽スタートした『JUNK 交流戦スペシャル』(不祥事によりクール途中で終了となった金曜『JUNK・極楽とんぼの吠え魂』の代替番組)では、第1回放送で伊集院と緊急共演した。両者の関係の深さは周囲の芸人も周知の事実で、爆笑問題田中裕二は「(アンタッチャブルは)伊集院の弟子みたいなもんだからね」とラジオで発言していた。
  • カンニング竹山隆範との共演や絡みが多い。仲の良さから「コーヒー買ってきて」などと竹山に頼むこともあるが、竹山から「俺ら、お前らの年上で先輩だからね」とラジオ番組で釘を刺される。ほかにもアンジャッシュ児嶋一哉ユリオカ超特Qなどの仲のいい先輩に対してもパシリ扱いしたり、悪口を言ったりしている。
  • 2006年、番組で共演していた若槻千夏とユニットを組み、「チナッチャブル」名義でCDをリリースした。
  • 番組内でメンバーの顔の大きさについて(大顔と小顔)コメントされることがある。
  • 深夜番組時代の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』で「Qさま!!」判定を5個獲得し、その特典として2005年5月26日からさまぁ〜ずと2週間だけ司会を交代した。また「ダメQ」判定を5個獲得してしまい、罰ゲームで偽ヤクザの宴会に参加するというドッキリにかけられた。
  • いきなり!黄金伝説。』では様々な伝説に挑戦した。1回目は「旬のマグロを1匹食べ尽くす旬なコンビ」、2回目は「にんにくだけで10日間生活するコンビ」、3回目は「人気芸人節約バトル 1ヶ月1万円生活 最強No.1コンビ決定戦」、4回目は「1週間クリームシチューだけで生活するコンビ」、5回目は「海女さんと一緒に0円生活」、6回目は「獲ったハチだけを食べて2泊3日0円生活」、7回目と8回目は「東でサバイバル0円生活(八丈島)」。7回目の伝説の魚・カンパチを捕獲できず伝説不達成に終わったが、8回目の伝説の魚「ぺったんこ巨大魚」ことマダラエイを捕獲する時に、カンパチが罠にかかっていたのでこれを捕獲し、また本来の目的であったマダラエイも捕獲した事から、伝説とリベンジの両方を達成した。
  • コンビそろって包茎であることをカミングアウトしている。

受賞歴

出演作品

テレビ番組

2010年2月以降、コンビ出演している番組は無い。(過去VTR・再放送などを除く) 個人での活動は「山崎弘也」「柴田英嗣」を参照。

ラジオ

テレビCM

映画

PV

  • NICOTINE「DON'T ESCAPE FROM REALITIES」(2006年)

CD

DVD

脚注・出典

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  1. 【エンタがビタミン♪】アンタ柴田、長期休養の理由に「女性トラブルあった」自ら認める。相方・山崎との不協和音についても言及。(Techinsight、2012年4月23日)
  2. 木曜JUNK『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』2009年4月16日放送分より。
  3. 3.0 3.1 『お笑いタイフーンJAPAN vol.11』(エンターブレイン
  4. ただし、後にメンバー自身が指摘しているように歴代最多の9回審査員を務めた松本人志、島田紳助はこの年は審査員を務めていない。
  5. 2006年8月10日放送分より

関連項目

外部リンク

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