お笑いマンガ道場
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『お笑いマンガ道場』(おわらいマンガどうじょう)は、日本テレビ系列局ほかで放送された中京テレビ製作のバラエティ番組。製作局の中京テレビでは1976年4月から1994年3月まで放送。当初は中京広域圏を対象としたローカル番組であったが、後に全国ネットで放送されるようになった。
出演者
司会者
レギュラー解答者
- 富永一朗
- マンガ家。放送第1回目からのレギュラーメンバー。おっぱいをネタとする下ネタが多い一方で、叙情的な作品(しばしば「綺麗な作品」と呼ばれた)や、手の込んだ2コマ作品(この時はフリップの両面にマンガを描く)など数多く披露した。
- 鈴木義司
- マンガ家。番組初期(第1回放送時には参加していない)からのレギュラーメンバー。蝶ネクタイがトレードマーク。マンガ中ではよく自身を大金持ちの伊達男として描く一方、富永からは土管に住む極度の貧乏人として描かれていた。
- 車だん吉
- 放送第1回目からのレギュラーメンバー。女性レギュラーと「おまけコーナー」の担当もしていた。本業はタレントだが画力は高く、後に富永の勧めで雑誌のマンガ連載まで持つことになる。
- 志垣太郎、三波豊和
- 1985年春〜夏期にかけて車が腰痛悪化で出演できなかった時期に、2人がピンチヒッターとして出演。これ以外に男性レギュラーの交代はなかった。また、三波豊和はピンチヒッター以外で男性陣で唯一ゲスト最多出演ナンバー1という記録を樹立した。
- エバ
- 元ゴールデンハーフのメンバー。初代の女性レギュラー。
- 秋ひとみ
- 二代目女性レギュラー。番組中期を担い、当時はアイドル歌手としても活動していた。
- 川島なお美
- 三代目女性レギュラーで、番組絶頂期から後期の間を担い、4人の中では最も長く担当した。降板が決定した直後に、別の番組でロケバスの転落事故に遭い、急遽週替わりで女性タレントがピンチヒッターを務め、そのまま復帰せずに降板となった。
- 森山祐子(現・森山ゆうこ)
- 四代目女性レギュラーで、番組末期から最終回までレギュラーを務めた。かわいらしい絵を描く反面かなりの音痴で、よくネタにされていた。
他に毎回ゲストが1名(特番や、コンビでの出演で2名以上もあり)出演。中京テレビ製作のため鈴木孝政など中日ドラゴンズの選手(特に人気選手はテレビ・ラジオ出演の機会が増えることと収録時期がシーズンオフである為)がゲスト出演した回もあった。なお、回答者の席順(ゲスト1名出演の場合)は左から鈴木、女性レギュラー、車、ゲスト、富永。
マスコットキャラクター
- マガドン
- 番組絶頂期までのマスコット。アダムスキー型UFOに顔と手が付いた姿で、オープニングのアニメなどに登場した。最初は名前が無かったが、視聴者からの公募により「マガドン」と命名された。
- りゅうのすけ
- 番組後期に登場した二代目マスコットで、サスペンダーの付いた緑色のズボンを着用するピンクのワニのキャラクター。名前は先代と同じく視聴者公募作から選ばれたが、こちらは着ぐるみ姿で番組中にも登場し、ポンプで風船を膨らませるなどのアシスタント業務を行う活動的なキャラクターになった。また、非売品グッズも制作され、食器や後述で紹介される灰皿等があった。
番組内容
番組名物
- おまけコーナー(番組最末期に廃止)
- 番組最後の視聴者投稿コーナーで、車だん吉と歴代の女性レギュラーが担当(いずれかが欠席の場合には鈴木か富永が代理を務めた)。コーナー冒頭では2人による「『だん吉』、『エバ』の、おまけコーナー!」(番組初期)・「『だん吉』、『ひとみ』の、おまけコーナー!」(番組中期)「『だん吉』、『なお美』の、おまけコーナー!」(番組絶頂期~後期)・「『だん吉』、『祐子』の、おまけコーナー!」(番組末期)という掛け声で始まっていた。番組中期までは不定期的に「素人マンガ道場」で入選作(今回のノミネート)から漏れた中(今回の選外作)からだん吉の独断と偏見で面白いと思った作品を選び、それを紹介(今回のブービー賞)して「おまけ」をプレゼントしていたが、その内容は殆どの場合が投稿者が喜びそうにないような「しょうもない物」だったため、申し訳なさそうにだん吉が「もらって下さいませ〜」と締めるのが恒例になっていた。
- 「素人マンガ道場」廃止後または「素人マンガ道場」がないときはレギュラー出演者の似顔絵紹介やふつおた(普通のお便り)等となり、ふつおたの内容によってはゲストや富永・鈴木とのトークに発展するが締めは柏村が「お便り毎週たくさんレギュラー一同感謝しています」に変更された。
- 中には手紙のほか、富永一朗と鈴木義司のこき下ろしの慰めのためか現金で千円札が入っていたのもあった。しかし、番組側では受け取ることができないため、プレゼントの発送とともに千円札を差出人に送り返したというエピソードもある。
- 初期~中期は『マガトン』の口の中から「しょうもない物」を出していたが、絶頂期~末期には『りゅうのすけ』のワゴンに「しょうもない物」を乗せて運んだ。
- 「お化けナマコ」の投稿が多数寄せられたことでイラストコンテストを実施し、鈴木と富永が審査し、選定した。締めの柏村のコメントは「ぜひ、皆さんも『お化けナマコ』のイラストをお待ちしています」と言って締めくくった。
- 最末期には廃止されたが、似顔絵は引き続き募集されていた。その似顔絵は出題後の二倍速の時(回答者が全員漫画を描いている最中)に紹介されていた。商品は、りゅうのすけがデザインされた灰皿(嫌煙家・タバコを吸わない人にとっては「しょうもない物」)に統一された。
- なつかし写真館(最末期)
- 最末期のコーナー。主に番組開始当時に撮影されたレギュラー出演者の写真を紹介しており、森山の写真には弟も一緒に写っていたことがある。柏村の「オープンザカーテン」の掛け声で写真が登場していた。
- 番組で生み出された作品となるフリップボードがかなりの枚数中京テレビの倉庫に保管されていたようで、作品の一部もスタジオに持ち込まれたうえで紹介されていたこともある。
- 鈴木 VS 富永
- 番組中では鈴木と富永はライバル同士で、回答にかこつけて互いをこき下ろすネタが毎回のように見られた。内容としては以下のようなもの。
- 富永が鈴木を「土管に住んでいるやせた貧乏人」として描く。特徴的なモジャモジャ頭は鳥の巣になっていたりする。たまに彼とそっくりな女房、子供も登場し、一家で土管に住む絵も描かれる。稀に銭湯の煙突やちくわ(料理番組を題材にしたお題で、「ちくわにはちくわ虫(顔が鈴木の架空の虫)がいることがあるので注意してください」という作品)、廃坑になった鉱山の穴など、土管以外の筒もしくは穴状の物に住んでいる場合もある。怪生物「アホウドリ(実在する同名の鳥ではなく、顔が鈴木の架空の鳥)」として描かれることも。
- 鈴木が富永を「お化けナマコ」(おまけコーナーでイラストコンテストを実施)や「オオサンショウウオ」「ウスバカカゲロウ」「タラバカガニ」などの怪生物として描く。また、自身は西洋の城のような大きな洋館に住み、人の集まる場所で頻繁にお札をばら撒く金持ちとして描き、対比させる形で富永を「デブの恵まれない人」として描くこともある。
- これを逆手にとって、富永が鈴木の自宅を「ただのハリボテ」「テレビドラマ撮影用セットのように持ち運び可能」として描くこともある。
- 互いに相手を覗き、痴漢などの行為をはたらく変質者として描く。ほとんどの場合、被害者の女性に成敗されたり警察に逮捕されるオチが付く。
- ネタの後は相手の顔(鈴木は苦笑、富永は怒り顔)がズームアップで映し出される。その後、こき下ろした相手をさらに上回るネタで反撃に出ることも多い。
- 番組後期にはだん吉も加わり(巻き込まれ)、鈴木や富永からゴリラとして描かれる(富永からは稀に便器として描かれたこともあった)一方で鈴木を「イヤミな大金持ち」、富永を「いじめられている変態」として描くなど三つ巴のこき下ろし合いに発展した。時には司会者の柏村までもが垂れ目をネタにこき下ろされた。
- さらにエスカレートして、富永が鈴木(貧乏人)・だん吉(ゴリラ)・柏村(垂れ目)を3人まとめてこき下ろすネタも見られるようになり、3人を「薄馬鹿トリオ」と呼んだこともあった。当然、このときは3人連続でズームアップ映像が流れる。
- 番組上ではいがみ合っていた2人であったが、実際は数十年来の仲のいい親友であった(詳細は鈴木義司・富永一朗の項を参照)。
- だん吉 VS アシスタント
- だん吉が歴代女性アシスタントの顔の特徴(アゴ長、でこっぱち、キツネ顔など)をネタにした作品を描き、それに対してアシスタントがその特徴を象ったハンマーの小道具で制裁するというパターン、女性レギュラーは車に惚れ込んでいるんだ、と回答して隣にいる本人から叩かれるというパターンもあった。絶頂期~後期にかけてキツネ顔のネタの後には、キツネが×印を出したイラストが描かれているシールがネームプレートの横に貼られていた。その後、車が「3枚貯まると…?」と言うと、川島なお美が「キツネの国へご招待!」と言うのがお約束だった。りゅうのすけに対しても酷いネタが出た場合、りゅうのすけが怒ってだん吉に殴りかかってくることもあった。
- 江藤博利考案の怪生物
- ずうとるびのメンバーである江藤博利はゲスト解答者として最多出演(回数としては2番目の記録としている)を誇っている。イラストも何か生物を描く内容になった時には自分が考案した足の部分に波を描いた怪生物を描き、それをその生物だと言い張るのがお決まりになっていた。
放送局
- 系列は現在の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 | 製作局 |
関東広域圏 | 東京12チャンネル | テレビ東京系列 | 現:テレビ東京 1980年3月まで |
日本テレビ | 日本テレビ系列 | 1980年10月から | |
北海道 | 北海道文化放送 | フジテレビ系列 | 途中打ち切り[1] |
札幌テレビ | 日本テレビ系列 | 1985年4月から | |
青森県 | 青森テレビ | TBS系列 | |
青森放送 | 日本テレビ系列 | ||
岩手県 | テレビ岩手 | ||
宮城県 | 東北放送 | TBS系列 | |
ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 | [2] | |
秋田県 | 秋田放送 | [3] | |
山形県 | 山形放送 | ||
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | |
福島中央テレビ | 日本テレビ系列 | ||
山梨県 | 山梨放送 | ||
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | |
テレビ新潟 | 日本テレビ系列 | ||
長野県 | 信越放送 | TBS系列 | |
テレビ信州 | 日本テレビ系列 | ||
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | |
テレビ静岡 | フジテレビ系列 | ||
静岡県民放送 | テレビ朝日系列 | 現:静岡朝日テレビ | |
静岡第一テレビ | 日本テレビ系列 | ||
富山県 | 北日本放送 | ||
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | |
テレビ金沢 | 日本テレビ系列 | ||
福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | |
福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | |
読売テレビ | 日本テレビ系列 | [4] | |
京都府 | 近畿放送 | JAITS | 現:KBS京都 読売テレビと並行放送 |
兵庫県 | サンテレビ | 読売テレビと並行放送 | |
和歌山県 | テレビ和歌山 | ||
鳥取県 島根県 |
日本海テレビ | 日本テレビ系列 | 当初は山陰放送と2局放送、後に日本海テレビに一本化[5] |
山陰放送 | TBS系列 | ||
広島県 | 広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | |
広島テレビ | 日本テレビ系列 | ||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 | |
山口放送 | 日本テレビ系列 | ||
徳島県 | 四国放送 | ||
岡山県→ 岡山県・香川県 |
テレビ岡山 | フジテレビ系列 | 現:岡山放送 1979年3月までの放送エリアは岡山県のみ |
香川県→ 香川県・岡山県 |
西日本放送 | 日本テレビ系列 | 1983年3月までの放送エリアは香川県のみ |
愛媛県 | テレビ愛媛 | フジテレビ系列 | |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | |
高知放送 | 日本テレビ系列 | ||
福岡県 | RKB毎日放送 | TBS系列 | |
福岡放送 | 日本テレビ系列 | ||
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | |
テレビ長崎 | フジテレビ系列 | ||
長崎文化放送 | テレビ朝日系列 | ||
長崎国際テレビ | 日本テレビ系列 | ||
熊本県 | 熊本放送 | TBS系列 | |
くまもと県民テレビ | 日本テレビ系列 | ||
大分県 | 大分放送 | TBS系列 | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
宮崎放送 | TBS系列 | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | |
鹿児島読売テレビ | 日本テレビ系列 | 最終回のみサービス放送 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | |
琉球放送 | TBS系列 |
ネット局に関する備考
- 番組放送開始当時、中京テレビは既に日本テレビ系列のフルネット局であったにもかかわらず、関東では東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送されていた。当時中京テレビはまだ系列局の無かった12チャンネルの番組を優先的に放送しており、12チャンネルも中京テレビの番組を受けていた。
- 近畿地方でも、開始当初は12チャンネルとネットワークを組んでいた毎日放送で放送されていた。このほか独立U局の一部でもこの番組を放送していた。
- 1980年3月で東京12チャンネルのネットが打ち切られ、一旦関東圏では放送されなくなっていたが、同年10月からは日本テレビでネットされ最終回まで放送された。
- 日本テレビでの放送時間は1年から5か月の間隔で金曜と木曜の17時台を激しく行き来し、同じ曜日でも17時台前半と後半を行ったりきたりしていた。1986年10月からは木曜夕方に定着し最終回まで放送されたが、その後も前半30分と後半30分の移動はあった。
- 北海道では東京12チャンネルにネットされていた時は東京12チャンネルと関係が深かった北海道文化放送がネットしていた。日本テレビへのネットチェンジのため、UHBはネット打ち切り。その後、北海道でも日本テレビ系列の札幌テレビへ放送が移り、1985年4月6日から再スタート。
- 静岡県、福井県、長崎県、宮崎県では既存民放全局で放送されている。特に静岡・長崎では新局が開局した影響でめまぐるしくネット局を変えた末の全局放送となった。
スタッフ
(終了時)
- テーマ作曲:永作幸男
- 例題のマンガ:かすやたかひろ
- 構成:三谷幸喜、大岩賞介、城啓介、高橋秀樹、清水東、村松利史、高橋等、今村良樹、樋口弘樹ほか
- ディレクター:福田佐和子(CTV)、中村準一(nexus)
- プロデューサー:山本孝義・国広忠久(CTV)
- 製作・著作:中京テレビ
脚注
- ↑ 途中、放送されていなかった時期もあったほか、プロ野球中継の関係で放送されなかった週もあった。
- ↑ 1976年11月から1977年3月までは日曜の昼放送、1978年10月以降は土曜の午後放送。
- ↑ 不定期放送。
- ↑ 読売テレビでは自局のローカル番組との兼ね合いから10回以上オンエア時間の変更があった。最末期は土曜日の朝7時台の放送であった。
- ↑ 日本海テレビでは日本海信販をスポンサーとし「信販ファミリーアワー」というサブタイトルが付いていたため、17時59分55秒から5秒間サブタイトルの静止画を映した後、中京からのマイクロネットに切り替えていた。したがって厳密には17:59 - 18:30の番組であったが、NKTの番組表でも新聞でも18:00からの扱いとなっていた。
※1980年4月から9月までは関東地方での放送無し