烏龍茶
テンプレート:栄養価 烏龍茶(ウーロンちゃ)は、中国茶のうち青茶(せいちゃ、あおちゃ)と分類され、茶葉を発酵途中で加熱して発酵を止め、半発酵させた茶である。中国語でいう「青」は「黒っぽい藍色」を指す。青茶に対して、緑茶は茶葉を摘んだ直後に加熱するため発酵の過程がなく、紅茶は完全に発酵させたものを乾燥させたものである。一説によれば烏龍茶という名前は中国広東省で製茶されたお茶の形状や色が烏のように黒く、龍のように曲がりくねっているため名付けられたという[1]。
中国茶は、1978年に中国安徽省の安徽農業大学の陳椽教授によって緑茶、白茶、黄茶、黒茶、青茶、紅茶の6種(六大茶類)に区分され、これにジャスミン茶など花茶を加えた7種が現在最も一般的な分類方法として知られている。区分について、詳しくは中国茶の項目を参照のこと。
目次
産地
広東省東部の潮州市潮安県で製茶されている「石古坪」や鳳凰山周辺で生産される「鳳凰単叢」が、現在の烏龍茶の祖であると推測されている。(参考「茶の民族誌」松下智著・1998年)
実際の生産量では福建省がトップで、台湾がこれに続く。福建省北部にある武夷山市の武夷岩茶が烏龍茶の代表的銘茶として知られているが、日本においては、福建省中部の安渓県で作られる「鉄観音」が、香港においては「水仙」の知名度が高い。台湾産では南投県鹿谷郷の凍頂烏龍茶、台湾中央山脈の梨山、阿里山、杉林渓など標高1000m以上の茶園で生産される高山茶、首都台北郊外で生産される文山包種が質の高い烏龍茶の銘柄として有名。
現在の烏龍茶は広東省と福建省、台湾などの、いわゆる華南文化圏が主な産地であるが、近年は台湾の製茶技師などの指導によってベトナムやタイの山岳地帯、また独自のタイプの青茶がインドのダージリン地方などでも少量が商業的に生産されている。
日本でも一部で生産されているが、生産量は微々たるものである。
代表的な銘柄
凍頂烏龍茶
凍頂烏龍茶(とうちょうウーロンちゃ)は台湾・南投県鹿谷郷東部の山腹で栽培される烏龍茶の名称。現在では台湾の広範囲において栽培されており、台湾を代表する烏龍茶として認知されている。味は緑茶に近いが、殺青(茶葉の加熱処理)の方法が日本茶とは異なるため、独特の爽やかな香りがする。
東方美人茶
東方美人茶は、台湾東北部の新竹県峨眉郷などで取れる。ウンカが葉を食うことで、独特の香りと味わいが生まれる。しばらくしてヨーロッパに輸出されたが、実際に人気が出始めるのは19世紀末から20世紀に入ってからで、英国で名付けられた「オリエンタル・ビューティ(Oriental beauty)」(現在、ビクトリア女王が名付けたという説が巷に広がっているが、年代的におかしい)の訳語として、東洋では響きの美しい「東方美人」が定着した。清代・日本統治時代の頃から台湾の重要な輸出産品であったが、近年では台湾国内でも消費量が増えている。
武夷岩茶
福建省武夷山市の武夷岩茶(ぶいがんちゃ)は烏龍茶の代表的銘茶として、また英国人によるインド産紅茶の原型となったお茶としても名高く、その中でも大紅袍(だいこうほう)は、国が管理する茶樹で国賓待遇の客に提供される。白鶏冠・水金亀・鉄羅漢などが四大岩茶として知られている。
鉄観音
鉄観音(てっかんのん)は福建省南部の安渓県が産地。台湾や広東省でも作られている。生産量は烏龍茶全体の5%ほどの割合を占める。名の由来には諸説ある。日本でも有名な烏龍茶である。
水仙
広東省と福建省で生産される。香港では有名な烏龍茶で、烏龍茶といっても分かってもらえず、「水仙」と言わないと烏龍茶が飲めない場合がある。
鳳凰單欉
鳳凰單欉(ほうおうたんそう)は、広東省潮州市の銘茶。鳳凰山周辺で生産され、現在の烏龍茶の祖といわれる。
飲み方
最初に急須へお湯を入れる目的は、(1)湯飲みを温め、(2)茶葉を開かせるためであって、一煎目は時間を置かず、さっとお湯を捨てるものである。そのため一煎目は決しておいしくない。そして二煎目では聞香杯を使い、香りを楽しんでもよい。物にもよるが四、五煎目まで美味しく楽しめる。煎じる回数が増えるごとに蒸らす時間を約10秒ずつ長くするとよい。もっとも以上は正式な場で出す茶の入れ方としての一つであり、家で飲まれるものは各人、各家庭によって方法などが異なる。
効果
ウーロン茶重合ポリフェノール(Oolong Tea Polymerized Polyphenols;OTPP)という烏龍茶特有のポリフェノールが含まれており、これは脂肪の吸収を抑え、脂肪分解を促進する働きがあるため、ダイエットによいとされる[2]。近年ではその効果が注目され、健康食品としても飲用される。サントリーは2006年に特定保健用食品として黒烏龍茶を発売した。カフェインが含まれるため興奮作用や利尿作用がある。
清涼飲料水
日本における烏龍茶の普及は痩身や美容に効果があると伝聞されたことから始まる。烏龍茶は1970年前後から日本に輸入されていたが、当時爆発的な人気があったアイドルデュオピンク・レディー[3]が、美容のために愛飲していることが1978~79年頃に話題となったことから脚光を浴びて、年間輸入量が2トンから280トンに急増し、第1次ブームとなる。この時期の烏龍茶はお湯を用いた飲み方が主流であり、茶葉を用いる屋内使用であった。その後、粗悪品が出回りブームは下火になる。
1979年に伊藤園が中国土産畜産進出口総公司と輸入代理店契約を締結。1981年2月に伊藤園が世界初の缶入りウーロン茶として商品化[4]。同年12月、サントリーが缶入り烏龍茶を発売し[5]、油分の多い料理に適し、飲み口もさっぱりして後を引かないというキャッチフレーズと併せて、冷やしても美味しく手軽に飲むことができるとする日本独自のスタイルが生まれて屋外市場の展開が始まる。1983年にポッカコーポレーションが缶入りの宇治の露製茶とほうじ茶を、1985年に伊藤園が缶入りの緑茶[6]を発売したこともあり、烏龍茶は清涼飲料水としての市民権を得ていく。酒税法の改正に影響を与えたチューハイブームのピークである1985年には、焼酎を烏龍茶で割ったウーロン割りが現れ、1991年にはレゲエパンチが生まれ、需要が更に伸びる。この時期が烏龍茶の第2次ブームとなる。
缶入り烏龍茶のトップブランドのサントリーは、飲食料品の製造販売会社の永谷園と共同開発した夏季限定商品として冷やした烏龍茶を用いた茶漬けを2005年5月から8月にかけて発売し、永谷園は2002年から販売している冷やし茶漬けのイメージの定着を、サントリーは消費のさらなる拡大を図る。
2005年現在における烏龍茶を含む茶系飲料水の消費量は、社団法人 全国清涼飲料工業会(全清飲)のソフトドリンクの品目別生産量の推移[1]によると炭酸飲料・コーヒー飲料が横ばいに推移し、果汁飲料が下降線を示している中で茶系飲料は徐々に上昇しており、全清飲の『平成十年清涼飲料総合調査』では好きな清涼飲料水の1位になっている。
本場中国では、烏龍茶は福建省、広東省という限られた地域で飲まれているものであり、かつ熱い茶を自分でいれて飲むことしか考えられなかったが、1990年代後半にサントリーが上海でペットボトル入りの烏龍茶発売を検討した際、上海では加糖タイプの台湾系ウーロン茶が販売活動を開始しておりサントリーもそれに倣って加糖、無糖二種のペットボトル入りウーロン茶を発売した。
その後台湾大手の統一食品もペットボトル入りに参入、現在は地元中国のメーカーも類似の清涼飲料水を発売している。ただし中国での主流は砂糖を加えたものであり無糖のものを探すのには骨が折れる状態であったが、2011年時点では無糖のウーロン茶が大変普及しており、コンビニ、スーパーなどで手軽に無糖のウーロン茶を買うことができる。