にっぽんの歌

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にっぽんの歌(にっぽんのうた)は、テレビ東京が毎年大晦日と夏に放送する演歌を中心とした音楽番組である。昭和の曲と最新ヒット曲を放送する。

概要

テレビ朝日がNET時代に同名の番組が存在しており、(⇒にっぽんの歌 (NET)を参照)番組名としては、NETの方が古い。

もともと、『にっぽんの歌』はテレビ東京で1982年10月25日から1989年3月までレギュラー番組として玉置宏京唄子(1984年からは渡辺友子、1988年頃~1989年は大場久美子)が司会を担当していた演歌・懐メロ番組であった。放送時間は次の通り。

放送期間 放送時間(JST
1982.10.25 - 1986.9.26 月曜21:00 - 21:54
1986.10 - 1988.3 金曜21:00 - 21:54
1988.4.6 - 1989.3 火曜21:00 - 21:54

この番組の源流は1968年4月3日1974年3月31日に同局の前身・東京12チャンネル[1]コロムビア・トップ・ライトの司会で放送された『なつかしの歌声』、さらに東京12チャンネル開局翌年1965年9月17日1966年1月7日に放送された芥川隆行司会の『歌謡百年』まで遡ることができる。

この年末特集番組が放送されるようになった時期は1966年12月31日の『歌こそわがふるさと』が最初である[2]。2年後の1968年12月31日に『なつかしの歌声大会』という番組が放送され[3]、この番組が現在まで続く『年忘れにっぽんの歌』の第1回とされている。1969年に『なつかしの歌声・年忘れ大行進』というタイトルになりカラー放送へ移行(1969年から映像が残されている)。その後、『輝く日本の歌声・年忘れ大行進』(1975年)、『きらめく日本の歌声・年忘れ大行進』(1976~1979年)と改題。そして1980年より現在の『年忘れにっぽんの歌』というタイトルで放送されている。2000年の『年忘れ-』からハイビジョンで制作されている。

最近ではJ-POPアーティストの出演が多い『NHK紅白歌合戦』に代わって『年忘れ-』を大晦日の音楽祭の出演目標とする演歌歌手が増えている。ただ、常連だった歌手が故人になったり、また高齢化による出演辞退が増えてきたことにより、近年の当番組においてもテツandトモはなわ笑福亭鶴光左とん平(2008年『夏祭り-』)、小松政夫(同)といったコミックソングのヒット曲を持つお笑い芸人や田中健村上弘明(共に2008年『夏祭り-』)といった俳優が出演したり、松平健による「マツケンサンバ」全曲メドレーが行われるなど、これまでとは異なるようなキャスティングが行われるようになりつつある。

年忘れにっぽんの歌

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2009年より『年忘れにっぽんの歌』の公開生放送が行われている五反田ゆうぽうと

『年忘れ-』の放送日は当初より毎年12月31日である(2004年(ここまで検証済み)~2007年・2009年の放送時間は17:00~21:30。2008年は後述の通り新宿コマ劇場最終公演記念として開始が1時間繰り上がり16:00~21:30)。2009年から会場は五反田ゆうぽうとホールであるが、かつては歌舞伎座明治座などで行われていた時期もあった。2008年までは新宿コマ劇場で行われ、2008年12月31日閉鎖の際の最終興行として執り行われた。この番組は日本歌手協会会員歌手が一堂に集結する一大イベントでもあり、『NHK紅白歌合戦』に出場しない演歌歌手も多数出演する。また、テレビ局では珍しい株主でも抽選で招待する番組でもある(もちろん一般視聴者からもはがきで募集して、抽選で招待している〈主要番組で応募要項テロップを流したり、ホームページに載せて紹介している〉)。

『年忘れ-』では、紅白出場歌手は開始からの前半に出演し、終了後順次NHKホールへ移動する。後半はこの番組のオリジナル出演者によるステージとなる。 『夏祭り-』はリニューアルしたが、こちらは2011年も変わらずに放送されている。ただ、2001年より共同制作の名目で行われていたBSジャパンでのサイマル放送は、この回を以って打ち切りとなった。

1980年代からオープニングとエンディングには、大東京音頭と最後の曲を出演者全員で歌う習慣ができあがった。その際には並び方に序列があり、真ん中に藤山一郎、向かって左側に淡谷のり子、右側に市丸、淡谷の左にディック・ミネ、市丸の右に林伊佐緒、ミネの左に渡辺はま子、林の右に二葉あき子といった順番がある。時折、松島詩子田谷力三などの参加でそれも若干変わった。

夏祭りにっぽんの歌

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2006年より『夏祭りにっぽんの歌』の公開放送が行われている中野サンプラザ

他方、毎年夏にも『夏祭りにっぽんの歌』が放送されている。この番組は1970年に『なつかしの歌声・郷愁の歌まつり』として開始。1979年に『夏の紅白大行進』と改題されたが翌1980年以降は現在まで続く『夏祭りにっぽんの歌』として定着した。会場は国際劇場練馬文化センター、ゆうぽうとなどを経て2006年からは中野サンプラザで開催されている。こちらの方もかつては藤山一郎らを始めとする「戦前派」(~1950年代頃)の人気歌手が中心となっていたが、近年では1950年代までの流行歌手の出演機会は故人となっている歌手も多いためか減少し、1960年代1980年代に人気を集めた歌手や演歌歌手が主な出演者となっていた。 放送時期は当初から一定していなかったが、第29回(1998年)から7月の第1金曜日〈ただし第30回〈1999年〉は第2)に固定された。なお、第8回(1977年)から第19回(1988年)までの間は2部構成で放送されていた。また、第13回(1982年)からステレオ放送に移行した。

2011年には番組のパワーアップを目的に、タイトルを『プレミア音楽祭2011夏〜頑張ろう!にっぽんの歌〜』に変更、演歌・歌謡曲以外のジャンルのアーティストも出演する特別番組として再出発することになった。なお、『プレミア-』の第1回は2011年7月1日に『夏祭り-』と同じく中野サンプラザで生放送され[4]、地上波(TXN各局と一部独立局)とBSジャパンの同時放送もこれまで通り行われた。

2012年以降はレギュラー番組『木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜』(にっぽんの歌#事実上の復活参照)の特別版として『木曜8時のコンサート〜夏祭りにっぽんの歌〜』を2週連続で放送。このため結果として第19回(1988年)以来24年ぶりに2部構成での放送となった。また、中野サンプラザでの公開放送こそ継続されるものの、それまで生放送だったものがこれより収録となり、BSジャパンでのサイマル放送も打ち切られた。なお、2013年は1週のみの放送となった。

一方、前年にスタートした『プレミア-』は『夏祭り-』とは別番組として継続。さらに演歌・歌謡曲を抜きにした構成となり、こちらもBSジャパンでのサイマル放送は行われないこととなった。

2014年は当番組のほかに所ジョージ総合パーソナリティーによる『開局50周年特別企画 テレ東 音楽祭(初)』を6月26日18:30〜23:24に生放送[5]。『プレミア-』と統合の上、第1部を五反田ゆうぽうとホールより宮本・松丸司会による『モクハチ!今夜だけ木曜6時半のコンサート』のタイトルで『夏祭り-』テイスト。第2部をテレビ東京天王洲スタジオより国分太一TOKIO)司会による『慣れない生放送 ドタバタですいませんSP』のタイトルで『プレミア-』テイストの内容で行った。

放送日

夏祭りにっぽんの歌
放送日 会場 大トリ 大トリ(第2部時)
1 1970年8月4日 サンケイホール 東海林太郎「野崎小唄」
2 1971年8月8日 サンケイホール 東海林太郎「野崎小唄」
3 1972年8月13日 東京厚生年金会館 東海林太郎「国境の町」
4 1973年7月15日 藤山一郎酒は涙か溜息か
5 1974年7月7日 中野サンプラザ 藤山一郎「夢淡き東京」
6 1975年7月6日 文京公会堂 藤山一郎長崎の鐘
7 1976年7月4日
8 1977年7月3日7月10日 国際劇場 田端義夫「ふるさとの燈台」 藤山一郎東京ラプソディー
9 1978年7月8日7月9日 国際劇場 霧島昇誰か故郷を想わざる 藤山一郎「夢淡き東京」
10 1979年7月14日7月15日 国際劇場
11 1980年7月5日7月6日 国際劇場
12 1981年7月11日7月12日 国際劇場
13 1982年7月18日7月19日 ゆうぽうと
14 1983年7月17日7月18日 練馬文化センター
15 1984年7月13日7月14日
16 1985年7月22日7月26日
17 1986年7月21日7月28日
18 1987年7月20日7月27日
19 1988年7月21日・7月23日
20 1989年7月25日
21 1990年7月16日 ゆうぽうと
22 1991年7月15日 ゆうぽうと
23 1992年7月13日 ゆうぽうと
24 1993年7月20日
25 1994年7月26日
26 1995年7月26日
27 1996年7月5日 ゆうぽうと
28 1997年7月14日 ゆうぽうと
29 1998年7月3日 ゆうぽうと
30 1999年7月9日 ゆうぽうと
31 2000年7月7日 ゆうぽうと
32 2001年7月6日 ゆうぽうと
33 2002年7月5日 ゆうぽうと
34 2003年7月4日 ゆうぽうと
35 2004年7月2日 ゆうぽうと 五木ひろし山河
36 2005年7月1日 ゆうぽうと 橋幸夫いつでも夢を
37 2006年7月7日 中野サンプラザ 橋幸夫「盆ダンス」
38 2007年7月6日 中野サンプラザ 五木ひろし夜空
39 2008年7月4日 中野サンプラザ 前川清「男と女の破片」
40 2009年7月3日 中野サンプラザ 北島三郎まつり
41 2010年7月2日 中野サンプラザ オペラ歌手4人「
- 2012年8月2日8月9日 中野サンプラザ 石川さゆり風の盆恋歌 五木ひろし契り
- 2013年8月1日 中野サンプラザ 八代亜紀おんな港町
- 2014年7月31日8月7日 中野サンプラザ 大月みやこ「女の駅」 八代亜紀もう一度逢いたい
 
年忘れにっぽんの歌
放送日 会場 大トリ
1 1968年12月31日 神田共立講堂 東海林太郎「野崎小唄」
2 1969年12月31日 歌舞伎座 東海林太郎赤城の子守唄
3 1970年12月31日 歌舞伎座 東海林太郎「野崎小唄」
4 1971年12月31日 歌舞伎座 東海林太郎「野崎小唄」
5 1972年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎東京ラプソディー
6 1973年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎東京ラプソディー
7 1974年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎丘を越えて
8 1975年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎丘を越えて
9 1976年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎東京ラプソディー
10 1977年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎丘を越えて
11 1978年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎青い山脈
12 1979年12月31日 歌舞伎座 淡谷のり子別れのブルース
13 1980年12月31日 歌舞伎座 淡谷のり子愛の賛歌
14 1981年12月31日 歌舞伎座 藤山一郎青い山脈
15 1982年12月31日 歌舞伎座
16 1983年12月31日 歌舞伎座
17 1984年12月31日 歌舞伎座
18 1985年12月31日 歌舞伎座・テレビ東京
19 1986年12月31日 歌舞伎座
20 1987年12月31日 歌舞伎座
21 1988年12月31日 歌舞伎座
22 1989年12月31日 歌舞伎座
23 1990年12月31日 新宿コマ劇場
24 1991年12月31日 新宿コマ劇場
25 1992年12月31日 新宿コマ劇場
26 1993年12月31日 新宿コマ劇場
27 1994年12月31日 新宿コマ劇場
28 1995年12月31日 新宿コマ劇場・テレビ東京
29 1996年12月31日 新宿コマ劇場・テレビ東京
30 1997年12月31日 明治座・テレビ東京
31 1998年12月31日 明治座
32 1999年12月31日 明治座
33 2000年12月31日 明治座 並木路子リンゴの唄
34 2001年12月31日 新宿コマ劇場
35 2002年12月31日 新宿コマ劇場
36 2003年12月31日 新宿コマ劇場 橋幸夫いつでも夢を
37 2004年12月31日 新宿コマ劇場 橋幸夫いつでも夢を
38 2005年12月31日 新宿コマ劇場 水前寺清子365歩のマーチ
39 2006年12月31日 新宿コマ劇場 橋幸夫いつでも夢を
40 2007年12月31日 新宿コマ劇場 ペギー葉山南国土佐を後にして
41 2008年12月31日 新宿コマ劇場 八代亜紀舟唄
42 2009年12月31日 ゆうぽうと ペギー葉山学生時代
43 2010年12月31日 ゆうぽうと 八代亜紀おんな港町
44 2011年12月31日 ゆうぽうと 大津美子ここに幸あり
45 2012年12月31日 ゆうぽうと 島倉千代子からたち日記
46 2013年12月31日 ゆうぽうと ペギー葉山学生時代

参考資料

  • 第41回「年忘れ-」は放送日が新宿コマ劇場営業最終日となったため、番組のエンディングで「新宿コマ劇場 52年間夢をありがとう」というテロップが表示された。

歴代の司会者

レギュラー版(1982年~1989年)

夏祭り・年忘れ(スペシャル)版

大東京音頭

  • かつて、「夏祭り~」では『大東京音頭』(作詞:滝田常晴、補作:藤田まさと、作曲:遠藤実)を出演者全員で歌うことが慣わしだった。この曲は東京12チャンネル(現・テレビ東京)の企画で制作されたもので、レコード各社により競作された。

レコード

事実上の復活

2011年10月13日から『木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜』が放送開始となるが、サブタイトルに「にっぽんの歌」が入っているため、事実上同番組の復活となる。ただし、現在の中高年層の嗜好に合わせて演歌・歌謡曲以外のジャンルも取り上げる形となった。 夏祭りにっぽんの歌第8回から第19回同様、2週に分けて放送する形となった。 ただし、従来の夏祭りにっぽんの歌とは違い、公開収録でBSジャパンとのサイマル放送も無くなった。

スタッフ

第45回年忘れにっぽんの歌

  • 構成:松原史明青島利幸
  • 音楽・指揮:荒木圭男京建輔義野裕明
  • 演奏:サウンドギャラクシー、フラワーアンサンブル
  • 演出補:板川侑右、佐藤裕奈
  • ディレクター:星俊一
  • プロデューサー:関光晴、牛原隆一、宮川幸二
  • チーフプロデューサー:大原潤三
  • 製作著作:テレビ東京

第41回夏祭りにっぽんの歌

  • 構成:青島利幸
  • スーパーバイザー:松原史明
  • 音楽:京建輔義野裕明
  • 指揮:豊岡豊
  • 演奏:サウンドギャラクシー、フラワーアンサンブル
  • 演出:山田耕三
  • プロデューサー:関光晴、牛原隆一、宮川幸二、石川顕林正浩
  • チーフプロデューサー:大原潤三
  • 制作協力:BSジャパン
  • 製作著作:テレビ東京

備考・その他

  • 1985年7月福島テレビでは『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』(関西テレビ)を打ち切り、新番組として『にっぽんの歌』を最終回まで放送した。ここでの後番組は『クイズ地球まるかじり』(テレビ東京)。
  • 平成新局が多数開局されるまで、また『NHK紅白歌合戦』や『日本レコード大賞』が高視聴率をあげ自系列局にキラーコンテンツがない頃は準キー局・マストバイ局以外のNET~テレビ朝日・フジ・日テレ系の地方局(特に2~3局地域のクロスネット局)が同時・時差ネットを、同時ネット不可能なマストバイ局のみの地域では深夜枠で時差ネットをして全国をほぼカバーしていた。またテレビ大阪開局前はサンテレビKBS京都にも同時ネットし、MBSでも日付が変わって元旦になってから未明に放送していた他、テレビ愛知開局前は中京テレビでも元旦未明に放送されていた。これはテレビ東京が中京広域圏の多くの人に見てもらうため中京テレビに優先してネットさせたためで、このためテレビ東京からの同時ネット率が高かった岐阜放送三重テレビでは放送されなかった。
  • 現在はTXN系列の他、びわ湖放送奈良テレビテレビ和歌山ぎふチャン三重テレビで同時ネットで放送されている。
  • 一部系列外局では後日番組販売の形で通しで、あるいは前・後編に分けて録画放送する局(石川テレビなど)や、短縮編集版を放送する局もある。
  • 青森テレビ東北放送などでは『年忘れ-』を1月1日未明(12月31日深夜)に時差・短縮放送していたが、2006年(2005年)以降は行われていない[6]。現在1月1日未明に時差ネットを行っていた局における当該時間帯は、キー局番組の同時ネットなどを放送している。
  • 2001年に共同制作の名目でBSジャパンとのサイマル放送を開始。以降BS受信設備さえあれば日本全国隈なく視聴可能となり、地上波との間で共通化が図られていたが、そのCM枠も、2008年の『第39回夏祭り-』頃(世界金融危機の影響が表面化し始めた時期とほぼ重なる)よりBS側への番組提供を取り止めるスポンサーが急増。その傾向が更に顕著となった2010年の『第41回夏祭り-』では、BSジャパンでもCMの放映を行った地上波スポンサーは僅か2社に留まった。
  • 加えてBSジャパンでの放送も2011年を最後に終了。TXN系列の放送エリア内でありながら中継局がなくケーブルテレビを含めて直接受信できない地域やTXN系列がなく、かつ番組販売も行われない地域では再び視聴できない状況となっている。なお、2012年にテレビ北海道の中継局が開局済あるいは試験放送を行なっている地区では滑り込みで実質BSから地上波へ引き継がれる形となった。

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

夏祭り

年忘れ

テンプレート:前後番組
  1. 当時は日本科学技術振興財団テレビ事業本部が運営。1973年11月1日から株式会社東京十二チャンネルに放送免許継承。
  2. 朝日新聞(東京版) 1966年(昭和41年)12月31日朝刊テレビ欄参照
  3. 朝日新聞(東京版) 1968年12月31日朝刊テレビ欄参照
  4. テレ東“夏の風物詩”42年目のリニューアル スポーツニッポン 2011年5月27日
  5. 一部事前収録および過去の映像を含んだ内容となっていた。
  6. 2011年の『年忘れ-』は北陸放送が2012年2月12日に短縮編集されたものを放送。ただし、タイトルは『恒例!にっぽんのうた ヒットパレード』と改題されていた。