小倉智昭
テンプレート:基礎情報 アナウンサー 小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年5月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ラジオパーソナリティである。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)アナウンサー。オーケープロダクション取締役。身長は173cm。体重は75kg。趣味、特技はゴルフ。東京都練馬区在住。 既婚。
目次
来歴・人物
中央大学附属高等学校を経て、獨協大学外国語学部フランス語学科卒業。
生い立ち
1947年(昭和22年)、帝国石油の技術者だった父親と[1]、鹿児島市出身の母親のもと[2]、秋田県に生まれた[3]。
「友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること」という父親の方針のもとで育ち、そのため子供の頃からスポーツ好きだった。そのためか陸上競技の記録を伸ばすことばかり夢中になって、成績は体育だけが跳び抜けて良く、それ以外は平凡なものだった。高校では陸上部に所属[1]。
大学進学の時、中央大学は「陸上部で嫌いだった先輩が行ったから」という理由で行かず、上智大学を受験するも不合格。結局、獨協大学に進学した[1]。大学でも陸上部に所属、陸上の競技会に出場した後、東京都陸上競技連盟から国体出場の通知を受けたこともあった[1]。しかし大学の陸上部は2年で退部。足を怪我したことと、当時やっていたバンドの活動で十分稼げるようになっていたからだという。なお、バンドではボーカルとベースを担当していた[1]。
幼い頃から吃音症に悩まされ続け、後にアナウンサー職に就いたのは、それを克服するために、あえて喋ることを仕事とする道を志したためであるという[1]。
放送局アナウンサー
1970年(昭和45年)に大学を卒業。アナウンサー試験では文化放送は1次選考で、フジテレビは最終選考で落選[1]。合格した東京12チャンネル[4]にアナウンサーとして入社。
競馬に詳しかったことから競馬中継実況アナウンサーとして活躍し、毎週土曜日午後のワイド番組『ザ・ロンゲストショー』の中で競馬中継を担当した[5]。またかねてから小倉の実力を認めていた山城新伍が司会を務める独占!男の時間にも起用された[6]そして、競馬ファンからは、「競馬中継なら小倉」と言わしめるほどだったという。しかしながら、競馬実況アナウンサーとして周囲より早く出世したことや、後輩への競馬実況術を指導したことが当時のスタッフや同僚アナウンサーから反感を買い[7]、これに加えて当時人気番組である一方で「ワースト番組」上位にも挙げられていた『独占!男の時間』への出演(最初は競馬コーナーのみの担当だったが、その人気からレギュラー出演となった)を巡り、小倉は次第に局の上層部と衝突を起こすようになっていったという。
フリー転身
大橋巨泉が『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)という競馬中継番組をスタートさせるにあたって小倉を番組に起用することを決め、巨泉のスカウトに乗る形で29歳のときに東京12チャンネルを退社し、フリーアナウンサーとして大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属した。このとき前妻と離婚したが、フリーランス転進後は仕事が入らず、鳴かず飛ばずの状態が続いた。当時について小倉は「税金なんか当たり前。養育費も公共料金の支払いも滞納が続いた。」「質屋、古本屋には本当にお世話になった。」という状態が続き、電気・ガス・水道は止められ、電車賃が払えずアパートまで歩いて帰宅したり、電車賃を工面するため開店時間前の古本屋を起こし、本を売り現金化する日々が続いた。時折、父親からの差し入れがアパートのドアノブに引っ掛けてあり、飢えを凌いだ。また、給料の前借りが日常的であったことから「バンスの小倉」とあだ名を付けられた。
その後、古巣であるテレビ東京の『タミヤRCカーグランプリ』での軽快で個性的なナレーション(自称「小倉のお兄さん」)で小中学生からの注目を集め、更に『小川宏ショー』のリポーター、『アイ・アイゲーム』(フジテレビ)や『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)のナレーションが転機となる。『RCカーグランプリ』や『HOWマッチ』では甲高い声と早口で洒脱なナレーションで名前を知られた。当時のキャッチフレーズは “七色の声を持つナレーター” であった。
また、ラジオパーソナリティとしても頭角を現し、文化放送『とことん気になる11時』(1984年 - 1987年)、『小倉智昭の時計の針はいま何時?』(1987年 - 1991年)、『小倉智昭のニュースアタックル』、『小倉智昭の夕焼けアタックル』(1992年 - 1999年)など、平日の帯ワイド番組に長期に亘って出演した。
フリー転身後もしばらくの間は、公営競技のレース実況を手掛けており、競馬以外でも日本選手権オートレース(第10回、第13回)、第36回日本選手権競輪などで実況を担当している。
司会者として
ラジオパーソナリティでの話術ぶりを評価され、『キャッチ』(日本テレビ、1989年 - 1992年)、『ジョーダンじゃない!?』(フジテレビ、1992年 - 1993年)、『どうーなってるの?!』(フジテレビ、1993年 - 1999年)などのワイドショーに次々にメイン司会で起用され、着実に足場を固めて行く。
そして1999年4月にスタートした『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)で、司会者としての地位を確実なものにした(就職活動当時の1970年、小倉はフジテレビジョンが第一志望であり、入社したら朝のワイドショーを担当したいと入社面接時に話していたが、一次試験であえなく不合格に終わったため、『28年来の願いが叶った』と、番組スタートの記者会見の場で語っていた)。
2003年『とくダネ!』上で問題になったピラミッドなど、世界遺産に対する日本人観光客の落書き被害の特集を小倉は大声の「一喝!!」で説教をした。また2008年イタリアや世界各地での日本人や他国人による世界遺産落書き問題は後年、他メディアでも再び取り上げられた。 また2003年番組『とくダネ!』上でファッションデザイナー、ドン小西と対峙した折にも、明らかに一般とは違う特異な雰囲気を醸し出す人物に対して引いた行動を見せている。
また、『とくダネ!』の裏番組(生放送)『はなまるマーケット』(TBS)には出演できないため、2000年に『はなまるマーケット』の姉妹番組として深夜に放映された『ウラまるカフェ』(TBS)にゲスト出演して薬丸裕英とのトーク共演を果たしている。
小倉自身が若い頃陸上競技をやっていたこともあるためか、マラソンに対する造詣は深く、フジテレビ系列のマラソン中継(北海道、大阪・名古屋の両女子と奇数年の東京、並びに国際千葉駅伝)のゲスト兼応援団長をダブルで出演している。
かつて小倉は『小倉智昭の夕焼けアタックル』最終回で、「今(当時)の年齢を考えても、この先10年以上続く番組を担当することはもうないかもしれない。」と嘆いていたが、その直後に始まった『とくダネ!』が2009年4月に放送開始10年を超え、初めて10年を超す長寿番組の司会を担当することが出来た。
私生活
1976年(昭和51年)のフリー転身当時、小倉には多額の借金があり前妻と離婚。その後、15歳年下の女性と再婚。前妻との間に子がいるが、後妻との間に子はいない。
プロ野球・埼玉西武ライオンズファンであり、清原和博のファンでもある。西武ドームのシーズンシートを購入している。2009年には本拠地開幕戦始球式に参加、その模様は翌日の『とくダネ!』で笠井信輔(フジテレビアナウンサー)、中野美奈子(当時フジテレビアナウンサー)が実況模様を紹介した。また、自宅が東伏見駅近くであることからSEIBUプリンス ラビッツの本拠地、東伏見アイスアリーナを時々訪れており選手の練習風景を観たことや試合観戦もして、チーム休部ニュースに非常に残念とコメントした。プロ野球のクライマックスシリーズ(CS)には消極的な考えである。対照的に『とくダネ!』で共演する笠井はCSを肯定している。スポーツ全般に詳しい。
経営関連
所属しているオーケープロダクションで取締役を務めていると同時に、小倉智昭オリジナルブランド「O-GLAND(オーグランド)」の販売なども行っている、グッズ企画や販売、輸出入を事業とする商社『バイオテクニカ』の代表取締役を務めている。(企画・製作はシンヨーコーポレーションが担当)なお、オーケープロダクションは小沢一郎政経研究会から講演者礼金として判明しているだけでも50万円を受け取っている[8]。
大橋巨泉に「タレントは使い捨てだから、いつ捨てられても生活していけるように事業を起こせ」と助言され、上記以外にも焼肉店を経営している他、北海道石狩郡当別町にあるラーメン店「なかむら」をのれん分けしてもらい、自らも出資してオーナーとなっており、現在、中野坂上とワイキキに出店している(なお中野坂上店は、1階にあったラーメン店を廃業し、階上にあった同名の焼肉店を階下に店舗拡張している)。
自らが焼肉店を営業していることもあり、フーズ・フォーラスが起こしたユッケによる食中毒事件に関しては「焼肉食べて中毒で死ぬ人よりも、フグの毒で死ぬ人のほうが年間にしては多いんじゃないかと思う」と言及し、生肉の取り扱い規制に対して反対意見を示した。しかし厚生労働省の発表[9]によると平成15年から21年にかけて、フグ毒による食中毒の年間死者数は3人以下であり[10]、この発言は事実とは言い難い。
エピソード
- 血液型
血液型はB型だが、幼少時より両親から「お前はA型だ」と言われていたため、40歳の時に検査してB型だと判明するまでA型だと思い込んでいたという[11]。
- オリンピック
1997年5月にTBSテレビで放送されたそこが知りたい(アナウンサーを取り上げた回)では、夢はオリンピックの実況と語っていた。
2000年のシドニーオリンピックは弾丸ツアーに参加してまで観戦[1]。2008年の北京オリンピックでは、フジテレビから派遣されて現地で生観戦し、日本がメダルを獲得した25種目のうち24種目を生観戦し、金メダルは全て生で見たという[12]。
- カツラの着用
カツラ着用者であることは講演会などでカミングアウト済みである[13]。講演などではカツラを外すこともあるが、テレビやラジオで取り立てて言うことではないとして、皆判っていることという姿勢を貫いている。
『週刊文春』はカツラについて2度記事に取り上げ、2度目の際には「10年前にも同じ質問したでしょ」と小倉からたしなめられている。
2002年、『週刊文春』1月31日号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」でカツラ着用について「別に隠してもいないし、皆知ってますよ」「ズレたりなんかしないし、長いのとか短いのとか持ってませんよ。僕は総カツラじゃないんだから(笑)。ほとんどが自分の髪なんだから」「ちゃんとに1ヶ月に1回、美容院行って髪は切ってるし、スッポリ被ってるわけじゃないですよ」と語った。
2003年4月、『とくダネ!』のオープニング(同年3月31日放映)で挨拶をしたときにカツラがとれたという動画が流れ、東京スポーツの一面に載る程にまで話題となった。実際に生放送中に外れたことは無く、動画作成者が手を加えたものである。
- コンタクトレンズと白内障手術
仕事中はほとんどコンタクトレンズを装着しているため、それについての話題になると熱くなる傾向がある。ただし、2012年4月6日に両眼の白内障手術を受けたことをこのほど明らかにし、現在は裸眼で両眼とも視力が1.5に回復したことを語っている[14]。
- 義歯
2007年2月に出演したテレビ番組で、義歯を入れたことを告白した[15]。
- 同級生
アニメソング歌手の水木一郎とは中学の同級生で、一緒に漫才をしたこともあるという。2010年12月11日放送の「小倉智昭のラジオサーキット」(ニッポン放送)にゲスト出演し、同窓会トークを繰り広げた。2011年10月9日放送の「ウチくる!?」(フジテレビ)に水木一郎がゲスト出演した際は、小倉智昭との中学時代のエピソードを話したが、自分より小倉の方が、女性にモテたし運動も勉強もできたという。
暴言・失言
- メジャー移籍した上原への暴言
2009年4月9日『とくダネ!』の放送中、ボルチモア・オリオールズに移籍した上原浩治投手の初登板を中継していた場面で、「オレ、上原って、一シーズン(昨シーズン?)は自分で演出してダメになってたと思うんだよね」との暴言をつぶき[16]、翌10日のオープニングでも「巨人は出してくれなかった。それでちょっと腐っちゃったな」と勝手な自説を展開し、「ボルティモアはとっても安い買い物をした」と語った[17]。しかし実際には、上原は32セーブを上げた2007年度をもってFA権を獲得し、翌年の海外FA権の獲得も確実であったので、メジャー移籍にすでに読売球団の了承は要らず、不調を装う必要性が全くなかった。オリオールズは前年最下位の弱小球団であり、むしろ2008年の不調で契約条件が悪くなって、名乗りを上げた球団が減ったと思われる。完全に根拠も合理性もない暴言だった。
- 闇社会との関係
2011年8月24日に出演した『とくダネ!』で、闇社会を容認すると受け取れる発言をし、ネット掲示板などで批判が多数寄せられた[18]。8月26日、同番組で、釈明をした上で誤解があったら申し訳ないと謝罪した[19]。かつて警察庁暴力団対策課長を務めていた参議院議員の小野次郎は小倉の発言を不適切であるとして、謝罪と番組降板を求めた[20]。
- 潰瘍性大腸炎患者を差別する発言
2012年9月27日に『とくダネ!』の放送の中で、「潰瘍性大腸炎」(全国に11万人以上の患者がいる厚生労働省指定の難病[21])の悪化で2007年9月12日に辞任した安倍晋三(内閣総理大臣第1期時代、病気を理由に辞任)の自民党総裁選出馬について、共演者の田中雅子が「辞め方が...。1年で、もうお腹痛くなっちゃって辞めちゃったということで…」と発言し、この発言に続けて小倉が「(安倍の2007年の病気による辞任は)ちょっと子供みたいだったと思うよ」と発言し、続けて田中は「そうなんで すよ、そうなんですよ」と発言した。小倉と田中が、厚生労働省指定の「難病」である潰瘍性大腸炎を、単なる「腹痛」と軽視して、潰瘍性大腸炎に罹患する患者全体に対する誤解を生む差別的発言をしたことに対して、「好き好んで病気になる人がいますか?」「難病だし、苦しんでる人がいるのに」「同じ病気の私は複雑な気持ち」といった批判や疑問が相次いだ[22][23]。 同年10月1日同番組の放送で、「さて、ここでお詫びをさせていただきたいと思います。先週の木曜日、自民党の安倍新総裁の体調に触れた際、潰瘍性大腸炎という難病であるにもかかわらず不適切な表現をしてしまいました。もちろん、病気に苦しむ方を傷つけるつもりはありませんでした。お詫びをさせていただきます。では続いてお天気です。アマタツッ!」と安倍については言及しないままで謝罪をした[24]。
- 体罰に関しての見解の報道
J-CASTテレビウォッチは、2013年1月11日付の配信記事で、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部に所属する生徒が自殺した問題に関して、『スポーツに一家言持つ小倉智昭キャスターはそうしたコメンテイターたちに比べると「規律重視」派のようだ。けさは「勝つことを目指すのは人格形成に役立つ」と勝利志向主義の意義を力強く訴え、別の段では、体罰について「もちろんよくないが、目をつぶってもいいんじゃないという体罰もあるかもしれない」と、一定の宥和的な態度を示した』と、小倉の体罰に関する見解を消極的容認派ではないかという解釈のもと、報道した[25]。
趣味
AV(音響・映像)関係に造詣の深いオーディオマニアとして知られており、CDは毎日3枚、DVDは1枚視聴することを自らに対するノルマとしており、その成果は番組中に紹介される推薦盤で垣間見ることが出来る。また、自宅や北海道にAVルームを所有しており、THXマークをクレジットすることをホームシアターとしては日本で初めて個人で許されている。そのことは彼自身が『とくダネ!』で放送されたジョージ・ルーカスとの対談で、ルーカスに伝える形で公表している。AVマニアであることから秋葉原にもよく出向き、秋葉原ラジオ会館の閉鎖が決定したときはラジオ会館での思い出をコメントした。
2008年2月18日放送の『とくダネ!』内「得もり」のコーナーで、「東芝、HD DVD事業から撤退」の話題に触れ、「私はHD機を4台持っている」と話した。また「ブルーレイよりもHDのほうが画質が良い」「でもHD機は(電源スイッチを押した後の)立ち上がりが遅い。そこが(ブルーレイに負けたことに)影響してるかも」と持論を展開した(実際には、双方とも複数の動画記録形式・品質を指定でき、媒体そのもので優れているかどうかは決まらない)。
60歳(2006年頃)から趣味としてドラムを始めており、自宅にはドラムセットが設置されている。この部屋の模様は、2007年11月23日放送の『とくダネ!』のおやじバンド特集で紹介されており、ギターなどほかの楽器も置かれている。2008年4月23日放送の『とくダネ!』で9歳のジャズドラマー、鬼束大我が本日メジャーデビューしたことが紹介され、スタジオで生演奏を披露した際にも、ドラムをしていることを公表した。さらに、2012年1月1日に日本テレビで放送された世界1のSHOWタイム〜ギャラを決めるのはアナタ〜で、元カシオペアのドラマー、神保彰の「自称追っかけ」であることを明かし、自らのリクエストによって神保が出演し、ドラムを披露している。
ビジネス誌『週刊東洋経済』にてコラム「ゴルフざんまい」を月に一度の間隔で連載している。
2008年9月26日の『とくダネ!』の「小倉智昭の週刊!エンタ☆マイスター」でブリッティッシュロックやプログレッシブ・ロックが好きだと発言した。
また、同日の同コーナーで生ゲスト出演したポール・アンカは、青春時代に聞いていたようで来て早々ハグしている。また、「Diana」の生歌唱中、サビの所で本人からマイクを向けられ、歌った。
また、シンガーソングライターの絢香のファンでもあり、自称「お父さん」を公言している。絢香が活動休止の最中、2010年9月20日に絢香の夫で俳優の水嶋ヒロが執筆活動専念のため、所属事務所・研音(絢香も研音に所属していた)を退社・俳優業引退の方向とメディアに報じられた際、絢香は小倉に、水嶋は執筆活動などと共に俳優業を続ける意向であるとし、2人は事実と異なる報道に困惑しているとの趣のメールを送り、このメールの内容を小倉は23日放送分の『とくダネ!』で公開した。また、水嶋の引退を報じたメディアは2010年9月20日時点で絢香が研音にまだ所属中ということになっていたが、絢香が小倉に送ったメールの中には活動休止前最後のステージとなった2009年12月31日のNHK『第60回NHK紅白歌合戦』終了後に研音を退社していたとのことで、実際は絢香のメールでの発言通りだったことも判明した。
その他、WaTとも親しく、番組でも共演した嵐とは交流があり、彼らのライブにも行っている。
現在の出演番組
レギュラー番組
- 情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ、1999年4月 - )その『とくダネ!』で女子バレーボール日本代表が番組に出演した際、同じ秋田出身の江畑幸子と共演。
- 小倉智昭・住吉美紀の音楽夜話(BS朝日、2013年4月-)
不定期・単発番組
- 大阪国際女子マラソン(関西テレビ)
- 東京マラソン(西暦奇数年、フジテレビ)
- 北海道マラソン(北海道文化放送)
- 国際千葉駅伝(フジテレビ)
- わかるテレビ(フジテレビ)天の声
- FNS歌謡祭(フジテレビ)2008年以降、観覧ゲストとして出演。
- PC新時代を楽しもう!最強セキュリティ法と活用術(BSフジ制作、ニコニコ生放送)MC
その他、フジテレビの報道特別番組、ドキュメンタリー番組等にも出演多数。
ラジオ
インターネット放送
- 週刊 小倉智昭〜担当者でてこい!〜 (Bee TV)
過去の出演番組
テレビ
- 小川宏ショー(フジテレビ)レポーター
- ザ・ロンゲストショー【競馬中継実況担当】(東京12チャンネル=現・テレビ東京)
- ニューストレイン出発進行(東京12チャンネル=現・テレビ東京)
- 独占!男の時間(東京12チャンネル=現・テレビ東京)
- サタデーナイトショー(テレビ東京)ナレーション
- ヤンヤン歌うスタジオ(テレビ東京)※一時期ナレーション
- 世界まるごとHOWマッチ(毎日放送)ナレーション
- 巨泉のこんなモノいらない!?(日本テレビ) ナレーション ※巨泉夏休み中は代行司会も担当
- 紅白そっくり大賞(フジテレビ)※ナレーション
- キャッチ(日本テレビ)
- ジョーダンじゃない!?(フジテレビ)
- どうーなってるの?!(フジテレビ、1993.4.5 - 1999.3.31)
- 世界バリバリ★バリュー(毎日放送)※一時代行司会を担当
- タミヤRCカーグランプリ(テレビ東京)※初代ナレーション(2代目は関口伸が担当)
- TONでネットワーク(テレビ東京)
- とくダネ!発 GO-ガイ!(フジテレビ)
- パソコンサンデー(テレビ大阪)
- メトロポリタンジャーニー(フジテレビ、旅の提案者「チーフトラベルプランナー」)
- アイ・アイゲーム(フジテレビ)※オープニングナレーション
- せきらら白書(テレビ朝日)
- こんな学園みたことない!(読売テレビ)※ナレーション
- 衝撃の映像クラッシュ(TBS)※ナレーション
- スポーツ特Q(フジテレビ)
- 闘え!脳筋カップルズ(テレビ朝日)
- 不思議な世界!→やっぱり不思議!?(テレビ東京)
- 爆発ホンネ修羅バトル(テレビ東京)
- 金ロマン人生いろいろ(フジテレビ)
- 痛快!知らぬはオトコばかりなり(フジテレビ)
- しらばかッ!!(フジテレビ)
- しらばかプラス(フジテレビ)
- まかせて!!エキスパ(フジテレビ)
- わけありバラエティー みんなのヒミツ(フジテレビ)
- いまどき!ごはん(テレビ朝日)
- 絶品!地球まるかじり(テレビ東京)
- 木曜劇場 非婚家族(フジテレビ、2001年 第1話ゲスト)
- ぐんま・雷・からっ風(群馬テレビ)
- 明治政府の遺産 海底に眠るニール号の謎(テレビ静岡、2007年8月5日)
- ハッケン!!(フジテレビ、2006年10月7日 - 2008年6月28日、一部地域のみテンプレート:要説明)
- オジサンズ11(日本テレビ、2007年10月15日 - 2008年9月8日)
- サキヨミ(フジテレビ、不定期コメンテーター)
- わかるテレビ(フジテレビ)天の声
- 嵐の宿題くん(日本テレビ)
- 小倉智昭の特命調査隊!国民は怒っているぞ!血税バラまき真相SP(テレビ朝日)
- デッドエイジ(フジテレビ)
- 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ)
- 走れ青春 42.195キロ(テレビ東京)
- TOKYOエアポート〜東京空港管制保安部〜(フジテレビ、2012年 第9話ゲスト) - 上本仁史 役
- ガリレオ 第2シーズン(フジテレビ、2013年 第9話ゲスト) - 本人 役
- 小倉・住吉のおスミつき!(BS朝日、2012年4月 - 2013年3月)
ラジオ
- 大橋巨泉の日曜競馬ニッポン(ニッポン放送、レース実況)
- とことん気になる11時(文化放送、1984年4月2日 - 1987年4月3日)
- 小倉智昭の時計の針はいま何時?(文化放送、1987年 - 1991年)
- 小倉智昭のニュースアタックル(文化放送、1992年)
- 小倉智昭の夕焼けアタックル(文化放送、1992年 - 1999年)
- 小倉智昭のラジオサーキット (ニッポン放送、2006年 - 2012年)
映画
- 旅の贈りもの 0:00発(2006年)(ラジオのアナウンサー)
- 犬とあなたの物語 いぬのえいが(2011年)(愛犬家・鈴木さん役)
吹き替え
- Mr.インクレディブル(2004年)(米ディズニーアニメ、ギルバート・ハフ役)
本人役
- UDON(2006年)(劇中で讃岐うどんブームの紹介をする「とくダネ!」のオープニングシーン)
テレビドラマ
- 噂の刑事トミーとマツ 第32話「ああ! トミマツの4回戦ボーイ」(1980年、TBS / 大映テレビ) - リングアナウンサー 役
アニメーション
- ジャングル大帝 勇気が未来をかえる(2006年、テレビスペシャル)(ヌーのドルフ役)
脚注
関連項目
- 天達武史(「とくダネ!」のお天気コーナーでの呼びかけの「天達ー!」が定番。「朝のヒットスタジオ」放映時は様々な大物アーティストに替え歌で呼ばれていた)