世界まるごとHOWマッチ

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組世界まるごとHOWマッチ』(せかいまるごとハウマッチ)は、1983年4月7日から1990年4月5日まで、TBS系列ほかで放送されていた毎日放送(MBS)とイースト[1]共同制作のトークショーを兼ねたクイズ番組である。放送時間は開始当初毎週木曜22:00 - 22:54 (JST)(プライムタイム)であったが、1984年10月4日より20:00 - 20:54 (JST)(ゴールデンタイム)に移動した。

概要

現代の世界におけるさまざまな珍品、名品、豪華な品物を現地取材によるレポートとスタジオの司会者、解答者とのトークを交え、値段を予想するクイズ形式で紹介する。解答者の答えを出すときには「せーの、HOWマッチ!」という決めゼリフがあった。 同じく海外の話題を扱ったフジテレビなるほど!ザ・ワールド』が海外レポートをメインにやっているのに対し、本番組はどちらかといえばスタジオでのトークがメインで、中でも司会の大橋巨泉と解答者のビートたけしの毒舌合戦は目玉の一つだった。放送開始当初の視聴率は苦戦したが、たちまち人気番組となった。

番組開始当初は22:00からのスタートだったが、好評のため20:00に放送時間が移動した。番組が20時になってからは、特別番組(同じ曜日の『ザ・ベストテン』拡大版など)の都合で22時になった回に合わせて、「今日は大人の時間だから」と意図的に女性の裸など性的な内容を取り上げるようにしていた。

番組最高視聴率1984年5月31日に放送した回の33.8%[2]ビデオリサーチ・関東地区調べ)。視聴率は安定していたものの1990年4月5日、巨泉の「セミリタイア」により終了した。

出演者

司会

  • 大橋巨泉
    • 当時TBS系列で2つのクイズ番組の司会を担当していたのは巨泉(ほかに『クイズダービー』)と関口宏(『クイズ100人に聞きました』と『わくわく動物ランド』)のみであった。
    • 巨泉はセットの奥から華々しく階段を下りて登場し、観客から「巨ちゃ〜ん」と呼ばれると「はい、巨ちゃんでございますよ」と返し笑いを取っていた。オープニングトークでは「世界のジョーク」と称して毎回小話をした(なぜか「ワニ」ネタが多かった。なお第1回放送では小話はなかった)。中には「フランス語でタコは?」「アシハッポン」などというのもあり、その直後に「お、石坂さん、『ニアピンハッポン』ですね」と言っていた。
    • 番組終了から数年後、巨泉は自分が出版した本やテレビ番組などで、50歳にセミリタイア宣言することを考えていた、と述べている。この番組開始当時は49歳で、巨泉はスタッフに対し「やってもいいが1年しかやらないよ」と言っている。また企画段階では漢字・ひらがな・英語・カタカナが入り乱れ「!!」までついた番組タイトル(本放送時には「!!」はなくなっている)、さらに「1枠・大学教授、2枠・若手女優……」といった『クイズダービー』に酷似した解答者案に難色を示し、「博識で有名な石坂浩二と、(当時大人気の)たけしを1枠2枠でキャスティングしてくれ」と注文をつけていた。他にもイーストに対して「世界の主要都市にイーストの事務所をつくれ」など無理難題を出したり、MBSとイーストだけで収拾がつかず、TBSや電通も絡んだこと、さらにイーストのスタッフが宿泊なしで巨泉を訪ねるためにハワイに行った際に、成田とホノルルのパスポートコントロールで「宿泊もなく、誰のスーパースターに会うんだ?」と審査で疑われたこともあった。1990年まで続いたのは番組内でたけしとのやり取りが楽しく、「この世界にもこんな面白いやつがいるんだ。もう少しやってみよう」と思ったためで、これが55歳までセミリタイアを延ばしたきっかけにもなった。
    • 番組にゴールデンタイム昇格の話が出た際、巨泉は「8時になると(番組に)制約ができる。どうしてもと言うのなら、ボク以外の司会者でやってくれ」と断固反対した。しかし、番組とは関係のないものの『お笑い頭の体操』『クイズダービー』のプロデューサーで心を許せる関係であった居作昌果による説得の末、番組の内容に制約をつけないことと自身主催のゴルフトーナメントのスポンサーにMBSがつくことを条件にして、昇格を受け入れたと後に語っている。
    • TBSでに放送されていた『クイズまるごと大集合』(TBS制作)では、関口宏(本放送時にはゲスト解答者として1度登場している)と、レギュラー解答者のビートたけしも司会を務めたことがある。

アシスタント

解答者

解答者は5人。番組開始当初は6人だった。解答枠は右側を1枠とする。

  • 石坂浩二(1枠):番組冒頭で紹介されると立ち上がって一していた。出題VTR補足をすることもよくあり、巨泉からは「教養担当助役」と呼ばれていた。石坂の本名(武藤兵吉)に由来するあだ名「兵ちゃん」はこの番組から知られることとなった。

当初はこれに沢田亜矢子もレギュラーで参加していた。

たけしがフライデー襲撃事件により番組出演を休止していた時期、たけしが番組復帰するまでの2枠は、タレントや文化人などのゲスト枠となっていた(笑福亭鶴瓶が一番多く座っていた)。ただし、この番組では巨泉が長期休暇でも出演しないということはなかったので大量に録り溜めしており、フライデー事件の後も何か月もの間「この番組は○月○日に収録されたものです」というテロップつきでたけしが出演していた。録り溜めが切れた後の最初の放送でそのことがネタにされ、出演者が「一体いつまで“何月何日に収録うんぬん”ってやっているんですか」と巨泉に突っ込んでいた。

一般に外国人解答者は日本人解答者より安い値段を答える傾向にあったため、巨泉はケント・ギルバートを「ケント・ネギルバート」(「値切る」と掛けている。名付け親は一視聴者)、チャック・ウィルソンを「ケチャック・ウィルソン」(「ケチ」と掛けている)「けち・やくお」(同じく一視聴者からのネーミングに由来)と呼んでいた。

ナレーター

番組開始当初は小倉智昭(後番組の『世界まるごと2001年』のナレーションも担当)を含めて数名でナレーションを行っていたが、「小倉のナレーションが一番面白い」という制作側の意向で、以後小倉が一人で担当することになった[3]。番組冒頭のタイトルコールも小倉が行っている。

この番組が小倉の出世作であり、「七色の声を持つナレーター」として有名になった。特に、当時石坂浩二がナレーションを務めたNHKドキュメンタリー番組『シルクロード』や、久米明がナレーションを務め、日本テレビ系で放送された『すばらしい世界旅行』などのパロディナレーションは定番であった。その一方で、時に「お色気問題」などではハイテンションなナレーションをすることがあり(例としてビーチで寝転んでいるトップレスの女性が映ると「もっと見せろ〜!」と絶叫するなど)、出題VTRが終わった直後に巨泉が「小倉のバカ野郎!!」「何を考えているんだ小倉は!!」と情け容赦なしにダメ出しツッコミを入れていた。まれに、モノトーン口調でナレーションをすると「今日の小倉は、一体どうしたんでしょうか?」と、巨泉から突っ込まれていた。

また、番組の性質上、ナレーターとは別に現地の出題者の吹き替え用に多くの声優が起用されたが、その中でも特に人気を博したのが及川ヒロオ。あまりにも独特な吹き替えを連発したため、特番で及川の吹き替えばかりを集めたコーナーが登場したほど。その際、顔出し出演を果たした及川は「(番組に出るのは)タバコ銭稼ぎですよ」と述べた。一方で吹き替えられた映像を観た本人から「俺はあんな風に大げさに喋っていないぞ」と苦情が来た事もある。

番組の構成

  • オープニングテーマ
テーマ曲、小倉智昭の「大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ」のタイトルコール。
  • オープニングトーク
前述のように大橋巨泉によるオープニングトークがある。
  • 解答者紹介
アシスタントが「それでは早速解答者をご紹介しましょう」と述べ、司会者とのトークを交えながら解答者を順に紹介。
  • 1問目出題
    • アシスタントが出題先を紹介して問題VTRへ(セットにある世界地図の出題先の箇所のランプが点灯)。
    • 問題VTR(それが終わると必ず「さて、(改行)HOWマッチ?」の字幕が出る)
    • 為替レート表示、続いてアシスタントは紙幣表示を行うが、例としてアメリカからの問題が1週につき2問以上あると、2回目以降はそれを行わない。
    • 司会者が問題を整理して改めて出題、シンキングタイム(特に音楽などはない)。
    • 各解答者が解答フリップを発表
    司会者とアシスタントの「HOWマッチ」の掛け声に合わせて解答フリップを出す。司会者が解答フリップ読み上げ、アシスタントは日本円換算値を付け加える。
    • 正解VTR
    • 巨泉が解答者に対してニアピンかロストボール等の判断を行う。
  • 提供クレジット・コマーシャル
  • 2問目出題
  • コマーシャル
  • 3問目出題
  • プレゼントクイズ
  • コマーシャル
  • 最終問題
  • エンディング
    エンディングテーマ、エンディングトーク、本日の成績、スタッフロール
  • 先週のプレゼントクイズなど
  • 提供クレジット・エンドカード

テーマ音楽

オープニングテーマやBGM関係(出題VTR以外)を手がけたのは前田憲男。テーマ音楽のメロディーはNHKクイズ面白ゼミナール』、TBS『ギミア・ぶれいく』、テレビ朝日ザ・テレビ演芸』(いずれも前田が作曲)によく似ている。巨泉との交友関係が深く、一度ゲスト解答者として出演もしている。オープニングテーマはCD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」に収録されている(小倉の「大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ」のタイトルコールつき)。このオープニングテーマの一部は、ホールインワン賞獲得時(冒頭のファンファーレ部分のみ。但し、最初期放送分を除く[4])、ニアピン賞が10本溜まった場合(これもホールインワン賞と同じく、冒頭のファンファーレ部分のみ)、ロストボールが10本溜まった場合(最後の一節のみ)にも流れていた。

出題形式・ルール・賞品

各回問題は全部で4問。初回は5問用意されていたが、巨泉がエンディングで「もう1問あったのに時間なくなっちゃったよ」と言っていた。また問題は全問近似値クイズで構成されており、正解との誤差によって解答者に賞が贈られていた。

問題はいずれも、世界各地のさまざまなモノ・サービスをVTRで見て、その対価を現地通貨で答えるというもの。このとき、参考としておおよその対日本円レートと、現地通貨の紙幣が紹介される。解答はフリップに書いて答える。アメリカからの問題は毎回必ず出題されていた。「せーの!!HOWマッチ」のシュプレヒコールのあとに3打音のジングルが鳴り、ほどなくすると巨泉が「○○さん、?ドル」と言うと西村はそれに続いて日本円の換算額を言う。

全員の回答が出そろったところで、「それでは○○さん、おいくらでしょうか?」と巨泉が出題した現地の人にキューを振って正解VTRを再生するが、出題編とは異なり、ボイスオーパーの吹き替えではなく字幕スーパーを表示して、現地の人が正解金額のフリップ(最初は番組ロゴと巨泉の肖像画→その後裏返して金額発表)を出す。その後あらためて、キャッシュレジスターの金額表示に倣ったロール字幕で正解金額を改めて表示する。

普通のクイズ番組と違い、トップ賞は決めてはいなかった。ただ、リバイバル版の「世界バリバリ☆バリュー」は当日分の結果でトップ賞を決めた。

正解に対する「賞」はゴルフに見立てたものとなっていた。

  • ピタリ正解の場合は「ホールインワン賞」として(テレビ画面には「ホールインワン賞・世界一周旅行」の字幕スーパーが出る[5])、解答者席には上部が地球儀の形をイメージした「ゴールデントロフィー」が置かれ、世界一周旅行獲得となる。世界一周旅行は、成田空港を出発してから自由な経路が選べ、再び成田に帰ってくるまで有効[6]。ただし、獲得してから1年間という有効期限があり、それまでに旅立たないと権利を失った[7]。獲得第1号はゲストだった沢田亜矢子(1983年5月5日放送。フランスの小型飛行機の価格42,000フラン。サブタイトルは「ついに出た!ホールインワン第一号!」)で、レギュラー陣ではビートたけしだった。(達成した回は1983年5月26日放送回。出した問題はアメリカ・ニューヨークの駐車移動料(この問題の正解は30ドル)だった。)なおこの際、正解発表のジングルが鳴っている間には観客からの大歓声がスタジオに響き渡り(同時にスタジオ背景に変わり、正解テロップがドラム回転しながら表示されている背景が画面下部中央付近にまで圧縮されてしまう)、スタジオがいったん暗くなる演出だった。ただし1問でホールインワン賞が一人もいなかった場合、観客からの拍手もなかった上、正解テロップがドラム回転しながら表示されている背景は、正解発表のジングルが鳴っている間でも画面中央下部にまで圧縮されず、そのまま原寸大で表示される(ジングルがほぼ鳴り終わろうとする頃には、正解テロップのドラム回転が止まる)。
  • 巨泉が「正解に近い」と判断した場合には「ニアピン賞」が与えられ、「ゴールデントロフィー」と同じデザインだが一回り小さいトロフィーが解答者席前に並べられる(その際の字幕スーパーは「ニアピン賞」と出る上、観客からの拍手もある)。ニアピン賞は3本獲得で東南アジア旅行(香港シンガポール)、5本獲得でハワイ旅行やグアム島旅行、7本獲得でアメリカ西海岸旅行などの海外旅行と引き換えられるが、10本まで我慢すれば世界一周旅行を獲得できた。番組後期は10個獲得での世界一周旅行がほとんどだった。ただし、レギュラー回答者以外でニアピン10本獲得により世界一周旅行を獲得したのは、神津カンナと、ゲスト最多出場の稲川淳二の2名のみである。ニアピン10本になった場合でもスタジオがいったん暗くなる上、かつファンファーレが鳴っている間でも観客からの拍手はあった。
  • ニアピン賞ほどではないが、そこそこの答えには「」(別名・仮ピン〈かピン〉)が与えられ、同じ回の放送でその後再び「仮」に匹敵する答えを出すと、「併せ技で1本」としてニアピン賞が与えられた。
  • 解答が正解から2桁以上離れていた場合、「ロストボール」として(テレビ画面には「ロストボール・(名前)」の字幕スーパーが出る)ニアピン賞1本が没収され、専用の棚(2段分のスペース)にそのトロフィーが飾られた。ロストボールを飾る棚にはその解答者の名前「〜様」がリボンをつけて記されていた。1988年9月1日放送分ではゲスト解答者だった高峰三枝子が1・3・4問目でロストボールを乱発させ、最終的にアメリカからの「スロットマシーン・コンバージョン 300台の総費用」を当てる問題をもってとうとう彼女のニアピンはゼロになってしまった。
  • 番組後期にはレギュラー解答者限定で、没収するニアピントロフィーがない場合、いわゆるマイナスポイントとして、月にデビルが乗った「デビル人形」が置かれるようになった。(テレビ画面には「デビル・(名前)」の字幕スーパーが出る)この「デビル人形」がある状態でニアピン賞を出した場合は、トロフィーを置く代わりに「デビル人形」がひとつ減った。減ったデビルはロストボールの棚に飾られる(本来ロストボールとして供出すべきニアピンを借りていたと考えられるため。初めてこの場面になったとき、石坂が強く主張した)。また「デビル人形」が10個になった場合は「黄金のデビル人形」に置き換えられるルールだったが、デビル人形10個達成者はついに現れず、そのため黄金のデビル人形が作られることもなかった。「デビル人形」ルールが新設されたのは、たけしがニアピントロフィーが1本もない時に、取られるニアピンがないのをいいことに適当な答えを乱発したことがきっかけであり、制度ができて第1号のデビル獲得者は、制度導入のきっかけとなった張本人のたけしであった。のちに石坂浩二、ケント・ギルバート、チャック・ウィルソンにもこの制度が適用された。
    • デビル・ロストボールが同時に発生した場合、テレビ画面には「デビル・(名前) ロストボール・(名前)」の字幕スーパーが出る)

ニアピン賞のトロフィー贈呈および没収とデビル人形の置き飾りおよび返却は女性アシスタントが担当していたが、その日の最終問題でロストボールが発生した場合は、巨泉自らがコメントを言いながらトロフィーを没収した[8]。また、同じく最終問題でロストボールを出した石坂浩二が、自らトロフィーをロストボール専用の棚に置きに行ったことがあった。

最終回に近づくにつれ、ニアピンを賭け出すという「プッシュ(方式)」も出だし、たけしがこの方式を頻繁に行っていた。

このような形式のクイズはフジテレビズバリ!当てましょう』のルールとほぼ似ている。[9]

換算レート

出題時には参考として、現地通貨と日本円のおおよその換算レートが紹介されていたが、経済・政治などの情勢の変化に応じた通貨単位やレートの変化から、そうした国際的な経済情勢を感じ取ることができたのも、この番組の特徴であろう。とりわけ放送当時の1980年代、中南米諸国の経済危機によるハイパーインフレへの対応から頻繁に通貨が切り上げられ(ボリビアの通貨の換算レートが10,000ボリビアペソ=0.1円ということがあった)、時にはいくつかの現地通貨の呼び名が頻繁に変わるなど(ブラジルのクルゼイロ→クルザードなど)していたことや[10]、先進国においても1985年プラザ合意による急速な円高ドル安が進行したことなども、そうした視聴者の印象を高めたと考えられる。ちなみに、番組開始の時点での米ドルは1ドル約240円[11]だった。

解答を日本円ではなく現地通貨で当てる方式のためか、珍解答がしばしば出た。中でも井森美幸の「7千兆ドル」(1987年11月5日放送分より、当時のレートで約98京円[12]。その後、井森が『クイズダービー』に5枠ゲストとして2回目に登場した時には巨泉から「恐怖の7千兆ドル、井森美幸ちゃんでーす!」と紹介された)、「500億マルク」(当時のレートで約4兆円)はいずれも大変な巨額である。このようなあまりにも大きすぎる金額の場合、本来であれば解答者が書いた金額をアシスタントの西村知江子が日本円で計算して発表するところが、「計算できません…天文学的数字の金額です」と拒絶されることも多々あった。さらに1988年11月3日放送分の3問目、すなわちセネガルからのゴルフのようなものに関する問題で、ゲスト解答者だった松崎しげるが「25CFAフラン」と表示した際、西村は「12円50銭です」と発言した(のちに松崎は「250CFAフラン(約125円)」と書き直すが、正解は「500万CFAフラン(約250万円)」で、ご多聞にも漏れず結果はロストボールだった)。

特別番組として放送された『クイズまるごと大集合』では、まれに日本国内の問題が出題されたが、律儀にも換算レートが「1円=1円」と表示されていた。

視聴者プレゼント

通常問題とは別に視聴者プレゼントクイズが1問あった。3問目終了後必ずサイレンが鳴って「今週のプレゼントクイズ」と□で囲った字幕スーパーが回転しながら表示され、いったんCMを挟んでからこのコーナーに入る。このときはフリップを使わず、巨泉が解答者に1人ずつ問いかける形で答えを聞き出し、巨泉から正解に近い解答者の答えを応募の目安にしていたが、時にはホールインワン賞に相当する答えを出したこともしばしばあった。稀に巨泉が1989年11月2日放送分に出題された「ハンガリーのチェーンブリッジ 1時間分の照明料金」のように「何千何百と書いてください」と視聴者にアドバイスしていたこともあった(翌々週の正解発表における答えは4,700フォリント(約9,400円)だった)。

視聴者プレゼントにも解答者の解答状況が影響した。通常は、番組開始当初は10桁を計算できる電卓、あるいはプレゼントクイズのお題になった商品そのもの、ないしは番組スタッフが現地から持ち帰った土産品、後期は世界時計(番組タイトルとMBSのロゴ入り、稀に前述の土産品とセットになることもあった)がプレゼントされていた。しかし、ホールインワンが発生した場合、またはニアピン・ロストボール(ロストボール棚のデビルも含む)が10個となった場合[13]には、プレゼントクイズ正解者から1組2名のカップルにハワイ旅行(末期は、プレゼントクイズの出題地の海外旅行)が贈呈された。また、デビル人形が10個たまった場合、ためてしまった解答者が自費で視聴者に世界一周旅行をプレゼントするルールもあった。

なお、世界時計のプレゼントがあった場合は、賞品紹介の際に巨泉じきじき「ご好評いただいております(または単に"ご好評の")、世界時計を…」と言うお約束事があった。プレゼントを世界時計のみにした理由としては、例として1988年11月3日放送分の「アメリカのゴルフクラブ 1本のお値段は?」のように巨泉が「皆様に古いクラブを差し上げても仕方がございませんので…」や、1989年3月2日放送分の「ベトナムの髪の毛 1束のお値段は?」のように同じく巨泉が「髪の束を差し上げるわけにもいきませんので…」のセリフなどが挙げられる。

プレゼントクイズのあて先はMBSであるが、大阪ではなく、東京あて[14]となっていた。正式にはMBS東京支社制作の番組として扱われていたためである。(他のMBS東京支社の番組の一部もあて先がこれに該当するものがあったが、同じMBS制作TBS系列で放送されていた『世界ウルルン滞在記』についてはスタジオ観覧は東京、プレゼントは大阪あてだった)

正解発表はその問題を出した2週間後に発表されるのが慣例。最終回のプレゼントクイズについては、後番組『世界まるごと2001年』の第2回目に正解と当選者発表があった。この慣例は『2001年』でも同様に続いた。これは後述のネット局一覧に注釈したとおり、一部の遅れネット局でもプレゼントに応募できるように配慮したためだった。なお、このパターンは、「新・チューボーですよ」でも見られる。

本放送終了後の関連事項

後継番組

後継番組として、本番組のスペシャル『クイズまるごと20世紀』をレギュラー化した『世界まるごと2001年』が1990年4月12日から1991年3月28日まで放送された。巨泉はスーパーバイザーとして番組に携わり、顧問(後に御意見番的なジジィという意味を込めて“今週の彦左衛門”と紹介されていた)として数回出演した。

特別企画

  • 番組終了から半年後の1990年10月、『帰って来た・世界まるごとHOWマッチ』を放送。この際、石坂が「旧東ドイツの新型トラバント」の値段を当てる問題で12,000ドイツマルク(当時108万円)と解答し、ホールインワン賞を獲得した。
    • もともと当番組の最終回エンディングにて、巨泉が「イーストの連中がまた世界中から面白い問題を集めてくるだろうから、半年に1回ぐらいはスペシャルでやろうかと思っている」と語っていた[15]ものの、実際にはこの1回で終わっている。
  • 1990年放送の『ギミア・ぶれいく』では、1度だけの特別企画として日本国内取材の出題VTR構成で日本円で答える「日本まるごとHOWマッチ」として制作された。司会は巨泉、解答者はすべて外国人だった(話のやり取りもすべて英語だった)。出題VTRのナレーションは英語版は小林克也が、日本語版は小倉智昭がそれぞれ務めた。
  • 1994年放送の『テレビの王様』では「テレビまるごとHOWマッチ」として本家のパロディ版ではあるが1度限り(当初は数回行うことになっていたが、結局は1回だけに終わった)の復活となった。ナレーションは当時と同じく小倉が担当。司会役は松村邦洋、アシスタント役は三宅裕司だった。
  • 2009年3月まで同じ時間帯で放送されていた『うたばん』(TBS制作)にてパロディが行われたことがある。司会の巨泉役にはコージー冨田が起用された。アシスタントはTBSアナウンサーの山内あゆが担当した。
  • 2010年3月からTBSと一部系列局で放送されている『有吉AKB共和国』では本家のパロディ版である「世界まるごとHOWロング」と題したコーナーが存在し、その長さの数を答えるというものがある。BGMは完全にオリジナルだが、タイトルロゴは本家と同じである。

他系列局でのパロディ

  • 2012年9月29日放送のテレビ大阪テレビ東京系列)『たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜』で「世界悪(ワル)ごとHOWマッチ」と題した企画があり、パネリスト出演者全員が解答者としてクイズに臨んだ。BGMは完全にオリジナルだが、タイトルロゴは本家とほぼ同じである。パロディ企画ではあるものの、クイズの進行部分はほぼ本家に近い形で再現されている。ちなみにホールインワン賞では賞金10万円、ニアピン賞では番組特製のQUOカードがプレゼントされた。

スタジオセット

番組は大阪のMBS制作であるが(MBS側の担当は営業、CM出し、スポンサークレジット出し)、東京支社での制作のため番組収録は東京のTBS・旧Hスタジオ(番組初期)と渋谷ビデオスタジオ(同後期)で行われていた。セットは1989年4月の1度、リニューアルがなされている。

初代セット(1983年4月7日 - 1989年3月30日
地球に見立てた球状のオブジェがあり、スタジオカメラから見て左に解答者席、右に司会者席がある。解答者の背景セットに世界地図が描かれたものを使用。出題先がニューヨークであればニューヨークの位置にランプがあり、出題先紹介のときにそこにズームアップされる。よって、南半球が出題先となると、解答者の後ろに隠れている場合がある(たいていは解答者がランプが見えるように避ける)。
各解答者の席はそれぞれ独立している。
司会者席は右側に司会者、左側にアシスタントが座る(それぞれ席は独立)。
2代目セット(1989年4月6日 - 1990年4月5日
球状オブジェが地球儀に変更され、出題先紹介のランプもこの地球儀上に設けられるようになった。
これにともない、解答者の背景セットも変更され、解答者席も初代を踏襲しつつ丸みのある形状となった。

この球状オブジェおよび地球儀はオープニング・提供バックの映像にも使われていた。

スタッフ

ネット局

※系列は放送当時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考
近畿広域圏 毎日放送 TBS系列 制作局
関東広域圏 東京放送 同時ネット 現:TBSテレビ
北海道 北海道放送
青森県 青森テレビ
岩手県 岩手放送 現:IBC岩手放送
宮城県 東北放送
秋田県 秋田放送 日本テレビ系列 遅れネット [16][17]
山形県 山形テレビ フジテレビ系列 遅れネット
→同時ネット
→遅れネット
1989年9月まで[18]
テレビユー山形 TBS系列 同時ネット 1989年10月開局から
福島県 福島テレビ フジテレビ系列 1983年9月22日打ち切り[19]
テレビユー福島 TBS系列 1983年12月8日から[20]
山梨県 テレビ山梨
新潟県 新潟放送
長野県 信越放送
静岡県 静岡放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列 遅れネット [21][17]
石川県 北陸放送 TBS系列 同時ネット
福井県 福井テレビ フジテレビ系列 遅れネット [22]
中京広域圏 中部日本放送 TBS系列 同時ネット 現:CBCテレビ
鳥取県
島根県
山陰放送
岡山県
香川県
山陽放送
広島県 中国放送
山口県 テレビ山口 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
愛媛県 南海放送 日本テレビ系列 遅れネット [23][17]
高知県 テレビ高知 TBS系列 同時ネット
福岡県 RKB毎日放送
長崎県 長崎放送
熊本県 熊本放送
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送
鹿児島県 南日本放送
沖縄県 琉球放送 同時ネット
→遅れネット
→同時ネット
[24]

関連書籍

  • 「保存版世界まるごとHOWマッチ 7年間の思い出を込めて」イースト海外取材班編(ワニの本・KKベストセラーズ

関連項目

脚注・出典

テンプレート:Reflist

テンプレート:前後番組 テンプレート:大橋巨泉

テンプレート:ビートたけし
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  2. http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/06quiz.htm
  3. これは小倉がゲスト出演したトーク番組『メレンゲの気持ち』(日本テレビ)で語っていたことである。
  4. 最初期のホールインワン賞の音楽は、ニアピン賞の音楽を、リズミカルにかつ賑やかにしたものである。
  5. このとき、司会者席から離れ、獲得した解答者席に向かった巨泉から祝福を受ける。
  6. 旅行対象はニアピン賞の旅行も含め基本的に一人であるが、稲川淳二がホールインワン賞獲得後の出演で「オーストラリア旅行で家族サービスできた」とコメントしたことがあり、旅行ルートによってはある程度の人数の融通が効いたことが推測される。
  7. 神津はづきがこのルールによって世界一周旅行の権利を失ったことがあり、以降の出演時にも巨泉にこれをネタにされからかわれていた。
  8. ホールインワン賞が出たときにデビル返却があったときは巨泉自ら取ってアシスタントに渡すこともあった
  9. こちらは、ズバリ賞=正解の金額を当てた場合に家電製品一式のセット、近い回答を出した人にはポイントを与え、最多得点者に家電製品から1品を選んで贈呈した。
  10. 極稀なケースとして、ハイパーインフレが加速し過ぎると、現地通貨を使用せずに米ドルで換算させることもあった
  11. 因みに、1983年4月7日の東京外国為替市場の円相場終値は、1ドル=237円65銭である。
  12. 同日の番組内で使用された換算レート1ドル=140円による計算。この日の東京外国為替市場の円相場終値1ドル=135円95銭で換算すると95京1650兆円。参考までに2014年4月時点のレートでは約70京円。回答紹介直後、アシスタントの西村知江子は「わかんないですね…」と苦笑しつつ発言、たけしは「(井森の回答を)飛ばしましょう」とあきれ返ると共に、巨泉も「この額はアメリカ全体の(当時の)国家予算よりも高いです」と返しているが、1987年のアメリカ合衆国の歳出は約1兆40億ドルのため、単純比較で国家予算約7000年分に相当する(参照:テンプレート:PDFlink)。なおこの問題で、石坂、たけしは共に2800万ドル(番組内レートで39億2000万円・先述の東京外為市場終値で38億660万円)、ギルバートが1200万ドル(番組内レートで16億8000万円・東京外為市場終値で16億3140万円)と回答しており、井森の回答額は他回答者の回答よりも2億5000万倍以上高い。
  13. ロストボールが10本達成時にが字幕スーパーに「ロストボール・ついに10本達成!」が出る。
  14. 当番組の視聴者プレゼントのあて先は芝郵便局あてとなっていた。
  15. ただし巨泉はこの時「私が生きていたら…」と付け加えており、実際にはリップサービスだったとも思われる。
  16. 2日遅れの土曜日17時からスポンサー(佐川急便と地元スポンサー)も差し替えられた上で放送されていた。そのため、オープニングの提供クレジット及びエンディングは差し替えられ、次週の解答者(予告)も放送されなかった。
  17. 17.0 17.1 17.2 24時間テレビ 「愛は地球を救う」』放送日には放送時間変更があった。
  18. 放送時間は数週遅れの日曜14時→同時(のち3時間遅れ)木曜日22時、『木曜座』以前からこの枠を放送していた。また、本番組の放映権がテレビユー山形へ移行後は『木曜劇場』のネットを開始したものの、本番組と異なり7日遅れでかつローカルスポンサーに差し替えての放送だった(1993年3月まで)。
  19. TBS系列メインのクロスネット局からフジテレビ系フルネット局へネットチェンジ後も視聴者保護のためTBS系番組の番販ネットを行っていた。
  20. 厳密には、サービス放送期間中の1983年12月1日から。
  21. 3日遅れの日曜日10時から放送。秋田放送とは異なり、提供クレジットのみ地元スポンサーと差し替え(エンディング部分はそのまま)。
  22. 4日遅れの月曜日22時から放送。本番組終了後も『SMAP×SMAP』同時ネットまで『オレたちのオーレ!』時代からはネットせず、毎日放送制作枠として継続。こちらも提供クレジットはローカル差し替えで、初回から最終回まで必ず白鶴酒造オッペン化粧品の2社がスポンサーに入っていた。
  23. 2日遅れの土曜日22時から放送。秋田放送、北日本放送同様、スポンサーの差し替えが行われていた。遅れ放送のため、視聴者プレゼントの締め切りを翌週月曜日の消印有効にするといった、南海放送独自の計らいもあった。
  24. 1984年10月から1986年9月の2年間は2日遅れの土曜日17時から時差ネット。TBS系列単独加盟ながら日本テレビの『木曜スペシャル』を同時ネットしていたため。なおスポンサーは差し替えずにそのままネットしていた。