小林克也

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テンプレート:混同 テンプレート:ActorActress 小林 克也(こばやし かつや、1941年昭和16年)3月27日 - )は、日本ラジオDJナレータータレント俳優である。広島県福山市出身。広島大学附属福山高校卒業、慶應義塾大学経済学部中退。愛称:KORBY(コービー)。自称「ミスター音楽」。

来歴・人物

小学校3年生の頃、ラジオで駐留軍放送(FEN)を聴いたことから英語に興味を持ち始め、小学校6年の終わりごろから親戚の知り合いに英語を習い出し、英語の発音を徹底的に教えられる[1]。中学時代はボイス・オブ・アメリカやオーストラリア放送などを短波で熱心に聴取し、エルヴィス・プレスリーをはじめとするロックに夢中になる[1]

広島大学附属福山高等学校にトップ合格した後も英語に熱中し、将来は英語を活かす仕事をすると決めていたため、幾何学など英語以外の科目はどうでもよくなったという[2]。このため、大学受験では東京外国語大学なども受けたが英語以外の成績に問題があったことから合格せず、英語の配点が多い慶應義塾大学経済学部に入学[2]。慶應義塾大学在学中に運輸省の通訳案内業国家試験に合格し外国人相手の観光ガイドのアルバイトを始めるも、こちらに精を出し過ぎ、好きな英語でも経済学の英語原書には全く興味を持てず、大学を中退。外国人相手のナイトクラブなどの司会を本業とした。1970年、『バブリング・ポップス』(ラジオ関東 = 現・アール・エフ・ラジオ日本)のDJで電波デビュー。この番組はワーナー・パイオニアの新譜(主に洋楽)を紹介する番組であった。

1970年代後半に選曲家の桑原茂一とともにラジオ大阪でラジオ番組「スネークマンショー」を開始。「スネークマン」の名は、小林が米国のDJウルフマン・ジャックのパロディとして登場させたキャラクターが由来である(小林が巳年生まれのため)。当初はDJスネークマンによる音楽番組であったが、後にDJのオーディションで知り合った俳優の伊武雅刀を誘って[3]、小林がキャラクター「咲坂守」などで2人の掛け合いによるコントを番組の曲間に挟む形式になった。当時としてはシュールで過激、不謹慎、下ネタを連発するコントがやがて話題を呼び、大阪ローカルから東京に進出しマニア的なブームを起こした。さらにテクノポップバンドYMOが自身のレコード『増殖』に『スネークマンショー』を収録したことにより、音楽業界への知名度を上げたのはもちろん、後のエンターテイメントにまで幅広く影響を与えた。

1981年にスタートしたテレビ朝日深夜番組ベストヒットUSA』では司会(VJ:ヴィジュアルジョッキー)を務め、洋楽ミュージックビデオを紹介。数多くの来日アーティストに小林自らインタビューを行うなど、本格的な洋楽番組として名を馳せた。1989年に終了するが、単発特番が組まれた後、2003年からはBS朝日NACK5などで復活している。

1982年に結成した中年バンド「小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンド」でのアバンギャルドな音楽活動でも知られる。ハワイ移民の広島弁をフィーチャーしたデビュー曲「うわさのカム・トゥ・ハワイ」は日本語ラップのはしりとして一部に評価が高い[4][5]桑田佳祐は自身の「ラップの起源は『うわさのカム・トゥ・ハワイ』。あれを克也さんに聴かされて、それにちなんで他のラップのアルバムを1、2枚聴いた」と述べている[6]

現在でもラジオDJとしてレギュラー番組を多数抱え、リスナーに絶大な支持を受けている。日本に長年に渡り洋楽を紹介した功績は限りなく大きい。そのためか、『小林克也のSUPER DANCE BEATS』など小林の名を冠したCDがいくつか存在する。また、抜群な語学力を活かし、英語関連の著書、教材も多数手掛ける。

名前が同音異字の有名人に、俳優・小林勝也小林且弥英語版)がいる。

逸話

  • サザンオールスターズ桑田佳祐とは、1980年代初頭から長年の交流があり、サザンの楽曲制作に多数協力し、多数のアルバムにSpecial Thanksのかたちでクレジットされている(主に初期作品での英詞の監修)。桑田は小林について「当時から洋楽の知識や新しい情報をたくさんご存知で、僕もいろんな事を克也さんから学びました」と述べている[6][3]。ザ・ナンバーワン・バンドのアルバム『もも』(1982年)で楽曲提供・ヴォーカル参加した「六本木のベンちゃん」の歌詞、"ゴトウ花店"、"秀和レジデンス"など、当時小林が会話に使っていた言葉を羅列したものだという[6]。サザン1982年のアルバム『NUDE MAN』の1曲目「DJ・コービーの伝説」は、DJ・小林克也をモデルにした楽曲である[6]。小林は『KAMAKURA』(1985年)収録の「死体置き場でロマンスを」にもMCとして参加している。また、2004年に発売されたサザンのDVD『ベストヒットUSAS』は全編ベストヒットUSAのパロディであり、小林もサザンのミュージックビデオを紹介するMCとして出演している。2008年の「サザンオールスターズ 『真夏の大感謝祭』 30周年記念LIVE」では、映像で出演し、ライブの開始を告げた。
  • 英語の発音に関しては日本人DJの中でもトップクラスであるが、帰国子女でもなく留学経験もなければ、ハーフでもない純粋な日本人である。帰国子女として英語を身につけたのでなく、FEN聞き取りを通じた習得方法により国外滞在経験を持たないまま高い英語力や発音を身につけた。発音に関しては、口の形、舌の位置、口の周りの筋肉を鍛えることを重視しており、そのノウハウの一部はかつて『百万人の英語』から小林出演のVHSビデオテープとして発売され明かされた。
  • 徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』(ニッポン放送、2013年8月31日)で語ったところによれば、当時、運輸省の通訳案内業国家試験の倍率は35倍でそれを一発合格したのちに外国人相手の観光ガイドのアルバイトを始めた。しかし、広島から上京して1年半しかたっていなかった小林はきかれても何もわからず、ただひたすら"I don't know.(わからない)"を繰り返し、ついには神社と中華飯店を間違えてしまい、観光客を激怒させてしまった。そのため、クビになりかける。ところがその次にやってきた客に対してはFENを聴き続けた時に得た音楽知識で場の空気を盛り上げ、大いに気に入られたという。ちなみにその客はアメリカのラジオ局の副社長だった。
  • 高校時代、古文をカリキュラムとして学習させられることに関し、「なんでこんなに誰も使わない死んだ言葉を勉強しなきゃならないんだろう?」と疑問に感じたそうである。その影響か、大学受験では入試科目に古典が一切なく、英語を重視する慶應義塾大学経済学部に入学する。
  • 2006年1月現在、全国で680店舗を展開するユニクロ(UNIQLO)が、1984年6月に広島市中心部に開いた1号店(中区袋町)開店の時、広島ローカルのCMに起用され、のち全国展開が始まってからも、しばらくの間CM等に登場していた。当時の店名は「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)といい、ユニクロなる呼称は当時の店名の略称が元になっている。なお、この1号店は現在はない。また、ユニクロが現在のような有名ショップになった後も、再度CM出演したことがある。
  • テレビ番組『ねるとん紅鯨団』に出演した際に、好きなタイプの女性を訊かれて「ソフィア・ローレン」と答えている。
  • テレビ番組『ザ・ベストヒット'83』ではビートたけしと共演。細川たかしの「矢切の渡し」を英語風に「ヤギリノワタシ!」と紹介した。
  • 広島県出身であるため広島東洋カープのファンであり、自身のラジオ番組で話題に挙げる事がある。

主な出演

ラジオ番組

現在の出演番組

過去の出演番組

上記のうち、『ファンキーフライデー』『お願い!DJ!』『ZIP HOT 100』の3番組はいずれも4時間以上の長時間生放送番組であり、放送日もそれぞれ金曜・土曜・日曜と連続している点は注目に値する。しかし、『ZIP HOT 100』は本人の意思により3月26日放送をもって降板した。詳しい経緯は小林克也のRADIO BAKAの「3つ目のボタン」中の『小林時々日記』に書かれている。

テレビ

現在の出演番組

過去の出演番組

テレビドラマ

映画

アニメ声優

PV

ゲーム

イントロ

「輝け! 8人ライダー」(仮面ライダー (スカイライダー)後期ED)- イントロコーラスを担当。

ナレーター&CM

出演(テレビ)

  • 日本ビクター(現・JVCケンウッド) シティジャック - 1983年放映。前述の小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンドでリリースされた「うわさのカム・トゥ・ハワイ」を歌っている。
  • ユニクロ 1984年ユニクロ第一号店である「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」の開店から90年代後半まで長年にわたってイメージキャラクターとして活躍していた。
  • 日清食品 ウォーキングカラオケプレゼントキャンペーン※三波春夫ばりの着流し姿にラメのアイシャドーを塗って熱唱。
  • 興和 ミカロン - 同じく1983年放映。シャワールーム内で頭を洗う男性の後ろ姿をバックに、ベロシティマイクをセットしたディスクの前で、小林がミカロンの説明しながら、最後に「It's A Rainbow!ミカロン、コレです」という風に締めていた。
  • サンガリア ウィスパー ※1985年頃にアニメ声風の声を発するパペットとともに出演。ウィスパーは2003年頃に製造中止になり、2010年7月に復刻販売されている[7]
  • 慶応進学会

ほか多数

声の出演(テレビ)

ほか多数

ナレーション(テレビ)

ほか多数

ラジオ

音声ガイド

楽曲

  • つりビット-「踊ろよ、フィッシュ」(山下達郎のカバー・ラジオから流れるDJという設定での出演)

レコード・CD

ザ・ナンバーワン・バンド名義

アルバム

  • もも
  • 東京あたり
  • ラジオ ショー
  • はっぱすいすい
  • BAD SONGS
  • ワイルドで行こう
  • GO GO BOY
  • 極楽ドンバ
  • ます
  • ももんこ

シングル

  • うわさのカム・トゥ・ハワイ/ザ・ナンバーワン・バンドのテーマ
  • 六本木のベンちゃん/最新アメリカ式美容体操(桃を食べよう)
  • 野球小僧/プロレスを10倍楽しく見る方法/今でも豊登を愛しています
  • USA慕情 MIX#01/MIX#02
  • ワイルドで行こう/ワイルドで行こう -Valentine Mix-
  • 僕ちゃんたちのお店/ゲット オフ マイ スーパーポコ
  • 六本木のおじさん/レゲエのおじさん

著書

  • 小林克也のビートにノッて70短文英会話(光文社、1987年4月、ISBN 978-4334051372)
  • 英語のクスリ(イーフロンティア、2001年12月、ISBN 978-4590011219)
  • うわさのファンキーフライデー(辰巳出版、2009年1月、ISBN 978-4777805013)

関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 『ブルータスたちの芳醇な自叙伝 この人を見よ。』(マガジンハウス、1988年)p.73
  2. 2.0 2.1 『ブルータスたちの芳醇な自叙伝 この人を見よ。』p.74
  3. 3.0 3.1 「SWEET SIXTY THE 還暦!」小林克也還暦パーティ潜入レポート
  4. 平山雄一『弱虫のロック論 GOOD CRITIC』角川書店、2013年、p.148
  5. SPEEDSTAR ONLINE - Victor Entertainment - 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 『SWITCH』(VOL.30.2012年7月、スイッチ・パブリッシング)p.19-21
  7. テンプレート:Cite web

外部リンク

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