大阪国際女子マラソン
テンプレート:For テンプレート:Infobox Athleticrace 大阪国際女子マラソン(おおさかこくさいじょしマラソン)は、新春の大阪・なにわ路を舞台に繰り広げる国際マラソンである。1982年から開催。ただし、第1回〜第3回は「大阪女子マラソン」の名称で実施され、「大阪国際女子マラソン」となったのは1985年の第4回大会からである。なお、1995年の第14回は、開催直前で阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の発生により中止となっている。
尚、本項目では、同日に開催される「大阪ハーフマラソン(おおさかハーフマラソン)」についても記述する。
目次
概要
開催日は第1回大会を除いて、第2回大会以降は1月の最終日曜日に設定されている。レースは長居スタジアムをスタートして、3つのクライマックスとも言われる中之島、御堂筋、大阪城を抜けて、長居スタジアムに戻る42.195kmで争われる。2008年に幕を下ろした東京国際女子マラソンの坂が続くコースと比べると、2009年にスタートした横浜国際女子マラソンのコースとほぼ同じ平坦な道が続くため、好記録が出易いと言われている。横浜国際女子、名古屋ウィメンズマラソンとともに、夏季オリンピック、世界陸上競技選手権大会、アジア競技大会の代表選考を兼ねており、毎年激しいレースが繰り広げられている。
- 主催
- 主管
- 後援
- 協賛
- 日東電工: 第24回(2005年)〜現在
- 協力
- ダイハツ工業: 第24回(2005年)〜現在
- シチズンホールディングス[† 1]: 第1回大会(1982年)〜現在
- 過去の協賛・協力
- 三菱自動車工業: 第22回(2003年)〜第23回(2004年) - 第1回〜第23回までは車両協力
- ローソン: 第21回大会(2002年)
- ダイエー: 第1回(1982年)〜第20回(2001年)
- 大塚製薬: 第23回(2004年)〜第26回(2007年)
- ミズノ: 第1回(1982年)~第31回(2012年)
- デサント: 第32回(2013年)
参加資格
- 一般選手の場合
- 日本陸上競技連盟の登記・登録者
- 開催日現在で満19歳以上の女性
- 下記いずれかの記録保持者、又はこれ相当の実力と日本陸上競技連盟が認めた者。
- マラソン:3時間15分以内
- 30km走:2時間13分以内
- ハーフマラソン:1時間30分以内
- 20km走:1時間25分以内
- 10,000m走:37分以内
- ここに掲げた記録は2009年1月以降のもので、日本陸上競技連盟の公認競技会の記録に限る。なお、世界記録の動向により随時見直される。
- 招待選手の場合
- 外国招待選手(約15名) - 日本陸上競技連盟が推薦する者
- 国内招待選手(約20名) - 日本陸上競技連盟が推薦する者
なお、参加料は5,000円である。
競技コース
競技コース(2010年大会まで) Google Map | |||
---|---|---|---|
往路 | 復路 | ||
▽ | 長居スタジアム | ||
▽ | 長居公園 周回道路・東半分 | △ | |
▽ | 長居公園 出口ゲート | △ | |
▽ | 長居公園通 | △ | |
▽ | 湯里6交差点 | △ | |
▽ | 今里筋 | △ | |
▽ | 大池橋交差点 | △ | |
▽ | 勝山通 | △ | |
▽ | 勝山3交差点 | △ | |
▽ | 玉造筋 | △ | |
▽ | 森ノ宮駅前交差点 | △ | |
▽ | 中央大通 | △ | |
▽ | 城南交差点 | 大阪城公園外堀 | △ |
京橋口 | △ | ||
大阪城公園内堀 | △ | ||
▽ | 本町通 | △ | |
▽ | 馬場町交差点 | △ | |
▽ | 上町筋 | △ | |
▽ | 京阪東口交差点 | △ | |
▽ | 土佐堀通 | △ | |
▽ | 北浜1交差点 | 淀屋橋 | △ |
▽ | 堺筋 | ||
▽ | 難波橋 | ||
▽ | 中之島通 | ||
▽ | 中央公会堂前 | ||
▽ | 大阪市役所前 | ||
▽ | 御堂筋 | △ | |
新橋折り返し (19.3km) | △ |
2011年の大会は20年ぶりにコースが変更された[† 2]。これにより高低差が23mから9mと少なくなり、より高速なコース設定になった(コース図、GoogleMap)。
- 長居公園を出るポイントの変更 - 旧コースは長居公園の南の端だったが新コースは大阪市営地下鉄御堂筋線の長居駅付近に変更。尚、帰って来たランナーは同じ所から公園に入って往路で使わなかった残りのコースを復路のコースとして使用する。
- 序盤/終盤のコースの変更 - 旧コースは長居公園を出てから長居公園通を通ったが、新コースではあびこ筋と松虫通の2つの通りを通るルートに変更。その分、今里筋の通る距離が短縮され長居公園通はコースから外した。
- 中盤戦のコースの変更 - 旧コースは中央大通を通ったが、新コースでは大阪城公園の外堀を通るルートに変更。また、往路は大阪ビジネスパークを経由するルートに変更(玉造筋の距離を延長)。これにより大阪城公園内の起伏の激しい箇所をコースから外した。尚、中央大通は2011年からスタートの大阪マラソンのコースに組み込まれる。
- 御堂筋の走行区間の延長 - 折り返し地点は旧コースは新橋の交差点だったが、新コースではそこから約800m南に延長して道頓堀橋の南詰(グリコ看板西側)に変更した。
直近の成績
- 2014年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | タチアナ・ガメラシュミルコ | テンプレート:Flagicon ウクライナ | 2時間24分37秒 |
2 | 赤羽有紀子 | テンプレート:Flagiconホクレン | 2時間26分00秒 |
3 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon ポーランド | 2時間26分31秒 |
4 | 前田彩里 | テンプレート:Flagicon佛教大学 | 2時間26分46秒 |
5 | マルタ・レマ | テンプレート:Flagicon エチオピア | 2時間28分06秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:17 | 14:35 |
天候 | 曇り | 曇り | 晴れ |
気温 | 9.6 ℃ | 10.5 ℃ | 9.5 ℃ |
湿度 | 61 % | 45 % | 49 % |
風向風速 | 東 1.9 m/s | 北 2.8 m/s | 南東 2.0 m/s |
4年振りにペースメーカー抜きでレースを開催。当初は野口みずきも出場を予定していたが、大会直前に右大腿部の疲労骨折が判明したため、3年連続で大会を欠場した。レースでは、この大会を最後に第一線から退くことを表明していた赤羽有紀子が、19km手前から37kmまで前年優勝のタチアナ・ガメラシュミルコと一進一退の先頭争いを展開。37km過ぎでガメラシュミルコに振り切られたものの、日本人トップの2位で引退レースを締めくくった。また、仏教大学4年生の前田彩里が、一般参加選手でトップの4位に入賞。従来の日本学生記録を5分縮めるゴールタイムで、マラソンデビューを果たした。さらに、前田の母・淳子も、一般参加ながら2時間55分24秒という好タイムで完走。前田親子の合計タイムは5時間22分10秒で、ギネスブックに登録されている「親子による同一マラソンでの合計ゴールタイムの世界記録」(5時間30分21秒)を更新した[1]。国内招待選手の1人として出場した2012年大会優勝者の重友梨佐は、序盤こそ先頭集団の中で快走していたが、15km過ぎから急激に失速。結局、自己ワースト記録の2時間58分45秒で64位に終わった。 テンプレート:Hidden begin
- 2013年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | タチアナ・ガメラシュミルコ | テンプレート:Flagicon ウクライナ | 2時間23分58秒 |
2 | 福士加代子 | テンプレート:Flagiconワコール | 2時間24分21秒 |
3 | 渡邊裕子 | テンプレート:Flagiconエディオン | 2時間25分56秒 |
4 | 小﨑まり | テンプレート:Flagiconノーリツ | 2時間26分41秒 |
5 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon オーストラリア | 2時間29分09秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:18 | 14:34 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 6.4 ℃ | 5.4 ℃ | 7.2 ℃ |
湿度 | 50 % | 50 % | 53 % |
風向風速 | 南西 1.5 m/s | 南南西 1.0 m/s | 南東 1.5 m/s |
前年同様に野口みずきがエントリーするも、急性胃腸炎により2年連続の欠場に。本番でのペースメーカーは17分/5km前後で推移、それに付いた先頭集団は5人に絞られる。30km地点でペースメーカー離脱後は福士加代子の独走態勢となり、35kmではタチアナ・ガメラシュミルコに30秒差をつけたが、福士は徐々にペースダウンし40km地点では19秒差に。結果ガメラシュミルコの猛迫に逃げ切れず、ゴール迄残り1km過ぎで福士は逆転されてしまうが、日本人トップの2位に入る。世界陸上モスクワ大会女子マラソンで即内定条件の、日本陸連の派遣設定記録の2時間23分59秒以内に届かずも、4月25日に福士は世界陸上で初の女子マラソン日本代表に選出された。
- 2012年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 重友梨佐 | テンプレート:Flagicon天満屋 | 2時間23分23秒 |
2 | タチアナ・ガメラシュミルコ | テンプレート:Flagicon ウクライナ | 2時間24分46秒 |
3 | 野尻あずさ | テンプレート:Flagicon第一生命 | 2時間24分57秒 |
4 | 堀江知佳 | テンプレート:Flagiconユニバーサル | 2時間28分35秒 |
5 | 嶋原清子 | テンプレート:FlagiconセカンドウィンドAC | 2時間29分51秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:16 | 14:33 |
天候 | 曇り | 曇り | 曇り |
気温 | 5.5 ℃ | 6.6 ℃ | 6.5 ℃ |
湿度 | 56 % | 46 % | 50 % |
風向風速 | 西北西 1.3 m/s | 北 0.8 m/s | 東 0.5 m/s |
当初は「アテネ五輪女子マラソン金メダリスト」野口みずきと「長距離トラックの女王」福士加代子との対決で注目されたが、本番4日前に野口が故障欠場すると大会事務局が発表した[2]。レース当日は過去数年間で比較的天候が良好で、好記録が期待された。序盤から4人のペースメーカーの内3人もいなくなるほどのハイペースで進み、22km過ぎの折返し地点では重友梨佐と福士の一騎打ちとなった。しかし27km手前で福士が脱落し、重友の独走状態になる。結果重友が日本女子歴代9位の好タイムで優勝を果たし、ロンドン五輪代表最有力候補となり、3月12日の理事会で正式に五輪日本代表へ選出された。福士は4年前の大阪国際と同様に、再び後半で失速してしまい9位に終わる[3]。なお5位に入った嶋原清子は、この大阪国際を最後に第一線から引退となった[4]。
- 2011年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 赤羽有紀子 | テンプレート:Flagiconホクレン | 2時間26分29秒 |
2 | 伊藤舞 | テンプレート:Flagicon大塚製薬 | 2時間26分55秒 |
3 | 堀江知佳 | テンプレート:Flagiconユニバーサル | 2時間27分26秒 |
4 | アンナ・インチェルティ | テンプレート:Flagicon イタリア | 2時間27分33秒 |
5 | 木﨑良子 | テンプレート:Flagiconダイハツ | 2時間29分35秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:15 | 14:36 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 3.0 ℃ | 4.0 ℃ | 4.3 ℃ |
湿度 | 49 % | 51 % | 44 % |
風向風速 | 東 2.4 m/s | 南 1.5 m/s | 北東 2.3 m/s |
第30回大会記念として、コースの一部が新しく変更された(前述参照)。しかし前回第29回大会より低い気温と、冷たい強風が吹く悪条件となった。前年の同大会では途中棄権の赤羽有紀子が、終始先頭集団につく積極的な走りを見せる。34km付近から赤羽と伊藤舞とのマッチレースとなるが、残り3km辺りで赤羽がスパートして伊藤を引き離し、赤羽がマラソン初優勝を果たした。なお世界陸上大邱大会女子マラソン代表の内定条件である、2時間26分以内でのゴールは出来なかったが、同世界陸上女子マラソン代表は2011年4月21日に、優勝の赤羽と2位の伊藤が二人揃って選出された。
- 2010年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon エチオピア | 2時間25分14秒 |
2 | マリサ・バロス | テンプレート:Flagicon ポルトガル | 2時間25分44秒 |
3 | 小﨑まり | テンプレート:Flagiconノーリツ | 2時間26分27秒 |
4 | リディア・シモン | テンプレート:Flagicon ルーマニア | 2時間27分11秒 |
5 | 小幡佳代子 | テンプレート:Flagiconアコム | 2時間27分19秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:18 | 14:35 |
天候 | 雨 | 雨 | 雨 |
気温 | 5.8 ℃ | 5.0 ℃ | 6.2 ℃ |
湿度 | 70 % | 75 % | 83 % |
風向風速 | 西 0.5 m/s | 北東 0.2 m/s | 北北西 1.5 m/s |
降雨による低温が選手達を苦しめ、記録的には平凡な結果に終わった。途中まで先頭を引っ張った赤羽有紀子は、大会直前に足を痛めていたこともあり、25km地点を過ぎてペースダウン、結局39km付近で途中棄権となる。日本人1位は小﨑まりだったが、2010年11月の広州アジア競技大会代表は、駅伝シーズンと重なる事も有り辞退した[† 3]。また小幡佳代子は、所属先の陸上部が廃部による引退レースとなったが、出走した全てのフルマラソンを完走という名誉で締め括った。
- 2009年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 渋井陽子 | テンプレート:Flagicon三井住友海上 | 2時間23分42秒 |
2 | 赤羽有紀子 | テンプレート:Flagiconホクレン | 2時間25分40秒 |
3 | 原裕美子 | テンプレート:Flagicon京セラ | 2時間26分57秒 |
4 | 大平美樹 | テンプレート:Flagicon三井住友海上 | 2時間27分08秒 |
5 | リディア・シモン | テンプレート:Flagicon ルーマニア | 2時間27分14秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:19 | 14:34 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 6.7 ℃ | 9.2 ℃ | 6.0 ℃ |
湿度 | 73 % | 52 % | 70 % |
風向風速 | 東南東 1.5 m/s | 北東 0.8 m/s | 東 2.1 m/s |
2008年11月の東京国際女子マラソンで独走しながら30km過ぎに失速して4位に終わった渋井陽子が、2か月という短期間で強行出場。30km地点で自らロングスパートを仕掛け、その後も先頭を争っていた赤羽有紀子を31km過ぎで振り切って優勝、雪辱を果たした。渋井自身、マラソンでは2004年9月のベルリンマラソン以来4年4か月ぶり、大阪国際女子では8年ぶりの優勝を果たし、これにより世界陸上ベルリン大会の日本代表に内定した[† 4]。また2位の赤羽も、世界陸上ベルリン大会の代表入りを果たしている。
- 2008年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | マーラ・ヤマウチ | テンプレート:UK | 2時間25分10秒 |
2 | 森本友 | テンプレート:Flagicon 天満屋 | 2時間25分34秒 |
3 | ジュリア・モンピ | テンプレート:Flagicon ケニア・アルゼ | 2時間26分00秒 |
4 | 大平美樹 | テンプレート:Flagicon 三井住友海上 | 2時間26分09秒 |
5 | 扇まどか | テンプレート:Flagicon 十八銀行 | 2時間26分55秒 |
場所 | 競技場 スタート |
---|---|
時刻 | 12:10 |
天候 | 曇り |
気温 | 6.3 ℃ |
湿度 | 61 % |
風向風速 | 南南西 1.9 m/s |
マラソン転向が注目された福士加代子が、自身の初マラソンとして出場。スタートの長居陸上競技場を飛び出してからは福士一人だけ抜け出て先頭に立ち、序盤から独走に。大会記録が期待される程のハイペースで突っ走ったが、30kmを過ぎて急激に失速し、レース終盤に入ると次々後続選手に抜かれていった。40km以降の福士はフラフラの状態で走り続けるも、ゴール直前で4度も転倒してしまう。その度に福士は立ち上がり何とかゴール地点には辿り着いたが、結局19位と惨敗に終わる。尚、優勝は35km手前で福士を捕らえて逆転したマーラ・ヤマウチ、2位に森本友が入った。
日本陸連強化本部長の澤木啓祐は、他選手らが福士を警戒し過ぎてややスローペースな展開となった点を指摘、日本人トップの森本も優勝を逃した事で「北京五輪代表選出は厳しい」との見解を示した。その後3月9日の名古屋国際女子マラソンが事実上3枚目の五輪切符をかけたレースとなり、優勝した中村友梨香が北京五輪女子マラソンに代表選出され、森本は補欠に廻された。
- 2007年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 原裕美子 | テンプレート:Flagicon 京セラ | 2時間23分48秒 |
2 | 小﨑まり | テンプレート:Flagicon ノーリツ | 2時間24分39秒 |
3 | 加納由理 | テンプレート:Flagicon 資生堂 | 2時間24分43秒 |
4 | 大越一恵 | テンプレート:Flagicon ダイハツ | 2時間31分04秒 |
5 | 江崎由佳 | テンプレート:Flagicon 九電工 | 2時間31分35秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:17 | 14:34 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 9.9 ℃ | 13.5 ℃ | 9.6 ℃ |
湿度 | 50 % | 45 % | 48 % |
風向風速 | 北東 1.5 m/s | 北東 0.5 m/s | 東南東 1.7 m/s |
29km過ぎまで原裕美子と渋井陽子の二人が先頭を激しく争っていたが、その後原が渋井を突き放してからは独走して優勝。同一コースで行われる世界陸上大阪大会の、女子マラソン代表第1号に原が即内定となる。なお2位に入った小﨑まりも、原と同じく世界陸上大阪大会代表に選出された。3位の加納由理は、ゴールタイムでは選考基準をクリアし、前年11月の東京国際女子マラソン覇者・土佐礼子の優勝記録を上回ったが、惜しくも補欠に留まった。渋井は30km以降完全にスローダウンとなり、数人の選手にかわされて10位に終わった。 テンプレート:Hidden end
歴代優勝者一覧
優勝者の氏名・国名・所属は当時、テンプレート:Colorboxは(当時の)大会記録、テンプレート:Colorboxは優勝回数。
開催日 | 氏名 | 国名・所属 | 優勝タイム | 代表選手選考会 等 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1982年1月24日 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon イタリア | 2時間32分55秒 | 「大阪女子マラソン」としてスタート |
2 | 1983年1月30日 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon アイルランド | 2時間29分23秒 | 世界陸上ヘルシンキ大会 日本国内のレースでは初の2時間20分台 |
3 | 1984年1月29日 | カトリン・ドーレ | テンプレート:Flagicon 東ドイツ | 2時間31分41秒 | ロサンゼルス五輪 |
4 | 1985年1月27日 | キャリー・メイ -2- | テンプレート:Flagicon アイルランド | 2時間28分07秒 | 「大阪国際女子マラソン」に改名 |
5 | 1986年1月26日 | ロレーン・モラー | テンプレート:Flagicon ニュージーランド | 2時間30分24秒 | ソウルアジア大会 |
6 | 1987年1月25日 | ロレーン・モラー -2- | テンプレート:Flagicon ニュージーランド | 2時間30分40秒 | 世界陸上ローマ大会 御堂筋を取り入れたコースに一部変更 |
7 | 1988年1月31日 | リサ・マーチン | テンプレート:Flagicon オーストラリア | 2時間23分51秒 | ソウル五輪 |
8 | 1989年1月29日 | ロレーン・モラー -3- | テンプレート:Flagicon ニュージーランド | 2時間30分21秒 | |
9 | 1990年1月28日 | ロザ・モタ | テンプレート:Flagicon ポルトガル | 2時間27分47秒 | 北京アジア大会 |
10 | 1991年1月27日 | カトリン・ドーレ -2- | テンプレート:Flagicon ドイツ | 2時間27分43秒 | 世界陸上東京大会 御堂筋を新橋まで延長し折返すコースに変更 |
11 | 1992年1月26日 | 小鴨由水 | テンプレート:Flagiconダイハツ | 2時間26分26秒 | バルセロナ五輪 初マラソン世界最高記録(当時) |
12 | 1993年1月31日 | 浅利純子 | テンプレート:Flagiconダイハツ | 2時間26分26秒 | 世界陸上シュトゥットガルト大会 |
13 | 1994年1月30日 | 安部友恵 | テンプレート:Flagicon旭化成 | 2時間26分09秒 | 広島アジア大会 |
14 | 1995年1月29日 | 阪神・淡路大震災のため大会中止[† 5] | 世界陸上イェーテボリ大会 | ||
15 | 1996年1月28日 | カトリン・ドーレ -3- | テンプレート:Flagicon ドイツ | 2時間26分04秒 | アトランタ五輪 |
16 | 1997年1月26日 | カトリン・ドーレ -4- | テンプレート:Flagicon ドイツ | 2時間25分57秒 | 世界陸上アテネ大会 |
17 | 1998年1月25日 | リディア・シモン | テンプレート:Flagicon ルーマニア | 2時間28分31秒 | バンコクアジア大会 |
18 | 1999年1月31日 | リディア・シモン -2- | テンプレート:Flagicon ルーマニア | 2時間23分24秒 | 世界陸上セビリア大会 |
19 | 2000年1月30日 | リディア・シモン -3- | テンプレート:Flagicon ルーマニア | 2時間22分54秒 | シドニー五輪 |
20 | 2001年1月28日 | 渋井陽子 | テンプレート:Flagicon三井住友海上 | 2時間23分11秒 | 世界陸上エドモントン大会 初マラソン世界最高記録(当時) |
21 | 2002年1月27日 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon ケニア | 2時間23分55秒 | 釜山アジア大会 |
22 | 2003年1月26日 | 野口みずき | テンプレート:Flagiconグローバリー | 2時間21分18秒 | 世界陸上パリ大会 2014年現在、国内レースの最高記録 |
23 | 2004年1月25日 | 坂本直子 | テンプレート:Flagicon天満屋 | 2時間25分29秒 | アテネ五輪 |
24 | 2005年1月30日 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon ラトビア | 2時間22分56秒 | 世界陸上ヘルシンキ大会 |
25 | 2006年1月29日 | キャサリン・ヌデレバ | テンプレート:Flagicon ケニア | 2時間25分05秒 | ドーハアジア大会 |
26 | 2007年1月28日 | 原裕美子 | テンプレート:Flagicon京セラ | 2時間23分48秒 | 世界陸上大阪大会 |
27 | 2008年1月27日 | マーラ・ヤマウチ | テンプレート:Flagicon イギリス | 2時間25分10秒 | 北京五輪 |
28 | 2009年1月25日 | 渋井陽子 -2- | テンプレート:Flagicon三井住友海上 | 2時間23分42秒 | 世界陸上ベルリン大会 |
29 | 2010年1月31日 | テンプレート:仮リンク | テンプレート:Flagicon エチオピア | 2時間25分14秒 | 広州アジア大会 |
30 | 2011年1月30日 | 赤羽有紀子 | テンプレート:Flagiconホクレン | 2時間26分29秒 | 世界陸上大邱大会 御堂筋を道頓堀まで南進し折返すコースに変更 |
31 | 2012年1月29日 | 重友梨佐 | テンプレート:Flagicon天満屋 | 2時間23分23秒 | ロンドン五輪 |
32 | 2013年1月27日 | タチアナ・ガメラシュミルコ | テンプレート:Flagiconウクライナ | 2時間23分58秒 | 世界陸上モスクワ大会 |
33 | 2014年1月26日 | タチアナ・ガメラシュミルコ -2- | テンプレート:Flagiconウクライナ | 2時間24分37秒 | 仁川アジア大会 |
放送
テレビ
テレビ中継は関西テレビをキーステーションとしてFNS系列28局で放映される。
- かつては、スポンサーからの要請でTBS系列の青森テレビでも2004年まで放送されたが、放送開始の12時の時点では同局がTBS系列である関係などから同時ネットが不可能であるため、時期によってはレース途中飛び乗り、又は1時間遅れ時差ネットが繰り返された。放映されなくなった2005年以降は隣県のFNS系列の放送局(北海道文化放送・岩手めんこいテレビ・秋田テレビ)が受信可能な地域(ケーブルテレビでの再送信も含む)を除き地上波では見られなくなった。ちなみに、スタート直後に流れるネット局名が書かれたロールには青森テレビは含まれていなかった。
- また、岩手県では岩手めんこいテレビが開局する以前、TBS系の岩手放送(現・IBC岩手放送)でも1991年まで2時間遅れの時差ネットをしていたこともある。同局はFNSに加盟こそしていなかったものの、FNS系列の番組を数多くネットしていた局であった[† 6]。
- 山形県では山形テレビで1993年大会まで放送していたが、その年の4月にテレビ朝日系列へネットチェンジしたため、現在のさくらんぼテレビでのネットが開始された1998年大会まで同県での放送はなかった(ただし近隣系列局の直接受信又はケーブルテレビの再送信で視聴は可能であった)。
- 第25回大会(2006年)から第27回大会(2008年)までは地上波放送の他にBSデジタル放送のBSフジ、関西テレビが運営するCS放送京都チャンネルで放送日当日に録画放送されていた[† 7]が、2009年の第28回大会についてはBSフジでの放送は行われず、京都チャンネルでの放送もこの年が最後となった(2009年4月30日に放送を終了したため[5])。
- この競技大会の中継には、主に関西テレビのスポーツ担当アナウンサーが関わっている(詳細は後述)。
- 同番組では、2001年頃から出ているフジテレビ系列のスポーツ番組のタイトル「FUJI NETWORK SPORT」はしばらく使用されていなかったが、第29回大会(2010年)で初めて使用された。
- 提供クレジットは2001年からは協賛社および協力社がカラー表記、日東電工が協賛社になった2005年からは白絨毯の上にスポンサー表記、2010年からはそれまでの一部統一から二部制に分けている(提供表記は従来通りであるが、協賛社・協力社およびアサヒビールはカラー表記)。
放送事故
- 第17回大会(1998年)で、フジテレビのみ、この当時は二か国語放送で、CM時の音声も二か国語のままだったり、あまり無関係なテロップが出ていたが、数十分後にCM時の音声がステレオ音声に修正された。
- 第20回大会(2001年)の提供クレジットでは初めて協賛社部分がカラーテロップになったが、冒頭において「ダイエーグループ」部分のまま切り替えができなくなり、そのままCMへと入ってしまった[† 8]。それから数十分後に改めて全スポンサーを紹介した。
エピソード
- この中継を担当する関西テレビの男性アナウンサーの大半は、後番組の競馬中継(現在は「KEIBA BEAT」)の出演者でもある。現在は石巻ゆうすけが京都競馬場に残り、競馬担当以外の者(若田部克彦、山田恭弘など)を加えた上で中継に当たっているが、2003年までは石巻も借り出され、普段競馬中継を担当するアナウンサー全員が居なくなり、既に定年退職していた杉本清が実況していた。また系列局のアナウンサーがパドック進行やレース実況を行う場合がある。
- また、その中でも馬場鉄志は第11回大会(1992年)から第29回大会(2010年)まで毎年第1移動車に乗り込み、優勝争いを伝えていた。第19回大会(2000年)では、優勝したリディア・シモン(ルーマニア)と2位の弘山晴美との壮絶な争いを、ぎりぎりまで絶叫しながら実況した(この時の詳しいエピソードについては、馬場鉄志#大阪国際女子マラソン実況を参照)。
- 近年の放送では、「とくダネ!」司会で、FNSのマラソン中継コメンテーターでもある小倉智昭が出演し、直前番組やレースを終えたばかりの優勝選手や注目選手に話を聞いていた。2010年の第29回大会からはTOKIOの国分太一[† 9]がスペシャルサポーターに就任し、直前番組の他、レースを終えたばかりの優勝選手や注目選手に話を聞いている。
- 移動中継車は毎年2台使われるが、第1移動車は第12回大会(1993年)と第13回大会(1994年)はフジテレビの中継車が、第15回大会(1996年)から第23回大会(2004年)まで東海テレビの中継車が使われ、第2移動車は関西テレビの中継車が使われていた。第24回大会(2005年)からは関西テレビの移動中継車がハイビジョン対応に更新されたのに伴い第1移動車として使用、第2移動車は東海テレビの中継車が使われた。第25回大会(2006年)は全編ハイビジョンで放送するためにフジテレビの移動中継車が第2移動車として使われた。第26回大会(2007年)以降は東海テレビも2006年秋にハイビジョン対応の移動中継車に更新したため、第2移動車として使用されている。一時期は移動中継車が3台使われていた事があり、第19回大会(2000年)では、第1移動車は東海テレビ、第2移動車は関西テレビ、第3移動車は岡山放送の中継車が使われたが、第28回大会(2009年)と第29回大会(2010年)では第3移動車も使われ、第29回大会では岡山放送の小型中継車が使われた。第31回大会(2012年)では、第1移動車は関西テレビ、第2移動車はフジテレビ、第3移動車は東海テレビの中継車がそれぞれ使われた。第33回大会(2014年)では、第1移動車は関西テレビ、第2移動車は東海テレビの中継車がそれぞれ使われた。
- 前述の通り、第14回(1995年)は中止となったため、放送枠を設けていたところには1994年10月に放送された「オールスターものまね王座決定戦」の再放送が行われた。
- 現在、この大会を協賛している日東電工のCMでは関西テレビをはじめFNS系列局でこの大会を応援するCMが大会の直前から流れている。ほぼ同じものが西日本旅客鉄道(JR西日本)の321系電車車内の液晶ディスプレイでも流れる。
- 2010年大会からメインスポンサーに就いている日東電工では、2011年大会まで大半のCM枠で「日東電工社員マラソン」を放送。実際のスタート・ゴール地点である長居陸上競技場などで、役員や社員がマラソン風のロケを実施していた。
ラジオ
ラジオ大阪(制作局、以下「OBC」と略記)で実況中継。OBC所属のアナウンサーがほぼ全員出演するほか、スポーツアナウンサーの中井雅之(同局出身のフリーアナウンサー)や深山計(ニッポン放送出身のフリーアナウンサー)が実況やインタビューを担当する。通常は日曜日の10:00 - 16:30に関西ローカルで放送する競馬中継『OBCドラマティック競馬』については、当マラソンの中継をはさむ格好で、第1部(10:00 - 12:00)と第2部(15:00 - 16:30)に分割。マラソン中継の時間帯に実施されたレースの結果を、第2部でまとめて伝える。
第1回大会から2009年大会までは、ニッポン放送でも同時ネット。当マラソンがオリンピックの女子マラソン日本代表予選を兼ねていた2008年大会では、東海ラジオや福井放送も同時ネットで放送した。しかし、ニッポン放送では、2009年から日曜午後枠のレギュラー番組の放送を優先[† 10]。2009年大会以降は、OBCが関西ローカルで放送している。
大会とTHE ALFEEとの関係
THE ALFEEが第6回大会(1987年)から、大会ごとに異なるイメージソングを提供している。先頭集団が大阪城公園に差し掛かったタイミングで、中継映像から一時的に音声・テロップを消すとともに、映像と重ねながらイメージソングを流すことが特徴。ただし、2011年以降の大会では、放送のタイミングを原則として中継のエンディングに移している(後述)。
テーマ曲の推移 | ||
---|---|---|
大会年 | 曲名 | 備考 |
1987年 | 夢よ急げ | アルバム“ALFEE”収録曲 |
1988年 | It's Alright | シングル“My Truth”のカップリング曲 |
1989年 | High-Heel Resistance | アルバム“DNA Communication”収録曲 |
1990年 | FLOWER REVOLUTION | 1990年発売のシングルタイトル曲 |
1991年 | Arcadia | 同名アルバム収録曲 |
1992年 | Someday | シングル“Promised Love”のカップリング。初めてマラソンのイメージソングとして書き下ろされた作品 |
1993年 | Running Wild | シングル“BELIEVE”のカップリング曲 |
1994年 | 風を追いかけて | シングル“もう一度君に逢いたい”のカップリング曲。イメージソングとしては珍しくバラードソング |
1996年 | Glory Days | シングル“LOVE NEVER DIES”のカップリング曲 |
1997年 | Liberty Bell | オリジナルはアルバム“夢幻の果てに”収録曲で1995年大会で使用予定だった。実際に使用されたバージョンはTHE ALFEE CLASSICS IIに収録。 |
1998年 | Beyond the Win | シングル“Brave Love 〜Galaxy Express 999”収録曲 |
1999年 | Beginning of the Time | シングル“希望の鐘が鳴る朝に”カップリング曲 |
2000年 | 自由になるために | シングル“NEVER FADE”カップリング曲 |
2001年 | Change the wind | シングル“Juliet”カップリング曲 |
2002年 | Chaos(カオス)の世界 | シングル“太陽は沈まない”カップリング曲 |
2003年 | 孤独な世代 | アルバム“THE BEST 1997-2002 〜aprés Nouvelle Vague〜”のボーナストラック |
2004年 | 夜明けの星を目指して | シングル“希望の橋”カップリング曲 |
2005年 | ZeRoになれ! | シングル“100億のLove Story”カップリング曲 |
2006年 | ONE | シングル“Innocent Love”カップリング曲 |
2007年 | Dear My Life | 2007年発売のシングルタイトル曲 |
2008年 | Wonderful Days | シングル“Lifetime Love”カップリング曲 |
2009年 | Shining Run〜輝く道に向かって〜 | シングル“この愛を捧げて”カップリング曲 |
2010年 | GET YOUR CHANCE | アルバム“新世界 -Neo Universe-”収録 |
2011年 | Let It Go | 2011年発売のシングルタイトル曲 |
2012年 | 生きよう | 2012年発売のシングルタイトル曲 |
2013年 | もう一度ここから始めよう | 2013年発売のシングルタイトル曲のうちの1曲 |
2014年 | LOVES FOR ONE | (2014.01.26現在詳細未定) |
- 補足
- アルフィーがイメージソングを提供するようになった背景には、1987年当時の中継における技術上の制約も影響している。当時の中継では、ルートが複雑な大阪城公園に入ると映像や音声が途切れやすくなった。そのため、放送事故などを回避する目的で、イメージソングを流すタイミングを同公園内からの中継に設定した。
- 1990年の「Flower Revolution」はこの年大阪で開催された国際花と緑の博覧会(花の万博)のテーマソングでもある。
- 1995年には、阪神・淡路大震災発生の影響で大会自体を中止。この年のイメージソングに決まっていた『Liberty Bell』は、バージョンを変えたうえで、2年後の1997年大会に使われた。
- 1996年1月19日には歴代とこの年のイメージソング及び過去の名場面を収録したビデオ「大阪国際女子マラソン 1982〜1994」が発売された。
- 2004年3月10日には大阪国際女子マラソンの歴代イメージソングを集めたアルバム「夢よ急げ -大阪国際女子マラソンイメージソング・アルバム-」が発売された。
- 2006年大会のテレビ中継では、オープニングに長居スタジアムでTHE ALFEEによるテーマ曲「ONE」が熱唱された。また、エンディングの提供クレジットの際に1987年のイメージソング「夢よ急げ」が流れていた。
- 2008年大会は1987年大会から続いていた大阪城公園内での曲流しではなく、終盤の36km過ぎ〜38km頃の曲流しとなった。(理由は福士加代子が34km過ぎまで首位を独走し、2位以下の差が最大680mまで拡がっていたため、曲を流すには不適当と判断、帰りの今里筋の終わりから湯里6丁目を経て長居公園通の中盤にかけての所で曲を流した。)2009年・2010年大会では再び大阪城公園内での中継で曲を放送していた。
- 現在のコース(大阪城公園内の外堀しか通過しないルート)に変わった2011年以降の大会では、エンディングに曲を放送。しかし、2013年大会のみ、同公園内コース通過中の放送を復活させていた。
大阪ハーフマラソン
2009年から、大阪国際女子マラソンとほぼ同一の主催・後援・協賛・協力[† 11]で開催されているハーフマラソン大会である。こちらは、男子も参加可能である。
コースは、「スタート地点が、大阪城公園東側(玉造筋)」「天満橋交差点折り返し」「森ノ宮駅前交差点〜土佐堀通間は、大阪城公園外堀先回り」「長居公園内は、長居公園通側を通る」である以外は、大阪国際女子マラソンと同じである。
脚注
注釈
出典
関連項目
- 横浜国際女子マラソン - 2009年から開催
- 名古屋ウィメンズマラソン
- 全日本大学女子駅伝対校選手権大会 - 2004年まで大阪を舞台に開催されていた(コースは大阪国際女子マラソンより少し短い)。
- びわ湖毎日マラソン - 1961年まで大阪を舞台に開催されていた(大阪国際女子マラソンとはコースが異なる)。
- 2007年世界陸上競技選手権大会 - 大阪国際女子マラソンと同じコースでマラソン競技が行われた。
- 大阪マラソン - 2011年から大阪を舞台に開催(大阪国際女子マラソンとはコースが異なる)。
外部リンク
テンプレート:日本のマラソン大会 テンプレート:フジサンケイグループ テンプレート:THE ALFEE
引用エラー: 「†」という名前のグループの
<ref>
タグがありますが、対応する <references group="†"/>
タグが見つからない、または閉じる </ref>
タグがありません