びわ湖毎日マラソン
テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox Athleticrace びわ湖毎日マラソン(びわこまいにちマラソン)は、日本陸上競技連盟が主催するIAAF(国際陸連)ゴールドラベルの男子マラソン大会で、国際大会の代表選手選考会も兼ねる。毎年3月の第1日曜日に滋賀県で開催される。AIMS(国際マラソン協会)認定コース。
概要
大津市皇子山陸上競技場を発着点とする42.195kmで争う。コースについては過去何度か変更されている。2010年にもコースが一部変更され、折り返し地点が従来の草津市新浜から大津市大萱に変更となった。30km地点手前の平津峠以外は高低差も余り無いため高速コースと言われるが、終盤には比良山系からの向かい風がランナー達を苦しめる。
東京マラソンと同様にこの大会でも滋賀(大津市)の名所を通り、浜大津(大津港)や石山寺、瀬田の唐橋等がその代表的な場所となっている。
オリンピック・世界陸上競技選手権大会・アジア競技大会の男子代表を選ぶための最終選考会となっている。また開催時期が3月であり、箱根駅伝などの大学駅伝シーズンも終わり、比較的長い期間マラソン練習が積めるため、有力な学生ランナーにとっては、在学時に最も出場しやすい大会である。過去には日本大学の川島義明、中京大学の中尾隆行、近年では山梨学院大学の中村祐二が優勝を果たし、中央大学の藤原正和が初マラソン日本人最高記録および学生最高記録更新の快挙を達成している。
この大会の模様はコース上にあるNHK大津放送局に放送センターを置き、大津局を管轄するNHK大阪放送局からテレビとラジオで全国中継している。総合テレビのアナログ放送とNHKワールド・プレミアムではスポーツ中継としては珍しく16:9の画面サイズで放送していたが、2008年~2010年の大会の中継は他のNHKのロードレース中継と同じく14:9の画面サイズで放送した。2011年大会から再び16:9の画面サイズで放送している(アナログ放送はこの大会の放送が最後となるが、NHKワールド・プレミアムでは完全デジタル化後も本大会に限らず、以降に放送されるすべてのマラソン・駅伝大会も16:9レターボックス放送は継続)。
- 主催: 日本陸上競技連盟、毎日新聞社、滋賀県、滋賀県教育委員会、大津市、大津市教育委員会
- 主管: 滋賀陸上競技協会
- 共催: NHK
- 後援: 草津市、草津市教育委員会、大津市体育協会、スポーツニッポン新聞社
- 特別協賛: ローム(2009年度まで)~ケイ・オプティコム(2010年度より2012年度まで)~住友電工(2013年度より)
- 協賛: シチズンホールディングス、三菱自動車工業(第61回大会まではスバル、第62回大会はダイハツ)、日本IBM
参加資格
- 次の2項をいずれも満たす男子競技者
- 日本陸上競技連盟の登録競技者で、大会当日満19歳以上の者
- 大会当日より過去2年以内に、下記いずれかの公認記録を出した者
- マラソン: 2時間30分以内
- ハーフマラソン: 1時間10分以内
- 30km: 1時間40分以内
- 20km: 1時間5分以内
- 10000m: 31分以内
- 日本陸上競技連盟が推薦する者
参加料は一人5000円である。
大会の歴史
1946年に第1回が行われたことから、「(現在開催されている中では)日本最古のマラソン大会」ともいわれる。
- 第1回(1946年10月) - 「全日本毎日マラソン選手権」が大阪府で開催される。難波別院跡地の毎日運動場前を発着し、御堂筋・十三大橋を経て国鉄池田駅(現・JR川西池田駅)を折返すコースで競われる[1]。スターターは元オリンピック代表の津田晴一郎が務めた[2]。
- 第3回(1948年5月) - GHQの命令により、発着点を梅田の 毎日新聞大阪本社前に変更[1][3]。
- 第5回(1950年5月) - 「毎日マラソン」と改称。泉北郡高石町(現:高石市)を往復するコースに変更[1]。
- 第7回(1952年5月) - ヘルシンキオリンピックのマラソン代表最終選考会を兼ねる。以降、モスクワオリンピックを除く全ての夏季オリンピックのマラソン代表選手選考会となる。
- 第14回(1959年5月) - 大阪市内の交通事情悪化のため、出発点を住之江区に移し、忠岡町折返し・ 毎日新聞大阪本社前をゴールとするコースに変更[1]。
- 第16回(1961年6月) - 発着点を堺市の浜寺公園に移し、住之江区と岸和田城を折り返すコースに変更[1]。
- 第17回(1962年5月) - 交通事情の悪化により大阪府から滋賀県(皇子山運動公園発着[4]・志賀町折返しの琵琶湖西岸コース)に変更[1][5]。
- 第18回(1963年5月) - 東京オリンピックのマラソンコースを使用して開催(第19回大会〔1964年4月実施〕まで)。
- 第20回(1965年5月) - 3年ぶりに滋賀県に戻る。発着点は皇子山陸上競技場となり、琵琶湖西岸から琵琶湖大橋を渡って守山町(現・守山市)折返しのコースに変更[1]。
- 第23回(1968年4月) - この回よりコースを皇子山陸上競技場発着、琵琶湖南岸から瀬田唐橋を渡り、東岸の守山市折返しのルートに変更[6]。琵琶湖大橋経由のルートは3回で終了となった。
- 第30回(1975年4月) - 瀬田唐橋の改修工事に伴い、近江大橋を経由するルートに変更[1]。
- 第36回(1981年3月) - 改修工事完成により、再び瀬田唐橋経由のルートに戻る[1]。
- 第38回(1983年3月) - 「びわ湖毎日マラソン」と改称する。また、世界陸上ヘルシンキ大会のマラソン代表選考会を兼ねる。10年後の世界陸上シュトゥットガルト大会以降、全ての世界陸上競技選手権大会のマラソン代表選手選考会となる。
- 第41回(1986年3月) - ソウルアジア大会のマラソン代表選考会を兼ねる。以降、バンコクアジア大会を除く全てのアジア競技大会のマラソン代表選手選考会となる。
- 第44回(1989年3月) - 瀬田川沿いに南郷洗堰を経由して草津市新浜を周回するコースに変更[1]。
- 第49回(1994年3月) - 1994年アジア競技大会と同じコースを使用し、「毎日国際マラソン」として実施。
- 第51回(1996年3月) - 大会史上初めて2時間10分の壁を、ヨアキム・ピネイロ:en が破る。
- 第65回(2010年3月) - 折り返し点を大津市大萱とするコース変更。
1981年頃から1993年頃までは新人の登竜門的な大会で、オリンピックや世界選手権などの選考レースに格付けされていても一線級の参加があまり見られなかったが、1988年の第43回では前年12月の福岡国際マラソンを怪我のため欠場していた瀬古利彦が出場して注目を集めた。瀬古は優勝し同年のソウルオリンピックの出場権を獲得したことで物議を醸した[7]。
1997年(第52回)、前年のアトランタ五輪で4位に入ったマルティン・フィスが参加し、当時の国内マラソン最高記録で優勝したことで状況が変わり、フラットで好記録が出るコースということで、国内の一線級も参加するようになった。
大きな国際大会の前哨戦や大会運営の予行演習として、会場が変更されたことがあった。
- 1963年(第18回)と1964年(第19回)は、日本選手権、東京オリンピック選考会並びにオリンピックマラソンのリハーサルも兼ねて国立競技場(新宿区)〜飛田給(調布市)折り返しの甲州街道を通る東京オリンピックのマラソンと同じコースでのレースとなった。
- 1994年(第49回)は広島アジア大会のリハーサルも兼ねて、広島にて「毎日国際マラソン」として開催された。
1985年から2004年は、スタート前にトラックでびわ湖全日本女子競歩大会が開催されていた。
大会の開催時期は、第1回が10月に開催されたのち、第2回から24回(1969年)までは5月がメインで、時に4月(第19回・1964年、第23回・1968年)や6月(第16回・1961年、第21回・1966年)にも開催されていた。第25回(1970年)が4月に開催されてからは5月・6月の開催はなくなり、第26回(1971年) - 28回(1973年)が3月、第29回(1974年) - 第34回(1979年)が4月と変遷して、第35回(1980年)以降は3月開催で定着している。第62回(2007年)は、レースの途中で気温が20度以上に上昇し、春先とは思えない過酷なコンディションに見舞われた。日本の招待選手10人が暑さに対応しきれず惨敗した。
2008年、国際陸上競技連盟は、マラソンなどの世界のロードレースを格付けする制度を導入した。びわ湖毎日マラソンは、2009年、国内で初めて最高位の「ゴールド」にランクされた。2010年もこの年に初めてランク入りした東京マラソンともに2年連続「ゴールド」にランクされている。
歴代優勝者
回 | 日付 | タイム | 名前 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 1946/10/20 | 2時間44分57秒 | テンプレート:Flagathlete(三井山野) | 第16回まで大阪開催 |
2 | 1947/05/18 | 2時間43分17秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
3 | 1948/05/09 | 2時間40分05秒 | テンプレート:Flagathlete -3- | スタートを毎日新聞大阪本社前に変更 |
4 | 1949/05/08 | 2時間40分32秒 | テンプレート:Flagathlete(岐阜青年) | |
5 | 1950/05/07 | 2時間37分25秒 | テンプレート:Flagathlete(坂出クラブ) | 高石町往復にコースを変更 |
6 | 1951/05/06 | 2時間32分41秒 | テンプレート:Flagathlete(中京商業高校教員) | |
7 | 1952/05/04 | 2時間29分55秒4 | テンプレート:Flagathlete(三井山野) | |
8 | 1953/05/10 | 2時間41分28秒 | テンプレート:Flagathlete(旭化成) | |
9 | 1954/05/16 | 2時間27分56秒 | テンプレート:Flagathlete(山口県教育委員会) | |
10 | 1955/05/08 | 2時間26分32秒 | テンプレート:Flagathlete(旭化成) | 20年ぶりの日本最高記録 |
11 | 1956/05/05 | 2時間27分45秒 | テンプレート:Flagathlete(日本大学) | |
12 | 1957/05/03 | 2時間31分20秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
13 | 1958/05/11 | 2時間25分51秒 | テンプレート:Flagathlete(中京大学) | |
14 | 1959/05/10 | 2時間30分06秒 | テンプレート:Flagathlete -3- | スタートを住之江区、折返しを忠岡町に変更 |
15 | 1960/05/15 | 2時間34分57秒 | テンプレート:Flagathlete(鐘紡) | |
16 | 1961/06/25 | 2時間29分27秒 | テンプレート:Flagathlete | 浜寺公園発着、住之江区・岸和田城折返しに変更 |
17 | 1962/05/13 | 2時間27分37秒 | テンプレート:Flagathlete(八幡製鉄所) | 以降、原則として滋賀開催 |
18 | 1963/05/12 | 2時間20分24秒8 | テンプレート:Flagathlete(八幡製鉄所) | 東京開催[8] |
19 | 1964/04/12 | 2時間17分11秒4 | テンプレート:Flagathlete -2- | 東京開催[8] |
20 | 1965/05/09 | 2時間22分55秒8 | テンプレート:Flagathlete -2- | 3年ぶりの滋賀開催。琵琶湖大橋経由に変更 |
21 | 1966/06/05 | 2時間26分01秒6 | テンプレート:Flagathlete(リッカー) | |
22 | 1967/05/14 | 2時間25分53秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
23 | 1968/04/14 | 2時間13分49秒 | テンプレート:Flagathlete(桜門陸友会) | 瀬田唐橋経由の琵琶湖南岸・東岸ルートに変更 |
24 | 1969/05/11 | 2時間22分44秒 | テンプレート:Flagathlete(全鐘紡) | |
25 | 1970/04/12 | 2時間13分46秒 | テンプレート:Flagathlete | |
26 | 1971/03/21 | 2時間16分45秒4 | テンプレート:Flagathlete(竹原高等学校教員) | |
27 | 1972/03/19 | 2時間20分24秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
28 | 1973/03/18 | 2時間12分03秒 | テンプレート:Flagathlete | |
29 | 1974/04/21 | 2時間13分24秒 | テンプレート:Flagathlete -3- | |
30 | 1975/04/20 | 2時間12分40秒 | テンプレート:Flagathlete -4- | 近江大橋経由に変更 |
31 | 1976/04/18 | 2時間15分22秒 | テンプレート:Flagathlete -5- | |
32 | 1977/04/17 | 2時間14分08秒 | テンプレート:Flagathlete | |
33 | 1978/04/16 | 2時間15分15秒 | テンプレート:Flagathlete(旭化成) | |
34 | 1979/04/15 | 2時間13分26秒 | テンプレート:Flagathlete(旭化成) | |
35 | 1980/03/23 | 2時間14分33秒 | テンプレート:Flagathlete(旭化成) | |
36 | 1981/03/15 | 2時間14分38秒 | テンプレート:Flagathlete(九州電工) | 瀬田唐橋経由に戻る |
37 | 1982/03/14 | 2時間15分23秒 | テンプレート:Flagathlete(新日鉄八幡製鉄所) | |
38 | 1983/03/13 | 2時間13分22秒 | テンプレート:Flagathlete(中京高等学校職員) | |
39 | 1984/03/11 | 2時間14分24秒 | テンプレート:Flagathlete(リッカー) | |
40 | 1985/03/10 | 2時間11分04秒 | テンプレート:Flagathlete(日本電気HE) | |
41 | 1986/03/09 | 2時間14分55秒 | テンプレート:Flagathlete(雪印乳業) | |
42 | 1987/03/08 | 2時間11分08秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
43 | 1988/03/13 | 2時間12分41秒 | テンプレート:Flagathlete(エスビー食品) | |
44 | 1989/03/12 | 2時間14分31秒 | テンプレート:Flagathlete(ダイエー) | 草津市折返しの周回コースに変更 |
45 | 1990/03/11 | 2時間13分03秒 | テンプレート:Flagathlete | |
46 | 1991/03/10 | 2時間11分34秒 | テンプレート:Flagathlete | |
47 | 1992/03/15 | 2時間13分15秒 | テンプレート:Flagathlete | |
48 | 1993/03/14 | 2時間11分01秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
49 | 1994/03/06 | 2時間11分05秒 | テンプレート:Flagathlete(富士通) | 広島開催[8] |
50 | 1995/03/19 | 2時間10分49秒 | テンプレート:Flagathlete(山梨学院大学) | |
51 | 1996/03/03 | 2時間09分32秒 | テンプレート:Flagathlete | |
52 | 1997/03/02 | 2時間08分05秒 | テンプレート:Flagathlete | 当時国内レース最高 |
53 | 1998/03/01 | 2時間08分43秒 | テンプレート:Flagathlete(旭化成) | |
54 | 1999/03/07 | 2時間08分50秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
55 | 2000/03/05 | 2時間08分14秒 | テンプレート:Flagathlete -3- | |
56 | 2001/03/04 | 2時間07分34秒 | テンプレート:Flagathlete | |
57 | 2002/03/03 | 2時間08分35秒 | テンプレート:Flagathlete(エスビー食品) | |
58 | 2003/03/02 | 2時間07分39秒 | テンプレート:Flagathlete | |
59 | 2004/03/07 | 2時間07分42秒 | テンプレート:Flagathlete | |
60 | 2005/03/06 | 2時間09分00秒 | テンプレート:Flagathlete | |
61 | 2006/03/05 | 2時間09分15秒 | テンプレート:Flagathlete -2- | |
62 | 2007/03/04 | 2時間10分43秒 | テンプレート:Flagathlete | |
63 | 2008/03/02 | 2時間08分23秒 | テンプレート:Flagathlete | |
64 | 2009/03/01 | 2時間10分22秒 | テンプレート:Flagathlete | |
65 | 2010/03/07 | 2時間09分34秒 | テンプレート:Flagathlete | コースの一部を変更 |
66 | 2011/03/06 | 2時間06分13秒 | テンプレート:Flagathlete | |
67 | 2012/03/04 | 2時間07分04秒 | テンプレート:Flagathlete(愛知製鋼) | |
68 | 2013/03/03 | 2時間08分34秒 | テンプレート:Flagathlete | |
69 | 2014/03/02 | 2時間09分10秒 | テンプレート:Flagathlete |
参考文献
毎日新聞社(編)『びわ湖毎日マラソン大会60年史』びわ湖毎日マラソン大会実行委員会、2006年
脚注
外部リンク
- びわ湖毎日マラソン(公式サイト)
- びわ湖毎日マラソン大会 SPECIAL SITE - 特別協賛を務める住友電工のWebサイトより
- NHKロードレースオンライン
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 『びわ湖毎日マラソン大会60年史』pp.84 - 85
- ↑ 昭和毎日 びわ湖毎日マラソン、第1回は大阪で 参加賞は足袋用ゴム - 毎日新聞社
- ↑ GHQ側は、毎日運動場の近くに軍の事務所があることや、御堂筋が軍用道路であることを変更理由とした(『びわ湖毎日マラソン大会60年史』p.84)。
- ↑ 当時はまだ陸上競技場がなく、公園内の道路上が発着点だった。
- ↑ 『60年史』によると、前年大会に出場したアベベ・ビキラを見る観客が自動車やオートバイでコース付近に殺到し、その排気ガスがアベベの記録を低調にしたとされたことが移転を後押ししたという。
- ↑ 朝日新聞1968年4月12日朝刊12頁の大会記事に「大津市皇子山陸上競技場 - 瀬田唐橋 - 守山市杉江の新コースで行われる」とある。
- ↑ ソウルオリンピック男子マラソン競技の代表選考レースは1987年の福岡国際マラソン、そして1988年の東京国際マラソンとこの大会が指定されていたが、、代表候補たちには日本陸上競技連盟から福岡国際への出場が半ば強制されていたため、福岡国際を欠場しびわ湖毎日に出場して代表権獲得を目指した瀬古とそれを容認した日本陸連に批判が集まった。中山竹通・瀬古利彦・小掛照二も参照
- ↑ 8.0 8.1 8.2 第18回(1963年)と第19回(1964年)は東京オリンピック、第49回(1994年)は広島アジア大会の運営演習も兼ねて、開催地が変更される。