御堂筋

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今橋3交差点から南を望む

テンプレート:Ja Route Sign テンプレート:Ja Route Sign テンプレート:Ja Route Sign テンプレート:Ja Route Sign 御堂筋(みどうすじ)は、大阪府大阪市の中心部を南北に縦断する国道。現代の大阪市における南北幹線の基軸である。

概要

名前は北御堂(本願寺津村別院)南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来する。

全長4,027メートル、幅43.6メートル(24)、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつ。交通量が増加したため1970年、大阪万博の開催を機に国道1号国道2号と交差する梅田新道交差点より南の全車線が南行きの一方通行となる。平日の昼12時間の交通量は、自動車28,000〜38,000台、歩行者10,000〜26,000人となっている[1]

沿道には約970本のイチョウが植えられている。毎年10月には、1983年から2007年まで御堂筋パレードが開催されていたが、現在は代替イベントとして御堂筋kappoが行われている。

また、12月1日から1月中旬まで淀屋橋交差点から新町交差点まで御堂筋イルミネーションとして木々が電球で彩られる。(2014年からは難波交差点まで延長予定)

最高速度は平日8〜20時が50km/h、休日と平日の20〜翌8時が60km/hである[2]

大阪女子マラソン大阪マラソンなど、大規模なマラソン大会でのコースとして使用されることが多い。

路線データ

歴史

記録上、御堂筋の名が初めて現れるのは1615年元和元年)、大坂夏の陣の落人狩りなどを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初である。松尾芭蕉の没地は現在の大阪市中央区久太郎町4丁目付近で、御堂筋拡幅により現在は御堂筋の車線上にある。

江戸時代以来御堂筋と呼ばれていた区間は、船場の淡路町〜博労町間のみで、同区間以北では淀屋橋土佐堀川)を渡って中之島へ出る道であることから「淀屋橋筋」と呼ばれていた。現在のように一本道ではないが大江橋堂島川)と蜆橋(曾根崎川)を渡って曾根崎新地へ出ることもできた。しかし、同区間以南では順慶町通など東西方向の通が主体となり、名称らしい名称すらなく、長堀川には架橋されず末吉橋通で完結していた。また、淡路町通との交差点では屈折も見られ、道幅は3間ほどしかなく、堺筋難波橋筋心斎橋筋などと比べて見劣りのする、人通りの少ない道であった。

大正時代に入ると、大阪市助役から市長となった關一の都市計画により、1926年から地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,380万をかけて24間幅へ拡幅する工事が行われた。

淀屋橋交差点以北は梅田新道が母体となっており、1911年の大阪市電敷設の際に12間幅に拡幅されていたこともあって、大江橋北詰交差点以北の拡幅工事は1927年に早々と竣工。大江橋以北の街路樹はプラタナスで、淀屋橋交差点以北には大阪市電の軌道も残された。

一方、淀屋橋交差点以南は近世依然の3間幅からの拡幅工事となり、用地買収に時間がかかって1929年にようやく着工し[3]、1937年5月11日に竣工。新橋(長堀川)、道頓堀橋(道頓堀川)が架橋されたのはこの時である。また、この工事の影響で北御堂が移動し、南御堂とともに沿道に並ぶ形になったため、全線「御堂筋」と名付けられた。淀屋橋以南の街路樹はイチョウで、軌道がない一直線の目抜き通りとなった。

このように、竣工当初は中之島の南北で趣が相当異なっていたが、後年になって大阪市電は廃止され、プラタナスも姿を消した。なお、淀屋橋から本町までの道の両側には彫刻が設置されている。

御堂筋周辺の建物は、1920年12月1日施行の市街地建築物法に基く百尺規制によりその高さが揃っている。1969年の建築基準法改正で規制が容積制になったため、以降は大阪市が高さを指導してきた。1995年から御堂筋に面する外壁の高さが50m、10m後方部分が60mと指導される。2007年2月から一部の地区で1階を公共の空間とするのを条件に、後方部分の高さ制限が140mに緩和されている。

1970年より梅田新道交差点以南で南行き一方通行を実施。2006年6月の改正道路交通法により導入された民間駐車監視員制度・放置違反金制度で、全線が最重要路線に指定された結果、沿線の放置車両が劇的に減少した。また大阪市が2007年4月に路上喫煙禁止条例を施行したのに伴い、7月に過料1,000円を徴収する喫煙禁止区域に御堂筋の車道と歩道が指定されることが正式決定され、10月より施行された。

2012年4月1日、国道25号(国道25号と国道165号との重複区間)の梅田新道 - 難波西口間約3.7kmが指定区間から除外され、国土交通省から大阪市に移管された[4][5]

地理

道路施設

交差する道路

交差する道路
西←<御堂筋>→東
交差点
(東側起点) 都島通 市道大阪環状線天六方面)
扇町通
市道大阪環状線
<扇町通>
市道扇町公園南通線
阪急 大阪市
北区
(西側起点) 国道176号十三方面)
市道南北線 <扇町通>
市道大阪環状線
阪神 大阪府大阪市 北区
曽根崎通
国道2号
<曽根崎通>
国道1号(重複=R163
梅田新道
新御堂筋
国道423号
梅新南
中之島通 大江橋南詰
土佐堀通
市道江戸堀線
<土佐堀通>
府道168号石切大阪線
淀屋橋 中央区
本町通
国道172号
<本町通>
市道本町左専道線
本町3
中央大通
市道築港深江線
船場中央3
久太郎町3
長堀通
府道173号大阪八尾線
<長堀通>
国道308号 (重複=r173)
新橋
千日前通
市道難波境川線
<千日前通>
府道702号大阪枚岡奈良線
難波
国道25号 (重複=R26R165大国方面)

※御堂筋からは右折禁止のため、進入は不可。

交通量

調査地点 平日昼間 休日昼間 平日24時間 休日24時間
瓦町 37,623 25,199 55,615 38,642
周防町 27,415 22,339 40,574 34,179
新歌舞伎座前 22,254 19,923 32,936 30,482
※調査日: 2005/10/16(休日)、2005/10/19(平日)[6] ※昼間は7時から19時

公共交通機関

地域

キタ: 阪神前(梅田駅阪神百貨店梅田本店・阪急百貨店うめだ本店)→梅田新道(梅新)→梅新南(北新地)→

堂島中之島: 大江橋北詰→大阪市役所日銀大阪支店淀屋橋北詰→

船場: 淀屋橋(南詰)→道修町本町(北御堂)→船場中央(船場センタービル)→南御堂→南船場→新橋→

ミナミ: 大丸前(大丸心斎橋店)→道頓堀橋南詰(道頓堀)→難波大阪難波駅)→難波西口(南海難波駅高島屋大阪店)

御堂筋を舞台とする歌曲

その他

  • 「御堂筋」をつける銀行支店のうち、三菱東京UFJ銀行御堂筋支店(中央区伏見町)は入金照合サービスの仮想口座で使用する被振込専用支店のため、実際には営業窓口は存在しない。その他に三井住友銀行(中央区久太郎町)(旧太陽神戸銀行船場支店)とりそな銀行(中央区平野町)(旧大和銀行御堂筋支店)が存在する。
  • 1959年に南海ホークスが日本一を達成した時に御堂筋でパレードを行ったが、その時の見物客は40万人といわれている。また、2003年11月3日に阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝した時の優勝パレードの動員数も、雨にもかかわらず40万人に達した(同日午後に開催された神戸では25万人)。その2年後の2005年11月6日に行われた阪神タイガースの優勝パレードの動員数は18万人だった。
  • 2006年9月3日から9日、大阪フィルハーモニー交響楽団大植英次音楽監督のプロデュースにより、大阪フィルハーモニー協会と大阪市の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演が展開された。期間中、御堂筋沿線の18の会場において、大阪フィルハーモニー交響楽団の団員による室内楽など計50公演が行われた。大植音楽監督によれば、1つのオーケストラの団員が1週間にわたって「街に出て」公演を行うというのは「僕の知る限りおそらく世界の都市で初めての試み」。大阪を象徴する御堂筋で、1週間にわたってクラシック音楽の本格的な公演が行われたことは、しばしば叫ばれている「大阪市の都市格向上」にも大いに貢献した。大阪クラシックは、2009年現在、その後も毎年開催され、晩夏の大阪の文化イベントとして定着している。
  • 島之内では、交差する道路名(旧町名)と併せた、いわゆる京都方式の交差点名が見られるが、「御堂筋大丸前」は例外である。原則に従えば「御堂筋大宝寺町」となるところだが、大丸そごうという老舗百貨店が位置していたことから「大丸そごう前」だった。そごうの閉店と大丸への売却に伴い、2009年10月に現在の交差点名に変更されている。なお、当地の大丸は御堂筋竣工以前から心斎橋筋に面して位置していることから心斎橋店である。
  • 2011年7月に、御堂筋沿いに設置されたブロンズ彫刻像のうち19体に、赤い服のようなものが着せ掛けられているのが見付かった。当初は悪質な悪戯と見られていたが[8]、彫刻の損壊が無く、また、サイズも相当に上手くフィットしていたため、アートセンスを評価する意見が多くなっている[9]

ギャラリー

参考文献

脚注

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関連項目

外部リンク

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テンプレート:大阪市の愛称道路

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  1. 御堂筋の交通量の情報 (大阪国道事務所)
  2. 大阪国道事務所 御堂筋の規制速度
  3. 当時としてはあまりにも幅がありすぎる道路形成になったため、一部から「街の真ん中に飛行場でも作る気か?」などと言われた。しかし、こういう意見に対し關一は「将来必ず役に立つことだから」と、工事を断行し、そのような意見には耳を貸さなかった。また、工事の莫大な費用を賄うため受益者負担金制度をとり、周辺住民・商店との摩擦もあった。
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. 大阪市内の道路の交通量について 大阪市
  7. ssllee
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web