浜寺公園
テンプレート:公園 浜寺公園(はまでらこうえん)は、大阪府堺市西区および高石市の沿岸部に広がる大阪府営の都市公園。約5,500本の松林で知られる。
目次
概要
前史
堺南之橋から南へ約2km、石津川に架かる太陽橋を渡ると紀州街道は内陸へ進路を取り、沿岸部には松林が広がっていた。古来白砂青松で知られた和泉海岸のなかでも特に名高い高師浜の近傍に現在も残るこの松林は、18世紀初頭の宝永年間に和泉国大鳥郡船尾村・西下村・東下村・山内下村・今在家村の5ヶ村の住民らが、防潮のために植えたものが原型となっている。
これら5ヶ村は1747年(延享4年)から田安家領となり、1868年(明治元年)に田安家がこの松林を伐採して新田開発を計画。以降二転三転の末、1873年(明治6年)に当地を訪れた大久保利通が、約850本にまで減少してしまった姿を嘆いて堺県令の税所篤に働きかけ、伐採停止が通達された。この時に大久保が詠んだ歌「音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」は、『小倉百人一首』にある祐子内親王家紀伊の「音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れこそすれ」の本歌取りで、園内に『惜松碑』として句碑が建てられている。
開園後
1873年(明治6年)12月に日本最古の公立公園として開園する。
1905年(明治38年)、浜寺公園の南に隣接する旧・高石北村および高石南村の沿岸部(芦田川 - 王子川間)に、日露戦争におけるロシア兵俘虜収容所(約43ヘクタール、28000人収容)が建てられた。浜寺公園では軍艦の模型を作って爆破させるショーや、約500人の剣客を招いての古代戦闘合戦が行われたり、夜間もイルミネーションで飾っていた[1]。園内のユースホステル北側にロシア兵の霊を鎮める銅像と小泉純一郎総理大臣とロシアプーチン大統領の書名が入った石碑が建っている。なお、この地で亡くなった捕虜は、大阪府泉大津市春日町にある「春日墓地」内に「ロシア兵墓地」として埋葬されている。
公園周辺の旧浜寺町一帯は大正から昭和初期にかけて別荘地となり、夏期は海水浴場として大変な賑わいを見せた。浜寺海水浴場は大阪毎日新聞社と南海電鉄が開設したもので、阪堺線の駅前と言うこともあり、旧堺港南側の大浜公園および大浜海水浴場と並んで一大レジャースポットであった。かつて園内には数件の料亭が営まれており、堺市出身の与謝野晶子が与謝野鉄幹と親しくなった歌会も行なわれ、現在は晶子の句碑が存在する。
1945年(昭和20年)から1958年(昭和33年)までアメリカ軍に接収され、解除後わずか3年で泉北臨海工業地帯の埋立造成が始まった。海水浴場は姿を消したが、浜寺公園の松林の保存などを目的に浜寺水路が建設され、辛うじて往時を偲ぶことができる。
園内は様々な樹木が育てられており、春には桜の花見客で溢れる。特に有名な松林は、日本の名松100選に選定されており、大規模な松林を守るため、至る所に防火設備が見受けられている。現在では使用されていない1908年(明治41年)に製造されたアメリカ製の消火栓が公園中央を南北に貫くメインストリート沿いに残っている。
園内の指定地域では直火は使用できないが火気の取り扱いが許可されており、冬を除いた季節の週末ともなるとバーベキューをしているグループが見受けられる。
繁忙期には園内に売店が開かれ、端午の節句には阪堺線浜寺駅前駅側入場口を中心に多数のこいのぼりが設置され、夏には日本のシンクロナイズドスイミングの発祥の地とされる府営浜寺プールに毎日新聞社主催の浜寺水練学校が開講される。浜寺水練学校では日本の古式泳法の研究、実践、伝承が行われている。
サッカーJリーグセレッソ大阪の下部組織がユースホステル隣接のグラウンドでサッカースクールを開催している。
2003年および2004年の7月31日には、通常大浜公園で毎年行われる堺大魚夜市が一時的に場所を変えて開催された。
沿革
- 1873年(明治6年)12月 - 公園に指定される。
- 1932年(昭和7年) - 財団法人富民協会により園内に農業博物館が竣工し開館する。
- 1947年(昭和22年)4月22日 - 農業博物館建物を転用して、高石町立中学校(現 高石市立高石中学校)が開校する。
主な施設
公園の区域は、浜寺水路を挟んだ両岸の南北にわたっている。なお、主たる部分は東岸にある一方、西岸(以下には※印を表記)は阪神高速4号湾岸線との間に挟まれた細長い区画となっている。
施設やサービスによっては、それぞれ有料となっているものがある。
- レストハウス
- ばら庭園・中央花壇
- プール
- 交通遊園 : 子供汽車・ゴーカート・バッテリーカーを利用に供している。
- スポーツ施設
- テニスコート(テニスコート(※)・北テニスコート・南テニスコート)
- アーチェリー練習場(※)
- 軟式野球場(2面)
- 球技広場(第一球技広場・第二球技広場・ソフトボール広場)
- 児童遊技場(北児童遊技場・南児童遊技場・中央児童遊技場・高石児童遊技場)
隣接する施設
以下の施設は当公園の施設ではないが、公園に隣接または内包して設置されている。
- 大阪国際ユースホステル・大阪府羽衣青少年センター[2]
- (公財)大阪ユースホステル協会(以下「YH協会」)が運営するユースホステルおよび研修施設。両者の合築により、前者が宿泊施設・後者が研修施設として利用できる総合施設となっており、同施設では宿泊研修施設として「関西随一」であるとしている。
- 居住地や年齢・国籍などを問わず利用が可能である。宿泊定員214名[3]。
- 後者(旧称 「大阪府立羽衣青少年センター」)については、かつては府の直営だったが、2006年4月よりYH協会が指定管理者として運営した後、2011年4月より事業継承し直営となっている[4]。
- 大阪府立漕艇センター(※)[5]
- B級1,000mおよびC級2,000m公認。浜寺水道のうち、浜寺大橋より高石漁港に至る2,000mをコースとしている。愛称として「Marisマリンスポーツパーク・浜寺」が付与されている。
主な催事
- 浜寺ローズカーニバル : 地域振興、公園利用促進を目的として、1978年より毎年5月に開催されている。中央噴水広場・ばら庭園付近で実施。
- 2012年5月20日に制定されたマスコットキャラクターは、薔薇から生まれた妖精をモチーフにつくられた「浜寺ローズちゃん」である。ゆるキャラグランプリ2012の人気投票では、参加865体中、864位のブービー賞であった[6]。
- 盆栽展
- 植木市
字名について
この公園は、堺市と高石市にまたがっており、堺市内の部分は「浜寺公園町」であるが、高石市内の部分は「羽衣公園丁」(はごろもこうえんちょう)という地名がついている。
周辺
- 浜寺水路
- 泉北臨海緑地
- 阪神工業地帯
- 堺泉北臨海工業地帯
- 紀州街道
- 阪神高速道路4号湾岸線 浜寺出入口(天保山方面)・高石出入口(りんくうジャンクション方面)
- 府道29号大阪臨海線
- 府道204号堺阪南線
近隣の主な都市公園
脚注
- ↑ 『正論』2010年10月号 テンプレート:要ページ番号
- ↑ 施設案内 - 大阪国際ユースホステル・大阪府立羽衣青少年センター(2013年9月10日閲覧)
- ↑ 大阪国際ユースホステル - 日本ユースホステル協会(2013年9月10日閲覧)
- ↑ 協会概要 - 大阪ユースホステル協会(2013年9月10日閲覧)
- ↑ 施設案内 - 大阪府立漕艇センター(2013年9月10日閲覧)
- ↑ ゆるキャラグランプリ2012結果発表 - ゆるキャラ(R)グランプリ実行委員会(2013年6月閲覧)
関連項目
- 高師の浜 : 歴史上の人物が、当地付近にて以下の詩を詠んでいる。
外部リンク
- 浜寺公園 - 大阪府公園協会 ※公園の公式サイト。
- 大阪国際ユースホステル・大阪府羽衣青少年センター - 大阪ユースホステル協会
- マリンスポーツパーク・浜寺 大阪府立漕艇センター
- 公園紹介 - 大阪府
- 大阪府営公園デジタルアーカイブ(浜寺公園)