大阪ビジネスパーク

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赤色着色部が造兵廠敷地

大阪ビジネスパーク(おおさかビジネスパーク)は、大阪府大阪市中央区城見にある、超高層ビル群と都市公園で構成された再開発地域。略称はOBP(オービーピー)。

概要

大坂城の北東に位置し、寝屋川第二寝屋川大阪環状線に挟まれた約26ヘクタールの地区を指す。大阪城公園に隣接した地区を経済、商業の一大拠点にしようと、大阪市と大阪府に本社を置く大手企業などの取り組みにより共同で建設された。なお、城東区都島区との境界に近く、中央区の他の地区とは大阪城公園で隔てられた位置にある。

パナソニックの不動産関連会社だったMID都市開発(旧・松下興産)が運営するTWIN21IMP(インターナショナル・マーケット・プレース)をはじめ、讀賣テレビ放送住友生命(社屋のエントランスにクラシックコンサート専用のいずみホールがある)、KDDI東京海上日動火災富士通日本電気近畿大阪銀行鹿島建設などが社屋を設けている。

また、TWIN21はパナソニックの関連会社が主に入居する「パナソニックタワー」(旧名:ナショナルタワー)と、商業施設や一部のパナソニック関連会社、その他企業、外国の領事館が多く入居する「MIDタワー」の2棟が並んでおり、1-4階のアトリューム部分(2階はJR京阪電車京橋駅ペデストリアンデッキで直結)でこの2つのビルを直結している。

1996年には、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線に最寄り駅として大阪ビジネスパーク駅が完成し、交通アクセスの更なる充実を果たした。

沿革

元々この地は、旧大和川平野川、猫間川などの河川が合流する中州で、水運の要所であった。また、大坂城の北東すぐの場所に位置することから、石山合戦大坂の陣の古戦場でもある。もとは東成郡鴫野村の一部で、大坂夏の陣で自害した淀殿を葬ったとされる弁天祠があったことから、「弁天島」と呼ばれた。江戸時代には大坂城周辺の武家屋敷地の一画を占めた。

明治に入り武家屋敷が破却され、1869年に再び鴫野村の一部となった弁天島は兵部省大坂鎮台、後の第4師団)の所管となった。1879年に大坂城京橋口から青屋口にかけて大日本帝国陸軍大阪砲兵工廠が建てられ、明治末年までに玉造口や弁天島にも拡張された。1939年には城東線(大阪環状線)東側の城東練兵場跡地にまで拡張され、1940年に大阪陸軍造兵廠に改称。東洋一の規模を誇ったが、1945年8月14日アメリカ軍による爆撃(第8回大阪大空襲)で造兵廠は80%以上の施設が破壊され、敗戦後は連合軍総司令部に接収された。

1952年講和条約発効により接収が解除されたが、不発弾が多く危険という理由で1960年代中頃まで更地のままだった。その後更地は大阪市に返還され、再開発計画により高層ビルを建設し、新たな街づくりを進めることを計画。そして、大阪ビジネスパークは誕生した。

この間、東区弁天町という町名になったが、港区弁天町駅が開業し、弁天町は同駅周辺の広域地名として定着した。また、弁天町の町名にも定着の差があり(港区側は1927年から、東区側は1952年から)、東区弁天町は1979年に城見へ改称された。しかし、現在も「弁天橋」や「弁天抽水所」などに弁天の名が残っている。なお、弁天橋は1976年玉造筋の延長に伴って現在地へ架け替えられた。もとの架橋地点には1983年に大阪城新橋が架けられている。

行政区域の変遷

主な施設

周辺の施設

交通

ギャラリー

関連項目

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外部リンク

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