馬場鉄志
テンプレート:存命人物の出典明記テンプレート:基礎情報 アナウンサー 馬場 鉄志(ばば てつし、1950年9月27日 - )は、関西テレビ放送の元アナウンサー。現在はフリーアナウンサー(関西テレビとの「番組出演契約」)。
目次
来歴・人物
東京都西多摩郡日の出町出身 [1]。アナウンサーを志したのは高校時代から競馬好きで、競馬実況をしたかったためである。当時フジテレビはアナウンサーを募集していなかったため関西テレビを希望した[2]。早稲田大学卒業後は、関西で生活を続けている。関西テレビの同期・岡本栄(伊賀市市長)は“現役入社”であるため、馬場より1歳年下である。
関西テレビでは長らくスポーツ実況アナウンサーとして活動。『大阪国際女子マラソン』の移動中継車からの実況や野球・競馬実況などを担当。1996年7月から1997年3月までに島田紳助司会の全国ネット番組『カジノザウルス』でも実況を務めた。
60歳定年を控え最晩期は出演番組の整理に取り組み、2009年11月15日の第34回エリザベス女王杯実況の席で、京都競馬場開催GIレース実況からの引退を宣言。そして、2010年4月11日の桜花賞をもって、競馬実況から完全に引退した[3]。その際、「大変に私事ですが、この桜花賞をもって、競馬の実況にピリオドを打ちたいと思います。30有余年にわたっての叱咤・激励、本当にありがとうございました」とレース発走前に挨拶している。また本人はプロフィールで「(定年後は)放送業界を離れ人間らしさを取り戻したい」と語っていた。2010年9月限りで定年退職。その後は放送業界を離れず、関西テレビと出演者契約を結んでいる。定年後の主な番組出演はサッカー中継の実況が多い[4]。2013年からはフジテレビワンツーネクストを中心に東京での仕事が中心となっている。
自他共に認める太りやすい体質で近年は体重の著しい増加とともに、声質に変化が生じている。その体重増加については、「高血圧の(治療)薬(の副作用)と酒の飲み過ぎ」が原因だと桑原征平に言われている。
エピソード
スポーツアナウンサーならではのエピソードには事欠かない。
競馬実況
かつての上司で大先輩の杉本清の後を継いで2001年から菊花賞の実況の担当も始めたが、それ以降菊花賞は波乱の決着が続いている。[5]
馬場が実況を担当していた頃は波乱が多かった秋華賞は平穏なレースとなり、2003年のスティルインラブの牝馬三冠達成で後輩の石巻ゆうすけに「三冠実況アナウンサー」を先んじられた(1週間後の菊花賞ではネオユニヴァースの三冠がかかっていたが、3着に終わった)。
しかし、2005年菊花賞にて、ようやくディープインパクトの三冠実況を果たした。この時に残した「世界のホースマンよ見てくれっ!!これが日本近代競馬の結晶だっ!」は高く評価され、2006年のFNSアナウンス大賞を受賞している。関西テレビのアナウンサーによる同大賞の受賞は2002年の第18回大会の山本浩之以来だった。
頻繁に用いられる文句として「大外から○○~!」というフレーズがあるが、さほど外側を通らない馬でも一番外であれば「大外」と言う場合がある。「大外から○○~」のさらに外側から馬が突っ込んできたこともある。
また、直線の勝負所で「○○の左(右)ムチが飛んでいる!」や、染め分け帽が使われている場合の道中で「染め分け帽も鮮やかに」、最後のコーナーを回って逃げている馬がいるとき、「○○、逃げる、逃げる!」というフレーズも使う。
かつてエリザベス女王杯でホクトベガが優勝した際には「ベガはベガでもホクトベガです!」と言う台詞を発した。
京都競馬場での関西テレビアナウンサーとしてのGI最後の実況になった第34回エリザベス女王杯ではクィーンスプマンテ(11番人気)が1着、テイエムプリキュア(12番人気)が2着、ブエナビスタ(1番人気)が3着という結果となり、大波乱の決着となった。このレースは前2頭が大逃げする展開で、ゴール前200m付近では「これが競馬だ、これが競馬の恐ろしさ」という実況を残した。
F1グランプリ実況
F1(番組名『F1グランプリ』)の実況は1987年から1998年まで担当した(関西テレビ枠。現在は存在しない)。実況開始当初はハンガリーGP、メキシコGP、カナダGPなど、日本からは遠隔地であったり時差が大きかったりする国を多く担当させられていたが、その後はモナコGPなど、日本GP以外の主要なレースも担当するようになった。
当初の実況はオーソドックスなスタイルだったが、F1実況仲間だった古舘伊知郎の影響を受けたか、後に比喩法や独自表現を使用するようにもなった。また、カナダGPでは、開催地の表現をジル・ヴィルヌーヴ・サーキットより、「セント・ローレンス・シーウェイ」とすることが多い。馬場はフジテレビが実況中継を開始する1987年以前よりF1ファンであり、好きなマシンはロータス・78であったと語るなど1970年代や1980年代前半期のF1にも詳しく[6]、仕事としてレース実況を勉強した他のアナウンサーとは知識面で段違いであった。また、時計を読み取る能力にも長けており、予選では中間計測点のラップタイム表示が無くても画面の推移と共に動き続ける時計を比較して速いラップタイムが出ていることを察知し実況に乗せることが出来るアナウンサーだった。この能力は後のFISワールドカップスキー中継などでもいかんなく発揮されていた。
アイルトン・セナとの相性が悪かったことで知られ、「馬場アナが実況するとセナが勝てない」というジンクスが長らく存在し、セナがリタイアした1989年のポルトガルGPの後、ホンダの監督であった後藤治から「もう来ないでくれる?」と言われたこともある。
翌1990年にはセナが直前に開催されたスペインGPでシリーズチャンピオンを決めそうになったため、日本GPまでチャンピオン争いをもつれ込ませたいフジテレビのスタッフが、スペインGPの会場であるヘレス・サーキットに馬場の顔写真を国際ファックスしてもらい、実況ブースに貼って放送した(このレースの実際の実況担当者は三宅正治)。さすがにセナが所属するマクラーレンのエンジンサプライヤーのホンダ関係者から「悪ふざけが過ぎる」と苦言を呈された[7]。ちなみにこのレースでセナは水漏れでリタイア、結局フェラーリの1-2フィニッシュだった。
1991年も全く同じ状況が生じたことからフジテレビは馬場を実況に送り込み、見事その狙いが当たってセナが5位に沈んだというエピソードを後に古舘が暴露している(馬場自身は当時セナの大ファンだったため、何とも皮肉な話であった)。優勝はポイントランキング2位のウィリアムズのナイジェル・マンセルであった。
なお当然ながら、馬場の存在とセナの不成績には何ら因果関係はない。1991年のモナコGPで上記のジンクスは崩れセナが優勝、1991年・1992年のハンガリーGPでも、馬場の実況の下共にセナが優勝を飾った。また、ジンクスが騒がれ出す以前では、1988年のイギリスGPもセナの優勝レースだった。
反対に、セナとはマクラーレン時代のチームメイトだったゲルハルト・ベルガーとの相性は抜群で、ベルガーはF1通算で10勝(フジテレビの放送開始後では9勝)を挙げているが、そのうちの半分の5勝を馬場が実況したレースで優勝している。1988年、マクラーレンが唯一勝てなかったイタリアGPでの実況も馬場であり、優勝したのもベルガーだった。そして、1997年のドイツGPでは、ベルガーは生涯最後の優勝を飾ったが、その時もやはり馬場が実況を担当していた。
中継初期から携わってきた関係や人柄から中嶋悟の信頼が厚く、中嶋が近畿大学で講演した際には自身の話下手を補うため、聞き手として呼ばれたことがある他、現在でもプライベートで交流を続ける仲だという[8]。
実況担当した1993年スペインGPでの中継ではこの時解説として参加した古舘が「馬場さんとセナの相性。馬場さんがアナウンサー担当の時にですね、セナが勝った確率はですね、なんと1割8分です。22戦して4勝です。私がちなみに5割なんでどっちに転ぶかなという風に思っておりますが。」と語った後に馬場は「あまりこの話題には触れようと…触れたくないんでありますが…」と苦笑いしながら語っていた(結局セナは2位と優勝できなかった)。
関西テレビ退職後の2010年11月より、CS放送のフジテレビNEXTにて放送されている『F1 LEGENDS THE BEST GP '89-'90』において、当時の国際映像を基に解説者の今宮純と共に当時を振り返りながら改めてレース実況を行っている。
2013年からBSフジ制作のF1中継番組で15年ぶりに実況を行う。
大阪国際女子マラソン実況
毎年1月末の日曜日に開催される大阪国際女子マラソンで、馬場は1992年からの第11回大会から2010年の第29回まで、第一移動車での実況中継の担当となる。特に、シドニーオリンピックの選考会を兼ねた2000年の第19回大会、リディア・シモン(ルーマニア)と弘山晴美が長居陸上競技場へ入るゴール直前、二人の死闘ぶりを絶叫調で実況した。
プロ野球実況
2007年まで、阪神甲子園球場で行われる阪神対巨人戦の実況を年1回担当していた。
1992年9月11日の阪神対ヤクルトの6時間26分の史上最長試合を実況している。この試合ではあまりの長時間のため、『プロ野球ニュース』の生中継内で実況を行なっている。
1998年のガルベス事件(バルビーノ・ガルベスが降板の際球審に向かってボールを投げつけた)の際実況を担当していた。
主なプロ野球実況経験
日本シリーズでは1995年のグリーンスタジアム神戸でのオリックス対ヤクルト第1戦、1996年のグリーンスタジアム神戸でのオリックス対巨人第3戦・第4戦の実況を担当した。2008年の京セラドーム大阪でマツダオールスターゲーム2008の前半部分の実況をした。
競馬G1実況歴
- 桜花賞(1988年、1992年 - 2010年)
- 天皇賞・春(1991年、2001年 - 2009年)
- 宝塚記念(1985年、1986年)
- 秋華賞(1998年 - 2000年)
- 菊花賞(2001年 - 2009年)
- エリザベス女王杯(1991年 - 2009年)
- マイルチャンピオンシップ(1997年 - 2006年)
- ジャパンカップダート(2008年 - 2009年)
- 阪神3歳牝馬ステークス(1991年、1993年 - 2000年)
- 凱旋門賞(2007年 - 2009年)
現在の出演番組
- BSフジ F1世界選手権シリーズ
- フジテレビONE/NEXT ドイツサッカー・ブンデスリーガ中継
- FOX SPORTS 女子アルペンスキー、BASEBALL CENTER(オリックス主催試合)
過去の出演番組
以下はスポーツ中継
- 大阪国際女子マラソン - 2010年まで第1中継車実況
- 名古屋国際女子マラソン(東海テレビ放送) - 1990年大会の第2放送車の実況担当
- 北海道マラソン(北海道文化放送) - 第2移動車実況・真駒内屋外競技場スタート実況・中島公園ゴール実況
- FISワールドカップスキー
- サッカーJリーグ中継(ガンバ大阪戦)、1994 FIFAワールドカップアジア地区最終予選第4戦「日本対韓国」実況
- DREAM競馬、競馬beatなど競馬実況
- 三菱ダイヤモンドカップゴルフなどゴルフ実況
- プロ野球中継(阪神タイガース、オリックス・バファローズ戦)
- すぽると!
- スカパー!サッカー セレッソ大阪戦実況(2011年、2012年)[9]
その他
- 2009年まで、毎年12月に刊行される『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑(西暦)』(産経新聞社発行)に「GI激走譜」を寄稿していた。
- 2003年 - 2005年は宝塚記念、2006年は菊花賞、2007年は天皇賞・春、2008年はマイルチャンピオンシップ、2009年は秋華賞にそれぞれ寄稿していた。
- ラジオ番組では、KTVの先輩・桑原征平がパーソナリティを務める『桑原征平粋も甘いも』(ABCラジオ)水曜日の「私の通信簿」コーナーに2度ゲスト出演している(2011年6月8日、2014年4月2日)。
脚注
- ↑ 「日の出町出身の有名人 スポーツ実況アナウンサー 馬場鉄志さん」
- ↑ 『プロ野球ここだけの話』(フジテレビONE)出演時に発言。
- ↑ その後、2012年に福島競馬場で開催の実況マスターズには参加し、実況も担当した。
- ↑ 主に関西テレビが制作を担当するスカパー!のセレッソ大阪ホームゲーム。まれにフジテレビワンツーネクストの海外サッカー中継に出演することがある。
- ↑ これは天皇賞・春も同じことが言えるが、最初の年2001年はテイエムオペラオーの連覇達成、翌年、2002年はマンハッタンカフェ、ジャングルポケット、ナリタトップロードの3強で決まり、さほど荒れてはいない。
- ↑ 別冊宝島 F1マクラーレン・ホンダ 栄光の1988年 16戦15勝の舞台裏 ISBN 4800214815 内インタビュー
- ↑ 別冊宝島 F1マクラーレン・ホンダ 栄光の1988年 16戦15勝の舞台裏 ISBN 4800214815 内インタビュー
- ↑ 別冊宝島 F1マクラーレン・ホンダ 栄光の1988年 16戦15勝の舞台裏 ISBN 4800214815 内インタビュー
- ↑ 関西テレビグループはスカパー!とメディアパートナー契約を結び、セレッソホームゲームの中継制作を行っている。なお、ガンバ大阪のホームゲーム担当は朝日放送グループ。