ブラジルグランプリ
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ブラジルグランプリ(ブラジルGP, テンプレート:Lang-en-short, テンプレート:Lang-pt-short)は、ブラジルで1973年以降行われているF1世界選手権のレースのひとつ。
概要
1978年及び1981年から1989年はリオ・デ・ジャネイロの郊外にあるジャカレパグアで実施された。それ以外の年はサンパウロ郊外にあるインテルラゴスで行われている。
以前は序盤に開催されており、そのうち10回が開幕戦として実施されてきた。2004年から開始したバーレーンGPがイスラム教の断食月ラマダーンと重なることを避けてシーズン序盤開催となったことを受け、一転して最終戦に実施された。以後、シーズン終盤での開催が定着し、2005年から2009年まで5年連続でワールドチャンピオン決定戦の舞台となった。
終盤戦に開催されるようになってからは、ブラジルグランプリのみの「お約束」として、表彰式後のシャンパンファイトで通常の曲ではなく、サンバのリズムが流れ、それとともに大量の紙ふぶきが飛び出すようになった。
過去の主な出来事
- 第1回目のブラジルGPでは、地元出身で前年ワールドチャンピオンに輝いたエマーソン・フィッティパルディが優勝を飾った。なお、フィッティパルディは翌年も優勝したほか、自ら立ち上げたチーム・フィッティパルディで1978年に2位に入賞している。
- 多くのグランプリにおいて、最多勝記録は1990年代から2000年代にかけて活躍したミハエル・シューマッハによって塗り替えられたが、ブラジルGPでは1980年代から1990年にかけ6勝を挙げたアラン・プロストが最多勝記録を保持している(シューマッハは4勝を挙げた)。チームとしては、マクラーレンが強く通算で12勝を挙げており、フェラーリ(10勝)、ウィリアムズ(6勝)がそれに続いている(2013年現在)。
- 2007年までのブラジル人のF1チャンピオンは、いずれもブラジルGPを制している。フィッティパルディは初の公式戦として開催された1973年、ネルソン・ピケは5度目の挑戦となる1983年、アイルトン・セナは8度目の挑戦となる1991年に、初の母国GP制覇を果たした。
- 1995年は、使用燃料違反により、1位のミハエル・シューマッハと2位のデビッド・クルサードに対して表彰式の後に失格との裁定が下され、一旦は3位のゲルハルト・ベルガーの繰上り優勝が発表されたが、その後再度下された裁定により当初のリザルトが復活し、シューマッハの優勝とクルサードの2位、両名へのドライバーズポイントの授与は認められた上で、所属チームのベネトン、ウィリアムズに対するコンストラクターズポイントのみが剥奪されるという裁定が下った。両チームともエルフ社の燃料を使用していた。
- 2002年は元サッカー選手のペレがゲストに招かれ、チェッカーフラッグを振る役を任されたが、最終ラップでスタッフと打ち合わせしている間に1位のミハエル・シューマッハ(フェラーリ)、2位のラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)が通過してしまい、3位のデビッド・クルサード(マクラーレン・メルセデス)でようやくチェッカーを振るという珍事になった。
- 2003年は、大雨で混乱したレースとなり、最後は赤旗によりレース終了。一旦はキミ・ライコネンの優勝として表彰式も執り行われたが、その後の裁定によりジョーダン・フォード(コスワース)のジャンカルロ・フィジケラの優勝が発表されることとなった(優勝カップ授与は翌戦のサンマリノGPで行われた)。この優勝は、フィジケラにとってのF1初優勝となったほか、フォード-コスワースエンジンにとっては1999年のヨーロッパGPでのジョニー・ハーバート以来の優勝となり、フォードと、2006年限りで供給先を失い2007年以降は参戦していないコスワースにとって、最後のF1優勝となっている。
- 2005年のレースでは、3位入賞したフェルナンド・アロンソがドライバーズチャンピオンを確定させた。これはエマーソン・フィッティパルディの持つ史上最年少チャンピオン記録を実に33年ぶりに塗り替えるものであった。また、ブラジルGPでタイトルが決まった初の例となった。
- 2006年のレースはミハエル・シューマッハの引退レースとなった。わずかながらにタイトルの可能性を残したが、マシントラブルに見舞われ、予選を10位で終えた。決勝では、ジャンカルロ・フィジケラとの接触でパンクし、最後尾に後退した。最終的に4位に終わり、チャンピオンはフェルナンド・アロンソのものになった。最終的に、シューマッハのチームメートである、フェリペ・マッサが優勝し、ブラジル人によるブラジルグランプリ優勝は、1993年アイルトン・セナ以来13年ぶりとなった。テンプレート:Main
- 2007年のレースは新人チャンピオンを狙うルイス・ハミルトンと三年連続チャンピオンを狙うのフェルナンド・アロンソ、そして初めてのタイトルを目指すキミ・ライコネンがタイトルを懸けて争う、F1では21年ぶりとなる三つ巴の最終決戦の舞台となった。ポイントリーダーとして迎えたハミルトンはアロンソとは4ポイント差、ライコネンに対しては7ポイント差をつけており、優位な立場にいたものの、スタートでのミスとギヤボックストラブルにより後退。その後挽回するも7位に終わる。アロンソもフェラーリに追いつくことが出来ず、3位。レースはライコネンが優勝し、逆転で初のワールドタイトルを獲得することとなった。
- 2008年のレースは、ルイス・ハミルトン、フェリペ・マッサのタイトル争いに期待がかかる中、突発的な雨によってスタートが10分遅れるという波乱の幕開けとなった。スタート直後、今期で引退を表明していたデビッド・クルサードが第一コーナーでクラッシュに巻き込まれ、開始直後にリタイアという残念な結果に終わってしまった。レースは終始マッサが快調に首位を独走していたものの、ハミルトンが安定して5位を維持し続けていたため、誰が見てもハミルトンのタイトル獲得は決定していた。しかし、レース終盤再び降り出した雨により6位走行中のセバスチャン・ベッテルにかわされ、ハミルトンのチャンピオンの座が再び遠のいた。残り周回数は2周、その間マッサはトップでチェッカーを受け、このまま誰もがマッサがタイトルを獲得すると予想していた。しかし、ドライタイヤで4位を走行していたティモ・グロックが失速、ファイナルラップ最終コーナーでハミルトンがグロックをかわして5位に返り咲き、大逆転で史上最年少タイトルを獲得した。なおテレビの実況生中継では最終コーナーで抜かれたと報道されたが、後に発売された速報誌ではターン12(インテルラゴスの最終コーナーより手前、インフィールド区間最後のRがきついカーブ)での逆転劇と書かれている。
レース結果
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | レポート |
---|---|---|---|---|---|---|
1973 | 2月11日 | 2 | インテルラゴス | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス | 詳細 |
1974 | 1月27日 | 2 | インテルラゴス | エマーソン・フィッティパルディ | マクラーレン | 詳細 |
1975 | 1月26日 | 2 | インテルラゴス | カルロス・パーチェ | ブラバム | 詳細 |
1976 | 1月25日 | 1 | インテルラゴス | ニキ・ラウダ | フェラーリ | 詳細 |
1977 | 1月23日 | 2 | インテルラゴス | カルロス・ロイテマン | フェラーリ | 詳細 |
1978 | 1月29日 | 2 | ジャカレパグア | カルロス・ロイテマン | フェラーリ | 詳細 |
1979 | 2月4日 | 2 | インテルラゴス | ジャック・ラフィー | リジェ | 詳細 |
1980 | 1月27日 | 2 | インテルラゴス | ルネ・アルヌー | ルノー | 詳細 |
1981 | 3月29日 | 2 | ジャカレパグア | カルロス・ロイテマン | ウィリアムズ | 詳細 |
1982 | 3月21日 | 2 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | ルノー | 詳細 |
1983 | 3月13日 | 1 | ジャカレパグア | ネルソン・ピケ | ブラバム | 詳細 |
1984 | 3月25日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1985 | 4月7日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1986 | 3月23日 | 1 | ジャカレパグア | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ | 詳細 |
1987 | 4月12日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1988 | 4月3日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1989 | 3月26日 | 1 | ジャカレパグア | ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 詳細 |
1990 | 3月25日 | 2 | インテルラゴス | アラン・プロスト | フェラーリ | 詳細 |
1991 | 3月24日 | 2 | インテルラゴス | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1992 | 4月5日 | 3 | インテルラゴス | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1993 | 3月28日 | 2 | インテルラゴス | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1994 | 3月27日 | 1 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 詳細 |
1995 | 3月26日 | 1 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 詳細 |
1996 | 3月31日 | 2 | インテルラゴス | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 詳細 |
1997 | 3月30日 | 2 | インテルラゴス | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ | 詳細 |
1998 | 3月29日 | 2 | インテルラゴス | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 詳細 |
1999 | 4月11日 | 2 | インテルラゴス | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 詳細 |
2000 | 3月26日 | 2 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2001 | 4月1日 | 3 | インテルラゴス | デビッド・クルサード | マクラーレン | 詳細 |
2002 | 3月31日 | 3 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2003 | 4月6日 | 3 | インテルラゴス | ジャンカルロ・フィジケラ | ジョーダン | 詳細 |
2004 | 10月24日 | 18 | インテルラゴス | ファン・パブロ・モントーヤ | ウィリアムズ | 詳細 |
2005 | 9月25日 | 17 | インテルラゴス | ファン・パブロ・モントーヤ | マクラーレン | 詳細 |
2006 | 10月22日 | 18 | インテルラゴス | フェリペ・マッサ | フェラーリ | 詳細 |
2007 | 10月21日 | 17 | インテルラゴス | キミ・ライコネン | フェラーリ | 詳細 |
2008 | 11月2日 | 18 | インテルラゴス | フェリペ・マッサ | フェラーリ | 詳細 |
2009 | 10月18日 | 16 | インテルラゴス | マーク・ウェバー | レッドブル | 詳細 |
2010 | 11月7日 | 18 | インテルラゴス | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 詳細 |
2011 | 11月27日 | 19 | インテルラゴス | マーク・ウェバー | レッドブル | 詳細 |
2012 | 11月25日 | 20 | インテルラゴス | ジェンソン・バトン | マクラーレン | 詳細 |
2013 | 11月24日 | 19 | インテルラゴス | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 詳細 |
脚注