青木功

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テンプレート:ゴルファー 青木 功 (あおき いさお、1942年8月31日 - ) は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファーである。日本プロゴルフツアー永久シード保持者。1980年に全米オープンで準優勝を果たすなど、尾崎将司中嶋常幸と共にAON (エーオーエヌ) と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位である。

略歴

主な記録

  • 1980年全米オープンでは、準優勝。 (優勝はニクラスで、青木は2位。共に当時の優勝レコードを塗り替えての1、2フィニッシュ。これは現在に至るまで、日本人男子選手のメジャー大会最高成績である)
  • 同年の全英オープンでは、3日目に最小スコアレコード「63」を叩き出している。 (2010年現在も、タイ記録)
  • ハワイアン・オープン優勝は、最終日・最終ホールでピンまでの距離128ヤードのショットでチップインイーグルを決めて、2位に1打差の勝利であった。1打差でリードしたままホールアウトしたジャック・レナーがスコアカードを提出しているさなかの奇跡の逆転であった。同ショットは米国にて、80年代を代表する印象に残るショットの一つに選定されており、このショットで使用したパワービルト社製のPWピッチング・ウェッジは、世界ゴルフ殿堂の施設内に展示されている。なお、128ヤードは勝利の翌日青木が歩測して確認した数字であり、翌日同じ場所から同じクラブで何度打ってもバンカーにつかまり、グリーンに届かなかったという。

プロ優勝 (77)

日本ツアー (51)

PGAツアー優勝 (1)

No. Date Tournament 優勝スコア 打差 2位
1 1983年2月13日 Hawaiian Open −20 (66-70-65-67=268) 1打差 テンプレート:Flagicon ジャック・レナー

ヨーロピアンツアー (1)

  • 1983 パナソニック・ヨーロピアン・オープン

その他優勝 (7)

チャンピオンズツアー優勝 (9)

No. Date Tournament 優勝スコア 打差 2位(タイ)
1 27 Sep 1992 ネイションワイド選手権 −8 (70-66=136) 1打差 テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク
2 18 Sep 1994 バンクワンシニアクラシック −14 (69-64-69=202) 3打差 テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク
3 25 Sep 1994 Brickyard Crossing Championship −11 (66-67=133) 1打差 テンプレート:Flagicon ジミー・パウエル, テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク
4 27 Aug 1995 Bank of Boston Senior Classic −12 (69-66-69=204) 1打差 テンプレート:Flagicon ボブ・チャールズ, テンプレート:Flagicon ヘール・アーウィン
5 26 May 1996 BellSouth Senior Classic at Opryland −14 (64-68-70=202) 1打差 テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク, テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク
6 30 Jun 1996 Kroger Senior Classic −15 (63-69-66=198) 1打差 テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク, テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク
7 28 Sep 1997 Emerald Coast Classic −14 (71-60-65=196) Playoff テンプレート:Flagicon テンプレート:仮リンク
8 14 Jun 1998 ベルサウス・シニア・クラシック −18 (62-66-70=198) 2打差 テンプレート:Flagicon ラリー・ネルソン
9 19 May 2002 インスティネット・クラシック −15 (69-67-65=201) 4打差 テンプレート:Flagicon ジョン・ヤコブス

日本シニアツアー優勝 (9)

  • 1994 日本シニアオープン
  • 1995 アメリカン・エキスプレスグランドスラム, 日本シニアオープン
  • 1996 日本シニアオープン
  • 1997 日本シニアオープン
  • 2000 N.カップシニアオープン
  • 2002 N.カップシニアオープン
  • 2007 日本シニアオープン
  • 2008 鬼ノ城シニアオープン

プレースタイル

  • パッティング・スタイルは、前傾を深くしてハンドダウンに構え、パターのトゥを立てた姿勢から、リストでテークバックしダウンブローに打ち込むという、タップ式あるいはリストパッティングなどと呼ばれるスタイルだった。現在ではショルダーストロークと呼ばれる手首をほとんど動かさない打ち方が主流で、この打法は過去のものとされ、実践する選手は少ない[1]ボブ・トスキはリストパッティングを採りいれていた選手のうち、ゴルフ史上に残る名手として青木、ビリー・キャスパーボビー・ロックのいずれも1940年代以前に生まれた3名を挙げている[2]
  • すでに旧式の打法になっていたにも拘わらず、青木はそのスタイルを頑に守り、勝負所のロングパットや難しいラインのパットを次々と放り込み続けた。特に帝王ジャック・ニクラスをして、「パッティングの教科書を書き替えないといけない」と言わしめた。
  • 非常に自己流に徹しているゴルファーとも呼ばれ、パッティングスタイルと共に、通常のショットにおいても個性的である。外見的な特徴としては、深い前傾姿勢とベタ足の二点が挙げられる。実際に打球する際には腕に意識を多く置くリストターン打法であり、本人は「ボールを直接打つのはクラブで、それを握るのは手なんだよ。多くのプロは体を回す事に重きを置いているが、俺のやり方は違う。」と述べている[3]メタルドライバーは自身の打法に合わなかったため、ほとんど使用しなかったが、チタンドライバーが世に出ると、打法を変えることなく使えたため、すぐに実戦で使用するようになった[4]。 (ただしパーシモンドライバー時代に比べると、フェースローテーションを抑えているとされる。)
  • 全英オープン初挑戦は1977年ターンベリー開催の第106回大会であり、54ホール終了時点で76-72-74のスコアで予選落ちした青木は、英国のリンクスコースを攻略するため、翌年の開催地セント・アンドルーズのオールドコースを視察、帰国して錦ヶ原ゴルフ場の河川敷コースで練習を重ね、1978年の全英オープンに臨んだ。初日68で首位、2日目71で首位キープ、本選は73-73で、優勝したジャック・ニクラスに4打差の7位タイ。
  • 1980年全米オープンで「バルタスロールの死闘」を演じたジャック・ニクラスが、優勝インタビューの中で「アオキの (ホールカップから) 100Y以内は世界一だ」と語ったため、この距離内で少ない打数でホールアウトする事を競えば、青木の右に出るものはいないと言われた。これを裏付けるように USPGAのバンカーショット部門 (サンドセーブ率: バンカー内から2打以内でホールアウトした率) では、'80年、'81年と二年連続No,1の座に就いている。'80年代10年間の通算成績でも首位タイに輝いている。
  • 青木の長打力に関しては、当時としては距離の長いコースセッティングだったバルタスロールでの全米オープンでの最終日に、日に日に飛距離を伸ばす青木に対して飛ばし屋のニクラスは「You are so long」とその打力を評する言葉を掛けている。[5]

人物像

  • 中学時代は野球部で、長身の為、一塁手を任されていた。
  • 最も遅咲きのゴルファーとしても有名で30も半ばにして突然強くなった。それまでは鳴かず飛ばずでどん底生活に甘んじていた。「飲む打つ?で元キャディーだった前妻にはたいへんな重荷を負わせた」と「私の履歴書」に書いている。
  • 元々はドローヒッターで飛ばし屋というスタイルであったが、安定させるため持ち球をフェードに変えてから成功している。
  • 鷹巣南雄の紹介で王貞治と親交を持つ様になる。青木は「王さんをスポーツ選手のにする」と王貞治を手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームを頂くまでになったと青木は語る[6]
  • 尾崎将司が日本国内のツアーにほぼ専念していたのに対して、青木功はこれまで海外ツアーに積極的に参戦しており、アメリカでは最も名の知れた日本人プロゴルファーの一人である。
  • 気さくで開けっ広げな性格で知られる。米国ツアー参戦後も英語が上手く話せないながら、笑顔やボディランゲージを含めて色々な選手らにどんどん話しかけ、多くの人々と友人になれたという。ゴルフ界以外の友人も多く、ビートたけしのことを「たけしさん」ではなく「ビートさん」と呼ぶ、数少ない人物でもある。
  • グレグ・ノーマンと親友である。グレグ・ノーマンはゴルフ界でもアスペルガー的な性格で知られ、奇行や人見知りが有名であまり交友関係を持たないのだが、二人は本当に仲が良く、青木が左肘を故障した際には主治医の紹介やリハビリについてのアドバイスを与え、青木が世界ゴルフ殿堂入りした際にはプレゼンターを務めた (ゴルフ解説者の戸張捷が実際に見たといって語っていたところによると、二人は会話の際、青木は日本語で、グレグは英語で普通に喋るのだが、問題なく意思の疎通が出来るのだという。戸張曰く「僕の理解の外です」とのこと) 。
  • 口調はべらんめぇ調で、一時期の口癖は「しゃんめえじゃんよ~」 (仕方がない、の意) 。ゴルフ解説においても、フランクな口調が特徴。
  • プロテストの受験費用は競輪で稼いだ。
  • 横尾要は青木の「ハワイアン・オープン」で奇蹟のチップインイーグルによる逆転優勝を見たのを機にプロゴルファーになる決心をした。
  • 私生活では離婚を経験の後現夫人と再婚している。夫人も再婚で夫人の連れ子である義理の娘がいる。このチエさんと結婚してからの青木はそれまでの生活様式や風貌が一転した。
  • 米ツアーで日本人としてはじめて勝利を挙げている。丸山茂樹岡本綾子宮里藍等も後に勝利しているが、彼等がシーズン通しての参戦であったのに対し青木は冬と夏のみをアメリカで過ごすという所謂スポット参戦という時差やグリーンの速さの違い等というハンデがつく厳しい条件の下で達成している。自身も著書の中で「行ったり来たりの生活を継続していると時差やグリーン速さの差やフォームのずれ等を調整するのが大変だった。中にはアメリカに行かなければこんな苦労をせずに済んだという人もいた。」と記している。

呼称・愛称

  • アメリカなどの英語圏では、「アイセイオー・エイオーキ」、「アイザオ・エオーキ」などと発音されていたが、'80年の全米オープンでの活躍以後は「イツァオ・ェイォーキィ」と、日本語読みに近い発音で呼ばれるようになる。
  • 米国レギュラーツアー時代は、長いパットを次々と放り込む姿や、難しいバンカーからの絶妙な寄せ技などから「東洋の魔術師 (オリエンタル・マジシャン) 」と呼ばれた。
  • 1978年の「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝後は「世界の青木」と呼ばれるようになった。青木自身は「青木功は青木功。何も変わっちゃいないんだ」と、急に「世界の」という冠を付けて語られ始めたことに、当初は戸惑いを表明していた。
  • ライバル尾崎将司のニックネーム「ジャンボ尾崎」にちなんで、一時「コンコルド青木」と呼ばれていた時期もあったが、定着することは無かった。

メディア

DVD

  • 青木功 生涯ゴルフの方程式 (発売元: 青木功ゴルフ企画/エンジンネットワーク、販売元: 紀伊國屋書店、品番: KKCS-22~23)

ビデオ

  • GOLF 青木功の世界 Part1~Part3
  • NHK趣味百科 青木功のベストゴルフ Vol,1~Vol,3 (定価各5,000円)
  • 青木功のゴルフ早わかり OUT編/IN編
  • 青木功の勝つためのゴルフ オリジナルレッスン・イン・ハワイ 第1巻/第2巻
  • 青木功・倉本昌弘のゴルフ帝王学(vap、1985年)

著作

  • ゴルフ青木流 (ISBN 4-10-467901-1、定価1,400円)
  • たちまちうまくなる 驚異の寄せワン 確実に9ストローク縮める秘密 (ISBNなし、定価690円)
  • 驚異のゴルフ カップ・インを狙え! (ISBNなし、定価690円)
  • 青木功の芝の読み方 (ISBNなし、定価880円)
  • 青木功 スーパー実戦テクニック (ISBN 4-06-126780-9、定価850円)
  • 青木ゴルフの極意 一問一答 (ISBN 4-569-21191-7、定価680円)
  • 賢者のゴルフ 青木流 秘シンプル・ゴルフのすすめ (ISBN 4-334-00585-3、定価800円)
  • 俺と闘った男たち (ISBN 4-08-780172-1、定価1,200円)
  • 青木功 ゴルフ五輪書 (ISBN 4-08-780037-7、定価580円)
  • ゴルフ青木流 基本編 (漫画/ISBN 4-8124-6284-3、定価429円+税)
  • ゴルフ青木流 スコアが伸びるマル秘実戦12のセオリー (漫画/ISBN 4-8124-6306-8、定価429円+税)

関連書籍

  • シニアの国の青木功 (佐山透著、ISBN 4-06-207652-7、定価1,600円)
  • イサオそして私 (青木チエ著、ISBN 4-416-89949-1、定価1,300円)
  • 青木功物語 誰も書けなかった、ちょっといい話 (青木功を心から愛する友の会編、ISBN 4-89084-060-5、定価1,800円)
  • 青木功の諦めないで自分を変えろ (大西久光著、ISBN 978-4576980485、定価1,575円)
  • 日本経済新聞 『私の履歴書』2010年2月掲載
  • あした天気になあれ (漫画)青木功一のモデル

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関連人物

(師弟関係)
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(我孫子一門)
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(青木功の形態模写を得意とする芸人)

脚注

  1. 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2002年5月号219頁
  2. 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2010年2月号
  3. 『バッフィー』CBS・ソニー出版 1991年1月号35~37頁
  4. 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2006年7月号114~115頁
  5. 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2005年9月号83頁
  6. 「世界の王さんあっての私」 - 東洋経済 2009年8月4日

外部リンク

テンプレート:JGTO

テンプレート:日本男子ゴルフ歴代賞金王