3時のあなた
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『3時のあなた』(さんじのあなた)は、1968年4月1日から1988年4月1日までの20年間に渡ってフジテレビ系列他で平日の15:00 - 15:55に生放送されたワイドショー・情報番組である。1981年3月までは『奥さまスタジオ 3時のあなた』(おくさまスタジオさんじのあなた)と題して放送されていた。
目次
概要
平日15時台に初めて投入された本格的なワイドショー番組である。この時間帯にワイドショー番組が設置されるに至ったのは、主なターゲットである主婦層が丁度この15時 - 16時あたりに家事を一休みする時間帯であることを見込んでのものであった。
初代総合司会は高峰三枝子と木元教子。高峰の司会起用にあたり、当時番組立ち上げから携わっていた、日枝久(現:フジテレビ会長)が同僚と共に、土下座をして出演交渉を行った末の起用であった。当初は「半年だけなら…」と高峰からの要求があったが、5年以上続いた[1]。
放送開始当初は、主にゲストを招いてのトーク・歌、主な視聴者層である40代以降の女性に向けてのファッション情報の紹介、地方の風習・伝統の紹介などといった具合で、純粋な主婦向け情報番組としての趣が強い「女性のための女性のワイドショー」だった。高峰は番組の中で自らのヒット曲『湖畔の宿』を歌い、再びお茶の間のアイドルとなった。
朝の番組である『小川宏ショー』に誘発される形で企画され、新聞の番組宣伝には「小川宏もご推薦」のコピーが出ていた。
1970年代以降、森光子・寺島純子が司会に参加するようになってからは、前田忠明、東海林のり子、福岡翼ら個性の強いレポーター陣を配してのスキャンダル中心の芸能・凶悪事件レポートが主な内容となった。
1980年代後半に入り、長らく主な視聴者層となっていた主婦層の生活習慣の変化(パートタイマーの増加など)や、ワイドショー番組そのものに対してより高い情報性が求められるようになり、旧来の「主婦向けワイドショー」の色彩を色濃く残していた(あくまでも最後まで女優・女性タレントによる司会というスタイルに拘っていたことの弊害でもあった)本番組の趣旨も次第に時代に適応しづらくなったためか、次第に視聴率が低下。1988年春改編を以って、20年の歴史に幕を閉じ、『TIME3』へとリニューアルされた。『TIME3』では本番組とは異なり、基本的に社会情報や芸能情報だけを取扱い、司会も局アナウンサーにするなど、速報性を重視した内容となった。
年末年始でも通常通り、放送を行うこともあった。
番組終了後も、皇室関係や大物有名人の冠婚葬祭など、重大ニュースの発生時に報道番組色の薄い特別番組を放送する場合は、森を司会に本番組のフォーマットで放送されることがあった。
歴代正式タイトル
- 1968,4 - 1981,3:奥さまスタジオ 3時のあなた
- 1981,4 - 1988,4:3時のあなた
出演者
司会
期間 | 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1968.4.1 | 1969.3 | 高峰三枝子 | 木元教子 | |||
1969.4 | 1970.3 | 山口淑子 | ||||
1970.4 | 1970.9 | 久我美子 | 山口淑子 | |||
1970.10 | 1973.5 | 芳村真理 | ||||
1973.5 | 1974.3 | 扇千景 | ||||
1974.4 | 1974.5 | 森光子 | 扇千景 | |||
1974.5 | 1977.3 | 寺島純子 | ||||
1977.4 | 1977.5 | 司葉子 | ||||
1977.5 | 1978.3 | 三田佳子 | 坪内ミキ子 | |||
1978.4 | 1979.3 | 坪内ミキ子 | 中村メイコ | |||
1979.4 | 1980.3 | 加茂さくら | ||||
1980.4 | 1988.4.1 | うつみ宮土理 | 寺島純子 |
- 森は歴代最長司会者。
- 寺島純子は富司純子の旧名。1977年4月から1980年3月まで出産・育児のため一時降板した。
アシスタント
期間 | 男性 | 女性 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | |||
1968.4.1 | 1969.3 | 野間脩平 | 真家宏満 | なし | |||
1969.4 | 1969.9 | 山川建夫 | |||||
1969.10 | 1970.9 | 浪久圭司 | |||||
1970.10 | 1971.3 | きのしまさる | 永島信道 | ||||
1971.4 | 1971.9 | 中野良子 | |||||
1971.10 | 1973.3 | 須田哲夫 | 三上彩子 | ||||
1973.4 | 1974.3 | 岩佐徹 | |||||
1974.4 | 1977.3 | 逸見政孝 | |||||
1977.4 | 1977.5 | 逸見政孝 | 田丸美寿々 | ||||
1977.5 | 1978.3 | 逸見政孝 | 増田明男 | 逸見政孝 | |||
1978.4 | 1978.9 | 逸見政孝 | 松倉悦郎 | ||||
1978.10 | 1980.3 | 野間脩平 | 城ヶ崎祐子 | ||||
1980.4 | 1981.3 | 野崎昌一 | 野間脩平 | 大野かおり | |||
1981.4 | 1982.3 | なし | |||||
1982.4 | 1984.9 | 野間脩平 | |||||
1984.10 | 1985.3 | 三竹映子 | |||||
1985.4 | 1985.9 | 牧原俊幸 | |||||
1985.4 | 1986.3 | 松田朋恵 | |||||
1986.4 | 1987.3 | なし | |||||
1987.4 | 1988.4.1 | 川端健嗣 |
- アシスタントのうち、木元の相手役を務めた真家(元ジャニーズ)、芳村の相手役を務めたきのし(元文化放送アナウンサー、現在は歌舞伎・演劇評論家として活動)以外は全てフジテレビ所属のアナウンサー(担当期間当時)。
放送時間
- 1968年4月1日 - 1973年9月28日 : 月 - 金曜日 15:00 - 16:00
- 1973年10月1日 - 1988年4月1日 : 月 - 金曜日 15:00 - 15:55
- 放送当時は月 - 金曜日が年末年始であっても休止せず、生放送した。
- 放送時間の変更はミニ番組『クレージーの奥さ〜ん!』の放送開始によるもの。
テーマ曲
エピソード
- 第1回の特別ゲストは美空ひばりであった。この後も美空はゲストとして出演し、1972年には母・喜美枝と親子共演。番組終了間際であった1988年3月にも森司会の曜日に出演。「リンゴ追分」などを披露した後、ひばりはインタビュー内で感極まり涙を流した。
- 1970年代までは歌ゲストのコーナーが設置されており、森進一、五木ひろし、西城秀樹、山口百恵など、当時のスター歌手の出演も昼の番組ながら多かった。
- 1970年代初頭から「性」「不倫」などといった際どい内容のリポートを放送し、当時まだ保守的な放送業界の中で波紋を広げることも少なからずあった。芳村の証言によれば「主婦売春の内容を取り上げる時は、必ずといっていい程視聴率が何故か前週よりも上がっていた」という。
- 1971年、芳村司会時に、近衛十四郎・松方弘樹の親子が生出演。このほか、メイン司会者にタレント・女優を起用していたことも影響して、午後3時の生放送にも関わらず大物の俳優も数多く出演した。
- 1972年に尾上菊五郎と結婚して以降、家庭に入っていた寺島に新司会を打診するに当たって、番組スタッフや彼女とコンビを組むことになっていた岩佐ほか、番組関係者が総出で、菊五郎の実父である尾上梅幸の邸宅に熱心に赴き、その関係者の熱意に折れるような形で梅幸が寺島の司会就任の話を承諾して、ようやく正式決定したという話が残されている。
- 1973年8月、山口司会時に日本赤軍のリーダー格として知られた重信房子への単独インタビューを敢行し話題となる。
- 1974年12月11日、寺島司会時に保険金殺人の嫌疑を掛けられていた被疑者の男が生出演(別府3億円保険金殺人事件)。男は身の潔白を主張するもコメンテーターの鋭い指摘に堪えきれず途中退席。一方でスタジオの奥では警察官が控えており、番組収録終了後の同日17:40にフジテレビ裏で殺人罪容疑で逮捕された。
- この一件以降、寺島の「犯人さん、出てらっしゃ〜い」なるフレーズが有名となる。
- 2014年4月24日にフジテレビで放送された『奇跡体験!アンビリーバボー』では、「笑顔でテレビに出演し続けた容疑者」というタイトルで上記の事件を紹介。出演当日の新聞(東京発行分)に掲載された番組表の写真や、本番組への出演直前から警察へ連行されるまでの容疑者のVTRも、資料として映し出された。
- 歴代司会者の山口や扇が参議院議員へと転身するきっかけを作った番組であった。
- 高峰、森、加茂などメイン司会者がブラジル移民の生活の実情や、パリの社交界のレポート、カンヌ映画祭レポート等、海外への長期取材に直接赴くこともあり、まだ海外の生活の実情などが日本のテレビ電波に乗せて放送されることが少なかった時代から、海外取材については積極的な姿勢を見せていた。また、1988年の終了直前には昼のワイドショーとしては異例ともいえる衛星生中継(香港)を行ったこともある。
- 高峰とゲストによる「おふくろ談義」(第1回は田端義夫)、森の朗読による「シリーズ再会」や、当時の夫婦の意識を鋭くリサーチするコーナーなどの前衛的かつ高い評価を得たコーナーも多かったが、中にはたった1回で没になった企画などもある。
- うつみ司会時代に、「あの人は今」のような企画を組んでいた時期があったが、「あの栄光の日々を今はどう思われますか?などという失礼な質問ばかりしてしまったために出てくれる方がいなくなり、その企画は3回位で消滅してしまった(うつみ談)」という証言もある程)。
- 扇の美容体操、うつみ発案の「カチンカチン体操」大ヒットのきっかけは両者が司会を務めたこの番組からであった。
- 1975年頃までは、番組本編中に提供クレジットのスポンサーテロップ(例:ミシン専業メーカー ジャノメミシン)が表記されていた。
- かつては春の天皇賞が4月29日(当時の天皇誕生日)に固定していた時期があったため、番組内でレースの模様を生中継したこともあった。
- オレたちひょうきん族で「3時のあんた」や「3時のおまえ」などパロディーに使われた。「あんた」には本家のうつみと福岡が出ていた。また『ママとあそぼう!ピンポンパン』の人形劇コーナーにおいて、登場キャラクター達が「3時のわたし」に出演するエピソードがあった。さらにテレビ朝日『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』では、テレビ局の放送開始から放送終了までのパロディという性格上、「3児の私」という本番組パロディのコーナーも存在した(3人の子持ちの母親が自己紹介しカメラに手を振るだけのコーナーだった)。
ネット状況
ネット局
系列はネット終了時、放送終了時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビジョン (CX) |
フジテレビ系列 | 基幹・制作局 |
北海道 | 札幌テレビ放送 (STV) |
日本テレビ系列 フジテレビ系列 |
UHB開局後も1972年12月までUHBと並行して放送 |
北海道文化放送 (UHB) |
フジテレビ系列 | 1972年4月開局から | |
青森県 | 青森放送 (RAB) |
日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1970年9月から 1975年3月まで日本テレビ単独系列局 |
岩手県 | 岩手放送 (IBC) |
TBS系列 | 現・IBC岩手放送。1969年12月から[2] |
宮城県 | 仙台放送 (OX) |
フジテレビ系列 | |
秋田県 | 秋田テレビ (AKT) |
1969年12月開局から 1981年4月 - 1987年3月はテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |
山形県 | 山形テレビ (YTS) |
1970年4月開局から 1975年4月 - 1980年3月はテレビ朝日系列とのクロスネット局[3] | |
福島県 | 福島中央テレビ (FCT) |
フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
1970年4月開局から1971年10月のネットチェンジまで |
福島テレビ (FTV) |
フジテレビ系列 | 1971年10月から 1983年3月までTBS系列とのクロスネット局 | |
新潟県 | 新潟総合テレビ (NST) |
サービス放送開始直後の1968年12月2日から 1981年3月まで日本テレビ系列とのトリプルネット局 1983年9月までテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |
長野県 | 長野放送 (NBS) |
1969年4月開局から | |
山梨県 | 山梨放送 (YBS) |
日本テレビ系列 | |
静岡県 | テレビ静岡 (SUT) |
フジテレビ系列 | 1968年12月開局から |
富山県 | 富山テレビ放送 (T34) |
1969年4月開局から。現・BBT | |
石川県 | 石川テレビ放送 (ITC) |
1969年4月開局から | |
福井県 | 福井放送 (FBC) |
日本テレビ系列 | 1968年10月から1969年9月まで |
福井テレビジョン放送 (FTB) |
フジテレビ系列 | 1969年10月開局から | |
中京広域圏 | 東海テレビ放送 (THK) |
||
近畿広域圏 | 関西テレビ放送 (KTV) |
||
鳥取県 | 日本海テレビジョン放送 (NKT) |
日本テレビ系列 | 1970年6月末まで |
島根県 ↓ 島根県・鳥取県 |
山陰中央テレビジョン放送 (TSK) |
フジテレビ系列 | 1970年4月開局から。1972年3月までの呼称はテレビしまね 1972年9月22日放送分から鳥取県でのネットを再開 |
岡山県 ↓ 岡山県・香川県 |
岡山放送 (OHK) |
フジテレビ系列 | 1970年1月以降ネット開始[4]。1984年3月までの呼称はテレビ岡山 1979年3月までテレビ朝日系列とのクロスネット局 翌4月から香川県でのネットを再開 |
広島県 | 広島テレビ放送 (HTV) |
日本テレビ系列 フジテレビ系列 |
1975年10月のフジテレビ系列脱退まで |
テレビ新広島 (TSS) |
フジテレビ系列 | 1975年10月開局から | |
山口県 | テレビ山口 (tys) |
TBS系列 | 1970年4月開局から 1978年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局 1987年9月までフジテレビ系列とのクロスネット局 |
徳島県 | 四国放送 (JR→JRT) |
日本テレビ系列 | 1970年1月以降ネット開始[4] |
香川県 | 西日本放送 (RNC) |
日本テレビ系列 | 1970年末まで[5] |
愛媛県 | 愛媛放送 (EBC) |
フジテレビ系列 | 1969年12月開局から。現・テレビ愛媛 |
高知県 | 高知放送 (RKC) |
日本テレビ系列 | 1970年1月以降ネット開始[4] |
福岡県 | テレビ西日本 (TNC) |
フジテレビ系列 | |
佐賀県 | サガテレビ (STS) |
1969年4月開局から | |
長崎県 | テレビ長崎 (KTN) |
フジテレビ系列 日本テレビ系列 | |
熊本県 | テレビ熊本 (TKU) |
フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1969年4月開局から 1982年3月まで日本テレビ系列とのトリプルネット局 |
大分県 | テレビ大分 (TOS) |
フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1970年4月開局から |
宮崎県 | テレビ宮崎 (UMK) | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ放送 (KTS) |
フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1969年4月開局から 1982年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
沖縄県 | 沖縄テレビ放送 (OTV) |
フジテレビ系列 | 1968年12月から[6] |
- 備考
- 本番組(ただし、民放が1局しかなかった地域の殆どは当初未ネット)と後番組『TIME3』(初期)は、47都道府県全てで同時に放送されたFNS系で唯一同時ネットの帯番組となり(ただし、沖縄県は沖縄本島と周辺離島のみ[7])、且つ1980年1月からは全ての民放で唯一47都道府県全てで同時に生放送された番組であった。[8]
- 番組中盤にはネット局のロールが流れていた。なお、ネット局ロールの最後にはフジネットワークのシンボルマークも流れていた。
- 番組極初期においては民放が1局しかなかった地域も多く、番組をネットしなかった地域も多かったが、数か月後にネット局が増加し(多くはFNS系のフル、または他系列とのクロス)、これらの地域でも視聴可能になった。
備考
- 開始当初は白黒だったが、1970年4月1日にカラー化された。
- 初期は主に主婦層を中心とした観客を受け入れた公開生放送形式だった。
- 森光子は2012年11月10日に92歳で逝去した。『知りたがり!』では、同月15日の放送で森の訃報を伝える際に、本番組で須田・露木・野間と司会を務めていた時代の映像や田中角栄との独占インタビュー映像(1984年に本番組で放送)を流した。
脚注・出典
関連項目
- フジテレビ系列平日午後のワイドショー枠
- ちちんぷいぷい - MBSテレビが平日の午後に関西ローカルで生放送の情報番組。放送枠の拡大に伴う2014年4月7日からのリニューアルで、本番組を放送していた15時台に、本番組のタイトルにちなんで「3時のどなた?」という芸能情報コーナーを新設。
- ↑ 『週刊フジテレビ批評』2008年5月3日放送分より
- ↑ それまで時差ネットで放送していたNETテレビの『アフタヌーンショー』をテレビ岩手へ移行して放送開始(同番組は1979年9月にネット打ち切り)。1973年にTBSで『3時にあいましょう』が放送開始したにもかかわらず、引き続き番組販売で本番組を同時スポンサードネットしていた。
- ↑ その後、1993年3月31日をもってFNN・FNSを脱退し現在テレビ朝日系フルネット局。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 1969年12月の時点ではまだ未放送
- ↑ 西日本放送の岡山県への正式な乗り入れは1979年4月1日。
- ↑ 沖縄放送協会中央放送局(現:NHK沖縄放送局)のテレビ放送開始に伴う番組改編で放送開始。
- ↑ 当時先島諸島などでの中継局未整備もあったため。
- ↑ 現在民放のレギュラー番組で、47都道府県の放送局で同時に視聴できる番組は存在しない。単発特別番組や国際的ビッグスポーツイベント(サッカーW杯)などでは、この様な形態での放送はある。