旭道山和泰
旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身の元大相撲力士、元衆議院議員、タレント、実業家。本名は波田 和泰(はた かずやす)。
実弟は、幕内格行司の木村寿之介、元五等呼出の松男(2013年現在でも現役の十両呼出とは別人)。
来歴
誕生~角界入り
1964年10月14日に鹿児島県大島郡徳之島町で、スナックを営む家に長男として生まれる。徳之島町立亀津小学校では剣道部に所属していたが、徳島町立亀津中学校では一転してバレーボール部に所属し、大島郡大会で優勝して以降は鹿児島県大会でも活躍した。卒業後は当初、鹿児島県立徳之島商業高等学校へ進学する予定だったが、母親の知人が大島部屋後援会の会員で、入門を頼んだことで自然に決定してしまった。1980年5月場所にて初土俵を踏み、1988年7月場所に新十両昇進、1989年1月場所に新入幕を果たした。
入幕当初は体重が100kgにも満たない軽量力士[1]だったが運動神経が良く、立ち合いに頭で当たってから相手に食い付く正攻法の取り口で、右を差してから廻しを取ると粘り強かった。さらに投げや捻りもあることから「南海のハブ」という愛称が付けられた。
新入幕となった1989年1月場所では、9勝を挙げて初の三賞となる敢闘賞を受賞した。入幕後は細い身体ながら、どんな対戦相手でも逃げずに真っ向勝負を挑んだことで負傷が多かったものの、1990年3月場所2日目の対千代の富士貢戦では取り直しとなる大熱戦を演じた[2]。この後も力量が増していき、1992年7月場所では横綱が不在、大関・曙太郎が全休していたが、出場した小錦八十吉・霧島一博を敗る活躍を見せて初の殊勲賞を受賞した。この活躍が認められて、同年9月場所ではまたも横綱不在での小結昇進となったが、8勝7敗と勝ち越して2度目の敢闘賞を受賞した。
東前頭2枚目で迎えた1993年3月場所では、6日目にこの場所新横綱だった曙太郎を下手捻りで破り、自身唯一の金星を挙げた。また、同場所13日目の対久島海啓太戦では勢いに乗るがままに立ち合いの張り手で倒した[3]。この場所を9勝6敗と勝ち越して2度目の殊勲賞を受賞した上に三役返り咲きを決定的にしたが、対戦相手の久島海は現役引退までにこの怪我によって、一度も三役に昇進できなかった。結果的に久島海の三役昇進の夢を打ち砕いしてしまったことで、協会から旭道山の張り手へ対する批判が集中したことで、この取組以降で旭道山は張り手を自粛するようになった[4] 。
現役終盤期には師匠の大島が連れてきた旭天鵬ら6人のモンゴル人力士の指導を任されたこともあり、それまでお客様扱いされたことで大島の指導に耳を貸さなくなった6人達を一転して厳しく指導したと伝わる。[5]
国会議員転向~実業家へ
現役時代の1996年10月、旭道山は第41回衆議院議員総選挙に新進党から比例区で立候補するために廃業届を日本相撲協会に提出したが、境川理事長は保留扱いとしていた。これは、もし旭道山が落選した場合にすぐ角界へ戻れるように配慮したものだったが、比例近畿ブロック10位で見事に当選を果たした(新進党の当選者156人のうち、153人目)。これによって、正式に廃業届が受理され、旭道山は同年11月場所の番付に四股名を残したまま、国会議員としての活動を開始した(断髪式までは丁髷姿のまま登院した)。
新進党の解党後は、新党平和を経て無所属となったが、院内会派は自由民主党・公明党の連立与党の中で唯一、無所属で参画した。
2000年6月に衆議院が解散すると同時に政界を勇退した。勇退の際、「3年8ヶ月、衆議院議員として在任していた中で一番手掛けた重要法案は介護保険法。その当時、厚生委員会の委員であって反対多数の中を賛成へ持って行った。その後、2期目のお話を頂いたがお断りした」と語っている。また、自由民主党幹事長野中広務(当時)は勇退パーティーの会場で「こいつ(旭道山)は、次(の任期)があるのに、普通は受けるのに自分で辞退した。自分の生き方を貫いた。年は違うけど旭道山の事を『戦友』と私は呼ぶ」と語った。
政界勇退以降は現在まで、タレント・実業家として活動している。2000年秋には有限会社「旭ドリーム」を設立して健康食品の販売を始めたほか、2009年3月18日には東京・銀座に焼肉店「焼肉kyoku」を開店した。
エピソード
- 北勝鬨準人と共に、平成時代で最初の新入幕力士だった。
- 1991年11月場所12日目の寺尾常史 - 琴ヶ梅剛史戦の取組前、旭道山が土俵下で控えていた時に、一般の泥酔男性客が突然土俵に上がろうとした。これを見つけた旭道山が慌てて泥酔者をつまみ出すハプニングが発生した。このエピソードは2003年11月7日放送の「謎を解け!まさかのミステリー」で紹介された。この件は雑誌などで「○旭道山-泥酔者[6]● (掬い投げ)」などと実際の取組のように記述された。
- 結果として旭道山が張り手を自粛したのは1993年3月場所13日目の久島海戦以降であるが、自粛した直接のきっかけはそれより前となる同年1月場所初日の貴ノ浪戦である。2度に渡って張り手でつっかけたばかりか、3度目に立合いが成立して上手投げで勝利した際には自身の膝が貴ノ浪の顔面に当たるというハプニングが発生している。
- 旭道山の廃業後、「廃業」では語感が悪いということで、「廃業」の呼称を廃止して、現役力士が角界から身を引く場合でも(親方として相撲協会に残るかどうかに拘らず)「引退」に統合、親方は「退職」に変更した。これによって旭道山は、角界最後の「廃業力士」となった。
- 『旭道山和泰』の四股名は、力士として入門以来廃業まで改名することなく名乗っていた。続く衆議院議員時代も通名としてそのまま使用し、さらにタレント転業後に至るまで一貫して名乗っている。
主な成績
- 通算成績:538勝551敗 勝率.494
- 幕内成績:325勝380敗 勝率.461
- 現役在位:100場所
- 幕内在位:48場所
- 三役在位:3場所(小結3場所)
- 三賞:4回
- 殊勲賞:2回(1992年7月場所、1993年3月場所)
- 敢闘賞:2回(1989年1月場所、1992年9月場所)
- 金星:1個(曙1個)
- その他の記録:1089回通算連続出場
- 各段優勝
- 序ノ口優勝:1回(1980年7月場所)
場所別成績
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著書
- 待ったなし人生―旭道山和泰自伝(1997年、ISBN 4583034296)
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