完全試合
完全試合(かんぜんじあい、かんぜんしあい)とは、野球やソフトボールの試合における記録のひとつで、相手チームの打者を一度も出塁させずに勝利することである[1]。パーフェクトゲーム(テンプレート:Lang-en-short[† 1])やパーフェクト(テンプレート:Lang-es-short[2][3][† 2][† 3])とも呼ばれる。
少なくとも野球では9イニング27人、ソフトボールでは7イニング21人の打者を全て凡退させる必要がある。安打はもちろんのこと、四死球や失策なども許されない。延長戦に突入した場合は、試合に勝つまで継続して走者を出さないことが達成条件となる。コールドゲームによる勝利や、完全を継続したまま引き分けた場合は公式の記録とは認められず、参考記録として扱われる。安打で出塁を許しても一人も生還させなかった場合は完封、四死球や失策などで出塁を許しながらも無安打無失点に抑えた場合はノーヒットノーランとなる。
本項目では、主に野球で達成された完全試合について述べる。
メジャーリーグベースボール
メジャーリーグベースボール(MLB)は、完全試合を以下のように定義している。
この条件を満たした完全試合は19世紀に2度、20世紀に14度、21世紀に7度の計23度が記録されている。1876年に最初のメジャーリーグとしてナショナルリーグが創設されて以来137シーズンで23度ということは、単純計算では6年ほどに一度の割合ということになる。ただし1980年代に入ってからは、それ以前より達成頻度が上がっている[4]。1922年にチャーリー・ロバートソンが達成してから30年以上完全試合が出なかった時期がある一方で、2009年から2012年にかけての4年間で6度も達成されたこともある。特に2012年には1年で3度の完全試合があり、これは史上最多である。完全試合数が達成されやすくなってきている原因としては、三振の数が多くなっていることや、1961年以降のエクスパンションによって球団数が16から30まで増えた影響(球団数の増加によって試合数も増加し、また優れた実力を持つ選手が1球団に集中しにくくなった)などが挙げられる[5]。
上記の定義のとおり継投による完全試合も認められるが、これまでMLBで達成されたものはいずれも一人の投手によるものであり、継投によるものはない。達成者の顔ぶれを見ても、殿堂入りした投手もいれば、通算勝利数が50に満たないうえに負け越してる投手もいて、彼らの実績はばらばらである[4]。2010年にはニュージャージー工科大学准教授のBruce Bukietが数理モデルを用いた分析をしており、その結果によれば通算311勝で殿堂入りのトム・シーバーは完全試合の可能性が史上7番目に高かったというが、シーバーも彼より上の6投手も実際には達成できていない[5]。史上唯一となるポストシーズンでの完全試合を1956年のワールドシリーズ第5戦で成し遂げたドン・ラーセンも、殿堂入りはおろかオールスター選出経験すら一度もない投手である[6]。また、同じ投手が複数回達成したこともない。審判員ではテッド・バレットが、完全試合での球審を2度(1999年のデービッド・コーンによるものと、2012年のマット・ケインによるもの)務めたことがある[7]。
2010年に完全試合を成し遂げたダラス・ブレイデンは、自分の前に達成したマーク・バーリーから「これがしきたりかどうかは分からないんだけど、(完全試合)クラブへようこそ」と祝福の電話をもらったという[8]。
その他
さまざまな理由で完全試合を逃した例がある。
- 一度は完全試合として認定されながら後に取り消された例
以前は完全試合として認められていながら、条件を満たしていなかったとして後に認定取り消しになった事例が2つある。
- 1917年6月23日のボストン・レッドソックスとワシントン・セネターズとの試合で、レッドソックスの先発投手ベーブ・ルースがセネターズの先頭打者レイ・モーガンを与四球で出塁させたあと、判定への不満から球審に抗議して退場処分となった。その後、2番手として登板したアーニー・ショアが、モーガンの盗塁死のあと試合終了まで26打者を全て凡退させた。これは当初はショアによる完全試合と認定されていたが、1991年にルースとショアの継投によるノーヒットノーランに訂正された[9]。
- 1959年5月26日のピッツバーグ・パイレーツとミルウォーキー・ブレーブスとの試合で、パイレーツの先発投手ハービー・ハディックスはブレーブス打線を9回終了まで完全に抑えたものの、味方打線も無得点だったためそのまま延長戦に入った。ハディックスはその後も後続を完全に抑え続け、延長12回終了まで36打者を連続して凡退させたが、延長13回に先頭打者フェリックス・マンティーヤを三塁手ドン・ホークの送球エラーで出塁させ、この回でサヨナラ負けを喫した。この試合は当初、最初の9イニングを完全に抑えたため完全試合と認定されていたが、完全試合の要件が変更された1991年に取り消された[10]。
- 9回終了まで完全に抑えながら延長で完全試合を逃した例
達成日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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1959年テンプレート:05月26日 | ハービー・ハディックス | ピッツバーグ・パイレーツ | 0-1 | ミルウォーキー・ブレーブス | カウンティ・スタジアム | 詳細は上記 |
1995年テンプレート:06月テンプレート:03日 | ペドロ・マルティネス | モントリオール・エクスポズ | 1-0 | サンディエゴ・パドレス | ジャック・マーフィー・スタジアム | 10回無死からビップ・ロバーツに初安打 |
- 9回2死まで完全に抑えながら完全試合を逃した例
日本野球
プロ野球
日本プロ野球では、これまで15度記録されている。メジャーリーグベースボールと同様、同じ投手が2度達成したことはない。
チーム名・球場名は達成当時のもの。
達成日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1950年テンプレート:06月28日 | 藤本英雄 | 巨人 | 4-0 | 西日本 | 青森市営野球場 | NPB史上最年長記録(32歳1ヶ月)、かつ史上初 |
1955年テンプレート:06月19日 | 武智文雄 | 近鉄 | 1-0 | 大映 | 大阪球場 | |
1956年テンプレート:09月19日 | 宮地惟友 | 国鉄 | 6-0 | 広島 | 石川県営兼六園野球場 | 最小投球数(79球) |
1957年テンプレート:08月21日 | 金田正一 | 国鉄 | 1-0 | 中日 | 中日球場 | 抗議と観客乱入で9回1死から43分間中断。NPBでの達成者では唯一の左腕投手。 |
1958年テンプレート:07月19日 | 西村貞朗 | 西鉄 | 1-0 | 東映 | 駒澤野球場 | |
1960年テンプレート:08月11日 | 島田源太郎 | 大洋 | 1-0 | 阪神 | 川崎球場 | NPB史上最年少記録(20歳11ヶ月) |
1961年テンプレート:06月20日 | 森滝義巳 | 国鉄 | 1-0 | 中日 | 後楽園球場 | |
1966年テンプレート:05月テンプレート:01日 | 佐々木吉郎 | 大洋 | 1-0 | 広島 | 広島市民球場 | |
1966年テンプレート:05月12日 | 田中勉 | 西鉄 | 2-0 | 南海 | 大阪球場 | 1シーズン2人目の達成を果たした唯一の例 |
1968年テンプレート:09月14日 | 外木場義郎 | 広島 | 2-0 | 大洋 | 広島市民球場 | セ・リーグタイ記録の1試合16奪三振も記録 |
1970年10月テンプレート:06日 | 佐々木宏一郎 | 近鉄 | 3-0 | 南海 | 大阪球場 | |
1971年テンプレート:08月21日 | 高橋善正 | 東映 | 4-0 | 西鉄 | 後楽園球場 | |
1973年10月10日 | 八木沢荘六 | ロッテ | 1-0 | 太平洋 | 宮城球場 | |
1978年テンプレート:08月31日 | 今井雄太郎 | 阪急 | 5-0 | ロッテ | 宮城球場 | NPB史上初の指名打者制度での達成 |
1994年テンプレート:05月18日 | 槙原寛己 | 巨人 | 6-0 | 広島 | 福岡ドーム | NPB史上初のドーム球場、人工芝グランドでの達成、詳細は当該項を参照 |
備考
- ファウルフライ落球による失策を含む試合を完全試合とするかどうかについて、日本において完全試合はチームの記録ではなく投手の記録であると考えている面もあり、日本プロ野球のルール上では曖昧になっているが、1981年のセ・パ記録部申し合わせ事項でファウルフライの失策があっても完全試合は成立することが確認されている。メジャーリーグでは「チームの記録」との側面もあり、失策が記録されれば完全試合とは見なされなかったが、1991年以降は定義が緩和されて完全試合として認められている。
準完全試合
- 安打・四死球・失策にかかわらず、走者を1人だけ出した完封試合は「準完全試合」と呼ばれる。2014年6月現在、日本プロ野球の公式戦では完投によるものが43人によって46回[11]、継投によるものが2回記録されている。そのうち、ノーヒットノーランは13回(うち無四球で1失策の試合が2回)である。
継投による記録
日本プロ野球(NPB)では継投による完全試合の達成例が1例ある。ただし日本では先発投手1人による記録のみが完全試合と定義されているため、完全試合の記録対象とはなっていない。
達成日 | 達成チーム | 登板した投手 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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2007年11月テンプレート:01日 | 中日ドラゴンズ | 山井大介(1-8回) 岩瀬仁紀(9回) |
1-0 | 日本ハム | ナゴヤドーム | 日本シリーズ第5戦、シリーズ優勝決定試合 この継投が物議を醸した。詳細は当該項を参照 |
参考
以上の他、さまざまな理由で完全試合を逃した例がある。
- 無四死球のノーヒットノーラン達成ながら失策で完全試合を逃した例
年月日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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1948年テンプレート:09月テンプレート:06日 | 真田重男 | 大陽 | 3-0 | 阪神 | 阪神甲子園球場 | 2回に遊撃手・松本和雄が失策 |
2006年テンプレート:09月16日 | 山本昌 | 中日 | 3-0 | 阪神 | ナゴヤドーム | 4回に三塁手・森野将彦が失策 |
- 9回終了まで完全に抑えながら延長で完全試合を逃した例
年月日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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2005年テンプレート:08月27日 | 西口文也 | 西武 | 1-0 | 楽天 | 西武ドーム | 10回無死から沖原佳典に初安打 |
- 9回2死まで完全に抑えながら完全試合を逃した例
年月日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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1950年テンプレート:03月15日 | 田宮謙次郎 | 阪神 | 7-0 | 国鉄 | 倉敷市営球場 | 中村栄に初安打 |
1952年テンプレート:06月15日 | 別所毅彦 | 巨人 | 9-0 | 松竹 | 大阪球場 | 神崎安隆に初安打(神崎はプロ通算1安打) |
1962年テンプレート:07月12日 | 村田元一 | 国鉄 | 1-0 | 阪神 | 後楽園球場 | 西山和良に初安打 |
2012年テンプレート:05月30日 | 杉内俊哉 | 巨人 | 2-0 | 楽天 | 東京ドーム | 中島俊哉に2ストライクから初四球 ノーヒットノーランは達成 |
- 初回先頭打者に出塁を許し、その後を完全に抑えた例
年月日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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1956年テンプレート:06月テンプレート:06日 | 小山正明 | 阪神 | 2-0 | 大洋 | 阪神甲子園球場 | 沖山光利に安打 |
1957年テンプレート:07月テンプレート:06日 | 稲尾和久 | 西鉄 | 2-1 | 阪急 | 平和台球場 | ロベルト・バルボンに本塁打 |
1981年テンプレート:04月11日 | 定岡正二 | 巨人 | 1-0 | 阪神 | 阪神甲子園球場 | 北村照文に二塁打 |
- 連続27人以上をパーフェクトに抑えながらも敗戦投手になった例
年月日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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1970年テンプレート:09月26日 | 江夏豊 | 阪神 | 0-1 | 中日 | 阪神甲子園球場 | 2回2死から延長13回まで連続34人を抑える。14回先頭の木俣達彦に本塁打を打たれ、敗戦投手に |
二軍
日本プロ野球の二軍(イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグ)では、4度記録されている[12]。
年月日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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1962年テンプレート:05月27日 | 山崎正之 | 巨人 | 1-0 | 大洋 | 銚子市野球場 | ノーヒットノーラン含めて二軍両リーグ公式戦史上初の無安打無得点試合 |
1967年テンプレート:05月10日 | 鵜狩道夫 | 広島 | 6-0 | 近鉄 | 広島市民球場 | ウエスタン初の達成者 |
1987年テンプレート:05月30日 | 増本宏 | 大洋 | 1-0 | 日本ハム | 平塚球場 | |
2005年テンプレート:07月テンプレート:02日 | 加藤康介 | ロッテ | 3-0 | ヤクルト | ロッテ浦和球場 |
- 9回二死まで完全試合も、危険球退場処分で達成を逃す
- 2007年5月2日、サーパスの近藤一樹はウエスタン・リーグの対広島戦で9回ニ死まで走者を一人も出さずに抑えていたが、27人目の打者の會澤翼に対し、頭部へ死球を与えたために危険球退場処分となった。試合はこの後登板した加藤大輔が28人目の打者の中東直己を二ゴロに抑え、近藤と加藤による継投での無安打無得点試合(チーム記録)となった[13]
社会人野球
社会人野球の全国大会では都市対抗野球大会で2度記録されているが、社会人野球日本選手権大会ではいまだ達成者がいない。
都市対抗野球
開催年 | 回 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 試合 | 球場 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1957年 | 第28回 | 村上峻介 | 二瀬町・日鉄二瀬 | 1-0 | 高砂市・鐘化カネカロン | 1回戦 | 後楽園球場 |
2011年 | 第82回 | 森内壽春 | 仙台市・JR東日本東北 | 4-0 | 横浜市・三菱重工横浜 | 1回戦 | 京セラドーム大阪 |
大学野球
全日本大学野球選手権
全日本大学野球選手権大会では、これまで4度記録されている。
開催年 | 回 | 投手 | 所属大学(所属連盟) | スコア | 対戦校(所属連盟) | 試合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1965年 | 第14回 | 芝池博明 | 専修大学(東都) | 6-0 | 東海大学(首都) | 準決勝 |
1969年 | 第18回 | 久保田美郎 | 関西大学(関西) | 5-0 | 千葉商科大学(千葉) | 1回戦 |
1976年 | 第25回 | 森繁和 | 駒澤大学(東都) | 2-0 | 近大工学部(広島六) | 1回戦 |
2004年 | 第53回 | 一場靖弘 | 明治大学(東京六) | 2-0 | 広島経済大学(広島六) | 2回戦 |
東京六大学野球
東京六大学野球では、これまで3度記録されている。
開催年 | 開催 | 投手 | 所属大学 | スコア | 対戦校 |
---|---|---|---|---|---|
1964年 | 春季リーグ | 渡辺泰輔 | 慶應義塾大学 | 1-0 | 立教大学 |
2000年 | 秋季リーグ | 上重聡 | 立教大学 | 7-0 | 東京大学 |
2013年 | 春季リーグ | 高梨雄平 | 早稲田大学 | 3-0 | 東京大学 |
東都大学野球
東都大学野球では、1部リーグ・2部リーグ・3部リーグでそれぞれ2回ずつ記録されている。
1部リーグ戦
開催年 | 開催 | 投手 | 所属大学 | 対戦校 |
---|---|---|---|---|
1953年 | 秋季リーグ | 河内忠吾 | 日本大学 | 駒澤大学 |
1955年 | 春季リーグ | 島津四郎 | 日本大学 | 駒澤大学 |
2部リーグ戦
開催年 | 開催 | 投手 | 所属大学 | 対戦校 |
---|---|---|---|---|
1965年 | 秋季リーグ | 渡辺一雄 | 東京農業大学 | 不明 |
2002年 | 秋季リーグ | 梅津智弘 | 國學院大學 | 拓殖大学 |
3部リーグ戦
開催年 | 開催 | 投手 | 所属大学 | 対戦校 |
---|---|---|---|---|
1955年 | 秋季リーグ | 林茂 | 青山学院大学 | 不明 |
1961年 | 春季リーグ | 大石泰章 | 亜細亜大学 | 不明 |
関西学生野球連盟
関西学生野球連盟のリーグ戦では、1度記録されている。
開催年 | 開催 | 投手 | 所属大学 | 対戦校 |
---|---|---|---|---|
2004年 | 春季リーグ | 染田賢作 | 同志社大学 | 京都大学 |
高校野球
甲子園球場で行われる高校野球(硬式)の全国大会では選抜高等学校野球大会で2度記録されているが、全国高等学校野球選手権大会ではいまだ達成者がいない。
このほか、全国高等学校軟式野球選手権大会でも2度記録されている。
選抜高等学校野球大会
開催年 | 回 | 投手 | 所属校 | スコア | 対戦校 | 試合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1978年 | 第50回 | 松本稔 | 前橋(群馬) | 1-0 | 比叡山(滋賀) | 1回戦 |
1994年 | 第66回 | 中野真博 | 金沢(石川) | 3-0 | 江の川(島根) | 1回戦 |
全国高等学校軟式野球選手権大会
開催年 | 回 | 投手 | 所属校 | スコア | 対戦校 | 試合 | 球場 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | 第54回 | 小林雄太 | 名城大付(愛知) | 7-0 | 初芝富田林(大阪) | 1回戦 | 高砂市野球場 |
2011年 | 第56回 | 下田巧 | 中京(岐阜) | 4-0 | 河浦(熊本) | 2回戦 | 高砂市野球場 |
リトルリーグ
6回制で行われるリトルリーグでは、ザバスカップ第46回全日本リトルリーグ野球選手権大会で1度記録されているのが確認できる[14][15]。ただし、これ以外にも達成者がいる可能性はある。
年月日 | 回 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 試合 | 球場 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012年テンプレート:06月30日 | 第46回 | 伊藤英二 | 仙台東リーグ (東北連盟1) |
1-0 | 広島佐伯リーグ (中国連盟) |
1回戦 | 江戸川区臨海第2球技場 | 18アウトすべてを三振で達成 |
キューバの野球
セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル
国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"では、マエルス・ロドリゲスが唯一の完全試合を達成している。
達成日 | 投手 | 所属 | スコア | 対戦相手 | 球場 | 備考 |
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1999年12月22日 | マエルス・ロドリゲス | ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス | 1-0 | レニャドレス・デ・ラス・トゥーナス | エスタディオ・ホセ・アントニオ・ウエルガ | [16] |
備考
本来は野球用語であるが、「完全なる勝利」という意味合いで他のスポーツでも使用されることがある。
- サッカーにおいて相手にシュートを1本も撃たせず勝利した試合を完全試合と呼ぶ場合もある。2009年11月8日のJ1リーグ鹿島アントラーズVSモンテディオ山形戦で鹿島がJリーグ史上初となる被シュートゼロで2-0勝利を挙げた試合を日刊スポーツが「完全試合」と表現した[17]。
- プロボクシングにおいても、3人のジャッジがいずれもフルマーク(全ラウンド10点。12回戦なら120点)の判定勝利だった場合に、完全試合と表現することもある[18]。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
テンプレート:日本プロ野球完全試合達成者- ↑ 日本プロ野球で1950年に初めて達成された際に、同年6月29日付の読売新聞は、用語の説明とともに「投手としては最大の快記録である」と報じた。テンプレート:G5000
- ↑ "Perfecto," Dictionary.com. 2012年8月14日閲覧。
- ↑ Alden Gonzalez / MLB.com, "Phils' Halladay throws MLB's 20th perfecto / Doc strikes out 11 Marlins batters during first career no-hitter," phillies.com, May 30, 2010. 2012年8月14日閲覧。
- ↑ 4.0 4.1 芝山幹郎 「D・ブレイデンと完全試合後の人生。~20世紀以降MLB17人目の偉業~」 『Number Web』、2010年5月25日。2012年7月14日閲覧。
- ↑ 5.0 5.1 Sam Miller, "The enemy of good," ESPN.com, January 24, 2013. 2013年9月8日閲覧。
- ↑ Jorge L. Ortiz, USA TODAY, "Philip Humber's perfecto a randomness example," USATODAY.com, April 22, 2012. 2013年9月8日閲覧。
- ↑ Associated Press, "For Ted Barrett, first Cone, now Cain," ESPN.com, June 14, 2012. 2013年9月8日閲覧。
- ↑ ナガオ勝司 「ダラス・ブレイデン[アスレチックス]/祖母に捧げた最高の投球」 『週刊ベースボール別冊紅葉号 メジャー・リーグ2010記録集計号』、ベースボール・マガジン社、2010年、雑誌20448-11/25、70-71頁。
- ↑ MLB.com, "Red Sox add to storied no-hitter history / Lester's gem is fourth this decade, 18th overall for franchise," MLB.com, May 19, 2008. 2012年7月14日閲覧。
- ↑ Doug Miller / MLB.com, "50 years since Haddix's masterpiece / Pirates starter pitched 12 perfect innings and lost the game," MLB.com, May 26, 2009. 2012年7月14日閲覧。
- ↑ 『日刊スポーツ』2014年6月19日付最終面
- ↑ ベースボールマガジン2012年11月号72ページ
- ↑ 日刊スポーツ出版社プロ野球B級ニュース事件簿【平成版】-エーッ、ウソッ、アリャリャ……170連発- 53ページ
- ↑ すっげぇ中学1年生!伊藤、6回完全18K:サンケイスポーツ2012年7月1日
- ↑ 全日本リトルリーグ選手権 広島佐伯 健闘も1回戦で敗れる:産経新聞2012年7月1日
- ↑ Vladimir Baños Provides First No-Hitter of Cuba’s Golden Anniversary Season"Baseballdecuba.com" 2013年6月29日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite news
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