JR東日本東北硬式野球部
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JR東日本東北硬式野球部(ジェイアールひがしにほん とうほくこうしきやきゅうぶ)は、宮城県仙台市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである(合宿所・練習グラウンドは宮城県宮城郡利府町に所在する)。
概要
チームの歴史は古く、1919年(大正8年)に創部した時代までさかのぼり、都市対抗野球の歴史よりも長い。戦前の同大会では、16回のうち12回に出場するなど輝かしい実績を誇ったが、戦後は低迷が続いた。 1987年(昭和62年)に国鉄が民営化されると盛岡・秋田の各鉄道管理局チームを統合して「JR東日本東北」として再スタートを切った。1995年(平成7年)に都市対抗野球大会への出場を決めたが、実に53年ぶりの出場であった。盛岡・秋田は一度クラブチームとして活動したが、改めて支社直属の野球部として再編されている。なお、旧盛岡鉄道管理局が母体だった「盛岡倶楽部」は、旧岩手銀行硬式野球部の廃部後の後継でもあったため、支社野球部再発足後も存続して活動している。
近年では七十七銀行とともに東北勢の核となる活躍を見せている。2011年(平成23年)の東日本大震災を受け、一時活動を休止して本業に専念した。これを乗り越えて出場した第82回都市対抗野球大会ではチーム史上初のベスト4に進出した。これに敬意を表して、特別に「がんばろう!!日本特別賞」が大会本部より授与された。
設立・沿革
- 1919年(大正8年) - 「仙台鉄道管理局」として創部
- 1920年(大正9年) - 鉄道省昇格で「仙台鉄道局」に改称
- 1927年(昭和2年) - 都市対抗野球初出場(第1回大会;初戦敗退)
- 1950年(昭和25年) - 国鉄の組織再編で「仙台鉄道管理局」に改称
- 1976年(昭和51年) - 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 1987年(昭和62年) - 盛岡鉄道管理局、秋田鉄道管理局を併合し「JR東日本東北」に改称
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会 出場24回、4強1回(2011年)
- 日本選手権大会 出場15回、4強1回(2007年)
- JABA北海道大会 優勝1回(2000年)
- JABA東北大会 優勝1回(2008年)
- JABA四国大会 優勝1回(2006年)
主な在籍選手
- 安田尚造内野手
主な出身プロ野球選手
- 煤孫伝:外野手(1937年春大東京軍入団)
- 小田野柏:外野手(1938年春阪急軍入団)
- 佐藤孝夫:外野手(1952年国鉄スワローズ入団)
- 若生和也:投手(1967年中日ドラゴンズドラフト3位→ロッテオリオンズ;退部後他チームを経て指名)
- 高橋英二:内野手(1970年読売ジャイアンツドラフト6位→広島東洋カープ)
- 高橋正巳:投手(1979年日本ハムファイターズドラフト2位→横浜大洋ホエールズ)
- 太田敏之:投手(1981年阪急ブレーブスドラフト2位)
- 小坂誠:内野手(1996年千葉ロッテマリーンズドラフト5位→巨人→東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 平野将光:投手(2007年埼玉西武ライオンズ大学・社会人ドラフト1位)
- 攝津正:投手(2008年福岡ソフトバンクホークスドラフト5位)
- 森内壽春:投手(2011年北海道日本ハムファイターズドラフト5位)
関連項目
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- JR北海道硬式野球部
- JR盛岡硬式野球部
- JR秋田硬式野球部
- JR新潟硬式野球部
- JR水戸硬式野球部
- JR千葉硬式野球部
- JR東日本硬式野球部
- JR東海硬式野球部
- JR西日本硬式野球部
- JR四国硬式野球部
- JR九州硬式野球部