首都大学野球連盟
首都大学野球連盟(しゅとだいがくやきゅうれんめい、英語表記はTokyo Metropolitan Area University Baseball League)とは、首都圏近郊に所在の16大学で構成された大学野球リーグである。旧制大学からのチームも参加しているリーグである。全日本大学野球連盟の傘下連盟。
出身選手についてはCategory:首都大学野球連盟の選手を参照。
目次
略史
1964年(昭和39年)、翌年から全日本大学野球連盟が全日本大学野球選手権大会の出場枠を拡大するにあたって、当時東都大学野球連盟の準加盟に所属していた東海大学が新リーグの結成を同じく東都大学野球連盟内の所属校のうち3部、準加盟1部2部所属校を中心に多くの大学に呼びかけを行った。
この呼びかけにまず成城大学、日本体育大学、東京教育大学(現在の筑波大学)、武蔵大学が賛同を表明し東都野球連盟から脱退。のちに明治学院大学と東京経済大学も追随した。1964年6月22日には以上の賛同チームにより首都大学野球連盟を正式に発足させた。尚リーグ戦(公式戦)の正式な開始は、諸事情の関係で東都大学野球連盟から脱退表明してから約2ヶ月後の1964年9月9日で神宮球場(第二球場)にてとりおこなわれ、松前重義による始球式でその歴史が始まった(脱退までの経緯の詳細については、東都大学野球連盟の記述を参照)。
東都大学野球連盟で下部に所属していた大学で構成されたため、発足当初はその実力の程がマスコミや野球関係者の間で軽視されたが、リーグ結成からわずか5年の1969年に早くも東海大学が選手権で優勝し、当時の新興リーグとしては異例の快挙を成し遂げた。1977年には高校時代からすでに有名であった原辰徳が東海大学へ入学し、その活躍を見たいファンがリーグ戦開催地の神奈川県川崎球場(首都大学野球本拠地開会式会場)へ連日押しかける騒ぎとなった。さらに、全国大会出場時には同時期に法政大の投手であった江川卓との直接対戦が実現して当時は大いに話題となった。
特徴
大学野球の2大タイトルである全日本大学野球選手権大会と明治神宮野球大会において連盟として通算7回の優勝を誇る。戦後発足した他の新興大学野球連盟の中でも抜きん出た成績を誇っており、東海大以外の各所属校の努力・実績・OBらの活躍などがマスコミに評価され、現在では主要五大学リーグ(東京六大学野球・東都大学野球・首都大学野球・関西学生野球・関西六大学野球連盟)の一つとして数えられている。
また、設立時の経緯から東海大学を中心としたリーグ運営となっており、現在も連盟事務局は東海大学の中にあり、連盟の会長は代々東海大学総長が務めている。
東海大学のみが目立つ印象が強いが、1980年日本体育大学(加盟校東海大学以外)が明治神宮野球大会で初優勝、1987年は筑波大学が明治神宮野球大会で優勝し、2001年には城西大学が明治神宮野球大会で準優勝、2006年度には2部から昇格したばかりの武蔵大学が東海大学に土をつけるなど、次第に群雄割拠の様相を呈してきている。
沿革
- 1964年 春季に東都大学野球連盟を脱退した東海大学・成城大学、日本体育大学、東京教育大学(現在の筑波大学)、武蔵大学の5大学で発足し交流試合を実施。同年6月13日に全日本大学野球連盟から正式に承認を受け、新たに同様に東都を脱退した明治学院大学と東京経済大学の2校を加えた7大学にて秋季から正式にリーグ戦を開始。
- 1965年 同年2月に第14回全日本大学野球選手権大会からの出場枠の獲得が決定。
- 1966年 城西大学、大東文化大学、明星大学が加盟。
- 1967年 帝京大学、獨協大学が加盟。
- 1968年 秋に行なわれた明治維新百年記念明治神宮野球大会にて首都大学選抜チームが優勝。
- 1969年 第18回全日本大学野球選手権大会で東海大学が連盟代表として初優勝。
- 1970年 秋に行なわれた明治神宮鎮座50周年奉納野球大会(第1回明治神宮野球大会)にて
東海大学が連盟代表初優勝(秋の大学野球、初代日本一に輝く)。
- 1975年 玉川大学が加盟。
- 1977年 原辰徳がリーグ戦出場。
- 1980年 第11回神宮野球大会で日本体育大学初優勝。連盟代表として通算2度目。
- 1987年 第18回神宮野球大会で筑波大学が初優勝。連盟代表として通算3度目。
- 2004年 40周年記念で学生とOBプロの対抗戦を実施。
- 2006年 創造学園大学が加盟。
- 2008年 桜美林大学が加盟。
- 2010年 足利工業大学が加盟。構成数増加に伴い、2部をA・Bの2グループ(勝率制+1位同士による2戦先勝方式の入れ替え戦出場決定戦)に変更。
- 2012年 創造学園大学が脱退。
- 2014年 1部8校、2部7校制に改組
運営方法
構成
1部6校、残りを2部(2010年~2013年春季は2グループ制)とする運営を行なっていたが、2014年より1部8校、2部7校構成に改組した[1]。これは全日本大学野球連盟加盟の26連盟で他に例がなく[2]、「○○六大学」の名に現れる通り「(1部は)6校で行う」ことが大学野球において半ば不文律化している中で、極めて異例のケースと言える。
対戦方法
春季と秋季にそれぞれリーグ戦を実施。また各シーズン終了後に各部の間で入れ替え戦を実施する。
1部
8校による2回戦総当たり(全14試合)。勝率により順位を決定する。
2013年までは春秋共に2戦先勝方式の総当たりによる勝ち点制。(引き分けは再試合)
2部
7校による2回戦総当たり(全12試合)。勝率により順位を決定する。
2010年~2013年春季までは全10校をA・Bグループに分割。グループ内で2回戦総当たりの8試合(2013年春季はA4校、B5校で行ったためAは6試合)を行い、勝率にて順位を決した上で両グループ1位校が優勝決定戦(勝点制)を行い、その勝者が入替戦に進む。
2戦先勝方式
同一の対戦校に対して先に2勝したチームがその相手校との対戦に勝利したとして対戦を終了する。(1勝1敗の場合は第3戦を行い決着を付ける。)
順位決定方法
勝ち点制
同一対戦校に勝ち越した場合に勝ち点1を獲得し、勝ち点が多い方が上位。勝ち点が同じ場合は全体の勝率比較によって順位を決定。 勝ち点も勝率も同じ場合は、優劣の決定が必要な場合に限り決定戦(プレイオフ)を行なう。 決定戦の成績はリーグ戦の成績に加算しない。
勝率制
当該チームの全勝数を引き分け試合を除いた全試合数で割ったもの。その数値が高いチームを上位とする。
入れ替え戦
各部のリーグ戦の終了後に上位リーグの最下位校と下位リーグの優勝校との間で対戦を組み、勝者チームを次シーズンの上位リーグの所属とする(敗者チームは次シーズンは下位リーグ所属となる)。対戦方法は2戦先勝方式。
試合会場
設立当初は東都大学野球連盟の試合のない日に明治神宮第二球場を使用していたが、学生の本分勉学との兼ね合いから土日開催を目指して神宮球場からは撤退し、以後は川崎球場(ロッテオリオンズ本拠地)を主体の運営に変更した。しかし川崎はスタンドの老朽化のため2000年に解体・改修され、硬式野球での利用ができなくなったため、現在は平塚球場、相模原球場、川崎市等々力球場、大田スタジアムを中心に加盟各大学の所有球場(日本体育大学横浜健志台球場・明治学院大学グラウンド)なども利用しながら試合を開催している。これまでは神奈川を中心とした球場で行われていたが、利便性・集客効果・公平さ等を再検討し、埼玉の球場も多く使用されるようになった。2006年春季には岩手県花巻市という首都圏から離れた遠隔地で開催する画期的な試みも行われている[3]。
加盟大学
(2014年春季)
1部リーグ
2部リーグ
かつて所属していた大学
脚注
- ↑ 2014年度リーグ戦の試合方法についてのご報告
- ↑ 23連盟は(1部は)6校構成。東海地区大学野球連盟と九州地区大学野球連盟は地区予選リーグから決勝トーナメントが行われる
- ↑ この地方開催では出場した大学の学校案内のコーナーが設けられ、200部ずつ用意され各大学のガイドブック品切れになるなど、なかなか好評であったが、2010年現在においてはこの試みはこの2006年に行った一度かぎりとなっている。なお、いわゆる華試合を除いたリーグ戦の公式日程を本来の開催地域から離れた遠隔地に遠征して開催したのは、全日本大学野球連盟傘下のリーグとしては初の試みとなっている。