日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
テンプレート:複数の問題 テンプレート:条約 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(にほんこくとアメリカがっしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく、英:Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan、昭和35年条約第6号)は、日本国とアメリカ合衆国の安全保障のため、日本にアメリカ軍(在日米軍)を駐留することなどを定めた二国間条約のことである。
1960年(昭和35年)1月19日に、ワシントンD.C.で締結された。いわゆる日米安保の根幹をなす条約であり、条約には日米地位協定が付属している(※テンプレート:要出典範囲)。
形式的には1951年(昭和26年)に署名され翌1952年(昭和27年)に発効した旧安保条約を失効させ、あらたな条約として締約批准されたが、実質的には安保条約の改定とみなされている。アメリカ軍の日本駐留を引き続き認めた。60年安保条約、新安保条約などともいわれる。新・旧条約を特段区別しない場合の通称は日米安全保障条約、日米安保条約。
目次
概要
テンプレート:See also 1951年(昭和26年)9月8日、アメリカを始めとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結された。この際、同条約第6条(a)但書[1]に基づき、同時に締約された条約が旧日米安全保障条約であり、この条約に基づき、GHQ麾下部隊のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合国軍(主にイギリス軍)部隊は撤収した。テンプレート:要出典範囲。
この旧安保条約に代わるものとして岸信介首相とアイゼンハワー大統領との間で新安保条約が署名され(1960年(昭和35年)1月19日)、同年6月23日に発効した。新条約では集団的自衛権を前提とした(形式としては)双務的体裁を採用しており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定した。
新安保条約はその期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めた。当条約は締結後10年が経過した1970年(昭和45年)以後も破棄されておらず、現在も効力を有している。
新安保条約は、同時に締結された日米地位協定によりその細目を定めている。日米地位協定では日本がアメリカ軍に施設や地域を提供する具体的な方法を定めるほか、その施設内での特権や税金の免除、兵士・軍属などへの裁判権などを定めている。
条文
- 前文
- 条約を締結することの意義について説明する。個別的及び集団的自衛権についても言及。
- 第1条
- 国連憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。
- 第2条
- 自由主義を護持し、日米両国が諸分野において協力することを定める。
- 第3条
- 日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを定める。
- 第4条
- (イ)日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び(ロ)我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される安全保障協議委員会[2]の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。
- 第5条
- 両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。
- 第6条
- 第7条、第8条、第9条
- 他の規定との効力関係、発効条件などを定める。
- 第10条
- 当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、1年前に予告することにより、一方的に廃棄できる旨を定める。いわゆる自動延長方式の定めであり、この破棄予告がない限り条約は存続する。
安保条約の本質、諸解釈など
日米安全保障条約の本質の変化
1950年代後期に入ると、日本経済は朝鮮戦争特需から1955年(昭和30年)の神武景気に入り、1955年(昭和30年)の主要経済指標は戦前の水準を回復して復興期を脱した。経済白書は「もはや戦後ではない」と述べ、高度経済成長への移行が始まった。政治体制においても自由党と民主党が合併し自由民主党に、右派と左派が合併した日本社会党が設立され、いわゆる「55年体制」が成立し安定期に入った。一方で、1954年(昭和29年)から1958年(昭和33年)にかけて中華人民共和国と中華民国(台湾)の間で台湾海峡危機が起こり、軍事的緊張が高まった。また、アメリカが支援して成立したゴ・ディン・ジエム大統領独裁体制下の南ベトナムでは後のベトナム戦争の兆しが現れていた。
こうした日米が置かれた状況の変化を受けて締結されたのが新安保条約である。当条約の締結前夜には反対運動が展開された(安保闘争)。
新安保条約は1970年(昭和45年)をもって当初10年の固定期間が終わり、単年毎の自動更新期に入ったが、東西冷戦構造の下で条約は自動的に更新され続け、対ソ・対中軍事条約へと性質を変えていった。
1991年(平成3年)のソ連崩壊により冷戦は終結したが、ソ連崩壊後の極東アジアの不安定化や北朝鮮の脅威、中台関係の不安定さや中国の軍事力増強など、日本および周辺地域の平和への脅威に共同対処するため引き続き条約は継続している。日本政府は、基本的価値や戦略的利益を共有する国がアメリカであるとし、日米安保は日本外交の基軸であり極東アジアの安定と発展に寄与するものとしている[3]。一方で日米双方において、当条約の有効性や歴史的存在意義についての多くの議論がおこなわれるようになっている。
2004年(平成16年)度の日本防衛白書では初めて中華人民共和国の軍事力に対する警戒感を明記し、テンプレート:要出典範囲。
2010年(平成22年)1月19日、オバマ米大統領は、日米安保条約改定の署名50年にあたって声明を発表した[4]。声明では、「共通の課題に対して両国が協力することは、われわれが世界に関与する上での重要な一部となる」として、日米安保を基盤として両国の世界規模での協力の必要性を強調した。また「日本の安全保障に対する米国の関与は揺るぎない」として、「同盟を21世紀向けに更新し、両国を結束させる友好関係と共通の目的を高めよう」と呼びかけていた。また、安保改定50年にあたり日米の外務・国防担当閣僚が共同声明を出している。[5]
日本抑止論
1990年(平成2年)3月、在沖縄米海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール(Henry C. Stackpole, III)少将は 「米軍が日本から撤退すれば、 すでに強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。 我々は 『瓶のふた』 のようなものだ」 と発言し、日本を抑止する必要があるとの見解を示した[6]。
1999年(平成11年)のアメリカの世論調査では、条約の目的について「日本の軍事大国化防止」49%、「日本防衛」12%となった[7]。
第5条共同対処宣言(義務)に関する解釈
この条約の第5条は日米両国の「共同対処」宣言を記述しており、第三国の武力攻撃に対して条約にもとづく集団的自衛権や積極的防衛義務を明記しているわけではない。テンプレート:要出典範囲。
根拠条文
- ARTICLE NO.5
- Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.
- 第5条
- 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動することを宣言する。
解説
なお、2012年(平成24年)11月29日、米上院は本会議で、尖閣諸島問題を念頭に日本の施政権についての米国の立場について「第三国の一方的な行動により影響を受けない」「日米安保条約第5条に基づく責任を再確認する」と宣言する条項を国防権限法案に追加する修正案を全会一致で可決した[8][9]。
2013年(平成25年)1月2日、前月20日米下院、翌21日米上院で可決された尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用対象でることを明記した条文を盛り込んだ2013年会計年度国防権限法案にオバマ大統領が署名し法案が成立した。尖閣諸島の条文には「武力による威嚇や武力行使」問題解決を図ることに反対するとしている[10][11]。
米国下院で「日本側に有利過ぎる」と批判された日米安保条約
上記とは逆に、米国側からの「日本に有利すぎる」といった批判がある。
アメリカの一部には、日本は、自分たちが行動できないミッション(というか、どうやらやりたくないミッション)を、若い米国人兵士に押しつけているとの見方がある[12]。
米軍が日本に駐留し続ける事の意義
日本が米軍の駐留費用を負担する意味があるかとの疑問が共産党などから出されている[13]。テンプレート:要出典範囲
米国の核の傘を否定する発言
米国の核の傘に対する否定的見解が、個人的見解として米国の政治家、学者等から出ている[14]。
- テンプレート:要出典範囲。
- その他、以下の米国の要人が、米国の核の傘を否定する発言をしている。
日本側の「核の傘」に対する疑問
西村眞悟衆議院議員は第155回国会内閣委員会第2号(平成14年10月30日(水曜日))において、アメリカは主要都市に核ミサイルが落ちる危険性を覚悟して日本に核の傘を開くのか、と疑念を述べた。また欧州へ向けられたロシアの核についてのアメリカのシアター・ミサイル・ディフェンスという発言を捉え、アメリカ自身が核ミサイルの射程外の場合関係ないというアメリカの意識がにじみ出ていると主張した[15]。
日本国内の認識
沖縄
テンプレート:See also 沖縄県の在日米軍基地が日本の国土面積に占める割合は1割以下だが、在日米軍基地面積の7割以上(ただし自衛隊との共用地を除いた米軍専用地の割合)が沖縄県に集中している事で、本土と比べて不公平だとする意見や、在日米軍基地の必要性についても疑問視する意見が、沖縄県には多数ある。また、在日米軍基地近隣の騒音問題がある。
2010年(平成22年)5月に、毎日新聞と琉球新報が沖縄県民を対象に行ったアンケートによると、同条約を「平和友好条約に改めるべき」が55%、「破棄すべき」が14%、「維持すべき」は7%だった[16]。
識者
評論家の大井篤は1960年(昭和35年)の条約改定にあたり、日米安全保障条約のもつ抑止効果を積極的に追求するべきであると結論付けた[17]。
元外務省局長の孫崎享は、日米安保は日本の利益を守るためにあるのではなく、存在意義はまったくないと述べている[18]。また孫崎は、集団的自衛権について米国が日本を戦闘に巻き込むのが狙いと述べている。
世論調査
内閣府が2010年(平成22年)1月におこなった世論調査では、同条約が日本の平和と安全に「役立っている」との回答が76.4%、「役立っていない」との回答が16.2%となった。また「日本の安全を守るためにはどのような方法をとるべきだと思うか」との問いには「現状どおり日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る」との回答が77.3%、「日米安全保障条約をやめて、自衛隊だけで日本の安全を守る」が9.9%、「日米安全保障条約をやめて、自衛隊も縮小または廃止する」が4.2%となった[17]。
脚注
関連文献
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- テンプレート:Cite book - テンプレート:Harvtxtの改訂版。『正論』2011年2月号に掲載された田母神俊雄との対談を収録。
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- テンプレート:Cite book - 第22回(2000年度)サントリー学芸賞(政治・経済部門)受賞。
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関連項目
- 事件
- 条約・機構
- 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約 - 1952年(昭和27年)から1960年(昭和35年)まで発効した旧日米安保条約
- 日本国との平和条約
- 米韓相互防衛条約
- 在韓米軍地位協定
- 台湾関係法(旧米華相互防衛条約)
- 米比相互防衛条約
- 太平洋安全保障条約
- 北大西洋条約機構
- 中央条約機構
- ワルシャワ条約機構
- 安全保障協力に関する日豪共同宣言
- 日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言
外部リンク
- テンプレート:Yahoo!百科事典
- 日米安全保障体制 - 外務省
- 日米同盟:未来のための変革と再編(仮訳) - 外務省
- 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(現行安保条約) - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
- 日米地位協定 - 同上
- 日米防衛協力のための指針(旧ガイドライン、日米安全保障協議委員会が了承した防衛協力小委員会の報告)、1978年(昭和53年)11月28日閣議了解 - 同上
- 日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、1997年(平成9年)9月23日 - 同上
- 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約) - 同上
- 安保破棄中央実行委員会
- ↑ 第六条(a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。
- ↑ 日本側の外務大臣と防衛庁長官、米国側の国務長官と国防長官により構成される会合。いわゆる「2プラス2」
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 読売新聞2012年12月23日13S版2面及び2013年1月4日13S版2面
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Harvtxt参考。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 17.0 17.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ テンプレート:Cite news