ワルシャワ条約機構
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ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう、テンプレート:Lang-ru-short, テンプレート:Lang-pl-short, テンプレート:Lang-en-short)は、冷戦期の1955年、ワルシャワ条約に基づきソビエト社会主義共和国連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。「ワルシャワ相互防衛援助条約機構」が正式名。西ドイツの再軍備および北大西洋条約批准、北大西洋条約機構(NATO)加入という事態に対抗して作られた。露語での略称はОВДまたはВДと表す。英語での略称はWTOまたはWPO。同じ略称の世界貿易機構と混同されるためにTreaty(条約)ではなくPact(協定)の方の略称が多く使われる。
1989年の冷戦終結に伴って東欧革命が始まり、1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散、12月にはソ連が崩壊した。
この同盟の第一の目的はNATOへの対抗であった。この当時、アメリカ合衆国とソ連の間では核開発競争が盛んであった。核ミサイルをアメリカはトルコに、ソ連はキューバに設置し、その照準を互いの国土に向けていた。こうした緊張によってキューバ危機(Cuban missile crisis)なども勃発した。当時のソ連はアメリカを脅威と見なしておりアメリカが西欧諸国に軍事的な支援を行うことに強く反発した。よって同じ力を保つためにワルシャワ条約機構を作り上げた。
加盟国
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- テンプレート:Flagicon ブルガリア
- テンプレート:Flagicon ルーマニア
- テンプレート:GDR(ドイツ民主共和国)
- テンプレート:Flagicon ハンガリー
- テンプレート:Flagicon ポーランド
- テンプレート:Flagicon チェコスロバキア
- テンプレート:Flagicon アルバニア(1968年脱退)
- アルバニアは中ソ対立の際に中国寄りの姿勢をとり、1962年事実上脱退。1968年、ワルシャワ条約軍のチェコスロバキア侵攻に抗議して正式に脱退した。
- 東ドイツは1956年加盟、1990年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟、同年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)に併合された。
- 旧ソ連(バルト三国を除く)以外の旧加盟国は、2009年までに全てNATOに加盟した。また、2007年までに旧ソ連(バルト三国を除く)とアルバニアを除く旧加盟国が欧州連合(EU)に加盟した。
関連項目
外部リンク
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