デフレーション
テンプレート:経済学のサイドバー デフレーション(テンプレート:Lang-en-short)とは、物価が持続的に下落していく経済現象を指す[1]。略してデフレとも呼ぶ。日本語では通貨収縮。対義語に物価が持続的に上昇していく現象を指すインフレーション (テンプレート:Lang-en-short) がある。 ディスインフレーションについては、下部に記載。
目次
概要
経済全体で見た需要と供給のバランスが崩れること、すなわち総需要が総供給を下回ることが主たる原因である。貨幣的要因(マネーサプライ減少)も需給ギャップをもたらしデフレへつながる。物価の下落は同時に貨幣価値の上昇も意味する。なお、株式や債券、不動産など資産価格の下落は通常デフレーションの概念に含まない(参考:物価)。
19世紀の産業革命の進展期においてはデフレは恒常的な通貨問題であり、金本位の退蔵(グレシャムの法則)に見られる貨幣選好やインフレ抑止のための不胎化政策、技術革新による供給能力の飛躍的な進展がデフレをもたらしていた。ケインズ政策や管理通貨制度が普及した後はインフレーションに比して圧倒的に少ない。ジョン・メイナード・ケインズは、ハイパーインフレを除けば、インフレよりもデフレの方が害が大きいと述べている。その理由は世界経済が低迷している中で、富裕層に損をさせるよりも経済的弱者の失業を促進させる方が経済へのダメージが大きいからである[2]。
経済協力開発機構(OECD)によればデフレは「一般物価水準の継続的下落」と定義されている[3]。IMFや内閣府は「2年以上の継続的物価下落」をデフレと便宜的に定義してデフレ認定を行なっている[4][5]。一時的な物価下落をデフレと呼ぶ識者もよく見られるがOECDの定義やIMF・内閣府の基準からすると誤用である。
日本では旧経済企画庁(内閣府)が「物価の下落を伴った景気の低迷」をデフレの定義としていたが、2001年3月より「持続的に物価が下落している状態」と定義を変更した[6]。
デフレの定義について
経済学者の竹中平蔵は「デフレという言葉を使う場合、単に物価が下がるという意味だけでなく、物価が下がることと経済の悪化が一体となっている状態を指す場合もある」と指摘している[7]。
森永卓郎は「デフレとは、物価の下落と需要の縮小が同時に進行す状態である」と指摘している[8]。
経済学者の高橋洋一は「デプレッション(不況)のことをデフレと言う人が多い」と指摘している[9]。経済学者の飯田泰之は「『デフレ=不況の別称』という定義を持ち出される事が多いが、このような定義を用いるのは誤りである。『物価水準は下がり続けているが(景気はいいので)デフレではない』『インフレによって消費が減少しデフレになる』といった言及されることがあるが、IMF・内閣府流の公式用語法に従う者からするとこれらの言及は誤りである」と指摘している[4]。
消費者物価とは、様々な消費財・サービスの価格をそれらの財・サービスに対する支出の割合で加重平均した価格である[10]。消費財の一部の価格が下落しても、他の消費財・サービスの価格が上昇すれば、消費者物価は上昇することもある[10]。
経済学者の岩田規久男は著書『デフレの経済学』で「相対価格の変化と絶対価格の変化とを区別することが重要である。平均的な価格である物価が相対価格の変化によって影響を受ける理由はない」と指摘している[11]。高橋洋一は「ミクロ(個別価格/相対価格)とマクロ(一般物価)の混同は経済学者の議論の場でも時々見られるが、ミクロの個別価格の平均としてマクロの物価があると思い込むのは短絡的である」と指摘している[12]。
経済ジャーナリストの田村秀男は、後述するように(#対策の議論参照)、デフレを物価下落に限定せず、賃金・所得が物価下落を上回る速度で継続的に下がることと定義すべきだと主張している[13]。田村は「デフレは雇用にとって悪だ」と断じたジョン・メイナード・ケインズ[14]の見解を参考にしている[15]。
メディアで「食のデフレ」などと言った表現がなされる場合があるが[16]、デフレとは相対価格(個別価格)ではなく一般物価水準(または総合物価)の下落を指しているので本来の意味からすれば誤用である。
影響
デフレの弊害は現金の価値が上がりすぎて、モノやサービスや、それに関わる人の価値が下がり過ぎていることにある[17]。経済学者の田中秀臣は「デフレとはカネを持つことへの執着である」と指摘している[18]。
個々人では、デフレによって好影響が悪影響を上回る者、あるいはその逆の者が存在する。一方で、社会全体では一般に悪影響が大きい。
デフレ下では、所得が抑制されるため、選択の幅が限定され一人勝ちを生みやすい[19]。
物価の下落は、実質的な返済負担増となる(デットデフレーション(テンプレート:Lang-en-short)[20]。そのため、借り手である債務者から貸し手である債権者への富の再配分が発生する。物価下落によって実質金利が上昇する。なお、たとえば1万円で買えるものの量が増えるから一見メリットがあるように見えることは、実際にはその1万円を稼ぐこと自体が困難になるため、デフレで有利になるとは言えない。
デフレは名目的には低い金利に見えても、お金の借り手にとっての負担はデフレの分だけ重くなる[21](負債の名目固定性[22])。この場合の借り手には、日本政府も含まれる[21]。デフレの状況は税収が上がらないので財政再建にとっては大きなマイナス要因である[23]。
経済学者の深尾光洋は「デフレを放置することは、政府の信用の失墜を放置するということである」と指摘している[24]。経済学者の猪木武徳は「デフレが悪化すると、政府への信任が失われるのは、インフレの悪化と同様である。インフレもデフレもその論理は異なるものの、統治への信任の喪失という点では同じ影響力を持つ」と指摘している[25]。
メリットを受ける人
物価下落により実質金利(実質利回り、(名目金利-期待インフレ率)が上昇する、すなわち同額の名目利子の受け取りであっても実質価値が上昇する。また、デフレの局面では物価下落を織り込んだ金利が形成されるため、市中金利は低下する。そのため、国債などの債券を保有している者は、(高利回り)債券の価格が上昇して利益となる。
名目額(名目賃金)が固定された収入がある者も、物価の下落(実質賃金の上昇)により実質的な生活水準が向上する[26][27]。
経済学者の中澤正彦は「デフレは椅子取りゲーム」と表現し、「正規雇用という安定した『椅子』に座り収入がある人にとって、物価が安くなって歓迎すべき状態になっている」と指摘している[21]。
デメリットを受ける人
物価下落は名目値の硬直性と衝突して企業収益を停滞させ、国民の雇用と所得を減退させる[28]。
住宅ローンなどで債務を抱える者は、物価の下落によって実質的な債務が増大する[20]。
名目金利の低下により、市中変動型の債権(普通預金など)の利子収入は減少する。
岩田規久男は「現在と将来の所得が変わらなければ、デフレのほうがたくさんモノが買えるため良いが、所得は物価の変動によって影響を受ける。さらに企業の倒産・失業、預金・生命保険の安全性、将来の年金などがデフレによって悪影響を受ける」と指摘している[29]。経済学者の若田部昌澄は「デフレによって年金・失業保険などの長期的な制度は崩壊の危機にさらされる」と指摘している[30]。
デフレと経済活動停滞の因果関係
デヴィッド・リカードは貨幣的要因が生産・雇用という実物要因に影響を与えると認識していた[31]。貨幣的需要の拡大であるインフレーションにおいて、すべての産業の生産が拡大するのは、貨幣錯覚が起きるからである[32]。一方で貨幣の量は短期的には生産・雇用に影響を与えるが、長期的に物価にしか影響を与えないという説もある(貨幣の中立性)[33]。
経済学者のアーヴィング・フィッシャーは景気循環が一般物価水準の騰落によって引き起こされると考え、物価の騰落は所得分配に不公正な影響を与えるため防止すべき「社会悪」だと述べている[34]。物価の下落は貨幣残高(預金など)実質価値を高め、消費を刺激するとの考え(ピグー効果)に対し、フィッシャーは物価の下落は負債の実質価値を高め、倒産を通して不況を悪化させると反論した[35]。
物価の下落が、家計の所得・資産の購買力を高め、消費支出を促すという考え方があるが、物価の下落は、家計の消費支出に大きな悪影響を及ぼす[36]。物価の下落は、家計の購買力を高めると同時に、失業増加・賃金削減を通じて個人消費を押し下げる[37]。また、デフレ期待が蔓延している場合、家計は不要不急の支出を先延ばしする[37]。さらに、デフレ期待は先行きの債務返済負担が大きくなることを意味するため、消費を抑制し債務返済を早める動きにつながる[37]。
物価の下落は債権者に益するが、債権者の消費性向に比べ債務者の消費性向の方が平均的に高いため、名目値で見ても物価の下落は有効需要にマイナスの影響を与える[35]。債務デフレによる不況を「バランス・シート不況」と呼ぶ[38]。
若田部昌澄は「ナチス登場以前のドイツは、家賃を含め名目賃金をどんどん切り下げた。そういったデフレ政策によって国民は途端の苦しみを味わい、結果ナチスの台頭を許してしまった」と指摘している[39]。
デフレが不況を伴うことが多い理由として、
- 名目賃金の下方硬直性
- 名目金利の下方硬直性
- 資産デフレ
の三つ点が挙げられる[40]。
田中秀臣は「年1-2%のデフレに陥ると、人件費は事実上5%前後増加する」と指摘している[41]。田中は「デフレ不況下では、経営者側にコスト削減のインセンティブが強く働く[42]」「名目賃金が一定で労働時間が増えれば、時間当たりの名目賃金は減少する[42]」と指摘している。
田中は「デフレ不況によって起こる企業のリストラ要求に対して、既存正社員は組合などを通じて交渉力を発揮し、自分たちの待遇を悪化させるよりも新卒採用を縮小させることを企業に要求する。このことが『名目賃金の下方硬直性』を生み出す。既存正社員の既得権が強まると同時に、膨大な失業者、非正規社員が生み出される」と指摘している[43]。
デフレ不況は人々の気持ちをリスクから遠ざけるため、デフレ不況下では人々は新しいことにチャレンジせずに、安全策を取る傾向にある[44]。デフレは企業も消費者もリスクを避けがちになり、消費や投資も伸びない悪循環で経済の活力がどんどん落ちる[45]。
中野剛志はデフレは「物価が将来下がるかもしれない」、「貨幣価値が将来上がるかもしれない」という心理的影響を与え、誰も投資や借金をしなくなる。これは資本主義の心肺停止状態であり、資本主義を望むならば、デフレだけは回避しなければならないとしている。経済構造の産業化が進み高度化すれば、信用制度がなくては大きな投資ができないとしている。資本というものは昔からあったが、産業革命が進むほど市場経済の資本主義の度合いが大きくなる。つまり、実体経済と金融経済のうちの金融の部分が大きくなるが、デフレはその動きを停止させるとしている[46]。また中野はデフレは給与水準・生活水準の悪化、投資を含む需要不足という点から怖ろしい経済現象であるとしている。その理由として、給与水準・生活水準の悪化は現在の人間の心理や幸福感を著しく傷つけ、投資を含む需要不足は自分の国や共同体、家族のために今は抑制して将来に向けて投資する、未来のことを考えて生きるという非常に人間らしいことができなくなるためであるとしている[47]。
アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)のジャネット・イエレン副議長は「日本の名目所得、名目国内総生産(GDP)は20年前より若干低い。これは注目すべき点で、日本のあらゆる問題の根源となっている」と指摘している[48]。
岩田規久男は「デフレの最大の問題は(物価下落の継続で)モノに比べてお金の価値が上がった結果、企業がお金を使わずにため込んでいることである[49]」「(デフレである)現在では日本の企業までもが家計のように金融資産を運用する[50]」「デフレである限り企業が巨額の余剰資金を抱えたままにしていることで設備投資・消費などが動き出さないといった状況から抜け出せない[51]」と述べている。また岩田は「(日本の)少子化、非正規社員の増加、企業倒産の増加、国の税収が増えないことなどは、デフレや円高で不況が続いたのが原因である。日本の自殺者が3万人台になっている状況も、このことと無関係ではない。実証研究したところによると、自殺の一定割合以上は経済的要因が原因だとわかっている」と述べている[52]。
深尾光洋は「デフレを止めることによって企業部門の再生が可能になる。売り上げが増えるので、借金が返せるようになるということである。そしてさらに、財政についても引き締めが可能になる。つまり金融政策で緩和ぎみにすれば財政は引き締められ、財政の再建が可能になる。デフレを止めるということが金融再生および財政再建の必要条件になる」と指摘している[24]。
経済学者の清水啓典は「仮に貨幣が長期的に経済を活性化させるのであれば、各国は貨幣を増やすだけで経済を成長させることができることになるので、貧困が解消できることになる」と指摘している[53]。
経済学者の吉川洋は、2002年に「デフレは解決すべき問題であるということは、経済学者・エコノミストで全員一致している」と指摘している[23]。
実質金利と賃金・失業
通常、名目金利はゼロ未満になり得ないので、デフレが継続し期待インフレ率がマイナスになると実質金利が高止まりしてしまう。また、名目賃金には下方に硬直性があるため(名目賃金の下方硬直性)、完全雇用の達成に十分なほど下落することは難しく、デフレ下では実質賃金も高止まりしてしまう。実質金利の高止まりは設備投資を抑制し、実質賃金の高止まりは雇用を抑制してしまう。このように、デフレ期待はそれ自体が企業や家計の貯蓄や投資行動といった将来予測を通じて経済活動に直接悪影響を及ぼす。
デフレは実質金利と実質賃金の高騰を生み、企業収益を圧迫する[54]。その結果、企業活動は停滞し、失業は増大する[54]。デフレ下でも労働者の名目賃金は急に下げにくいので、企業はリストラを進め、非正規雇用や失業が増える[21]。マイルドなインフレ状態なら社員の昇給に経営者はさほど苦労せずに済むが、デフレに陥ると人件費は事実上増加してしまい経営者にとって大きな負担となり、リストラを敢行したり雇用システムそのものを見直しせざるを得なくなる[55]。
民間の給料が上がらないことや雇用不安、若者の就職難などはデフレの弊害が大きい[56]。
デフレギャップ
デフレギャップ(Deflationary gap)は、実際の需要が現実の供給力を下回り、
- 総供給>総需要
の状態となったその差(乖離、ギャップ)のこと。「マイナスの需給ギャップ」や「GDPギャップ」とも言う[57]。デフレ・ギャップが恒常的に存在することで、失業の増加、物価水準の下落、成長率の減少が続く[58]。デフレギャップを解消するには、需要を増やすか供給を減らす必要があるが、市場において供給システムが出来上がっているケースで供給を減らすことは容易ではない。一般に政府が減税、金融緩和政策、政府支出を増大させるなどを行い需要を喚起する政策が取られる。国によっては兵役で雇用を創出する場合もある。日本ではこのギャップの数値は、内閣府のレポートに「需給ギャップ」として発表される。
他の事情が一定の場合、総需要が減少すると物価が下落し、GDPは減少する[59]。総需要が拡大すると物価が上昇し、GDPは拡大する[59]。岩田規久男は「総需要も総供給の増加に追いつくように増加しなければ、需要不足から不況となり、需要不足が大きなったいけば、デフレ不況に陥る」と指摘している[60]。田中秀臣は「『デフレ不況』とは、総需要の減少によってデフレ・ギャップが拡大することで、失業・物価下落が生じている状態である」と指摘している[61]。
日本は過去10年間、GDPギャップがマイナス傾向で需要が不足していたため、それがデフレの大きな要因になってきたと言われる[62]。ただし、物価はGDPギャップだけで決まるわけではなく、マネーサプライなどの金融政策の動きも重要である[62]。よってGDPギャップだけで物価の動きを論ずるべきではないが、重要な指標であることは間違いない[62]。
社会全体の総需要は、財政・金融政策によって変化させることができる(ケインズ・モデル)[63]。田中秀臣は「デフレ・ギャップが存在すれば、需要を喚起する政策を行い、失業の解消を図る必要がある」と指摘している[58]。
総需要を完全雇用総供給に一致させる=GDPギャップをゼロにするということは、失業率を自然失業率に近づけインフレ率を適正な水準に安定させるということであり、マクロ経済政策の目的である[64]。
デフレスパイラル
名目金利の低下する速度以上の物価の下落が発生している局面では、実質金利が上昇し投資活動が低下する[65]。これが経済活動を停滞させる要因となり、賃金の下落や失業(フィリップス曲線を参照)[26]、ひいては消費支出の減少とさらなる企業活動の停滞をもたらす要因となる。
物価の下落→企業収益の圧迫→企業の経費節約→需要不足→更なる物価の下落→更なる企業収益の圧迫→設備投資の抑制→リストラなどによる雇用の減少(失業の増加)→家計の所得の減少(購買力の低下)→消費の減少
以上のような一連の経済縮小により、物価の下落と景気の悪化の循環がとどまることなく進むことを「デフレスパイラル」と呼ぶ[65]。
日本のデフレスパイラル化について
経済学者の池尾和人は「今(2002年)のデフレというのは、過去のデフレとは違い、スパイラル化していない。すぐ1930年代の経験に話が飛んで、1930年代のときのデフレはどうやって克服したとか言うが違う[66]」「戦前の世界恐慌時のデフレは確かに大問題だった。今(2010年)は二つの点が違う。第1に、相対価格が非常に大きく動いている。平均値はマイナス1%程度だが、30%も下落している商品もあれば、上昇している商品もある。戦前は、一律に低下した。第2は、当時のデフレは物価の下落率が2ケタ以上の異常事態だった。だが、現在は1%程度の下落が続き、スパイラルに加速しているわけではない[67]」と指摘している。
経済学者のアダム・ポーゼンは「日本のデフレは悪い結果をもたらしたが、我々が予想していたほど有害ではなかった。日本のデフレは約マイナス1%まで下がったが、決して加速しなかった」と指摘している[68]。
経済学者の齊藤誠は「デフレは続いているが、年率1.1%程度の軽微なものである」と述べている[69]。経済学者の塩沢由典は「マイナス1パーセント程度の物価下落は、物価安定というべきもので『デフレーション』の原義から逸脱している」と述べている[70]。
経済学者の浜田宏一は「デフレ状況の中では、デフレ率が変わらなくても過剰設備・失業率が増えていくという関係がある」と指摘している[71]。
経済学者の伊藤隆敏は「現在(2012年)はデフレスパイラルの状態に陥っている。物価が下落しているので、賃金は下がり、投資も増えないため、成長率も上がらない。そのためデフレ予想から脱却できず、物価が下落するという悪循環になっている」と指摘している[72]。
経済学者の片岡剛士は「日本の物価上昇率はGDPデフレーターでみて平均1%程度のマイナスとなっている。この事実からデフレが大した問題ではないと主張するのは早計である。平均1%の物価下落でも、積もり積もればその効果は大きい。1年間で一気に数十パーセントの物価下落が生じれば、雇用環境にも大きな影響が生じるため人々が経済危機だと認識するのは容易である。日本の問題は、平均して年1%程度のデフレが15年超つづくことで、経済停滞が長期化してしまっていることにある。悪化した雇用環境や円高基調で進む為替レートといった現象も、この年1%程度のデフレが長期化した結果であることを十分に認識しておくべきである」と指摘している[5]。
デフレ下での成長
日本の名目GDPが伸びない原因はデフレであり、名目GDP成長率は実質GDP成長率とインフレ率を足したものである(名目GDP成長率=実質GDP成長率+インフレ率)が、日本は2011年現在毎年1パーセントのデフレが続いているため実質GDP成長率が1パーセントあっても差し引きはゼロである(実質GDP成長率1%+インフレ率-1%=名目GDP成長率0%)[73]。
高橋洋一は「デフレから脱却しインフレに転じれば名目GDPは成長する」と指摘している[74]。
経済学者の野口旭は「デフレは本来その国が持っている潜在成長率や適正な失業率の水準から、その国を遠ざける」と指摘している[30]。
中澤正彦は「デフレは、好況と不況を繰り返しながら成長していくという経済に対し自動調整機能が効かない状態。その意味ではハイパーインフレと遠戚関係にあるともいえる」と指摘している[21]。
若田部昌澄は「通常はデフレと不況はセットになっている」と指摘している[75]。
経済学者の岡田靖は「デフレは経済を著しくぜい弱なものとすることは、過去10年以上の日本の実験で明らかである」と述べている[76]。
岩田規久男は「実際にインフレはGDPの拡大、デフレはGDPの縮小を伴うことが多い。インフレは好景気と結びつきやすく、デフレは不景気に結びつきやすい。しかし必ずしもインフレと好景気、デフレと不景気が結びつくわけではない」と指摘している[77]。岩田は「長期的には物価が下落すると、人々・企業の購買力は増大し、それに伴って消費などの総需要が拡大することにより実質GDPは拡大していく」と指摘している[78]。
池尾和人は「『デフレで経済の調子が悪い』というのは、原因と症状を取り違えた表現である[79]」「因果関係としては、経済の悪化、需要の弱さを反映して、デフレが起こる。デフレが経済を悪化させるフィードバックはあって、経済が好転するきっかけがつかみにくい状況をつくり出してはいるが、副作用的なものと見るべきだ。だから、マイルドなデフレのまま景気が回復することも起きる。その実証例が、2003年(の日本)だった[67]」と指摘している。
「日本はデフレが続いているにもかかわらず2002年からは景気が回復した、だからデフレは景気とは関係がない」という議論があるが、若田部昌澄は「日本がデフレに陥っていた1990年代にも2回程度の景気回復があったが、そのたびに景気回復が頓挫した。原因には、2000年8月の速水優日本銀行総裁によるゼロ金利政策解除といった政策の失敗もある。デフレの下での景気回復はきわめて脆弱であり、現在(2008年)の景気回復はほとんど枕詞のように『実感なき』と呼ばれるほど勢いが弱い。デフレの下では給料などの名目値が伸び悩むから実感に乏しい」と指摘している[80]。
田中秀臣は「日本の景気は、2003-2006年末まで景気回復基調だったといわれているが、その水準はずっと低いままだった。外需によって、輸出産業を中心に企業収益は改善したが、名目賃金はまったく伸びず所得は頭打ちだった。名目GDPの成長率が伸びない限り、所得水準も上がらない」と指摘している[81]。
元日銀審議委員の中原伸之は「実質GDP成長率1-2%、名目GDP成長率3-4%の状況が2-3年続いて、初めてデフレ脱却といえる。好不況の循環の中での一時的な景気回復と、デフレ脱却を混同してはならない」と指摘している[82]。
第二次世界大戦以降、物価・賃金は恒常的に上昇したが、それ以前は上昇・下落を頻繁に繰り返していた[83]。物価・賃金に下方硬直性はなく、デフレは珍しいことではなかった[83]。1873年から1896年までイギリス、ドイツ、フランス、アメリカなどの国はデフレ下で実質経済成長率がプラスであった[84]。19世紀のイギリスには、物価が安定していた「ヴィクトリア均衡」と呼ばれる時期がある[83]。
経済学者のタイラー・コーエンは、日本の長期停滞が貨幣的要因によるものとは思えない、19世紀末はデフレでも経済成長していたと指摘している[85]。
若田部昌澄は「『ヴィクトリア均衡』の時代は、それほどいい状態ではなかったことも事実である。イギリスは大不況ではなかったがかなり停滞し、資本の海外流出と移民の大量発生が起きている。デフレが起こらなければ技術革新が起きていた時代であったため、本来もっと成長ができたはずである。その証拠は同時期の日本であり、この時期にデフレではなかった日本が経験したのは『企業勃興』と呼ばれるような爆発的好況である」と指摘している[86]。また若田部は「19世紀後半はデフレだからという理由で給料が切り下げられる時代だった。そのおかげで、デフレ下でも経済成長が維持できたというひとつの考え方がある」と指摘している[87]。
ヴィクトリア均衡は、金産出量の増大によって終息している[88]。
高橋洋一は「デフレの大きな弊害は、賃金などに下方硬直性があるため実質賃金が割高になって、失業が発生することである。ただ、第二次世界大戦前には、組合運動も盛んでなかったため、賃金の下方硬直性もあまりなかった。現在(2014年)ほど失業問題が重要視されていなかったこともあり、デフレでも実質経済成長した期間は多い」と指摘している[89]。
対策
- デフレーション対策の例
- 通貨高の是正[23]
- 外国為替相場への介入
- 金融機関に対する政府保証や資本注入
- 累進課税制度など税制による自動的な減税効果(ビルト・イン・スタビライザー)
- 期限付きの減税措置[72]
- 一時的な財政出動[72]による総需給ギャップの改善
- 政府保証や政府買い取り制度(金融資産、穀物・原油など基幹資源など)
- 家計への財政を通じた所得補填
- 現金・預金・国債など政府が保障するすべての金融資産に対しての課税[24]
など
対策についての議論
デフレは貨幣的現象であると考えられているので[91][92][93]、通常は金融政策によって対処される。貨幣供給量の増大による総需要の増大が総供給の増加を上回る状態が継続すると、持続的な物価上昇(インフレーション)が始まるが、逆に貨幣供給量の持続的な減少による超過供給の状態が継続すると、持続的な物価下落(デフレーション)が始まる[94]。経済学者の星岳雄は「デフレは金融政策で解決できる問題である」と指摘している[93]。
若田部昌澄は「需給ギャップによる説明と貨幣による説明は、相反するものではない。貨幣が不足しているということは、モノが余って需給ギャップがあることを別の言い方で説明しているだけである」と指摘している[95]。
田中秀臣は「物価水準が2年間下落し続けるのを待ってから、デフレ対策をやるというのいうでは本末転倒な話となる」と指摘している[96]。
商品価格や賃金の政府統制は物価変動を直接管理する有効な手段であるが、自由市場を通じた財の最適分配をかえって阻害するものとして批判があるテンプレート:誰。
浜田宏一は「貨幣とモノ・サービスは分離されているので、貨幣政策によってモノ・サービスの向上は図れないという理論がある。だがリーマン・ショック後の世界は、貨幣とモノ・サービスとが切り離せないことを示した」と指摘している[97]。
経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは「日本のデフレの原因は、為替の影響が大きかった。円安が続けば、その状況は変わる。現実問題として、アメリカが金融緩和を進めれば、円高になるので、対抗することが必要だ。日銀は日本国債をより積極的に買い入れるなどし、対抗しなければならない」と指摘している[98]。因みに為替レートとインフレ率について、明確な一方的因果関係は検出されていない[99]。
池尾和人は「インフレを起こすだけで良いなら話は簡単である。貨幣を発行して財政支出を賄う政策を実施すれば可能だろう。しかし経済政策の目標は国民の経済的な満足度を高めることのはずである。そういう手段でインフレを達成しても本当に改善したことにはならない」と述べている[100]。
需給ギャップの解消を円滑とするよう足並みをそろえた財政政策や、潜在成長率を引き上げて金融緩和の効果を高めるような規制緩和政策テンプレート:誰など、その他の政策による補助も有効とされる。
経済学者のハイマン・ミンスキーはデフレを抑止する機能として、
- 中央銀行の機能
- 政府支出
の二つを挙げている[101]。
エコノミストの村上尚己は「脱デフレを実現するためのベストの経済政策運営は、金融政策・財政政策の双方ともに、総需要を増やす方向で整合的に組み合わせ、運用されることである」と指摘している[102]。
田村秀男は物価下落に焦点を合わせた経済学会や政府、日銀などのデフレ論を批判し、「物価の継続的な下落の速度、度合いをはるかに上回る賃金の下落が続く状態」と定義するよう提起している[103][104][105]。田村は、単に「物価の下落が続く状態」とする従来の視点では1930年代の大恐慌時代や1998年以降の「日本型デフレ」を十分説明できないし、金融政策や財政政策判断の誤りを生むと警告している[106]。田村は、物価上昇偏重による政策判断の誤りの例として日本銀行による2006年3月の量的緩和解除を挙げている[107]。田村は日本の2014年4月からの消費税率引き上げについて、田村は賃上げ率が消費税増税による影響を含めた消費者物価上昇を大きく下回る状況下では、デフレを加速させると批判している[108][109]。
中野剛志はカール・ポランニーは1930年代の世界恐慌を研究した上で『大転換』を執筆し、環境・自然の破壊・労働者の破壊・デフレによる生産組織の破壊を防ぐ保護対策を論じたが、そう考えるとデフレ対策も保護主義であり、生産組織の保護と言えるとしている[110]。
インフレ期待
インフレ期待(inflation expectations)とは、人々の物価の先行きへの見込みを指し、人々の間に一様に物価が上がる(下がる)との見込みが広がると、それが人々の行動に反映され、経済活動にも影響すると考えられている[111]。物価の安定を主な責務とする中央銀行にとっては、インフレ期待をコントロールすることが重要になってくるため、各国中央銀行は常にその動向を追っている[111]。また、インフレ期待は、金融政策への信頼感にも影響されるため、中央銀行への信認の程度を反映するとも言われている[111]。
経済学者のトーマス・サージェントによれば、政府の戦略・レジームに変更があれば民間経済主体は必ずそれに対応して、消費率・投資率・ポートフォリオなどを選択するための戦略・ルールを変更するとしている[112]。例えば政策当局が将来的にインフレを許容する行動をとると予想されるか、或いはそれを許容しないと予想されるかで、消費・貯蓄・投資などに関する企業・家計の意思決定は、大きく異なってくる[112]。
予想インフレ率の推計が政策レジームの変化(またはゲームのルールの変化[113])を検出するために重要な役割を果たす[114]。
経済学者の伊藤元重は「デフレマインドとは、将来にわたって景気が低迷し物価や賃金が下がり続けるという予想が経済に定着していることを意味する。だから消費も投資も増えず、デフレが続く。現在(2012年)の日本の状況で言えば、経済にデフレマインドが定着しているのが、日本経済がデフレから脱却できない最大の理由である」と指摘している[115]。
岩田規久男は「多くの人が抱くデフレ予想をインフレ予想に変えなければ、デフレ脱却はできない[116][117]」「銀行貸し出しは増える必要はない。デフレ予想がインフレ予想に転換すれば企業がため込んだ内部留保を使って生産のための投資を始める[118]」と指摘している。
伊藤隆敏は「期待が変わらなければ賃金や物価の変化も期待できない。皆がデフレ予測を持っていれば賃金も下がるし、価格も下落する。デフレの自己実現的な期待が生じてしまう」と指摘している[119]。
経済学者の根岸隆は「デフレ期待が強まれば投機的動機による貨幣の需要が増え、中央銀行がいくら貨幣供給量を増やしても金利が下がらず、いわゆる流動性の罠に陥る」と指摘している[120]。
経済学者のポール・クルーグマンは「一定の条件が満たされればインフレが起こり、望ましい状況がもたらされる。その条件とは『国家の経済は将来的に落ち込まない』『中央銀行が実際に金融緩和を実現に移す』と人々が信じ、期待することだ。将来インフレが到来すると確信すれば、手元の資産は目減りが予測されるのでおカネを使う理由が生まれる」と指摘している[121]。
片岡剛士は「デフレが続くという予想(デフレ予想)が強固である限り、公共投資といった財政支出(財政政策)を行なったとしても、それが呼び水となって民間投資や民間消費が力強く増加することはない。こういった時には、たんに量的緩和といった形でマネーを供給するのではなく、将来、デフレではなくインフレが生じていくのだという予想(インフレ予想)を形成させることが必要となる。このための手段として有効なのがインフレターゲット政策で、たんなる量的緩和ではなく、インフレターゲットつきの量的緩和が必要となるわけである」と指摘している[5]。
経済学者の浜田宏一は、インフレ期待ついて「人々の期待がそのまま実現する社会は存在しない」とした上で「日本銀行の物価目標が達成されなくても、(結果的に)景気がよくなればよい」との見解を示している[122]。
金融政策
岩田規久男は「物価上昇率と貨幣供給の増加率との間には、高い相関関係がある」と指摘している[123]。岩田は「デフレ予想をインフレ予想に転換できるのは金融政策だけである」と主張している[92][116]。岩田は「金融政策で予想に働きかけることを不安視する声もあるが、金融政策は基本的に予想に働きかけるものであり、予想を否定する金融政策はありえない。黒田東彦総裁就任前の日本銀行は、意図せずにデフレ予想に働きかけていた」と指摘している[124]。
岩田は「日銀がマネタリーベースをインフレ率が安定的に上がるまで増やすことを表明すれば、インフレ予想が生まれる。将来、貸し出しや銀行の証券投資などが増え、それに伴って貨幣供給が増えるだろうと投資家が予想するからである」と述べており[125]、高橋洋一は「マネタリーベースを増やせばインフレ予想が高まる」と述べている[126]。
片岡剛士は「デフレは財と貨幣の相対価格である物価の継続的下落を意味するので、貨幣に影響を与える金融政策なくしてデフレを語ることは不可能である」「デフレ予想が根深い状況の下での金融緩和策の効果は、昭和恐慌や世界恐慌の経験に照らすと、金融緩和→デフレ予想の払拭→資産価格上昇→資産効果による消費増、為替レートの円安による輸出増、内部留保を用いた投資増→以上による総需要の増加→将来のデフレ予想ではなく物価の上昇(デフレ脱却)→借り入れ増による金融システムの復活となると考えられる。昭和恐慌や大恐慌からの脱却過程といった成功例においても、金融緩和により即座に貸し出しが進むという状況にはならず、金融緩和の実行から貸し出しが進むまでには、一定の時間的なズレが生じる。金融緩和により、デフレ予想を変え、インフレ予想を早期に形成することが重要である」と指摘している[5]。
池尾和人は「インフレは貨幣膨張によるサポートなしには起こらないが、逆に、金融緩和があれば必ず可能というわけではない。インフレを起こすのは貨幣的要因だけなのかといえば違う」と述べている[127][66]。
財政政策
財政政策を重視する論者によれば、デフレは需要の不足に原因があり、物価下落の期待が形成されている状態なので、金融緩和しても増大したマネーは貯蓄に回ってしまい、国内の投資や消費は増えない。そのため、国債によってマネーを吸い上げて公共投資を行い、需給ギャップを埋める必要がある。金融緩和政策は積極的な財政政策とセットでなければ効果的にデフレを克服することはできないとする[128]。
中野剛志はインフレ抑制のための金利の引き上げは効果的であるが、デフレ解消のための金利の引き下げは効果は乏しいとしている。貨幣価値が上がるデフレでは、経済合理的に考えて、誰も消費や投資をしないという状況になり、民間の力だけでデフレを脱却することは不可能ということになるため、民間以外に消費や投資をする主体である政府が必要となり、政府が金融緩和と同時に財政出動を行うべきであるとしている。日本人によるデフレの認識不足を指摘しており、1990年代-2000年代に本格的な財政出動どころか十分な金融緩和すら行われなかったことをその例証として挙げている。財政出動は効果がなかったという議論を否定しており、その例証として小渕政権と麻生政権の財政出動が景気悪化を食い止め、財政収支の改善をもたらしたことを挙げている。しかし、それらの政権はともに政治的アクシデントで財政出動が十分に行われなかったとしている[129]。
なお中野は「日本は財政危機なので、公共投資は増やしてはいけない」という議論は全く間違いであるとしている。日本は国債を全て自国通貨建てで発行し、その保有者はほぼ日本人で占められている以上、経常収支黒字国なのであり、そのような国が過去に財政破綻した例はない。また、金利の上昇がどうしても懸念されるならば、日本銀行が国債を買い取ればよいとし、ハイパーインフレなども極端な非常時にしか起きないので杞憂であるとしている[130]。
デフレ下の財政出動については岩田規久男は「時間稼ぎにはなるが、財政の持続可能性に影響が出るので、長期的には続けられない」と指摘し、金融緩和のない財政出動だけでは「金利上昇などの副作用がある」と述べている[131]。
田中秀臣は「財政政策には二つの問題点がある。第1に最大で40兆円、最小でも20兆円以上にも達する総需要の不足に対して、通常の財政政策には限界がある。第2に日本の場合、『リカードの等価命題』が働いて財政政策の乗数効果が下がってしまい、政策効果が限定されてしまう。また財政支出を拡大することで、経済に占める政府部門の割合が高まると、経済全体の非効率性をもたらすという問題もある。つまり、財政政策だけではだめで、必ず金融政策と組み合わせてやらなければならない」と指摘している[132]。
深尾光洋は「財政政策は、効果がゼロではないが、公共投資をやった場合でも、用地買収の費用を引いて、乗数を掛けるとケインズ乗数はせいぜい1.4から1.5ぐらい。そうすると、需給ギャップが6%とすると30兆円の財政支出を現状から20兆円増やして、そこで少なくとも横ばいにする。そして、その水準を維持していく必要がある。これは無理だし、むしろ財政の破綻のリスクを高める」と指摘している[24]。
村上尚己は「デフレと流動性の罠においては、政府による公共投資拡大は総需要を増やすプラスの効果がある。それが乗数効果をともなって経済全体の押し上げに波及することが、理論上期待される。政府による公共投資は、主に建設セクターに景気回復効果が集中する問題がある。公共投資が、雇用を含め経済全体を刺激する効果は限られている。そう考えると、脱デフレを後押しするためには、減税や社会保険料削減がより有効な対応かもしれない」と指摘している[102]。
- グローバル・インバランスの是正
中野剛志は、日本はデフレを悪化させずに輸入を増やし、グローバル・インバランス(世界的な経常収支不均衡)を是正すべきだとしている。まず、内需拡大により、デフレを克服し、経済を回復させ、成長軌道に乗せる。そうすると賃金や国民所得は上昇し、物価も上昇に転じて緩やかなインフレになる。こうして国民の購買力が高まると、輸入が増える。このようにデフレを脱却し、緩やかなインフレで成長していけば、デフレにならずに輸入を増やすことが可能であるとしている[133]。
中野は内需を拡大し、デフレを克服する方法としては、デフレになると、民間だけの力だけでは需要を拡大して経済を成長させることはほぼ不可能となる。また、単なる予算のばらまき、法人税減税では、国民も企業も貯蓄するばかりで、投資や消費は行わないので、需要は拡大しない。そのため、経済合理性を無視してでもお金を使える政府による公共投資で需要を創出すべきであるとしている。公共投資が需要と供給のギャップを埋め、需給がバランスして、物価の下落が止まる。そうすれば、企業は銀行からお金を借りて投資するようになり、消費者も支出する方が合理的になる、こうして、民間が投資や消費を増やして需要を拡大するようになったらデフレは終息し、経済は成長し始める。そうすれば政府の公共投資は減らしてもよくなり、政府は需要を拡大しすぎてインフレを引き起こさないように注意しなければならないとしている。この政府の役割の重要性が十分に理解されないので、日本は未だにデフレを脱却できないとしている[134]。
若田部昌澄は「インフレ・デフレと経常収支の黒字・赤字は関係が無い。日本は1980年代はインフレだったが経常収支は黒字だった。インフレ・デフレを決めるのに需要は関係するが、内需にこだわる必要は無い」と指摘している[135]。
賃金の引き上げ
#賃金の下落も参照。
経済学者の伊藤元重は「持続的な物価上昇が実現するためには、賃金の上昇がカギとなる。賃金が上昇していくことで、それが物価にも反映される。そうした連鎖が生まれて、初めてデフレからの完全な脱却が可能となる。ただし、賃金はあくまでも民間企業・労働市場が決めるものである。企業の行動だけに過度に期待してはいけない。賃金を引き上げるためには、雇用を拡大させなければならない。雇用が拡大し、労働市場の需給が締まれば、賃金を引き上げざるをえなくなる。賃金上昇では労働市場における需給ギャップが大きな鍵を握る」と指摘している[62]。
若田部昌澄は「賃金が上がらないと物価は上がらないというのは定説であり、物価だけ先に上がるというのは考えにくい」と指摘している[136]。若田部は「デフレで実質賃金が上がっている状態で、さらに最低賃金を引き上げると、企業は雇用に慎重になる。最低賃金の引き上げが、デフレ不況を解消するほどの需要にならず、悪い効果を与える可能性が高い」と指摘している[137]。
インフレのときには物価以上に賃金が上がるケースが多い[138]。インフレと賃金の上昇は同時には起きず、賃金の上昇が少し遅れるというタイムラグが一般的である[139]。
名目賃金とインフレーションが同じ速さで同時に上昇すると、実質賃金が上昇しなくなり、いったん増加した労働供給量が減少に転じ、統計的に失業率が上昇する[140]。
浜田宏一は「インフレ期待が高まると、雇用増加の機会を失う場合もある。労働者が将来のインフレを見込んで賃上げを要求した結果、実際のインフレ時に名目賃金も上昇することで、実質賃金は変化しない。一方で、労働者がインフレを期待せずに賃上げを要求しなければ、企業はインフレによる実質賃金の低下に成功し、雇用を増やせる」と指摘している[141]。
原田泰は「物価が上がるだけで賃金が上がらなければかえって国民生活は苦しくなるが、私は賃金よりも雇用が増えることのほうが大事だと考えている。(2014年2月時点の日本経済では)賃金は上がっていないが雇用は増えており、雇用・賃金を掛け合わせた賃金の支払い総額は増えている。つまり、平均的に見ると国民の生活は苦しくなっていない。こうして雇用が増えていけばいずれ人手不足が起こり、人手を集めるために賃金は上昇を始める[142]」「(2007年の)日本経済が良い要因は雇用の拡大である。雇用が増えたのは賃金上昇を抑えたからである。賃金が上がらずに雇用が増えたのはジレンマだが、仕方がない。賃金を上げれば、失業率が高かった元に戻ってしまう。2002年までの『失われた10年』の間は、景気が悪いのに賃金が上がり続けた[143]」「失業率が下がっていけば、いずれ賃金は上がる。しかし、雇用が伸びる前に賃金を上げては、かえって雇用の伸びを妨げることになりかねない[144]」と指摘している。
岩田規久男は「インフレ予想が高まり需給ギャップが改善すれば、企業は需要の増加に対応し、実質賃金を引き上げてでも雇用と生産を拡大させていく」と指摘している[141]。
池尾和人は「賃金の名目収入を下げるということについて抵抗感があるし、それが維持されているから緩やかなデフレが続いているということがある。それを考えると、緩やかなデフレの下で名目賃金を止めておくとすると、その緩やかなデフレに見合うだけの労働生産性の上昇が全く発生していないと、それは経済全体としては辛くなる。そういう意味で、マイルドなインフレーションの状況のほうが経済調整がやりやすいから、そういう状況がコストなしに実現できるのであればその方がいい」と指摘している[66]。
日本のデフレの原因について
大恐慌時のデフレ不況
世界恐慌の原因は世界各国が金本位制への復帰に固執したことにある[145]。日本は政策担当者たちが旧平価による復帰に固執したことによって、デフレ政策を意図的に選択し、デフレ不況を追求した[145]。関東大震災の復興需要が切れデフレになったところに、浜口雄幸内閣が財政引き締めを重ね昭和恐慌が起きた[146]。
田中秀臣は「当初は、金本位制への復帰は為替レートの安定を目的とするものであったが、次第に金本位制復帰によるデフレ圧力によって非効率部門を淘汰するという別のイデオロギーに変化していった」と指摘している[147]。
平成のデフレ不況
1990年後半以降、日本の金融機関は公的資金の投入を受けながら、不良債権の圧縮と経営基盤の強化に努めたが、その影響は信用収縮による長期デフレという形でマクロ経済に波及した[148]。GDPデフレーターという総合的な物価指標で見た場合1997年の消費税引き上げという特殊要因を除けば日本のデフレは1994年第3四半期から続いている[149]。デフレ現象が現実に起こった国は第二次世界大戦後においては、1990年代以降の日本以外にない[149]。日本の長期デフレの原因をめぐっては専門家ごとに様々な説が唱えられており、デフレが始まって16年以上も経つにもかかわらずにコンセンサスが得られていない。
2012年4月21日、ワシントンで行われたフランス銀行主催のパネルディスカッションで、日本銀行の白川方明総裁は日本について「人々が将来の財政状況への不安から支出を抑制し、そのことが低成長と緩やかなデフレの一因になっている」と述べている[150]。
2012年6月4日、白川総裁は都内の講演で「少子高齢化とグローバル化という構造変化への対応が遅れていることが、低成長、ひいてはデフレの基本的な原因」と指摘している[151]。池尾和人も同様の指摘をしている[79]。
伊藤元重は「日本のデフレの原因として、バブル崩壊による株価・地価の下落(資産デフレ)、銀行の不良債権の増加、大量の企業倒産などが考えられる」と指摘している[152]。
経済学者の齊藤誠はデフレの原因について「資源価格の上昇と国際競争力の低下による海外への所得流出にある」とし「金融政策で克服するのは難しい」と述べている[153]。
森永卓郎は「1997年には、橋本内閣が消費税率引き上げ、医療費の本人負担の3割への引き上げ、特別減税の廃止という、9兆円のデフレ政策をぶつけて、15年にわたるデフレを引き起こした」と指摘している[146]。
1997年から始まった日本の金融危機について、FRBが研究を行ってきたことは広く知られており、危機が訪れたとき、デフレ阻止に向けて急速な金融緩和を行うべきであるという結論は、インターネット・バブル崩壊と「世界デフレ」の危機に関しては予期した以上の成果へ結びついた[154]。FRBは2002年7月に「デフレ防止策について1990年代の日本の経験の教訓」というFRBスタッフによるディスカッションペーパー[155]を公表し、そのなかで日銀が阪神・淡路大震災後も金融スタンスを変えなかったことや、1997年に消費税を増税したことに言及し、財政構造改革の政策スタンスを転換し所得・消費税等を引き下げることにより経済を刺激できた可能性について言及している[156]。経済学者の田中秀臣などはこの論文を引用し1990年代のこれらの政策態度により日本は完全な長期停滞に突入したと論じている[157]。
経済学者の松尾匡は「民主党政権の財政削減、紙幣発行の引き締め、官僚批判、規制緩和、コミュニティやNPOによる公財政の身代わり、エコロジー志向といった路線の姿勢は、人々がモノやサービスを買おうとする力を停滞させ、デフレ不況を深刻化させた。倒産や失業や不安定な雇用に苦しむたくさんの人々の期待を裏切った」と指摘している[158]。
岩田規久男は「2011年3月現在の日本経済はデフレの状態にあるが、デフレの最中の増税によって内需が減少すれば、一層のデフレになる」と指摘している[159]。
日銀理論
経済学者の飯田泰之は「日銀は自身でゼロ金利政策・量的緩和政策を実施しながら、効果に疑問を呈する発言を重ねてきた経緯がある」と指摘している[160]。
経済学者のポール・クルーグマンは「日本銀行は、『デフレは悪くない』『デフレは中央銀行の力が及ばない要因によって引き起こされた』と訴える報告書・声明を出す傾向にあった。これこそが、日本のデフレからの脱却を妨げるものだった」と指摘している[161]。
原田泰は日銀の理論について「これまで日銀は、銀行貸出が伸びない限り金融政策には効果がないので実体経済には何も起きない。金利がゼロになったら金融政策は何もできない。物価は金融政策では決まらない。何も起きないからとどんどん量的緩和を進めていくと日本銀行のバランスシートが悪化し、円が暴落する。日本銀行のバランスシートの拡大は通貨の信認を揺るがす。一度インフレになったら止めることは出来ずハイパーインフレになる。デフレは、中国から安価な製品が流入してくるからである。人口や成長力などの実体経済によってインフレ率が決まる等々と唱えてきた」と述べている[162]。
高橋洋一は「『物価は金融政策では決まらない』を基本とした『日銀理論』は、その変形バージョンがたくさんある。これらは金融政策無効論とデフレ責任転換論に大別できる」と述べている[163]。
日本銀行の責任について
高橋洋一は「普通の国の金融政策は、物価上昇率を1-3%にするのが当たり前だ。言い換えれば、金融政策でGDPギャップを埋めている。GDPギャップがあるうちは、デフレになるからだ」と述べている[164]。
池尾和人は「望ましい水準を実現できていない日本銀行には、責任がある。なぜ達成できていないか、誠実に説明しなければならない義務がある」と述べている[67][100]。
経済学者の片岡剛士は「デフレからの脱却にもっとも大きな影響を及ぼすのは、中央銀行の金融政策である[165]」「15年にわたりデフレに陥っており、このデフレには日銀による金融政策運営の問題が大きいと考えている[166]」と指摘している。
経済学者の浅田統一郎は「日本のデフレ不況の主要な原因は、20年間に渡って続いた、日本銀行による極度に消極的な金融政策である」と指摘している[167]。エコノミストの飯塚尚己は「日本経済がデフレ下にあるのは、日銀の政策が繰り返し失敗に終わった結果である」と指摘している[168]。経済学者の岡田靖、飯田泰之は1991年以降の日銀の不十分な金融緩和策政策が、長期に及ぶ債務デフレとデフレ予想の定着をもたらしたと結論づけている[169]。
星岳雄は「日本銀行は、世界金融危機後、他の先進国の中央銀行のように、思い切った量的金融緩和を行ってこなかった。量的緩和を行った時にも『デフレは金融政策で解決できる問題ではない』と言い続けた。結果、将来の期待に影響を与えることができず、金融政策の効果を自ら減退させてしまった」と指摘している[93]。
若田部昌澄は「日銀は消費者物価指数上昇率0%あるいはデフレを目標として金融政策を運営しているのではないかという疑いさえある」と指摘している[80][170]。高橋洋一は「日銀は『インフレ目標』ならず『デフレ目標』を持っているのかとさえ思えてくる[171]」「日銀は2000年以降、物価上昇率をマイナス1-0%に運営してきた。この実績を見る限り、酷いデフレにならないように、しかしデフレ脱却はしないように、日銀は『デフレ・ターゲット』をしてきたといっていい[164]」と指摘している。
2011年9月7日、白川日銀総裁は、金融政策決定会合後の記者会見で「日銀のマネタリーベースの対国内総生産(GDP)比は24.6%に達しており、米連邦準備理事会(FRB)の17.4%や欧州中央銀行(ECB)の11.5%を上回っている」とし、金融緩和が足りないとの批判について「明らかに事実に反している」と反論している[172][173][174]。
それに対し高橋洋一は「日本は現金決済取引が多いので、以前からマネタリーベースの対GDP比は、カード決済などで現金をあまり使わない欧米より高かった。問題はマネタリーベースの対GDP比の『水準』ではなく『変化』である。マネタリーベースの対GDP比の変化でみても、日本の金融緩和は足りない」と指摘している[174]。
浜田宏一は「日本は現金社会なので、ベースマネーの比率が多いのは当たり前。対GDP比での議論はまったく意味がない」と指摘している[175]。
経済学者の本田悦朗は、日本が15年間デフレから脱却できなかった原因は「日銀のみならず、財務省にもある」としつつ、最大の要因は「日銀の政策目標が明確でなかったこと」と総括している[176]。
為替との関係
経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは「日本のデフレの原因は、為替の影響が大きかった。円安が続けば、その状況は変わる。現実問題として、アメリカが金融緩和を進めれば、円高になるので、対抗することが必要だ」と指摘している[98]。
バランスシート不況論
1990年代初めに、資産デフレをきっかけとした債務デフレによるGDPギャップの拡大が起きたため、景気の悪化とともに、その後の長期経済停滞をもたらしたとする説[177]。
岩田規久男は「債務デフレだけでは経済の長期停滞は起きない。長期停滞の原因は、将来もデフレが続くという『デフレ予想の定着』にある」と指摘している[177]。
構造デフレ論
デフレは貨幣的な現象ではなく構造的な現象であって、金融政策では克服できない[178]。デフレの原因は、合理化やグローバル化の進展によってもたらされている、構造的な供給過剰だからであるという説[179]。
経済学者の野口悠紀雄は「日本とアメリカの物価動向は、大きく違う。日本はデフレになったが、アメリカはならなかった。問題は、雇用の受け皿だ。アメリカでは製造業より生産性が高いサービス業が引き受けたのに対して、日本では製造業より生産性が低いサービス業が引き受けたのだ。ここに大きな違いがある」と指摘している[180]。
福井俊彦元日本銀行総裁は「デフレの背景には金融政策の対象である貨幣的現象以外に世界経済、日本経済それぞれの構造変化という側面もある。ひとつの手段(金融政策)で対応できるとは考えづらい」と述べている[181][182]。
経済学者の榊原英資はグローバリゼーション・技術革新を背景として生じているような『構造的デフレ』に対しては、財政・金融政策は無力であると主張している[183][182]。竹中平蔵は「グローバリゼーション・技術革新によって、相対的にモノが安くなること(相対価格の下落)はよいことである。ただし、物価全体(一般物価)が下がり続けるという状況は避けなければならない」と指摘している[184]。
中野剛志はエマニュエル・トッドの指摘を引用し、2000年代のグローバル化で先進国の労働分配率が下落しており、グローバル化がデフレ圧力になるとしている。日本がデフレになった決定的な原因は、橋本政権の時の緊縮財政や消費税増税であるとしているが、グローバル化の下で日本以外ではデフレ圧力が顕著に見られない原因は、借金をしてまで消費を続けていたためであるとしている。特にアメリカは、モノ、ヒト、カネのグローバル化によってデフレ圧力があったのを、2000年代は金融化で隠していたものの、住宅バブルの崩壊以降はデフレの危機に陥っているとしている[185]。中野は1990年代になり、アメリカの新自由主義の影響を受けた構造改革派が主流になり、高コスト構造の是正を目指すべきという議論が広まっていったが、デフレが始まる最悪のタイミングであったとしている。グローバル化の時代だから国際競争力が必要である、新興国の低賃金労働者に勝つために日本も低賃金にならないといけない、だからデフレでいいということになり、デフレ現象はグローバル化と整合的であったとしている[186]。
経済学者の野口旭は「デフレの原因とは、あくまでもデフレ・ギャップすなわち『総供給と総需要の差』であるから、総供給の変化だけを見ても、一般物価がどう動くは分からない。たとえば、総供給の拡大と同程度あるいはそれ以上に総需要が拡大すれば、デフレはまったく起こらない。つまり、仮に総供給がどう変動しようとも、マクロ政策によって総需要さえ調整できれば、需給ギャップを縮小させることは常に可能である」と指摘している[182]。
高橋洋一は「企業の生産性を上げることは出来ても、国全体として生産性を上げることは難しい。国の生産性を上げる方策があれば、世界中で貧困国などなくなる。生産性とデフレに関係性はない 」と指摘している[187]。
池尾和人は「円安になるということは、生活水準を落とすことだというのは認識しておく必要はある。インフレになるということも購買力が失われて、資産の実質価値が失われることだと認識しておくべきだ。だから、雇用そのものが失われてしまうより、少し購買力が失われるほうがいいだろう」と指摘している[66]。
- 聖域なき構造改革
池尾和人は「需給ギャップの解消のために、今(2002年)の日本の産業構造というのは、潜在的な需要構造とミスマッチを起こしている部分が非常に多い。全体としては超過供給という形になっているが、目に見えない超過需要がいっぱいある。需給ギャップを調整するために産業構造調整が必要である」と指摘している[66]。
伊藤元重は「もし成長戦略がサプライサイドで効いてくるとしたら、物価を下げる要因として働きかねない。需要が増えない中で供給力だけが増えれば、物価を下げる圧力として働く」と指摘している[188]。
中野剛志は構造改革とは、規制緩和、自由化、民営化、緊縮財政などによって新規参入者を増やし、自由競争を促し、産業の生産性を向上させようという政策であるが、こうした政策はいわゆる新自由主義という理念に基づく政策であり、1970年代の終わりから1980年代にかけてアメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相が推進し、1990年代以降の日本の聖域なき構造改革も同様であったとしている[189]。しかし、1970年代の終わりから1980年代の欧米はデフレよりインフレが問題であった。インフレはデフレと逆で、貨幣価値が自然と下がっていく。賃金労働者が多い中産階級は、現金をもっているとその価値が下がっていくため、中産階級の没落が懸念された。つまり、インフレで生じる階級格差の問題が当時は心配されていたとしている。これに対して1990年代の日本はバブル崩壊後の不況でデフレが懸念される状況にあったにもかかわらず、新自由主義的な構造改革を断行した結果、10年以上もデフレから脱却できないという事態に陥ったとしている。デフレは資本主義の心肺停止状態であり、経済そのものが失速していく。そのため、人工心臓を付けてでも、生き返らせなければならない。その人工心臓が政府の財政出動であり、政府が心肺停止した民間に代わって経済活動を行い蘇生させなければならないとしている[190]。
経済学者の星岳雄は「構造改革による生産性向上が必要であるとの考えには賛成するが、それだけではデフレの解消につながらない。むしろ、デフレではあってもデフレスパイラルには陥らなかった原因は、国内産業の生産性が上昇しなかったからだという皮肉な現実もある。構造改革が成功すると、総需要がさらに不足する可能性もある。マクロ的な拡張政策とミクロ的な生産性の上昇を促す政策の両者が必要である」と指摘している[191]。
野口旭は「構造改革の目的とは経済の効率化であり、マクロ経済政策の目的とは、マクロ経済の安定化である。政府による政策の目的・手段の割り当てをとり違えてはならない」と指摘している[192]。
岩田規久男は「政府がデフレ下で、財政支出の大幅なカットや増税によって、財政構造改革を強行すればデフレや失業率は悪化し、マクロ経済は不安定になる。1997年の橋本内閣はその典型的な例である」と指摘している[193]。
輸入デフレ論
日本のデフレは、中華人民共和国を初めとした新興国からの安価な輸入品の増加によって引き起こされたとする説[182][194]。中国を中心とするアジア諸国の工業化が急速に進んだ結果、これらの国々からの廉価な製品が流入しそれが日本の物価を押し下げる原因であるとしている[195]。
ITによるコスト削減について
根津利三郎は「ITによるコスト削減は先進各国共通。むしろ設備投資に占める情報関連投資の割合の低さから、日本ではIT活用によるコスト削減は他の国よりも遅れている」と指摘している[196]。
人口減少デフレ論
藻谷浩介は日本のように高度に発展した社会では高齢化の進行が耐久財分野での有効需要の減少をもたらしデフレの要因となっており、従来型の金融政策ではなく高齢者世代から若年者世代への所得の移転を税制などにより促すことが必要であると論じる。一方で民間の論調は人口減少デフレ論には懐疑的である。ダイヤモンドZAi2011年5月号は「2011年現在韓国、ロシア、東欧諸国は人口が減っているが、名目GDPは成長を続けている」と論じている[197]。
内閣府『平成23年度経済財政白書』で、生産年齢人口の減少がデフレの原因であるか否かを検証している[5]。各国比較を行なってみると、生産年齢人口の減少と物価下落が併存している国は日本だけという結果が得られている[5]。一方で、将来の生産年齢人口の減少は、期待形成を通じて将来の物価動向や成長率を押し下げるという可能性が指摘されている[5]。
2010年11月4日、白川日銀総裁は、都内で講演し、「労働力人口の減少が日本経済にボディーブローのように効いている」と指摘。人口減少に伴う成長率の低下が、「長期の需要低迷やデフレの原因となっている」と述べた[198]。また2012年5月30日白川総裁は、日銀金融研究所主催のコンファレンスで、日本の人口動態の変化が成長率に影響しているとの見解を示した。白川総裁は、「2000年代の10年間について先進24カ国(OECDに1990年代までに加盟した高所得国の内1990年代以降の生産年齢人口と、GDPデフレーターが利用可能な24カ国[199])の人口増加率とインフレ率を比較すると、両者の間に正の相関が観察されるようになっている。マネーの増加率とインフレ率の相関が先進国で近年弱まってきていることと対照的だ」と述べ、「将来起こる成長率の低下を先取りする形で、需要が減少し、物価が下落する一因となった」と述べた[200]。
白川のレポートについて高橋洋一は「OECD加盟国34ヵ国のうちスロバキア(2000年12月14日加盟。)、チリ(2010年5月7日加盟。)、スロベニア(2010年7月21日加盟。)、イスラエル(2010年9月7日加盟。)、エストニア(2010年12月9日加盟。)は除かれている。これらの国は人口減少もしくは人口増加率が大きくないにもかかわらず、インフレ率が高い国だ。これらを除くと、見かけ上は人口増加率とインフレ率が相関をもっているように数字操作ができる。さらに5ヵ国を除いているが、これらがどのような国なのか、資料からは分からない[201]」「過去のデータを散布図にしても、人口減少によってデフレになるというデータはない[202][167]」「人口減少は日銀には手が出せない分野だからデフレや名目GDPの低迷は日銀の責任でないという言い訳[203]」と指摘している。
高橋は「世界各国のデータを調べても、人口減少の国は20か国近くあるが、日本だけがデフレで名目GDPの伸びは日本が世界最低[203]」「世界のデータを見ても、一般物価増減については、人口増減とはまったく関係がなく、通貨量と関係がある[204]」「デフレや名目GDPの低迷はマネーの伸び率をコントロールしている中央銀行の責任[203]」と指摘している。
岩田規久男は「デフレの原因として、生産年齢人口が減っているからだという説があるが、生産年齢人口が減っているのは日本だけではない。白川総裁は生産性が低いことをデフレの理由に挙げているが、日本よりも低い国はいくらでもある。デフレなのは日本だけだ。貨幣以外がデフレの原因だという説は、データを国際比較すれば、破綻する」と指摘している[205]。
ポール・クルーグマンは「日本経済における大きな問題は少子高齢化にあり、その結果が投資需要を縮小させ、実体経済に多大な影響をもたらす。しかし、そうした条件下の経済では必然的にデフレになるという考え方は間違いだ」と指摘している[161]。
浜田宏一は「経済成長のために、人口増は絶対必要である。しかし、『人口減がデフレの要因である』と言ったまともな経済学者はいないが、日本ではそれが盛んになって、日銀の白川方明総裁までそれに乗って喋っていた状態である」と述べている[206]。浜田は「人口がデフレの要因であるというのは、理論的にも実証的にも根拠がない[207][208]」「もちろん人口は成長の要因にはなるが、実質生産に人口・生産年齢人口が影響するのは当たり前のことである。しかし、貨幣的現象である物価・デフレに人口が効くというのは、経済の解剖学である『国民所得会計』、経済の生理学である『金融論』から見ても、まったく的外れな議論だ[208]」と述べている。
片岡剛士は「世界と比較しても、デフレと人口減少が併存している国をみつけることは難しい[209]」「デフレは、総需要が総供給を下回る、もしくは支出のスピードが供給のスピードを下回ることから生じる。人口減少は、中長期的な成長力(供給力)を低下させるため、インフレ要因であってデフレ要因ではない。人口減少がデフレに繋がるという議論は『人口減少により国内市場が縮小する』という認識によるのものだろう。もし人口が減り国内市場が縮小するとの見通しが高まれば、企業は海外に進出して国内需要減少分を輸出で補おうとするはずである。さらに、少子高齢化が進む未来にあっては、市場構造が現在とは異なるだろう。高齢者が増えれば、高齢者のニーズを反映した商品を供給しようと市場は変化するはずだ。産業構造は変化していくため、現状の産業構造にもとづいて国内市場の縮小を論じることは意味がない[210]」と指摘している。
アダム・ポーゼンは「日銀はデフレの原因は人口構成などの要素によるものでインフレを創出させようとするのは無意味だと考えているが、それは自滅的な予言である」と述べている[211]。
賃金の下落
不況が深刻化すると、企業は賃金カットといった人件費抑制に手をつけざるをえなくなるため、デフレは一段と進みやすくなるとされる[212]。国税庁の統計によると、民間企業の年収は1997年の467万3000円をピークに下落し、2011年は409万円となっている[213]。
黒田東彦日本銀行総裁は物価と賃金の関係について「大まかに見れば、物価と賃金はシンクロ(同期)して動いている」と述べている[214]。
エコノミストの高橋進はデフレの原因は「リストラや非正規雇用を増やし、賃金が下がったことにある」と指摘し「個々の企業がよかれと思ったことが経済全体には大きなマイナスだった」と述べている[215]。
根津利三郎は「デフレが日本特有の現象である以上、原因も日本特有のものがあるはずである。それは日本でのみ賃金が傾向的に下がり続けていることである。賃金が下がれば、勤労者は購買力を失う。そのため企業は価格を下げて販売量を維持しようとする。価格が下がれば生産性の向上がない限りコストを下げるため賃金のカットが避けられない。こうしてデフレと賃金下落のスパイラルが続いているのが日本の現状である」と指摘している[196]。
榊原英資は「賃金が下がり続けた原因は(低賃金の国と競争する)グローバリゼーションである。世界と競争する企業は賃金を上げろと言われても上げられない」と述べている[215]。
経済学者の吉川洋は「デフレはマネーではなく、賃金で決まる」と述べている[216]。それについて高橋洋一は「マネーがデフレと賃金を決める」と反論している[216]。
デフレの歴史
古代中国の経済政策書『漢書』には、デフレが民の生活を阻害したことが記されている[30]。
1880年代前半の日本では、大蔵卿(1885年(明治18年)の内閣制度発足に伴い、大蔵大臣)の松方正義が緊縮財政を行い、それまで濫発されていた不換紙幣を償却し、日本銀行を設立して銀本位制が実現された。この緊縮財政の結果、日本はデフレ不況となった(松方デフレ)。
19世紀末、金本位制の影響でアメリカは年平均1.5%のデフレであった[217]。その後、南アフリカで金鉱が発掘され金の生産量が増大したことや金為替本位制が導入されたことなどの結果、1896年にアメリカのデフレは止まった[218]。
日本では、第一次世界大戦後、日本全体の物価が下落し、失業率が上昇するデフレ不況となった[219]。また、濱口雄幸首相と井上準之助蔵相が緊縮財政を行い、1930年に円切り上げ(円高)となる旧平価で金本位制に復帰し(いわゆる金解禁)、デフレ不況となった。日本の昭和恐慌期の年間の物価下落率は10%を超えた[220]。翌1931年には11.5%の物価の下落が起きた[221]。日本は、1920-1931年の12年間は、1920、1924、1925年を除くと消費者物価指数が対前年比マイナスの長期のデフレであった[222]。1926-1931年の6年間、日本のデフレは続いた[223]。1920-1932年の消費者物価の対前年比はマイナス3.2%であった[224]。
ベン・バーナンキの研究では、金本位制に復帰していなかった、或いはいち早く1931年までに離脱したスペイン、オーストリア、ニュージーランドは物価の下落は軽微で回復が早かった[225]。1931年に離脱した日本、イギリス、ドイツも比較的ダメージは軽微であった[226]。1932年から1935年まで離脱が遅れたアメリカ、イタリア、ベルギー、ルーマニアはデフレが長く続き、特にアメリカはデフレが4年間収束しなかった[226]。1936年まで離脱しなかったフランス、オランダ、ポーランドは不安定な社会状況であった[226]。
世界恐慌下のアメリカ合衆国においては、当初、財政均衡主義が主流だったため、ビルト・イン・スタビライザーの効果が低下し、デフレスパイラルに陥った。設備投資はほぼ壊滅的とも言えるほど減少し、失業率が25パーセントにのぼった。
1932年、オーストリアのヴェルグルで、デフレ対策として地域通貨が導入され画期的効果をあげた[227](後に中央通貨令により禁止された[228])。
1936年の夏以降、インフレを懸念したFRBは金融の引き締めを決意し実行したが、これが失敗に終わり、再びアメリカはデフレ不況に戻る[229]。大恐慌時代のフランスは、イギリスや日本をはじめ各国が金本位制から離脱していったにもかかわらず、長期的に金本位制に固執し、フランの価値を維持しようとしたため、アメリカよりも長くデフレ不況が続き、社会は深刻な分断状態に陥った[230]。
第二次世界大戦後、1949年に超均衡予算を中心とするドッジ・ラインが実施されて、デフレ不況(ドッジデフレ・安定恐慌)が起こった。
急激な利上げと総量規制による貸出の制限でマネーサプライの伸びがマイナスになるほどの引締め政策でバブル崩壊が起きた日本では1992年以降、ディスインフレーション(物価上昇率の低下)の傾向を示すようになり、1997年(平成9年)の消費税等の増税・歳出削減などの緊縮財政により日本の消費者物価上昇率がマイナスになり、デフレの様相を呈するようになった。同年に発生したアジア通貨危機や、これに続いた日本の金融危機も原因として挙げられている。日銀による2000年のゼロ金利政策解除や2001年の国債30兆円枠による緊縮財政、民営化、規制緩和などの誤った経済政策により、日本のデフレはさらに激しくなった。
1990年代から21世紀初頭に日本において見られた資産価格のデフレーションは、主に中央銀行(日本銀行)の金融引き締めがその原因の一つであったと考えられており、1990年代以降の日本の経済停滞(いわゆる「失われた10年・失われた20年」)の相当部分は、日銀の金融引き締めに端を発した資産デフレに責任があるとする向きもある。
2001年3月、日本政府は日本経済が「緩やかなデフレ」状態であることを公式に認めた[6]。同年3月19日からデフレ期待を解消し停滞を打破するために日銀の量的緩和が開始された。この政策には、ゼロ金利の長期化が予想されることで中長期の金利を低下させる時間軸効果があるとされる。名目金利は0パーセントまでしか下げられず、デフレ下ではそれ以上の金融緩和ができない(流動性の罠)とされるが、インフレ期待などを通じた間接的な効果があるかどうかについては、様々な議論がある。
アメリカの2001年10-12月期のGDPデフレーターは、約50年ぶりにマイナスとなった[8]。
2006年、2002年からの緩やかな景気回復により消費者物価指数ベースでのデフレ終了が見込まれ日銀の量的緩和が解除された。しかし、生鮮食品と石油関連価格を除いた実体的な物価を表すコアコアCPIを見ると、日本はまだデフレ傾向にあったため、翌年の2007年から景気の転換局面に入ってしまった[157]。
2008年の世界金融危機とそれに伴う不況により、デフレスパイラルは日本のみならず世界規模での再来が懸念された。日本以外の国の中央銀行は、総需要を増加させるために自国の市場に大量の資金を投入したが、日銀は金融緩和余地の少なさを理由に量的緩和をほとんど行わなかったため、日本のコアコアCPIは0%を下回り、その後約-1.5%まで下がった[157]。
2009年、ハイパーインフレーション国家だったジンバブエがデフレーションに転じた。2009年1月の消費者物価指数は前月と比べて2.3%下落し、翌2月も前月比3.1%の下落となった。
2009年11月20日、日本政府の月例経済報告において、日本が「緩やかなデフレ状況にある」と3年5ヶ月ぶりにデフレを認めた[231][232]。同年12月18日、日銀の白川方明も日本がデフレ状態であることを認めた[233]。
2014年1月16日、国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事は、ワシントン市内で講演し、日米欧などの先進国経済について「多くの国でインフレ率が中央銀行の目標を下回っており、デフレのリスクが高まっている」と指摘した[234][235]。また、先進国でデフレが現実となれば「回復には壊滅的な打撃となる」と強調し、「デフレを断固として退治する必要がある」と警戒を呼びかけた[234][235]。
ディスインフレーション
物価上昇率(インフレ率)が低下すること、即ち、物価は上昇しているが大きく上昇しなくなることはディスインフレーション (disinflation) 、略してディスインフレであって、デフレではない。デフレーションは物価上昇率(インフレ率)がマイナスになることである。
リフレーション
リフレーション (reflation・略称リフレ)は過剰設備の解消に因って物価下落率が縮小し物価上昇率が0以上に向かうことである。
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参考文献
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- 世界デフレは三度来る 下 著:竹森俊平 出版:講談社 刊行:2006年
- テンプレート:PDFlink テンプレート:Ja icon 北村行伸 金融研究 第21巻第1号 2002年3月
- テンプレート:PDFlink テンプレート:Ja icon 北村行伸 金融研究 第21巻第1号 2002年3月(IMES DISCUSSION PAPER SERIES)
- デフレ脱却の意義を説明する。 - 内閣府 2013年2月27日
- 篠原総一「経済を通して学ぶ歴史 〜江戸時代の経済政策〜」経済教育ネットワーク
関連項目
- インフレーション
- 資産デフレ
- 良いデフレ論争 - 同じ金額の貨幣でより多くのものを買えるようになるデフレーションが景気(経済成長率)の拡大を伴うという意見もある。これを良性と悪性とに分類しようとする議論があった。
- 輸入デフレ論 - 輸入デフレ論も良いデフレ論も相対価格(個別価格)と一般物価を混同した初歩的な誤りである。
- 円高不況
- リフレーション
外部リンク
- テンプレート:PDFlink テンプレート:En icon 『デフレーション - 問題の概観』 (スウェーデン国立銀行)
- スウェーデン国立銀行「デフレ:問題の概観」 テンプレート:Ja icon 上記の翻訳(一部分のみ)