竹中平蔵
テンプレート:政治家 竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年3月3日 ‐ )は、日本の経済学者。元経済財政政策担当大臣、元金融担当大臣。現在、政府産業競争力会議(民間)議員、国家戦略特別区域諮問会議の(有識者)議員を務める。パソナグループ取締役会長。NPO法人の万年野党アドバイザリーボード。慶應義塾大学総合政策学部教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授、慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長、アカデミーヒルズ理事長。専門は、経済政策。
経歴
生い立ち
和歌山県和歌山市小松原通にある商店街の小さな履物小売商[1]の次男として、1951年(昭和26年)に生まれる[2]。実家は近所では比較的裕福な家庭で[1]、実兄の竹中宣雄は、後にミサワホーム社長となる人物であった。
和歌山市立吹上小学校、和歌山市立西和中学校、和歌山県立桐蔭高等学校に進む。当時は社会の貧富の差に矛盾を感じ、高校の倫理社会の教師から「大学に行ける君たちは、行けない人の分まで勉強しなきゃいけないんだ」テンプレート:Sfnと言われて強い印象を受けた他、同校2年在学中、1967年11月、和歌山市の「第4回全国高校生部落問題研究集会」に出席し、和歌山県の或る集落の出身者が過酷な就職差別を受けたという報告に接して怒りで顔を真っ赤にしたこともある[1]。1973年(昭和48年)に一橋大学経済学部を卒業[2]。大学では山澤逸平ゼミナールに所属していたが、当初は小島清ゼミナールへの参加を希望していたという。仁坂吉伸和歌山県知事とは高校の同級生である。
博士取得まで
日本開発銀行設備投資研究所で初代所長を務めていた下村治にあこがれ[3]、1973年(昭和48年)、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。1977年(昭和52年)、同設備投資研究所勤務、1981年(昭和56年)、ハーバード大学、ペンシルベニア大学客員研究員。ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。1982年(昭和57年)、大蔵省財政金融研究室(後の大蔵省財政金融研究所)に出向し、次席主任研究官となる。当初2年の予定だったが、行動力がありローレンス・サマーズやジェフリー・サックスの知り合いだった竹中を気に入った長富祐一郎次長(のちに大蔵省関税局長)の希望で、5年間研究官を務めた。長富からは研究所への移籍をすすめられたが、これを断っている[2]。ちなみにこの時の部下の一人が高橋洋一であった。
同研究所在籍中の1984年(昭和59年)には留学中の研究成果をまとめた『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)と題す著作でサントリー学芸賞を受賞(ただし佐々木実『竹中平蔵 仮面の野望(前編)』(月刊現代2005年12月号)では当時の設備投資銀行の同僚の鈴木和志(現在明治大教授)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大教授)の実証分析の結果を無断で使用していた事実が指摘されている[4])。当時の同研究所には、次長の長富祐一郎や筆頭主任研究官の吉田和男がおり、同僚として植田和男、高橋洋一がいた。
大阪大学経済学部教授を務めていた本間正明の誘いで[2]、1987年、大阪大学経済学部助教授に就任テンプレート:Sfn。以降研究者としての道を歩む。しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会での審査に不合格となる。この教授会の決定について、竹中の指導教官だった山澤逸平は、一橋大の失態であると後年述べている[5]。1994年、大阪大学にて博士(経済学)を取得(論文名『日本経済の国際化と企業投資』)。
博士取得後
1989年(平成元年)、日本開発銀行を退職、ハーバード大学教授を務めていたジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェローに就任テンプレート:Sfn。1990年(平成2年)に慶應義塾大学総合政策学部教授を務めていた加藤寛に誘われ、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任テンプレート:Sfn。1993年(平成5年)にアメリカ合衆国に移住。コロンビア大学ビジネススクールにある「日本経営研究センター」(所長はパトリック・ヒュー教授)の客員研究員になる[6]。1994年(平成6年)に大阪大学より博士号を取得。1996年(平成8年)に帰国、同年、慶應義塾大学教授に就任。
日本財団の交付金で設立された基本財産が397億円のシンクタンク東京財団の理事に1997年(平成9年)に就任、1998年(平成10年)、同常務理事、1999年(平成11年)、同理事長。1998年(平成10年)に東京財団内に設けられた「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」には、総理に香西泰(後に政府税制調査会会長)、官房長官に島田晴雄(慶應大教授)と竹中、財政担当大臣に本間正明(大阪大教授、後に政府税制調査会会長)と吉田和男(京都大教授)、金融担当大臣に池尾和人(慶應大教授)と岩田一政(東京大教授、後に日本銀行副総裁)らが名を連ねた。これは実質竹中による政策会議で、自民党議員との交流会も頻繁に開かれ、竹中の紹介で小泉純一郎と会ったメンバーも多くいた[2]。
また日本興業銀行経営アドバイザーや、フジタ未来経営研究所(日本マクドナルドのシンクタンク)理事長、アサヒビール社外取締役等も務めた。
小渕政権
1998年(平成10年)7月、小渕内閣の経済戦略会議(議長:樋口廣太郎)の委員に就任。議長代理の中谷巌を中心とした学者グループの一員として、戦略会議の理論的支柱を形成した。この経験が、のちに竹中が経済財政諮問会議を切り回す土台となったとする説もある。
会議の結論としては、日本の短期経済政策には金融健全化と大胆な財政出動を伴う追加的景気政策が必要とし、内閣総理大臣小渕恵三に対し「10兆円を大きく上回る規模の追加的財政出動」などを提言した[7]。その後、「日本経済再生への戦略」と題した答申を発表した[8]。
森政権
森内閣発足により設置されたIT戦略会議にて委員を務める。森内閣が推進するe-Japan構想に対しさまざまな提言を行った。
小泉政権
2001年(平成13年)の第1次小泉内閣と、2002年(平成14年)の第1次小泉内閣第1次改造内閣で経済財政政策担当大臣。金融担当大臣も兼任する。2003年(平成15年)、第1次小泉内閣第2次改造内閣においても留任、内閣府特命担当大臣として金融・経済財政政策を担当。2004年(平成16年)7月、第20回参議院議員通常選挙に自民党比例代表で立候補し70万票を獲得しトップ当選(史上唯一人の現職民間人閣僚たる新人参院候補)。同年9月、第2次小泉改造内閣において、参議院議員として内閣府特命担当大臣(経済財政政策)・郵政民営化担当に就任。小泉内閣の経済閣僚として、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を標榜する。日本振興銀行に異例の速さで銀行業免許付与。2005年(平成17年)9月、 第3次小泉内閣においても役職はそのまま留任。同年10月、第3次小泉改造内閣においては総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。NHKの完全民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為、頓挫する。2006年(平成18年)9月15日、任期を4年近く残し政界引退を表明。同年9月28日、参議院本会議で辞職許可(これに伴い神取忍が比例繰上当選)。同年11月1日、自民党党紀委員会において9月29日に提出していた離党届が了承された。さらに同日、慶應義塾大学に復帰することが明らかにされた。 国務大臣の在任期間1980日(2001年4月26日 - 2006年9月26日)は戦後の連続最長在任記録である。
小泉政権後
小泉政権後は、慶應義塾大学総合政策学部の教授[9]のほか、日本経済研究センター研究顧問、アカデミーヒルズ理事長、関西大学会計専門職大学院の客員教授を務めている[10]。河野太郎、山本一太、世耕弘成らが結成した勉強会「プロジェクト日本復活」では顧問に就任している。また、人材派遣業のパソナにて特別顧問を務めたのち、同社の親会社であるパソナグループの特別顧問を経て取締役会長に就任した。
顧問団
2008年には韓国政府のアドバイザーとして顧問団に迎えられ、李明博という人物の颯爽と物事に対応する姿勢や前向きな政策論など、李明博が持つ並外れた強さに大いに感銘を受けたと語っている[11]。
公募委員
2012年9月、日本維新の会が、2012年衆院選の候補者を、選定するための「公募委員会」委員長に起用された[12]。
安倍政権
第2次安倍内閣では、2013年1月8日、日本経済再生本部の「産業競争力会議」メンバーに内定[13]。現在は、民間議員という立場にある[14]。
2014年1月からは、国家戦略特区の特区諮問会議メンバーとしても、活動をしている[15]。
2014年1月6日、田原総一朗、宮内義彦ら共に、NPO法人の万年野党を設立。5月31日、国家戦略特区のシンポジウムを東京・六本木で開催した[16]。
政治家として
金融再生プログラム
テンプレート:Main 金融再生プログラムは通称「竹中プラン」と呼ばれ、不良債権処理を推進すると就任時に演説した小泉総理の命を受け、経済財政政策担当大臣に着任、その後の内閣改造では金融担当大臣を兼務した。竹中の手により不良債権処理プログラムが作成され、銀行の資産査定についてDCF法を採用し厳格化すること、繰延税金資産の計上を適正化すること、自己資本比率の劣る銀行は公的資金を注入することなどの方針が定められたテンプレート:Sfn。
資産査定を厳格化した結果、りそな銀行の自己資本比率は基準を下回りテンプレート:Sfn、足利銀行は債務超過であることが判明したテンプレート:Sfn。これらの銀行は預金保険機構により公的資金注入を受け、また粉飾会計を行っていた経営陣は後に刑事告発され有罪判決を受けた。
研究開発費の一律費用処理
会計基準の見直しにより、繰延資産の「試験研究費」を廃止し、研究開発費の一律費用処理を求めた。これについて、田淵隆明はSAPジャパンのコラムや衆議院の消費税の公聴会などで、我が国の製造業の弱体化と人材の流出の元凶であるとして早期の是正を求めている[17]。研究開発投資は設備投資よりリスクが高いとみるのが一般的である。しかし、研究開発投資と同様、設備投資も失敗に終わることは珍しくなく、そうした場合は未償却部分を減損損失として処理し、最悪の場合には埋没費用として処分のための新たな費用を計上する。これらのことを鑑みれば、設備投資に準じて扱うべき研究開発投資が多々存在することもまた事実である。
ところが、日本では単年度ベースでの一律費用処理を求めることとなったため、製造業の弱体化と人材の流出の元凶となっているというのが田淵の主張の主旨である。田淵によれば、G7では日本を除く英・仏・独・伊はもちろんのこと、米・加でも償却資産として資産計上することが可能となっている[17]。実務的には、多くの研究開発案件を抱える大企業は研究開発費用を経年で平準化させ得るが、対外的に収益性を重視せざるを得ない中小企業(近々の株式公開を目指していたり銀行融資に対する旺盛な資金需要を有する伸び盛りの企業等)では、研究開発費の一律費用処理はむしろ悩みの種となる。このためこの問題は現在でも論議を呼び起こしている。
郵政民営化
テンプレート:Main 郵政解散後の第3次小泉内閣にて郵政民営化担当大臣に登用され、法案作成に携わった。これは郵貯・簡保の資金を外資に売り渡すためであったと批判されているテンプレート:要出典。 三ヶ月間の政府与党協議では特に徹底して罵詈雑言を浴びせられテンプレート:Sfn、 総務大臣の麻生太郎とは激しく対立し麻生からは「あんたは霞ヶ関に嫌われている。あんたが言うから、皆反対に回る」テンプレート:Sfn、また官邸閣議では参加者から「いつか仕返ししてやる」と吐き捨てられたテンプレート:Sfn。
当初、野党民主党は欠席戦術を敷いていたが、郵政解散後は審議に参加するようになった。(#郵政民営化広報チラシ問題・#「アメリカ追従」批判)テンプレート:Sfn。
税制
戦後日本の極端な累進課税制は“悪しき結果平等”の価値観を普及させたとして、資本・労働など生産要素に対する課税を大幅に低下させ、かつ税率をフラット化する「フロンティア型の税制」を推奨しており、各労働の潜在能力を積極的に発揮させる意味で、所得税の最高税率を引き下げることが緊急の課題であるとしている[18]。 サラリーマンのうち30%は所得税を一銭も払っておらずテンプレート:Sfn、勤労意欲を失うような税制にすべきではないテンプレート:Sfn、価値を産みだしている人を罰するつもりでないのなら、税にあまり差を付けない方がいいテンプレート:Sfnとしている。また、将来的には、収入に関係なく一律に課税する人頭税へ切り替えることを視野に入れた議論を行うことも必要だとしている[18]。
格差問題
テンプレート:See also 「改革で格差が広がったということはない」と発言している[19]。OECDの統計では、構造改革期に格差が縮小したことが示されている[20]。
今日の格差批判は「金持ちはけしからん」という社会主義的格差感であり[21]、「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」というマーガレット・サッチャーの言葉を引用して、高い所得を得ている人がいること自体は解決すべき問題ではなく、努力しても貧しい人たちに社会的救済が必要であると述べた。ゆえに格差論ではなく、貧困論を政策の対象にすべきとしている[22]。また、「格差ではなく、貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います」[23]と述べた。ただし、政府として貧困調査をきちんとすべきであると発言している[24][25]。
労働政策については、今日本に一番求められているのは積極的労働市場政策テンプレート:Sfnだとし、「団塊の世代の中間管理職が失業すると仕事はない理由は簡単で、役に立たないからです」テンプレート:Sfnとしている。
非正規雇用については、正社員と非正社員の区別自体が妥当でない、オランダのように全員を正社員にするべきであると述べた[26][27]。そのとき正社員個人の所得は低下するが、日本では正社員のほとんどは必要以上の所得を得ていることを指摘した[21]。また、「問題は、今の正規雇用に関して、経営側に厳しすぎる解雇制約があることだ」と主張し、「解雇規制を緩和する、新たな法律を制定することが必要だ」と述べている[28]。「安倍晋三内閣で同一労働同一賃金の法制化を行おうとしたが(労働ビッグバン)、既得権益を失う労働組合や、保険や年金の負担増を嫌う財界の反対で頓挫した」と述べ、経済的不平等の改善には改革が急務であると主張している[25]。
「格差が拡大する、それほど激しい競争は日本社会にはない」とし、「ほとんどが制度的な格差ですよ」と述べている[29]。
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「アメリカ追従」批判
郵政民営化など、竹中が進めた経済政策について、「アメリカのいいなりの経済政策を行っている」(対米従属)という批判に対し、竹中は「民間でできることは民間でやることが国民や国全体のためになるという思いでやっている」(官から民へ)、「アメリカのためにやるなどと考えたこともない」などと答弁した[30]。また、「規制緩和で既得権を失う人たちが、私のことを憎いと思って、そういう感情的なレッテルを無理矢理貼っている。これは抵抗勢力の常套手段です」とも発言している[31]。ノーベル賞経済学者ジョセフ・E・スティグリッツから寄せられた批判では、ワシントン・コンセンサスの実現によって「格差社会」が世界中に広がっているとされ、その中で竹中の経済政策も槍玉に挙げられた。
郵政民営化は小泉就任前の持論であっただがテンプレート:Sfn、野党は米国政府からの「年次改革要望書」などで示されるアメリカの要望に基づいたものではないかと批判し、これに竹中は「だれがどうこう言ったからということではなくて、国民の経済厚生を高めるために改革を行うという点に基づいて私は改革を進めている」[32]、「郵政の問題について外国の方から直接要望を受けたことは一度もない」「報告書の内容をこれまで読んだことはなかったテンプレート:Sfn」と言明した。民主党の櫻井充は、米国通商代表ロバート・ゼーリックから竹中へ宛てた再任祝いの手紙を公表しテンプレート:Sfn、それに絡めて民営化された郵政会社がアメリカに買収される可能性を指摘し「拙速にこういう民営化など必要ない」と主張した[33]が、竹中が個人私信であるレターのコピーを何故持っているのかと切り返したところこれは撤回されたテンプレート:Sfn。
また「新自由主義者」と呼ばれる事に対し、「郵政事業の民営化はオランダでもドイツでもイタリアでも実行されたが、だから新自由主義だなどと評された例はない。私のどこが新自由主義者なのか」「新自由主義だからウンヌンではなく、各論を論議すべき」と発言している[34]。
発言
物価が下がることはよいことであるが、本来ならそれに応じて賃金も下がらなければならない。
2001年、当時経済財政担当大臣であった竹中は『竹中平蔵の「日本が生きる」経済学』(106頁)において、次のように述べている。「物価が下がることはよいことであるが、本来ならそれに応じて賃金も下がらなければならない。ところが、現実は賃金は下げられない。売り上げが下がっても賃金は下げられないため、企業収益に対する労働分配率が上がってしまった」
「ETFは絶対儲かる」発言
2003年(平成15年)2月7日、閣僚懇談会において、各閣僚に上場投資信託(ETF)を積極的に購入するよう要請した同日の記者会見において、記者からETFを買いますかと問われた際、絶対もうかると思うから買うという趣旨の発言をした。
この竹中の発言は、金融市場を監督する内閣府特命担当大臣(金融担当)であるにもかかわらず特定の金融商品の有利性を喧伝している、ETFは元本が保証されない金融商品であるのに「絶対儲かると思うので買う」と発言するのは問題があるなどと批判された。
第156回国会では野党を中心に批判が強まり、仮に証券外務員が顧客に対してこのような発言をすれば違法行為になる、金融のトップがお墨付きを与えたと受け取られるような発言が悪用される恐れがある、などと批判がなされた。まず衆議院財務金融委員会では、五十嵐文彦から「証券会社の営業マンが、絶対もうかるから買いなさいと言ったら、これは言ってはいけないこと」[35]と指摘がなされたうえで、証券会社の従業員が自ら発言せずとも竹中の発言を援用して金融商品を販売した場合、問題になるのではないかと質された[35]。同様に、衆議院本会議において、山花郁夫から「金融担当大臣としてこうした発言をすれば、どこかで悪用されることは十分にあり得る」[36]と批判され「仮に、証券会社の営業マンが、ホームページに掲げられていた旨を告げ、あるいは、そのホームページのコピーを示してETFの勧誘を行った、こういうケースの場合、証券取引法四十二条その他関係法律に違反する」[36]と指摘された。
竹中は当初、「絶対もうかるから買いなさいというような趣旨で言ったのではなく、(記者に)買いますかというふうに聞かれて、投資家として絶対もうかると思っており、買うと言ったのだから訂正云々という問題ではない」[35]としていた。同年2月14日の国会審議にて「誤解されかねない部分があったという面においては、必ずしも適切ではなかった」と自身の発言に問題があったことを認めた[36][37]。また、証券会社が竹中の発言を引用した場合の是非についても、竹中は「証券会社の外務員等が顧客にETF購入を勧誘する際、私の発言を引用し、悪用して、ETFの価格について断定的判断を提供して勧誘していると認められるような場合には、証券取引法に違反する」[36]と認め、誤解を招く可能性があったとして謝罪した。
一連の騒動について、内閣官房長官福田康夫は、「公の場での発言としては多少問題があった」との見解を示した[37]。同日、竹中は金融庁のウェブサイト[38]から該当発言を削除した[39]。
「民営化された日本郵政はアメリカに出資せよ」発言
BS朝日・朝日ニュースター放送の番組『竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方』にて「民営化した日本郵政はアメリカに出資せよ」との見解を語った。米国のバブル経済が崩壊し、サブプライムローンに端を発した問題が顕在化し始めていたさなかの2008年4月の番組にて提案している。
竹中は一連の問題を「サブプライムローンそのものが悪いわけではない、リスク管理が甘く慎重に審査して貸しつけていなかった、一義的には金融機関が経営に失敗したということ、銀行としては証券化してリスク分散したはずが、結果的にリスクが社会中に広がってリスク拡散になってしまった。それが今回のサブプライム問題の本質。」「一番の責任者をグリーンスパン前FRB議長が行ったことに問題があったという穿った見方も強いが、誰かに責任を着せるのではなく前向きに対処を考えていかなければいけない。問題は誰にも予想できなかったこと。」
と一連の問題を評した上で「民営化した郵政はアメリカに出資せよ」との見解を語った。
「そこで今回ニッポンの作り方として『民営化された日本郵政はアメリカに出資せよ』と申し上げたい。ある国が政治的な意図をもってアメリカの金融機関を乗っ取ってしまったら、アメリカ経済が影響を受けるのではという懸念も出てきている。 日本郵政は民営化したので、今はSWFではない。だからアメリカから見ると安心して受け入れられる民間の資金。アメリカに対しても貢献できるし、アメリカの金融機関に出資することで新たなビジネスへの基礎もできる。」として郵政マネーをアメリカへ出資すべきとの見解を語った。[40]。
「too big to fail」発言
ニューズウィーク2002年10月16日号で「四大銀行であっても、“too big to fail”(潰すには大き過ぎ)の考えはとらない」と発言し、日経平均株価を暴落させた。マスコミも「金融システムの安定に責任を持つ金融相の発言としては、軽率極まりない。片岡直温蔵相の失言が引き金になった昭和二年の金融恐慌を想起させる(読売新聞社説)」と批判し、国会で追及された。「誤解を招いたとしたら不徳の致すところだ」と陳謝しつつ、「そんな発言はしていない」と弁解。
日本経済は余命3年
書籍『日本経済 余命3年』の中で竹中は「日本経済は余命3年」との見解を示した。著書は池田信夫、土居丈朗、鈴木亘との共著で、2010年11月にPHP研究所により出版された。この中で「2012年-2013年までが最後のチャンスとし、政府の債務残高は今後2、3年で約1100兆円に達する見込みで、このまま家計の純資産1100兆円を上回る国債発行がなされると、国内貯蓄で政府債務を吸収できなくなり、債券安・株安・円安のトリプル安になり日本は財政破綻へ向かうであろう」との見解を語っている[41][42][43]。
またこのまま2015年からは広義団塊の世代が年金受給年齢に入り、社会保障費が増大することも踏まえると、2012年-2013年までがこうした状況を見直す最後のチャンスであり、それを超えて今の状況が続くと何が起こるかわからない。国債に関して「最悪のシナリオとして、国債の暴落とそれに伴う金利上昇により、株価が下がり、日本経済のファンダメンタルズ全体に対する信頼の揺らぎから、通貨が売られ円安となり、債券安・株安・円安のいわゆるトリプル安となり日本は破綻するという可能性があり、これを防ぐためには、市場の期待値を保つことが重要である。」との見解を語っている。
不良債権は1.5倍に増え、失業率も急騰するけれども、その後に成長できる
2012年7月8日の投資家向けセミナー(当時は2007年7月の半値に日経平均株価が低迷していた)において、次のように発言。「(雇用調整給付金を止めれば)不良債権は1.5倍に増え、失業率も急騰するけれども、その後に成長できる。」[44]
若者には貧しくなる自由がある。そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな
東洋経済でのインタビューで次のように述べた。「(若い人に1つだけ言いたいのは)みなさんには貧しくなる自由がある」「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな。」[45]
トラブル
木村剛との関係
金融担当大臣時代に、自ら木村剛を選び金融庁顧問にした。その為、木村と深い連携関係にあり、互いを擁護する発言を続けていた。小泉・竹中・木村剛ラインと言われた。
- 竹中が2004年(平成16年)の第20回参議院議員通常選挙に立候補した際は新橋で応援演説を行った。
- 木村が理事長を務める『フィナンシャルクラブ』の最高顧問を竹中が務めていた。
- 木村が立ち上げた日本振興銀行を推したのも竹中。
- 高杉良の経済小説には、竹中・木村と竹中の側近であった岸博幸の3人が、日本の経済政策を誤った方向に導く人物として仮名でたびたび登場している。
住民税脱税疑惑
1993年から1996年の4年間にわたって住民票を米国に移動させることにより日本の住民税を免れていた(フリーライド)のは脱税ではないかとの疑惑を写真週刊誌『フライデー』が2002年に報じた。この疑惑は国会で追及され、竹中はその期間に関しては米国に住居を所有し、一年のうち日本で活動する4月から7月までを除いて米国で家族とともに生活していたこと、主な所得は慶應義塾大学の助教授としての給与から得ていたことなどを明らかにした[6][46]。また、米国での所得は原則として得ていないものの、同国の地方税(住民税)は支払っていると主張したが、納税証明の提出については拒否した[47]。
2003年、竹中は疑惑を報じた『フライデー』を発行する講談社に対し、名誉毀損を理由に損害賠償等請求訴訟を東京地方裁判所に起こした。裁判は2004年9月に「登録移転は脱税目的ではない」として講談社に200万円の賠償を命じる判決が出され、竹中が勝訴する。これに対し、講談社は直ちに東京高等裁判所に控訴するが、高裁は「脱税の事実が証明されていない」として地裁判決を支持したうえで、賠償額を120万円に減額して控訴を棄却した。講談社はさらに最高裁判所に上告するが、2006年2月23日、最高裁は上告を退け講談社側の敗訴が確定した[48]。
これらの判決によって、疑惑報道が十分な裏付けのないものであったことが認められたが、主に構造改革路線に反対する立場の格好の標的となり、様々な批判が浴びせられている[49]。 [50]。
郵政民営化広報チラシ問題
テンプレート:Main 内閣府政府広報室が頒布した郵政民営化を広報する新聞折り込み広告について、野党は以下の点を追求したテンプレート:Sfn。
- 竹中の政策秘書の『知り合いの人物が経営する会社』に発注したことテンプレート:Sfn
- その契約が随意契約であることテンプレート:Sfn
- 竹中もしくは秘書官が『圧力』をかけたのではないかということテンプレート:Sfn
また、契約も配布先も決まっていない段階で仕事が進められていたことや、登記簿を調べないで契約していたことなどが明らかにされた[51]。また、広報の作成並びに契約等々の経緯についての政府参考人の答弁や説明において意図的な資料の改ざんがあったのではという指摘をうけたことに対し、政府広報室を管轄する内閣官房長官の細田博之が遺憾の意を示した。竹中も大臣として謝罪を求められたが、個別の契約行為は自分の所管外だと答弁している。竹中は会社社長と名刺交換したことはあるが、食事をしたこともなく特別な関係はないとしているテンプレート:Sfn。また、「随意契約の場合、契約書の締結が必要」との会計法の定めを発注担当者が順守していないため同法違反だという指摘に対しても、内閣府政府広報室の業務については所管外であり「答弁する資格がない」と回答しているテンプレート:Sfn[52]。また、契約についての想定問答集やIQ(知能指数)の低い層にターゲットを絞った広報戦略を示した同社の資料についても承知していないと述べた[52]。
ミサワホーム売却問題
ミサワホームが産業再生機構を経てトヨタ自動車に売却される過程で、竹中らによる「公権濫用」があったとミサワホーム元会長が告訴(訴追には至らず)。
2004年(平成16年)12月28日、ミサワホームが経営不振から産業再生機構の管理下におかれ、翌年3月31日、トヨタ自動車がミサワホームのスポンサーになることが決定した。このミサワホーム売却を巡り、ミサワホーム創業者の三澤千代治側が竹中を警視庁に刑事告発した。
2002年(平成14年)5月、兄・宣雄(当時ミサワホーム東京社長)が「弟の平蔵と話しているのだが、(産業)再生機構を活用したらどうか」と三澤(当時ミサワホーム会長)に提案した。三澤はその提案を拒否したが、その後ミサワホームの経営状況は悪化の一途を辿り、不良債権化の懸念が強まった。2003年(平成15年)10月、竹中宣雄が「弟から電話があった。トヨタの奥田会長と会ってほしい」と三澤に再度要請した。くわえて、会談の前日には平蔵自らが三澤に日時の確認を行っていた。
これらの行為に対し、三澤は「国務大臣としての職務を逸脱した一企業への圧力であり、職権濫用にあたる」と主張し、刑法193条に基づき「公務員職権濫用罪」容疑で警視庁に刑事告発した。竹中側は「適正な職務執行であり、職権濫用ではない」と反論しており、三澤の主張を否定している。国会審議でも竹中の言動について取り上げられたが[53]、竹中自身は指摘された事実はないとして、三澤側の主張に反論している[54]。結局、訴追には至っていない。
共同研究の無断販売
2005年(平成17年)、『月刊現代』は竹中の処女作『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)の内容は「設備投資研究所」時代の同僚・鈴木和志(現在明治大教授)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大教授)との共同研究の成果であり、その同僚は自分単独の名前で発表したいとの竹中からの申し出を断っていたのに、勝手に竹中の単独の著書として出版されたことにショックを受けたことなどを報じた[4]。
業務停止命令の金融会社の広告塔
2013年10月、金融商品取引法違反で業務停止命令を受けたアブラハム・プライベートバンク[55]の関連メディアのゆかしメディアにたびたび出演し、日銀副総裁に就任する前の岩田規久男とともに広告塔として活躍していた[56]。なお、岩田は自身については「謝礼などは一切受け取っていない」「インタビュー以外の関係はない」と説明している[57]。
サクセス・コーチの広告塔
成功哲学と自己啓発の双方の要素をあわせ持つ「サクセス・コーチ」の第一人者、アンソニー・ロビンズが2014年4月に初来日したときのセミナー講師陣のひとりとして講演を行った[58]。トラブルとはならなかったが、見識が疑われたテンプレート:要出典。
パソナ取締役会長としての利益相反問題
竹中は小泉政権時代に国公立大学・大学院の教職にあるものの兼業規定を廃止することを主張。現在では政策研究大学院大学や一橋大学などが兼業規定を事実上撤廃もしくは緩和している。したがって、政府の民間議員や有識者委員になる学者が、民業の要職に就任しているというケースが生じる。
このような背景から、政府の政策決定における利益相反を深刻化させてしまう問題が指摘されている[59]。竹中はテレビ愛知の討論番組「激論!コロシアム 〜これでいいのか?ニッポン〜」の中で、利益相反が起きることについて認めている。
パソナが迎賓館「仁風林」で政界接待をしていた疑惑については、「いろいろな企業の方を集めてセミナーをしています。はっきり言って真面目なパーティですよ。」とコメントしている[60]。
不祥事
国民年金保険料の未納
2004年(平成16年)4月28日、国民年金の保険料を支払っていなかったことが発覚した。一般市民により国民年金法違反容疑で大阪地方検察庁堺支部に告発されている。テンプレート:See also
役職
- 産業競争力会議 有識者委員
- 国家戦略特別区域諮問会議有識者議員
- パソナグループ 取締役会長 (人材派遣 サービス会社)
- 韓国政府アドバイザー(2008年)
- 慶應義塾大学 総合政策学部 教授
- 慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科教授
- 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長
- アカデミーヒルズ理事長
人物
- 下村治に憧れ経済学者となったとしている[61]。
- 野球観戦や音楽鑑賞とともに「構造改革」を趣味の一つとして挙げている。
- フォークグループのアリス、およびメンバー谷村新司のファン。また鉄道ファンでもある[62]。
受賞歴
- サントリー学芸賞: 受賞作『研究開発と設備投資の経済学-』
- エコノミスト賞: 受賞作『対外不均衡のマクロ分析』
出演
テレビ
ビデオ
- 『21世紀型民富論――日本経済の見取り図』日本放送出版協会、1999年。ISBN 4141890154
- 『21世紀型経済と日本の行方』日本マネジメント教育機構。
ラジオ
- 『竹中平蔵 ON AND ON』ニッポン放送。
著作
単著
- Industrial investment and policy incentives -- the U.S. and Japan, Cambridge: Center for International Affairs, Harvard University, 1982.
- 『研究開発と設備投資の経済学――経済活力を支えるメカニズム』東洋経済新報社、1984年。ISBN 4492311513
- 『日米摩擦の経済学』日本経済新聞社、1991年。ISBN 4532130069
- 『入門現代アメリカ経済』日本評論社、1991年。ISBN 4535579539
- Contemporary Japanese economy and economic policy, Ann Arbor: University of Michigan Press, 1991. ISBN 0472101978(ハードカバー)、ISBN 0472081551(ペーパーバック)
- 『日本経済の国際化と企業投資』日本評論社、1993年。ISBN 4535581274
- 『日本賢国論――新世紀への経済学』電通、1993年。ISBN 4885530458
- 『民富論』講談社、1994年。ISBN 4062073382
- 『早い者が勝つ経済――激変するアジア太平洋と停滞する日本』PHP研究所、1998年。ISBN 4569600883
- 『経世済民――「経済戦略会議」の一八〇日』ダイヤモンド社、1999年。ISBN 4478231001
- 『ソフト・パワー経済 : 21世紀・日本の見取り図』PHP研究所、1999年。ISBN 4569609155
- 『日本経済再生の条件――経済戦略会議答申の意義』航空政策研究会、1999年。講演録。
- 『新しい日本がはじまる――ベンチャー8人との対論』ダイヤモンド社、2000年。ISBN 4478180261
- 『竹中教授のみんなの経済学』幻冬舎、2000年。ISBN 4344900030、ISBN 4344403622(文庫版、2003年)
- 『竹中平蔵の「日本が生きる」経済学』第2版、ぎょうせい、2001年。ISBN 4324066159
- 『日本企業の底力――世界と戦う経営者たち』PHP研究所、2001年。ISBN 4569616623
- 『あしたの経済学――改革は必ず日本を再生させる』幻冬舎、2003年。ISBN 434490043X(文庫版、『やさしい経済学』幻冬舎、2005年。ISBN 4344406354)
- 『郵政民営化――「小さな政府」への試金石』PHP研究所、2005年。ISBN 456964225X
- 『竹中平蔵の特別授業――きょうからあなたは「経済担当補佐官」』集英社インターナショナル、2005年。ISBN 4797671343
- テンプレート:Wikicite
- The structural reforms of the Koizumi Cabinet -- an insider's account of the economic revival of Japan, translated by Jillian Yorke, Tokyo: Nikkei Publishing, 2008. ISBN 9784532133597(『大臣日誌』の英訳版)
- 『竹中平蔵、中国で日本経済を語る――北京大学特別講義より』大和書房、2008年。ISBN 9784479391722
- 『闘う経済学――未来をつくる「公共政策論」入門』集英社インターナショナル、2008年。ISBN 9784797671735
- 『竹中式マトリクス勉強法』幻冬舎、2008年。ISBN 9784344015685
- 『政権交代バブル』PHP研究所、2009年。ISBN 9784569773537
- 『「改革」はどこへ行った?―民主党政権にチャンスはあるか―』東洋経済新報社、2009年。ISBN 9784344015685
- 『経済古典は役に立つ』光文社、2010年。ISBN 9784776206644
- 『日本経済こうすれば復興する!』アスコム、2011年。ISBN 9784776206644
- 『竹中式 イノベーション仕事術』幻冬舎、2012年。ISBN 9784344021785
- 『知っていると役に立つ世間話』宝島社,2013年。ISBN 9784800208729
共著
- 竹中平蔵・小川一夫著『対外不均衡のマクロ分析 貯蓄・投資バランスと政策協調』東洋経済新報社、1987年。ISBN 4492391088
- 竹中平蔵・石井菜穂子著『日米経済論争 「言いわけ」の時代は終わった』TBSブリタニカ、1988年。ISBN 4484882027
- 香西泰・竹中平蔵著『日本経済・入門』JICC出版局、1991年。ISBN 4796601562
- 長谷川慶太郎・竹中平蔵著『これからの日本とアメリカ』学習研究社、1995年。ISBN 4054002986
- 竹中平蔵・阿川尚之著『世界標準で生きられますか』徳間書店、1999年。ISBN 419861072X
- 中谷巌・竹中平蔵著『ITパワー 日本経済・主役の交代』PHP研究所、2000年。ISBN 4569610099
- テンプレート:Wikicite
- 竹中平蔵・東京財団政策ビジョン21著『「強い日本」の創り方 経済・社会大改革の海図』PHP研究所、2001年。ISBN 4569615716
- 竹中平蔵・櫻井よしこ著『立ち上がれ! 日本― 「力強い国家」を創る戦略』PHP研究所、2001年。ISBN 4569617298
- 竹中平蔵・阿川尚之著『世界標準で生きられますか』徳間書店、2001年。ISBN 4198915571
- 佐藤雅彦・竹中平蔵著『経済ってそういうことだったのか会議』日本経済新聞社、2002年。ISBN 4532191424
- 加藤寛著者代表、竹中平蔵・塩川正十郎・宮内義彦ほか述『立国は私なり、公にあらず 日本再生への提言』第一法規出版、2005年。ISBN 4474018532
- 「シンクタンク2005・日本」編、小泉純一郎・中川秀直・武部勤ほか著『自民党の底力』成甲書房、2007年。ISBN 9784880862149
- 加藤寛・竹中平蔵著『改革の哲学と戦略 構造改革のマネジメント』日本経済新聞出版社、2008年。ISBN 9784532353032
- 竹中平蔵・幸田真音著『ニッポン経済の「ここ」が危ない! 最新版・わかりやすい経済学教室』文藝春秋、2008年。ISBN 9784163699103
- 竹内健蔵・中条潮編著、竹中平蔵ほか述『挑戦日本再生 「公」と「私」の境界を超えて』エヌ・ティ・ティ出版、2008年。ISBN 9784757122161
- 竹中平蔵著・藤井昌子漫画『竹中先生、経済ってなんですか?』ナレッジフォア、2008年。ISBN 9784903441092
- 竹中平蔵・上田晋也著『竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方』朝日新聞出版、2008年。ISBN 9784022504760
- 竹中平蔵・田原総一朗著『ズバリ! 先読み日本経済 改革停止、日本が危ない! 緊急分析!』アスコム、2008年。ISBN 9784776205265
- 竹中平蔵・榊原英資『田原総一朗責任編集 2時間でいまがわかる! 絶対こうなる!日本経済』アスコム、2010年。ISBN 9784776206194
- 竹中平蔵・池田信夫・土居丈朗・鈴木亘『日本経済「余命3年」<徹底討論>財政危機をどう乗り越えるか』PHP研究所、2010年。ISBN 9784569792910
- 冨山和彦・竹中平蔵著『日本経済・今度こそオオカミはやってくる』PHP研究所、2011年。ISBN 9784569799391
- 竹中平蔵・中田宏著『2時間でいまがわかる! 告発 ニッポンの大問題30!』アスコム、2011年。ISBN 9784776206927
編著
- 伊藤元重・植田和男・竹中平蔵編著『パースペクティブ日本経済――円高シフトの構造と方向』筑摩書房、1988年。ISBN 4480854460
- 竹中平蔵・NHK取材班編著『日本経済は生き残れるか――進展するAPEC・NAFTA・EU』日本放送出版協会、1995年。ISBN 414080243X
- 竹中平蔵・袖川芳之・フジタ未来経営研究所編著『「ソフトパワー」日本復権への道――ポストIT革命』実業之日本社、2001年。ISBN 4408321222
- 小川一夫・竹中平蔵編著『政策危機と日本経済――90年代の経済低迷の原因を探る』日本評論社、2001年。ISBN 4535552584
編纂
- 細見卓・竹中平蔵編、ニッセイ基礎研究所経済調査部著『日本経済21世紀への展望』有斐閣、1993年。ISBN 4641066809
- 竹中平蔵・船橋洋一編『IT革命――新世紀への挑戦』朝日新聞社、2000年。ISBN 4022575441
監修
- 東京財団編『「日本再生」へのトータルプラン――決定版――政策課題2001』朝日新聞社、2001年。ISBN 402257657X
翻訳
- G・ウィリアム・ミラー編著、小関譲・竹中平蔵訳『アメリカの新経済戦略――No.1復活への構図』東洋経済新報社、1984年。ISBN 4492440593
- ローラ・D・タイソン著、竹中平蔵監訳、阿部司訳『誰が誰を叩いているのか――戦略的管理貿易は、アメリカの正しい選択?』ダイヤモンド社、1993年。ISBN 4478210195
- アレン・ハモンド著、竹中平蔵監訳、世界資源研究所訳『未来の選択――21世紀に人類が創る3つのシナリオ』1999年。ISBN 4810178102
- D・S・ランデス著・竹中平蔵訳『「強国」論』三笠書房、2000年。ISBN 4837955800
- フランシス・マキナニー・ショーン・ホワイト著、竹中平蔵訳『スピードの経営革命』三笠書房、2000年。ISBN 4837955940
- ロナルド・A・ハイフェッツ・マーティ・リンスキー著、ハーバード・MIT卒業生翻訳チーム訳『最前線のリーダーシップ――危機を乗り越える技術』ファーストプレス、2007年。ISBN 9784903241708
寄稿
- 竹中平蔵稿「J・A・シュンペーター――経済発展の本質をとらえる」日本経済新聞社編『現代経済学の巨人たち――20世紀の人・時代・思想』日本経済新聞社、1994年。ISBN 4532142652
- 竹中平蔵稿「デジタル革命と21世紀の日本社会」手嶋彩子編『デジタルエコノミー2001――日本とアメリカ』フジタ未来経営研究所、2001年。ISBN 4901322001
評伝
- 佐々木実 『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』 講談社、2013年。ISBN 4062184230
関連項目
- 経世済民…「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意。この言葉が、竹中が経済学者を志したきっかけとなったという[63]。
- 通信・放送の在り方に関する懇談会 - 最終報告書でNHK-FM放送廃止が提案された。
- 一橋大学の人物一覧
- ハーバード大学に関係する日本人の一覧
- 慶應義塾大学の人物一覧
関連人物
- 加藤寛
- 岸博幸
- ローレンス・クライン
- グレン・ハバード
- ジェフリー・サックス(ハーバード大学に留学中に知り合う)
- ローレンス・サマーズ (ハーバード大学に留学中に知り合う)
- アルバート・アレシナ
- ロバート・フェルドマン
- フレッド・バーグステン
脚注
外部リンク
- 竹中平蔵公式ウェブサイト(公式サイト)
- policywatch ポリシーウォッチ
- 慶應ジャーナル取材記事
- 日本経済研究センター JCER 竹中平蔵のポリシー・スクール
- 竹中平蔵の眼 :日本経済新聞
- 竹中平蔵の「経済政策ウオッチング」| nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
- 竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方
- 田原総一朗×竹中平蔵 日米経済の行方
- テンプレート:Twitter
- 英文校正エナゴ 「英語の壁は毎日感じる。でも“向かっていく精神”を持つしかない。」
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
麻生太郎
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 総務大臣
第6代:2005年 - 2006年
|style="width:30%"|次代:
菅義偉
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
名称変更
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(経済財政政策)
第4・5・6代:2003年 - 2005年
|style="width:30%"|次代:
与謝野馨
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
名称変更
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(金融)
第4・5代:2003年 - 2004年
|style="width:30%"|次代:
伊藤達也
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
柳澤伯夫
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 金融担当大臣
第3代:2002年 - 2003年
|style="width:30%"|次代:
名称変更
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
麻生太郎
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 経済財政政策担当大臣
第3代:2001年 - 2003年
|style="width:30%"|次代:
名称変更
テンプレート:S-bus
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
新設
|style="width:40%; text-align:center"|パソナグループ会長
初代:2009年 -
|style="width:30%"|次代:
現職
- 転送 Template:End
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『リベラルタイム』2005年10月号「売国奴か?改革者か?「竹中平蔵」の研究」 p.22-23
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 『文藝春秋』2003年11月号
- ↑ 日本経済新聞2009/06/18
- ↑ 4.0 4.1 佐々木実「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」講談社『月刊現代』(2005年12月号)
- ↑ 塩田潮「竹中平蔵の挑戦…政治を目指した学者の軌跡」『論座』2005年
- ↑ 6.0 6.1 第153回国会 衆議院 内閣委員会第3号 平成13年(2001年)11月28日(議事録)
- ↑ 経済戦略会議『短期経済政策への緊急提言』1998年10月14日。
- ↑ 経済戦略会議「日本経済再生への戦略」『経済戦略会議答申』1999年2月26日。
- ↑ 慶應大学HP 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス 教員プロフィール
- ↑ 関西大学 会計専門職大学院HP教員教育顧問紹介>客員教授
- ↑ 新潮文庫 波 2008年10月号 不屈の指導者のドラマティック人生
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 17.0 17.1 エッセイ:IFRS再開の動きとシステム監査 - 日本システム監査人協会近畿支部
- ↑ 18.0 18.1 文藝春秋(編)『日本の論点’99』文藝春秋 1998年11月 ISBN 4-16-501500-8
- ↑ 【金曜討論】小泉構造改革 慶大教授・竹中平蔵氏、作家・高杉良氏 (1-5ページ) 産経新聞2009年3月6日
- ↑ テンプレート:Cite report
- ↑ 21.0 21.1 『アサヒ芸能』(2007年2月8日号)
- ↑ 【竹中平蔵】将来のために今、正すべき問題点から目をそらすな
- ↑ 『朝日新聞』2006年6月16日
- ↑ 竹中平蔵氏 第4話:「社会主義を目指して改革を進めているのではない」 言論NPO
- ↑ 25.0 25.1 『勝間和代のお金の学校』
- ↑ 【竹中平蔵】"日本版オランダ革命"に取り組め/同一労働同一賃金 ポリシーウォッチ
- ↑ 「改革の配当」を活用して持続可能な経済システムの構築を 慶応大学湘南藤沢キャンパスSFC FORUM
- ↑ 『竹中平蔵のポリシー・スクール』2009年2月1日 「雇用は健全な三権分立から」 日本経済研究センター
- ↑ 田原総一朗×竹中平蔵対談 最終回「日本企業がサムスンに勝つために」 現代ビジネス
- ↑ 第161回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成16年(2004年)10月19日(議事録)
- ↑ 「日本人よ、格差を恐れるな」( 『文藝春秋』 ) 2006年5月号
- ↑ 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第9号 平成17年(2005年)6月7日 (議事録)
- ↑ 第162回国会 参議院 郵政民営化に関する特別委員会 第12号 平成17年(2005年)8月2日(議事録
- ↑ 『中央公論』2008年11月号
- ↑ 35.0 35.1 35.2 「第156回国会――財務金融委員会――第3号」『衆議院会議録情報 第156回国会 財務金融委員会 第3号』国立国会図書館、2003年2月12日。
- ↑ 36.0 36.1 36.2 36.3 「第156回国会――本会議――第8号」『衆議院会議録情報 第156回国会 本会議 第8号』国立国会図書館、2003年2月14日。
- ↑ 37.0 37.1 第156回国会 衆議院 予算委員会第11号 平成15(2003年)年2月14日(議事録)
- ↑ 「竹中大臣記者会見要旨」2003年2月7日(金融庁公式ウェブサイト)
- ↑ 「 竹中大臣記者会見要旨」2003年2月18日(金融庁公式ウェブサイト)
- ↑ [1]サブプライム危機の真実 民営化した郵政はアメリカに出資せよ
- ↑ 経済の死角 激論vol.1「日本の財政破綻は本当に起きるのか」 エコノミスト、論客たちが徹底討論「2011年 どうなる日本経済」vol.1現代ビジネス 2011年1月20日
- ↑ ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2010年6月8日 Peter Stein
- ↑ 『日本経済「余命3年」』PHP研究所
- ↑ 竹中平蔵氏講演“楽には生きられない日本”で戦う術教えます。楽天セミナー 2012年7月9日
- ↑ 竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」東洋経済 2012年11月30日
- ↑ 第154回国会 衆議院 予算委員会 第11号 平成14年(2002年)2月15日(議事録)
- ↑ 住民税脱税犯における偽計行為
- ↑ ご報告(竹中平蔵公式ウェブサイト)
- ↑ 「竹中大臣は住民税を払っていない?8年で4回の『米国移住』『住民票の移動』は節税対策か」『文芸春秋』2002年5月号など
- ↑ 「これでいいのか!?安倍政権の経済政策」チャンネル桜 2014年7月5日 上村シーラ千賀子氏による発言
- ↑ 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会第20号 平成17年(2005年)6月29日(議事録)
- ↑ 52.0 52.1 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第19号 平成17年(2005年)6月23日(議事録)
- ↑ 第162回国会 予算委員会第七分科会 第1号議事録)
- ↑ 第164回国会 予算委員会 第5号 平成十八年三月六日(月曜日)議事録)
- ↑ アブラハムに業務停止命令6カ月間、金融庁方針朝日新聞デジタル 2013年10月11日
- ↑ 「いつかはゆかし」の化けの皮FACTA online BUSINESS 2013年4月号
- ↑ 日銀副総裁、謝礼受領を否定=アブラハムサイトに記事掲載時事ドットコム 2013年10月4日
- ↑ セミナーズフェスタ2014 Spring - 世界的指導者たちのメンター アンソニー・ロビンズ
- ↑ 竹中平蔵パソナ会長 TV出演で顔を真っ赤にして逆ギレ - 日刊ゲンダイ(2014年6月6日)
- ↑ 竹中平蔵氏 パソナ「仁風林」で真面目なパーティ開催と説明週刊ポスト 2014年8月19日
- ↑ 竹中平蔵 『竹中教授の14歳からの経済学』 東京書籍、2009年、34頁。
- ↑ トクベツキカク - SmaSTATION-5
- ↑ 『週刊東洋経済』平成14年11月9日号「「経世済民」を志した和歌山の少年時代」