細田博之
テンプレート:Mboxテンプレート:政治家 細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年(昭和19年)4月5日 - )は、日本の政治家、元通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自民党幹事長代行(第3代)。
自民党総務会長(第51代)、自民党幹事長(第43代)、自民党国会対策委員長(第46代)、内閣官房長官(第70・71代)、沖縄及び北方対策担当大臣、科学技術政策担当大臣、個人情報保護担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)、自民党島根県連会長を歴任した。
父は行政管理庁長官、 防衛庁長官、 運輸大臣を歴任した細田吉蔵。
目次
来歴・人物
島根県松江市出身。東京教育大学附属駒場高等学校(現筑波大附属駒場高等学校)、東京大学法学部卒業。1967年、東大法学部を卒業し通商産業省に入省。同期には日産自動車副会長の伊佐山建志、井出亜夫など。
入省後は産業政策局物価対策課長などを務め、1986年に退官。父・細田吉蔵の議員秘書を経て、1990年の衆議院選挙に島根県全県区から立候補し、竹下登に次ぐ2位で初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・亀井久興・中谷元・森英介・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)。1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は小選挙区比例代表並立制導入に伴い、島根1区から出馬し通算7期連続当選。
2002年の第1次小泉改造内閣で、内閣府特命担当大臣(科学技術政策・沖縄北方対策担当)として初入閣。内閣官房副長官であった2004年、年金記録問題で辞任した福田康夫の後任として副長官から内閣官房長官に昇格した。以後は自民党国会対策委員長、自民党経理局長などを経て、2007年に自民党幹事長代理に就任。
2007年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟・自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、副委員長に就任した。
2009年7月、第45回衆議院議員総選挙にて選挙対策本部長代理及び選挙対策委員長を兼務。同年9月、総選挙敗北のため党幹事長と選挙対策委員長を引責辞任。
2012年9月、自民党総務会長に就任。自民党幹事長経験のある自民党総務会長は森喜朗以来14年ぶり。同年12月、自民党幹事長代行に就任。
政策
科学技術
第1次小泉改造内閣で科学技術政策担当大臣に就任し、内閣府総合科学技術会議を主宰した。
細田は北朝鮮を巡る核開発についても分析を行い、その見識に驚いたアメリカ合衆国国家安全保障会議アジア部上級部長のマイケル・グリーンはノート持参で細田の解説を聴きに通ったという。その際、グリーンに同席した駐日アメリカ大使のハワード・H・ベーカー・ジュニアは、細田のことを政治家ではなく原子力工学の専門家だと思っていたという[1]。なお細田は以前は北朝鮮への経済制裁に慎重な立場を取っていたが、北朝鮮問題に関わる中で後に賛成に転じている。
沖縄対策
第1次小泉改造内閣では科学技術政策の他、沖縄及び北方対策担当大臣を兼任し、 その経験から稲嶺恵一や沖縄問題の研究者とも交流がある。
また内閣官房長官就任後、米軍基地再編問題に対し下記案(国防総省では「細田私案」と呼称)を提示した。
普天間基地の移設先については、名護市辺野古としている[2]。
食品安全
米国産牛肉輸入再開問題では、内閣官房長官として外務大臣の町村信孝と連携し、通商代表部、国務省、ホワイトハウス、国家安全保障会議を相手に交渉を続けた。その際には、科学的データに基づく説得をアメリカに対し繰り返した。交渉相手である国務長官のコンドリーザ・ライスは細田を「He is so smart.」と評している[1]。
その他
発言
- テンプレート:要出典範囲。
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- 2009年7月24日に党本部で記者会見した際、麻生首相への批判的な意見に対して「『字が読めない』『ぶれた』なんて言って楽しんでいる。党役員人事だろうが閣僚人事だろうがどうでもいいことだ」と前置きした上で、「だけど、その方がみんな面白いんだから。それは日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない。」と国民・有権者を批判し、さらに「そういうことしか、主として取り上げない。電話で調査して支持率は何%と、いいかげんにしてくれという感じだ。聞いて意味がありますか」と内閣支持率の調査という一般的な世論調査の結果報道を批判した。そのあと「真意ではない」として一連の発言を撤回した[3]。
- 2013年7月22日夜、BSフジLIVE プライムニュースに出演した際、「憲法は不磨の大典ではない。法令の一つだ。日本国憲法というと立派そうだが、日本国基本法という程度のものだ」と述べた[4]。
エピソード
2008年10月1日の衆議院本会議場で、国務大臣の演説に対する質疑の最後を、「出雲弁講座」と称し出雲弁でありがとうを意味する「だんだん」で締めた事がある。
趣味のピアノは大変な腕前とされ、ピアニストの中村紘子によると、その演奏は感受性が強く音楽的で、中村もびっくりするぐらいロマンティックなものだという[5]。そのほか読書、トランプのコントラクトブリッジを趣味とする。
90年衆院選当選同期である福田康夫の数少ない側近であり、福田からの評価も高い。福田が内閣官房長官を務めた際は、細田が内閣官房副長官としてコンビを組んだ。福田の内閣官房長官辞任後は、後任として細田が就任している。細田の内閣官房副長官、内閣官房長官への就任にあたっては、福田による内閣総理大臣小泉純一郎への推薦があった。また、福田が自由民主党総裁に就任した際は、細田を自由民主党幹事長代理に指名し、内閣改造に伴う執行部人事刷新時も、細田を幹事長代理として留任させた。
内閣官房長官就任後は、ブッシュ政権下のアメリカ政府関係者から「歴代最高の官房長官」との賛辞を受けた[1]。大下英治によれば、小泉の秘書官だった飯島勲は「総選挙(第44回衆議院議員総選挙)圧勝の政府側の影の最大の功労者」と評価している。総選挙中に地元へ戻らず、小泉遊説中の行政が停滞しないよう努めた。また、8月下旬の台風上陸などでも関係閣僚への連絡等で小泉内閣の危機管理に貢献した。
年譜
- 1967年4月- 通商産業省入省
- 1981年 - 通商政策局経済協力部経済協力企画官
- 1983年 - 石油公団ワシントン事務所長
- 1985年 - 産業政策局物価対策課長兼同局総務課産業政策企画官
- 1986年 - 退官 衆議院議員細田吉蔵秘書
- 1990年2月 - 衆議院議員に初当選
- 1994年7月 - 経済企画政務次官
- 2002年9月 - 沖縄及び北方対策担当大臣、個人情報保護担当大臣、科学技術政策担当大臣就任
- 2003年9月 - 内閣官房副長官就任
- 2004年5月7日 - 年金未納問題で福田康夫官房長官が引責辞任した後を受け、内閣官房長官に就任
- 2004年5月19日 - 東京都の車両管理会社からの、秘書給与など(8年間で3100万円)の供与が、政治資金収支報告書に未記載であったことが判明
- 2004年12月3日 - 日本の閣僚として初めて、第二次世界大戦中に「従軍慰安婦」であったとされる女性らと面会した。
- 2005年10月31日 - 内閣官房長官を退任。自民党国会対策委員長に就任。
- 2006年9月 - 自民党経理局長に就任。
- 2007年8月27日 - 自民党幹事長代理に就任。
- 2007年9月24日 - 自民党幹事長代理に再任。
- 2008年8月1日 - 自民党幹事長代理に再任。
- 2008年9月22日 - 自民党幹事長に就任。
- 2009年9月 - 自民党幹事長を退任。
- 2012年9月 - 自民党総務会長に就任。
- 2012年9月 - 自民党幹事長代行に就任。
政治資金
- 公用車の運転委託業務の入札にまつわる談合疑惑を持たれている企業の1つである日本道路興運[6]から1996年~2003年の間に自身の運転手給与肩代わりの形で約3100万円の違法なヤミ献金を受け取っていたことが報じられた[7][8][9]。細田は「献金額が限度額を超えれば違反になるが、(私は)受ける側なので知りえる立場にない」と述べ、規制法では違法献金を受けた側にも罰則規定があるとの批判には「受ける側に故意があれば当然だが、(自分には)そのような故意はなかった」と説明した[10]。献金の返還については言及していない[9]。
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[11]。
主な所属団体・議員連盟
- 島根県バスケットボール協会(会長)
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(副会長)
- 自由民主党朝鮮半島問題小委員会(副委員長)
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日韓議員連盟
- 自民党トラック輸送振興議員連盟
家族・親族
- 実家
- 自家
- 妻
- 一男一女
系譜
- 細田家
- 宮脇道生 著『細田吉蔵・全人像』134-136頁によると、
- 「細田家は戦国時代に毛利氏と中国地方の覇権を争った尼子一族の武将小笠原家の家臣だった。一旦帰農後、商業へ進出し回船問屋として成功したが、明治維新で没落し倒産する。やむなく松江に出て、今度は油屋を開き、豪商の域にまでのし上がった。」という。
升田憲元━━━━━━静子 ┏細田博之 ┣━━━━━━━┫ ┏細田義一郎━━━細田吉蔵 ┗女 ┃ ┃ ┗細田六助
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
福田康夫
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内閣官房長官
第70・71代:2004年 - 2005年
|style="width:30%"|次代:
安倍晋三
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
福田康夫
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(男女共同参画)
第5・6代:2004年 - 2005年
|style="width:30%"|次代:
猪口邦子
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
創設
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(個人情報保護)
初代:2003年
|style="width:30%"|次代:
茂木敏充
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
尾身幸次
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(科学技術政策)
第3代:2002年 - 2003年
|style="width:30%"|次代:
茂木敏充
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
尾身幸次
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(沖縄及び北方対策)
第3代:2002年 - 2003年
|style="width:30%"|次代:
茂木敏充
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
安倍晋三
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内閣官房副長官(政務担当・衆議院)
2003年 - 2004年
|style="width:30%"|次代:
杉浦正健
テンプレート:S-ppo
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
麻生太郎
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党幹事長
第43代:2008年 - 2009年
|style="width:30%"|次代:
大島理森
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
塩谷立
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党総務会長
第51代:2012年
|style="width:30%"|次代:
野田聖子
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
菅義偉
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党幹事長代行
第3代:2012年-
|style="width:30%"|次代:
現職
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
古賀誠
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党選挙対策委員長
2009年(代行)
|style="width:30%"|次代:
一次廃止 → 河村建夫
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
中川秀直
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党国会対策委員長
第46代:2005年 - 2006年
|style="width:30%"|次代:
二階俊博
- 転送 Template:End
テンプレート:内閣官房長官 テンプレート:科学技術政策担当大臣 テンプレート:沖縄及び北方対策担当大臣 テンプレート:内閣官房副長官 テンプレート:自由民主党幹事長代行 テンプレート:自由民主党総務会長 テンプレート:自由民主党幹事長 テンプレート:自由民主党国会対策委員長
テンプレート:自由民主党選挙対策委員長- ↑ 1.0 1.1 1.2 天川由記子「官邸『秘密外交の真実』」週刊文春(文藝春秋)、2006年
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ 「世界の潮流は原発推進」自民・細田氏 朝日新聞デジタル2013年7月23日
- ↑ 『演奏家人生50年「中村紘子」私の知られざるエピソード』 週刊新潮2009年9月24日号
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 9.0 9.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web