ポール・クルーグマン
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ポール・クルーグマン(Paul Robin Krugman, 1953年2月28日 - )は、アメリカの経済学者、コラムニスト。プリンストン大学教授、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を兼任。
1991年にジョン・ベーツ・クラーク賞、2004年にアストゥリアス皇太子賞社会科学部門、2008年にはノーベル経済学賞を受賞した[1][2]。
時の権力者や経済学の先人たちそして通説をバッサリ切り捨てる容赦ない批判姿勢は、激しい反発や非難を受けることが常だった[3]。ニューヨーク・タイムズに寄稿するコラムがマーケットを動かすと言われるほどの影響力を持つ[4]。
略歴
- 1974年 イェール大学卒業。
- 1977年 マサチューセッツ工科大学でPh.D.を取得。
- 1977 - 1980年 イェール大学(助教授)。
- 1982 - 1983年 レーガン政権で大統領経済諮問委員会委員を務め、IMF、世銀、EC委員会のエコノミストを務める。
- 1980 - 1994年 マサチューセッツ工科大学(准教授、1980 - 1984年。教授、1984 - 1994年)。
- 1994 - 1996年 スタンフォード大学(教授)。
- 1996 - 2000年 マサチューセッツ工科大学(教授)。
- 2000年 - プリンストン大学(教授)。
- 2005年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(教授)。
- 2000年からニューヨーク・タイムズのコラムを担当している。
業績
非常に簡単な仮定をおいたシンプルなモデルを作ることを得意としており、彼の業績は、非常にシンプルなモデルに基づく経済学的考察の上に築かれている[5]。
- 国際貿易理論に規模による収穫逓増を持ち込み、産業発生の初期条件に差がない国同士で比較優位が生じて、貿易が起きることを上手くモデル化することに成功した。これは、自動車産業など同種の製品を作る産業が、アメリカやヨーロッパ、日本にそれぞれ存在して、互いに輸出しあっている現実を、上手く説明するものであった。
- 国際貿易理論を国内の産業の分布に当てはめ、地域間の貿易をモデル化し、ハリウッドやデトロイトなど特定の産業が集約した都市が、初期の小さな揺らぎから、都市として成長して自己組織化する、都市成長のモデルも作り上げた。
- 変動為替相場では、投機家の思惑が自己成就的な相場の変動を作り出し、変動為替相場が本質的に不安定であることを示した。
主張
アメリカ
- リーマンショック後、政府が適切な雇用創出政策が実現可能でなかったことについて「多くの経済学者は、雇用危機解決の道筋を示す代わりに、インフレと負債への恐怖を極端にあおり、自らが問題の一部となってしまった」と述べている[6]。
- バラック・オバマによる最低賃金を時給9ドルに引き上げる政策を歓迎している[7]。低所得者のインフレを加味した実質給与水準が上昇し、とりわけ勤労労働者の待遇が改善されるためである。また最低賃金の上昇で、勤労所得税額控除の使用者への利益が低所得者へより多く配分されるようになる。
日本
- 1980年代のバブル不況後の日本の経済をニュー・ケインジアン的なモデルを使ってモデル化し、流動性の罠に落ちていることを指摘し[8]、デフレーション不況に対する日本政府や日本銀行の対応の遅さを繰り返し批判してきたが[9]、2007年以降の金融危機には、かつて自分の主張を受け入れなかった日本の政策当局と同じことしか出来ないアメリカ当局を目の当たりにして「同じような状況に直面し我々も同じことをしている、日本人に謝らなければならない」と自虐的に嘆いてみせた。
- クルーグマンは「アメリカも日本以上にひどい対応をしている。アメリカは財政を緊縮させ、不適切な金融政策をとってきた」「歴代の日銀総裁にもおわびしなければならない。しかし、決して彼らが正しかったからではない。間違いだった。『正しい政策判断をすることがいかに難しいか、今なら理解できる』という意味で、おわびしたい」と述べている[10]。
- 日本銀行が多額の日本国債を引き受けることに関連するインフレーションについては「人々の消費がその経済の生産能力(供給力)を超える状態のときに限り、紙幣増刷由来のインフレが発生する」と述べる[11]。というのも流動性の罠に陥っている状況では、IS-LM分析でLM曲線がフラットになっているためにマネタリーベースの増加が金利上昇を喚起しないからである[12]。
- クルーグマンは日本が長期不況から抜け出すための解答自体は極めて簡単であり、お金を大量に刷ること(Print lots of money)で需要を喚起し[13]、インフレ期待を作成することが経済を拡大する唯一の方法であると述べている[14]。第2次安倍内閣での大胆な金融政策・量的緩和によってこの提言がマクロ経済政策に反映される形となった。しかしながら長期にわたるデフレのために依然として実質金利が高止まりしており、日本経済がデフレを脱し健全な経済成長をするまでは消費税の増税をするべきではないとの認識をクルーグマンは示している。もし脆弱な景気回復の中で消費増税を行えば、一時期の回復が自滅的な結果[15]に終わってしまう可能性があることが懸念される。財政規律の名のもとに、回復基調の経済を危険に晒すことは愚かなことだとクルーグマンは論じる。
- 日本の低成長について「日本には大きな長期的問題があり、基本的には日本人の不足が問題だ」「日本の人口動態はひどい。労働年齢人口1人当たりの成長はさほど悪くない」と指摘している[16]。
- 安倍晋三首相が取り組んでいる経済政策「アベノミクス」について「素晴らしい結果を伴っている」と評価しており[17]、「プリンストン大学の経済学者達が十数年前に書いていた論文に内容がそっくりだ」と述べている[18]。クルーグマンは「日銀が方針を転換し、2%の物価目標を掲げ、その効果を持続させるために政府が短期間、財政出動をし景気を刺激する。医師が処方したとおりのことを実行している」と述べている[19]。また「消費増税した日本がこれでうまくいけば、世界各国のロールモデルになることは間違いない。積極的な対策をとれば必ずデフレから脱却できるという強いメッセージになる。世界の多くの国が固唾を呑んでその行方を見守っている。今(2013年)、世界経済を救うために、日本が必要とされている」と指摘している[20]。
中国
- 人民元の為替レートが人為的に低水準に保持されていることに言及し「ドルが下落するにもかかわらず、一貫して人民元の対ドルレートを固定させる政策は、世界経済に大きな害を与えている」と述べている[21]。
- 2012年現在続いているアメリカと欧州連合(EU)の金融危機の終わりは遠いとし、ドイツ主導の緊縮政策が1930年代のような経済恐慌をもたらす恐れがあるとの見方を示している[22]。
人物
- 一回離婚しており、プリンストン大学の同僚ロビン・ウェルスと再婚している。
- 専門の国際経済学の分野以外でも積極的に発言しており、反ジョージ・W・ブッシュの旗手としても知られる。また、2008年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙のキャンペーンでヒラリー・クリントン候補のメディケア政策を擁護した[23][24][25]。この結果、メディケアに対してバラク・オバマ陣営が当初表明していた共和党寄りの方針を撤回させ、民主党の本流の政策に転換させることに成功している。ただし、この論争がしこりとなりクルーグマンは民主党の要職から外れることになった。
- 自身について、貿易交渉については専門ではないとしており、特に政治的な側面は分かっているつもりはないと述べている[26]。
- SFファンとしても知られ、アイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」に登場する心理歴史学者ハリ・セルダンにあこがれたことが、経済学の道に進む動機になったと語っている。1978年(イェール大学時代)に「恒星系間貿易の理論」をパロディ論文として著したり[27][28][29]、イグノーベル賞の講演で、地球全体の輸出入総計の不均衡の原因を宇宙人に求めるおふざけ講演などを行っている。
邦訳著作
単著
- Exchange-Rate instability
- Geography and trade
- Peddling Prosperity
- Pop internationalism
- The Self-Organizing Economy
- 『自己組織化の経済学 経済秩序はいかに創発するか』 北村行伸訳 (東洋経済新報社, 1997年)
- Has the adjustment process worked?
- Collected Essays of Paul Krugman Appeared in Foreign Affairs
- 『資本主義経済の幻想 コモンセンスとしての経済学』 北村行伸訳 (ダイヤモンド社, 1998年)
- The age of diminished expectations
- The Accidental Theorist : And Other Dispatches from the Dismal Science
- The return of depression economics
- 『世界大不況への警告』 三上義一訳 (早川書房, 1999年)
- Development geography, and economic theory
- Rethinking international trade
- 『国際貿易の理論』 高中公男訳 (文真堂, 2001年)
- Japan's trap
- The Great Unraveling
- 『嘘つき大統領のデタラメ経済』 三上義一訳 (早川書房, 2004年)
- The Conscience of a Liberal
- 『格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略』 三上義一訳 (早川書房, 2008年)
- The return of depression economics and the crisis of 2008
- 『世界大不況からの脱出 なぜ恐慌型経済は広がったのか』 三上義一訳 (早川書房, 2009年)
- 『さっさと不況を終わらせろ』山形浩生訳 2012年 ISBN 978-4152093127
共著
- International economics : Theory and policy
- (モーリス・オブズフェルド)『国際経済 理論と政策』 竹中平蔵他訳 (サイエンス社, 1990年)
- Trade policy and market structure
- (エルヘイナン・ヘルプマン)『現代の貿易政策 国際不完全競争の理論』 大山道広訳 (東洋経済新報社, 1992年)
- The Spatial Economy : Cities, Regions, and International Trade
- It's Baaack!Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap, Japan : Still Trapped, Further Notes on Japan's Liquidity Trap, Delusions of Respectability, Time on the Cross
- (ラルス・E・O・スヴェンソン)『クル-グマン教授の〈ニッポン〉経済入門』 山形浩生訳 (春秋社, 2003年)
- Macroeconomics
- Microeconomics
- (モーリス オブズフェルド) クルーグマンの国際経済学 上 貿易編 ISBN 978-4864010061
- (モーリス オブズフェルド) クルーグマンの国際経済学 下 金融編 ISBN 978-4864010078
脚注
関連項目
外部リンク
- The Official Paul Krugman Web Page テンプレート:En icon ポール・クルーグマンの公式ウェブサイト
- The Unofficial Paul Krugman Web Page テンプレート:En icon
- Economics and Politics by Paul Krugman - The Conscience of a Liberal テンプレート:En icon ポール・クルーグマンのブログ
- ポール・クルーグマン「さっさと不況を終わらせろ」 (1) いまは赤字削減より財政支出を 動画 日本語字幕付 (デモクラシーナウ!ジャパン 2012年5月17日)
- ポール・クルーグマン「さっさと不況を終わらせろ」 (2) ユーロ圏の危機ほか 動画 日本語字幕付 (デモクラシーナウ!ジャパン 2012年5月17日)
- ↑ 経済学賞にクルーグマン氏 ノーベル賞、貿易理論刷新47NEWS(よんななニュース)2008年10月13日
- ↑ ノーベル経済学賞、クルーグマン氏 国際貿易で新理論asahi.com(朝日新聞社) 2008年10月14日
- ↑ ポール・クルーグマン 競争力論争――私はなぜ自説を曲げたか 政治家に迎合したくなる強い誘惑~「グローバル・ビジネス」1995年1月1日号掲載ダイヤモンド・オンライン 2010年1月10日
- ↑ 経済の死角 本誌独占インタビューノーベル経済学者は指摘するポール・クルーグマン「1ドル100円超え、アベよ、これでいいのだ」現代ビジネス 2013年2月14日
- ↑ Krugman, Paul 2009. "The Increasing Returns Revolution in Trade and Geography." American Economic Review, 99(3): 561–71.
- ↑ The New York Times ポール・クルーグマン「リーマン・ブラザーズ崩壊後、ムダに費やされた悲劇の年月」現代ビジネス 2013年9月17日
- ↑ Raise That Wage Paul Krugman, New York Times 2013年2月17日
- ↑ 経済の死角 独占インタビューノーベル賞経済学者 P・クルーグマン 「間違いだらけの日本経済 考え方がダメ」現代ビジネス 2010年08月20日
- ↑ Japan's trap, It's Baaack!Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap, Japan : Still Trapped, Further Notes on Japan's Liquidity Trap, Delusions of Respectability, Time on the Cross他
- ↑ 世界が注目する“日本の教訓” - これまでの放送NHK Bizプラス 2012年8月13日
- ↑ Paul Krugman"What's wrong with Japan?" The Official Paul Krugman Web Page
- ↑ IS-LMentary The conscience of a liberal 2011年10月9日
- ↑ Paul Krugman"What's wrong with Japan?" The Official Paul Krugman Web Page
- ↑ Paul Krugman"JAPAN'S TRAP" The Official Paul Krugman Web Page
- ↑ Make Japan Chaste and Continent, But Not Yet The Conscience of a Liberal, Paul Krugman, September 9th, 2013
- ↑ クルーグマン教授、日本の人口減少を問題視-低成長の要因Bloomberg 2013年2月6日
- ↑ 政治・社会 ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマン教授、皮肉まじりにアベノミクス評価ZAKZAK 2013年1月15日
- ↑ ポール・クルーグマン ― アベノミクスが日本経済を復活させる!PHPビジネスオンライン 衆知 2013年10月22日
- ↑ どう見る“アベノミクス”NHK Bizプラス 2013年2月12日
- ↑ 経済の死角 【独占インタビュー】ノーベル経済学賞受賞ポール・クルーグマン 日本経済は、そのときどうなるのか現代ビジネス 2013年10月21日
- ↑ ノーベル経済学賞受賞者:中国の人民元政策、世界経済の脅威に大紀元 2009年10月31日
- ↑ 危機の終わり遠い、緊縮で30年代型恐慌も-クルーグマン教授Bloomberg 2012年10月4日
- ↑ The Conscience of a Liberal (October 2007) ISBN 0393060691
- ↑ ニューヨークタイムズ連載コラム(2008/02/04)
- ↑ ニューヨークタイムズ連載コラム(2008/02/11)
- ↑ 国際シンポジウム「グローバル化と地域統合〜空間経済学の視点から」asahi.com 朝日新聞社シンポジウム 2004年12月2日
- ↑ テンプレート:PDFlink テンプレート:En icon 「恒星系間貿易の理論」原文
- ↑ クルーグマン: 恒星系間貿易の理論 テンプレート:Ja icon 翻訳文
- ↑ Economics: the final frontier テンプレート:En icon 「恒星系間貿易の理論」に言及したポール・クルーグマン自身のブログエントリ