三陸はるか沖地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:地震 三陸はるか沖地震(さんりくはるかおきじしん)は、1994年12月28日に日本の三陸沖で発生したM7.6の地震である[1]。
概要
1994年(平成6年)12月28日21時19分21秒、青森県八戸市東方沖180km(北緯40度25.8分、東経143度44.7分、深さごく浅い)を震源として、M7.6の地震が発生した。
気象庁は「平成6年(1994年)三陸はるか沖地震」と命名した[2]。
メカニズム
- M5 前後の初期破壊の後、主破壊が生じた。
- 全継続時間は55秒前後。
- 断層長さ L=138kmと推定[3]。
- 震源域は、1968年十勝沖地震の南側約30kmでとほぼ重なる[4]。
震源となる海域では、日本列島が乗る北アメリカプレートに太平洋プレートが沈み込んでおり、これらのプレートの境界で生まれる歪みが解消されるときに地震が発生する。この海域では固有地震以外にも10年程度の間隔でプレート間地震が起こり、同様の傾向が千島海溝周辺に見られる。
震源域やアスペリティ(固着域)の位置関係から、(実際は三陸沖北部地域で発生している)1968年の十勝沖地震で破壊されずに残った部分が今回の地震で破壊されたという説もあるが[5]、文部科学省の地震調査研究推進本部は「三陸沖北部地震」には含まず、固有地震ではないとしている。
各地の震度
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
6 | 青森県 | 八戸市 |
5 | 青森県 | むつ市 青森市 |
岩手県 | 盛岡市 | |
4 | 北海道 | 函館市 苫小牧市 浦河町 帯広市 |
青森県 | 五所川原市 七戸町 | |
岩手県 | 宮古市 大船渡市 葛巻町 花巻市 | |
秋田県 | 大館市 |
余震
この地震の最大の余震は、本震から10日後の1995年(平成7年)1月7日07時37分37秒に岩手県沖で発生したM7.2の地震だった。青森県八戸市、岩手県盛岡市・葛巻町で最大震度5を観測し、津波注意報が発表されたが、津波は観測されなかった。
前兆現象
本震の1ヶ月程度まえから周辺の地震活動が低下していた[6]。
津波
- 東北地方の太平洋沿岸に津波警報が、津軽海峡・日本海沿岸・北海道南東沿岸に津波注意報が発令された。緊急警報放送も実施された。
- 北海道から東北地方の太平洋沿岸では、岩手県宮古市の55cmを最高に津波が観測されたが、被害はなかった。
被害
- 死者3名、負傷者784名。
- 全壊72棟、半壊429棟、一部損壊9021棟。
影響
- 八戸市内で営業中のパチンコ店が倒壊。地震発生当時200人以上の客が来店しており、2名が死亡した。
- JR東日本東北本線(現在の青い森鉄道青い森鉄道線)の青森県上北郡内の区間で、線路の路床が崩落した。復旧は比較的早かったが、年末の帰省時期[7]と重なったため、帰省客など多くの乗客に影響が出た。
- 八戸市内では高台を通る市道などが崩落・陥没する所があった。
法的措置
- 激甚災害法適用。なお適用されたのは阪神・淡路大震災発生数日後である。
その後
- 20日後に発生した阪神・淡路大震災とともに、発表された震度・マグニチュードと被害の規模に大きな差があり、当時8段階に分かれていた気象庁震度階級が翌年10段階に改正されるきっかけとなった。
- 建築物の応急危険度判定が初めて実施された。
- 2001年の気象庁マグニチュードの改定によって、地震の規模が7.6と改められた(改定前は7.5)。
出典
- テンプレート:PDFlink 地震予知連絡会 会報 第54巻
脚注
- ↑ 震度データベース
- ↑ 気象庁が命名した気象及び地震火山現象
- ↑ 加藤 研一、武村 雅之:強震記録の継続時間から推定される1994年三陸はるか沖地震の破壊伝播特性 地震 第2輯 Vol.49 (1996-1997) No.1 P75-83, テンプレート:JOI
- ↑ ゆっくりとした断層破壊による地震津波について 海岸工学論文集 Vol.51 (2004) P281-28
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 第113回地震予知連絡会(1995年2月20日)議事概要 地震予知連絡会
- ↑ 当時、東北新幹線は盛岡までで、青森方面は盛岡から特急「はつかり」に乗り継いでいた。
関連項目
外部リンク
- 三陸はるか沖地震 青森県防災ホームページ
- 地震予知連絡会 会報 第54巻
- 三陸はるか沖地震における被害と地盤特性 土木学会論文集 Vol.2001 (2001) No.694 P117-130