二子山部屋
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二子山部屋(ふたごやまべや)とは、かつて日本相撲協会に所属していた相撲部屋である。
沿革
- 1962年、初代若乃花が現役を引退した後、所属していた花籠部屋から分家独立して創設。1993年に初代若乃花の停年に伴い、実弟である大関・貴ノ花の藤島親方が継承し、藤島部屋と合併した。一時は関取を10人擁する一大勢力であった。
- 2004年にその息子である横綱・貴乃花が一代年寄:貴乃花親方として継承し「貴乃花部屋」となった。なお、貴乃花部屋の項目も参照されたい。
師匠
- 創設:若乃花幹士 (初代)
- 継承:貴ノ花利彰
力士
横綱
- 若乃花幹士 (2代)
- 隆の里俊英
- 貴乃花光司(藤島部屋から)
- 若乃花勝(藤島部屋から)
大関
関脇
小結
前頭
十両
- 五剣山博之(藤島部屋から)
旧二子山部屋
1921年(大正10年)5月場所限りで引退した友綱部屋(前頭筆頭・海山)所属の元前頭筆頭・土州山役太郎が年寄・二子山を襲名して、友綱部屋より分家独立して二子山部屋を創設した。中立部屋(大関・伊勢ノ濱)が中立親方の死去で部屋が閉鎖された時には、後の幕内・灘ノ花、銚子灘らを一時預かり(彼らはその後出羽海部屋に移籍)し、幕内・土州山好一郎らを育てたが、1947年(昭和22年)限りで二子山部屋を閉じた。なお、こうした関係のため、同系統とみなされて、二子山部屋の力士と二所ノ関部屋の力士との対戦はなかった。
弟子の土州山好一郎は高知県出身ということで同郷の横綱・玉錦の露払いなどを務め、引退後は年寄・大嶽を襲名したが部屋は興さなかった。