五島勉

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テンプレート:Infobox 作家 五島 勉(ごとう べん、1929年(昭和4年)11月17日 - )は、日本の作家ルポライター。「サソリのベン」とも呼ばれていた。

人物・来歴

北海道函館市出身。正教徒の家庭に生まれる。本名は後藤 力[1](ごとう つとむ)。旧制函館中学校(現北海道函館中部高等学校)から第二高等学校へ進み、後の弁護士遠藤誠と知り合う。東北大学法学部卒業。大学在学中、小遣い稼ぎにポルノ小説を書いて雑誌に投稿し、文筆家の道に入る。大学卒業後は『微笑』『女性自身』など女性週刊誌でアンカーマンとして活動。体力の問題から走り回る取材が難しくなったため大衆小説家への転身を図り、1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)にかけて『小説・死のF104』『BGスパイ』の二作を刊行したが不人気だったので、『女性自身』時代から最も得意としていたオカルト記事の執筆を専門とするようになった[2]1972年(昭和47年)に海潮社より発表した『近親相愛』では近親相姦について取り扱っていた。また、1973年(昭和48年)に倉田 英乃介(くらた ひでのすけ)の別筆名で出版した『コイン利殖入門』という著書もあった。

『ノストラダムスの大予言』

五島が祥伝社伊賀弘三良に「10人の預言者を扱った企画」を持ち込んだところ、伊賀がノストラダムス1本に決定。これを受け、五島は1973年(昭和48年)に『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)を執筆。この本は、オイルショックや公害問題の顕在化による社会不安を背景に250万部の大ベストセラーとなり、映画化もされた。五島はこの本の印税により、石神井に土地を購入し、自宅を建てている[2]。五島はこれに先立つ1970年(昭和45年)から1971年(昭和46年)、創価学会の提灯本と評される[2]『池田大作という人 その素顔と愛と生き方』などを刊行していたため、『ノストラダムスの大予言』については、信者拡大のために終末論を必要としていた創価学会の思惑の反映と見なす向きがある一方[2]、創価学会が信者獲得に利用したことはなかったという宮崎哲弥の指摘もある[3]

いずれにせよ「1999年人類滅亡」を喧伝したこの本は、当時の青少年を中心とする人々に漠然とした将来への不安やトラウマを植え付けた。たとえば、地下鉄サリン事件など一連のテロ事件を起こしたオウム真理教は、五島が紹介した形でノストラダムスの大予言を信じ込んでいて、それが彼らの終末観を促進したという見方もある[4][5]。後年同書にはフィクションも多数挿入されている事が判明して批判を受けることとなる[6]。ちなみに日本で「百詩篇」の誤訳『諸世紀』が広まってしまったのも、五島勉に負うところが大きい[7]

『ノストラダムスの大予言』を境に、予言やオカルトに関する著書を量産するようになる。祥伝社からは四半世紀にわたって書き継がれた『大予言』シリーズのほか、ツングースカ大爆発古代宇宙飛行士説輪廻転生などに関する著書を刊行し、これらはまとめて「五島勉の『文明批評』シリーズ」と名付けられていた[8]

祥伝社のほか、青春出版社や光文社などからも予言関連書を刊行したが、それらにおいて予言者とされた人物は、エドガー・ケイシーアドルフ・ヒトラー聖徳太子イソップアルバート・アインシュタインH.G.ウェルズなど、あまり予言者扱いされない人物も含め、多岐に渡る。ファティマの聖母ヨハネの黙示録などのように、予言として知名度の高いものも扱っているが、前者には従来の「3つの秘密」を超える「第4の予言」があったと言い[9]、後者には「ハルマゲドン」を超える「ドラマゲドン」が隠されていると主張するなど[10]、他では見られない特殊な主張が含まれている。その一方で、予言関連のテーマの中には、日月神示など、ほとんど、あるいは全く触れられてこなかったものもある。なお、五島は集英社社員の息子が社内でいじめを受け1988年(昭和63年)頃に退社したため、無職の息子を養う必要から延々と『大予言』シリーズを書き継いだと『噂の真相』では報じられた[2]

このほか、もともと小説家志望だった五島は『大予言』シリーズの商業的成功と引換に『危機の数は13』『超兵器戦争』など、ノストラダムスとは関係のない小説を何作も出版させているがほとんど売れず、1987年(昭和62年)を最後に小説執筆を断念。と学会がトンデモ小説として光を当てる[11]までは、取り立てて話題にはならなかった。1999年(平成11年)、と学会より日本トンデモ本大賞特別功労賞を授与された[12]。と学会メンバー以外にも、酒見賢一のように、五島の著書をエンターテインメントとして評価する声もある[13]

予言ものを多く書いたが、確定的な滅亡論を印象付けた初期の関連書とは異なり、1980年代後半以降には、滅亡を回避できる可能性や、予言がもつ警告としての意義を強調するようになった。2004年(平成16年)頃に『封印作品の謎』の著者である安藤健二の取材を受けた際にも、この線に沿ったコメントを寄せている[14]。その一方で、五島は自著に滅亡説を煽るような虚構を織りまぜていたことに批判が出ている点などに対しては、一度として真摯に向き合ったことがない。そうしたこともあって、彼の釈明は額面通りには受け止められていない[15]

「1999年人類滅亡」については、1999年(平成11年)7月1日付の朝日新聞(夕刊)の取材に対し、予言は警告であって人間の意志によって回避可能なものだったとした上で、心を痛めている読者がいる場合には謝罪したい旨コメントした[16]。しかし、2000年(平成12年)末の『週刊朝日』の取材に対しては、NATO軍がユーゴスラビアの中国大使館を誤爆したことを引き合いに出し、外れていないと主張した[17]。さらにアメリカ同時多発テロ事件が起こったあとは、恐怖の大王は2年ずれたが、あの事件の予言だったという主張で一貫させるようになった[18][19][20][21]。なお、そこでは英国の解釈者エリカ・チータムの解釈を援用し、その解釈の正当性を主張することをしばしば行なっているが、その主張にも事実と反する点が散見されることが指摘されている[22][23]

かつてほどのペースではないものの、1999年(平成11年)以降も『やはり世界は予言で動いている・予言体系I[釈迦と日蓮]』(青萠堂、2004年)まではほぼ毎年のように著作を発表していた。その後、6年ぶりに『未来仏ミロクの指は何をさしているか』(青萠堂、2010年)を上梓し、『ムー』2010年8月号・9月号では関連するインタビュー記事に登場した。五島の『ムー』への登場は1981年(昭和56年)以来のことである[24]2012年(平成24年)、飛鳥昭雄との対談本である『予言・預言対談 飛鳥昭雄×五島勉』を刊行し、H.G.ウェルズの預言を題材にした次回作の構想について明かしている。その予告されていた著書は、2013年(平成25年)4月に『H.G.ウェルズの予言された未来の記録』という題名で刊行された[25]

思想的傾向

テンプレート:独自研究 一連のノストラダムスもので脚光を浴びた人物ではあるが、そのルポライターとしてのデビュー作は、『続・日本の貞操』(蒼樹社、1953年)であり[26]、戦後間もない頃、駐留米軍による日本人女性に対する強姦事件が多発していた状況にも関わらず取り締まるべき日本の警察はまるで無力であったことや、駐留軍の性的慰安施設団体「特殊慰安施設協会」(RAA)、RAAで働く女性たちを殆ど拉致のように連れて来て働かせる暴力団の報告、RAAの閉鎖に伴い[27]路上へ追い出された街娼の実態、警察予備隊の発足に伴う当時の日本の再軍備化に警鐘を鳴らす内容のものであった。

倒語社版の「まえがき」で、強姦された女性たちに対する哀悼の念を表すると同時に、こうした性的非行を行った駐留軍、なかんずくユダヤ・キリスト教勢力に対する日本再侵略への警戒心も書いている。一連のノストラダムス本にも強く見られるように、五島の著書にはテンプレート:独自研究範囲反ユダヤ主義(ユダヤ陰謀論)傾向が初期から見られる。テンプレート:要出典範囲。ただし、『日本・原爆開発の真実』(2001年、祥伝社)pp.198-199では「私は今の憲法には、こまかい点で不備がいっぱいあると思っている。しかしそれを越えて、『(純粋な自衛以外の)戦争はいっさいしない』。この九条の理念は守りぬくべきもの。もしそこを変えたら、とたんにアメリカの意のまま、アジア大戦や中東大戦やミサイル大戦に駆り出される危険が待っているだけ」、「(護憲論への)非難者や嘲笑者・恐喝者たちは、即位の式典で『憲法を守る』と二度はっきり宣言した天皇をも、嘲笑し脅していることになるだろう」と述べ、護憲論者としての立場を明らかにしている。

著作

単著

共著

編著

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

テンプレート:日本トンデモ本大賞

  1. 超常現象大事典・著者正誤表
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 『噂の眞相』1999年3月号。
  3. 宮崎(1995)、p.162.
  4. テンプレート:Cite web
  5. 宮崎(1995)、pp.158 f.
  6. 批判としては、後継の志水一夫の文献(志水1992志水1997志水1998)や山本弘の文献(山本1998山本1999山本2000)などがある。
  7. 志水(1998)、pp.14 f.
  8. ノストラダムスの大予言IV』初版オビ他
  9. 聖母マリア・悲しみの大予言』青春出版社
  10. アジア黙示録』光文社
  11. 唐沢俊一「五島勉『危機の数は13』――ノストラダムスもビックリ、トンデモ・スパイ小説」、と学会(1996)、pp.131-136.
  12. と学会公式サイト内「日本トンデモ本大賞」
  13. テンプレート:Cite journal
  14. 安藤(2004)、pp.112-113
  15. 山本弘の後掲書(山本1998山本1999山本2000)などを参照。
  16. テンプレート:Cite news
  17. テンプレート:Cite journal
  18. テンプレート:Cite journal
  19. 五島(2010)、pp.75-91.
  20. テンプレート:Cite journal
  21. 飛鳥&五島(2012)、pp.118-120 etc.
  22. ASIOS&菊池&山津(2012)、p.85.
  23. と学会(2012)、pp.22 f.
  24. テンプレート:Cite journal
  25. テンプレート:Cite web
  26. 1985年(昭和60年)に倒語社より『黒い春 米軍・パンパン・女たちの戦後』と改題されて復刻された。
  27. 1945年(昭和20年)11月から翌1946年(昭和21年)3月27日に閉鎖されるまでの短い営業期間に最盛期で7万人の女性がいたという。
  28. 前作『日本の貞操―外国兵に犯された女性たちの手記』は水野浩編。