悪の枢軸
テンプレート:Sister 悪の枢軸(あくのすうじく、テンプレート:En)とは、アメリカ合衆国のG・W・ブッシュ大統領(子)が、2002年1月29日の一般教書演説[1]で、反テロ対策の対象として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラン・イスラム共和国、イラク(バアス党政権)の3か国を名指で批判する際に使った総称である。
概要
アメリカではこの前年に同時多発テロ事件が起きており、対テロ戦争の一環としてアフガニスタンに侵攻した。「悪の枢軸」発言はこれが一定の成果を収めた翌年の2002年1月に一般教書演説において、当時テロ支援国家(あるいはならずもの国家)とされていた国々を念頭にして発言されたものである。
当時、イラク、イラン、北朝鮮は大量破壊兵器を開発もしくは保持しているものと見られており、またテロ組織を支援しているものと看做されていた。イラクは湾岸戦争後の取り決めで大量破壊兵器の破棄および国連による査察団の受け入れが課されていたにも拘らず、1999年の武器査察団に非協力的態度を示していた(イラク武装解除問題)。また、北朝鮮は国際原子力機関 (IAEA) の査察団を追放し、国際条約を破棄して核開発に乗り出す(北朝鮮核問題)など、特にこの2か国が注目された。
さらに同年5月には、ボルトン国務次官による「悪の枢軸を越えて」の演説において、大量破壊兵器を追求する国々としてシリア、リビア(カダフィ政権)、キューバが追加で指定されている。
そして、約1年後の2003年3月19日にイラク戦争が米国の先制攻撃によって勃発する。
「悪の枢軸」という表現は第二次世界大戦における「枢軸国」と、ロナルド・レーガンの「悪の帝国発言」を組み合わせたものと見られる。また、イラク戦争後の2006年2月30日にワシントンで行った講演でも再び「悪の枢軸」という表現を用いて、イランと北朝鮮を批判している。
影響
テンプレート:出典の明記 イラクは反発したものの、同年、4年ぶりの全面査察に応じた。しかし、米国はこれを不十分だとして、国連会議での対立などを経てイラク戦争へと発展した。
北朝鮮は、同年10月に米国との協議中に「われわれは悪の枢軸の一員だ」と開き直るような発言をするなど、北朝鮮の態度硬化を招く結果となり、批判があった。また、その後の米国の外交姿勢では、イラク問題には強行的な態度を貫いたのに対して、北朝鮮問題には外交ベースの折衝を行ってテロ支援国家指定すら解除したので「米国が中東の石油問題に介入したいという真意を隠すために北朝鮮を混ぜた悪の枢軸発言を行ったのではないか」と疑われ非難されることにもなった。
一方で、イラク、イランと言ったイスラム国家の他に非イスラム国家である北朝鮮を混ぜたことで、これがキリスト圏とイスラム圏の争いではないと主張する意味を持つことに肯定的な評価もある(湾岸戦争などが十字軍に見立てられるなど、米国とイスラム圏の対立については極めてデリケートな宗教問題が背景にある)。
「善の枢軸」
ベネズエラのウゴ・チャベスは、悪の枢軸をもじって、ベネズエラ、キューバ(カストロ)、ボリビア(エボ・モラレス)の連携を善の枢軸 (テンプレート:En) と自称した。
これらの国は、中南米の反米・左翼政権であり、アメリカが進める新自由主義やグローバリズムと言った点に対抗するための協調を行っている。
イスラエルによる「悪の枢軸」発言
2008年2月28日、イスラエル首相(当時)エフード・オルメルトが日本の記者クラブの講演で、「北朝鮮とイラン、シリア、ヒズボラ、ハマースは悪の枢軸だ」だと発言した。
これに対し北朝鮮は「イスラエルと言えば、中東地域で侵略と破壊、殺人などの悪事を働くもっとも危険な反動勢力である」「シオニストの巨頭が、犯罪的な反パレスチナ侵略行為やアラブ領土占領政策などで自らに注がれる世界の鋭い視線を他にそらそうとしているが、それは逆に自分の首を絞める愚かな行為である」と激烈に批判した[2]。ただ、北朝鮮がイランやシリアと武器輸出などで懇意なのは確かであり、また、米議会調査局によると、ヒズボラの兵士が1980年代後半から北朝鮮当局の招待に応じて訪朝し、北朝鮮国内での軍事訓練を受けていたとされる。
2010年5月12日には、イスラエル外相アヴィグドール・リーバーマン(リーベルマン)が、日本の記者クラブの講演で、イラン、シリア、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、国際社会が核や大量破壊兵器の拡散防止のために連携するよう訴えた[3]。