ヘアヌード
テンプレート:性的 ヘアヌードは、(主として女性の)陰毛が修正されずに写っているヌード写真・映像。日本ではかつて修正が義務付けられるなどの規制があったが、1990年代初めに事実上の解禁状態となり、一大ブームを巻き起こした。
目次
語としてのヘアヌード
「ヘアヌード」(hair nude)は和製英語。講談社の元木昌彦が仕掛け人となり『週刊現代』上で、「ヌード」に陰毛を意味する和製英語「アンダーヘア」を組み合わせ「ヘア・ヌード」と表記したことに始まる(本来英語で陰毛は「pubic hair」)。元木はこの功績から「ヘアヌードの父」と呼ばれることもある。英語圏ではそもそも陰毛だけに着目されることはあまりないため、同義語は存在しないが、俗語としては「full frontal」などが近い。
写真におけるヘアヌード
概説
従来、日本の警察当局では、写真表現に関しては刑法175条に基づき、局部が写っているかどうかを基準にわいせつ物頒布等の罪に該当するかどうかを判断し取締りを行ってきたが、陰毛については局部の一部と解釈して規制の対象としてきた。表現の自由を求める写真家は、りんごなどの小道具を使って巧みに陰毛を隠したり、雑誌編集者が出稿前の段階で修正を行うなどして、陰毛を隠してきた。
1980年代の成人向け雑誌(いわゆるビニ本、エロ本等)では、生地の薄いパンティを湿らすなどした透けパンがブームとなり、しばらくブームが続いたが、発行元の出版社が摘発されたり、行政から注意を受けるなどして陰毛が透けるスタイルの写真表現は一旦流通から姿を消す(一般流通を通さないいわゆる「裏本」などでの掲載は続き、インターネットが一般的になった2000年代半ばには「裏本」の写真集自体が紙媒体では見られなくなった)。
1980年代、末井昭編集の雑誌『写真時代』(白夜書房、1981年-1988年)では荒木経惟らによるヌードを掲載していたが、これには時々陰毛が写っている事があり、またロバート・メイプルソープの写真集「Lady リサ・ライオン」(宝島社、1984年)や「ブルータス」誌(マガジンハウス)の特集「裸の絶対温度」(1985年 - )にも陰毛の写った写真が掲載されており、写真家や出版社は芸術としての写真表現を主張し、何を持って「わいせつ」と判断するかは論争となっていた。
篠山紀信撮影の樋口可南子写真集「ウォーターフルーツ」(朝日出版社、1991年1月)では数枚の写真に陰毛が写っていたが、警察は摘発を行わなかった。その後、陰毛の写った写真集が次々と出版された。これが事実上の日本の出版・映像業界における「ヘア解禁」であり、同年秋には当時のトップアイドル・宮沢りえがヘアヌードを含む写真集『Santa Fe』(朝日出版社)を発表した。
1992年11月9日には、『宝島』が、一般雑誌(いわゆるエロ本やお菓子系雑誌を除く)としては初めてヘアヌードを掲載した[1]。
2000年代に入ると表現媒体は多様化し、雑誌のグラビアや写真集、アダルトビデオ、イメージビデオ、インターネットコンテンツ等様々な媒体でヘアが写っていることは特別なことでは無く一般的なものとなっている。
主なヘアヌード写真集
モデル | タイトル | 撮影 | 出版年月 | 出版社・備考 |
---|---|---|---|---|
樋口可南子 | water fruit | 篠山紀信 | 1991年2月 | 朝日出版社。ヘアヌード解禁の記念碑的写真集。 |
松尾嘉代 | 黄金郷 | 大森雄作 | 1991年7月 | 大陸書房。当時48歳で、「熟女ヘアヌード」の嚆矢となった。 |
本木雅弘 | white room | 篠山紀信 | 1991年8月 | 朝日出版社 |
宮沢りえ | Santa Fe | 篠山紀信 | 1991年11月 | 朝日出版社。当時のトップアイドルによるヘアヌード写真集。新聞の全面広告も話題になる。 |
島田陽子 | KirRoyal | 遠藤正 | 1992年 | 竹書房 |
石田えり | 罪-immorale- | ヘルムート・ニュートン | 1993年3月 | 講談社。世界的に著名な写真家による写真集。 |
川島なお美 | WOMAN | 渡辺達生 | 1993年 | ワニブックス |
YELLOWS | 五味彬 | 1993年 | 日本初のCD-ROM写真集。1991年に発売中止になった写真集をCD-ROM化。 | |
高岡早紀 | one、two、three | 篠山紀信 | 1995年 | ぶんか社 |
藤田朋子 | 遠野小説 | 荒木経惟 | 1996年 | 発売直後に急遽発売中止。 |
原千晶 | BORABORA | 篠山紀信 | 1997年 | 小学館 |
菅野美穂 | Nudity | 宮澤正明 | 1997年8月 | インディペンデンス。20歳の誕生日に発売。発売記者会見で菅野が泣き話題に。 |
林葉直子 | SCANDAL | 1998年 | テイアイエス | |
葉月里緒菜 | RIONA | 篠山紀信 | 1998年 | ぶんか社 |
杉田かおる | 女優ごっこ | 篠山紀信 | 1998年 | 小学館。写真集発売後にバラエティー番組等への出演が増え再ブレイク。 |
レオナ | レオナの杜 碧きレオナ |
大友正悦 | 1998年 | エムエスピー |
小島聖 | West by South | 篠山紀信 | 1999年 | 朝日出版社 |
川上麻衣子 | MAIKO KAWAKAMI | 篠山紀信 | 2001年 | 小学館。ヘア解禁前の1983年に撮影された17歳時の未公開ヘアヌード写真を収録。 |
松坂慶子 | さくら伝説 | 毛利充裕 | 2002年 | フォーブリック。50歳での初ヘアヌード写真集。 |
かでなれおん | はだかのれおん | 篠山紀信 | 2004年 | 朝日出版社 |
叶美香 | Sweet Goddess | 叶恭子 | 2006年 | バウハウス |
小島可奈子 | Moon&Sun | 橋本雅司 毛利充裕 |
2006年 | バウハウス |
神楽坂恵 | はだいろ | 松田忠雄 | 2008年 | 講談社 |
hitomi | LOVE LIFE2 | 2009年 | 幻冬舎。妊娠中に撮影された「マタニティーヌード」で、同世代女性からの反響が大きかったのが特徴。妊婦のあいだでヌード撮影ブームが起き[2][3]、少子化対策担当相(当時)の小渕優子からも肯定的なコメントが出された[4]。 | |
細川ふみえ | fumming | 篠山紀信 | 2009年12月 | 講談社 |
嘉門洋子 | 写真集 嘉門洋子 | 橋本雅司 | 2011年2月 | 講談社 |
田畑智子 | 月刊NEO田畑智子 | 松井康一郎 | 2011年8月 | イーネットフロンティア。朝ドラヒロイン経験者の突然のヘアヌードとして驚きを与えた。 |
後藤理沙 | lisa goto at nude | 佐藤学 | 2012年4月 | 講談社 |
西本はるか | Shape | 西田幸樹 | 2012年5月 | 講談社 |
映画におけるヘアヌード
概説
日本における映画興行では、映倫という自主規制組織による審査を通る必要があり、かつては陰毛についてはぼかし処理をかけるという規則があった。
『情熱の画家ゴヤ』(1971年、ソ連/東ドイツ映画)が公開されたときゴヤが「裸のマハ」を描く場面でモデルのヘアがスクリーン上に映し出されたが、芸術性の高い作品ゆえ当局も黙認した。 その後、1985年6月、第1回東京国際映画祭においてマイケル・ラドフォード監督のイギリス映画『1984年』(1984年製作)がぼかし無しの状態で上映された。この作品では女優のスザンナ・ハミルトンらが陰毛を露出するシーンがあるが、東京における初めての大規模映画祭開催とあって製作者側への配慮から例外措置が取られ、その後も同映画祭内に限って陰毛描写を認める流れができあがった。
1992年5月、フランス映画『美しき諍い女』が一般公開では初めて、ぼかしのないヘアヌードシーンを含んだ状態で上映された。映倫がこの上映を認めた背景としては、ヌードモデルをテーマにした作品でありヘアヌードシーンが映画の大半に及ぶため修正を入れると内容への影響が大きいこと、写真において前年に「ヘア解禁」が行われていたこと、さらにはこの作品は前年の第4回東京国際映画祭において既にぼかし無しの状態で上映されていたことなど、複合的な環境があげられる。映倫はこの作品の審査から陰毛修正を「原則」レベルに緩め、性行為と直接関わりのないヘアヌードシーンについては実質的に無修正が恒常化することになった。
日本映画史上初のヘアヌードとされるのが、1994年の『愛の新世界』における鈴木砂羽・片岡礼子のヌードシーンである。
その後徐々に製作サイドにも浸透し、ヘア解禁以前に公開された作品についても2000年代、「ヘア無修正版」などと称してDVD等のメディアで再リリースされる例が増加している。近年ではヘアヌードを披露することを「役者魂を見せる」「体当たり」とメディアで報じられる傾向にある。これに反対する見方も日本にはあるが、海外では有名女優や大女優が映画で裸体を披露している。
しかし近年の日本では、CM契約において、イメージを重視する企業側が女優に対してヌードにならないよう要請するケースも多く[5]、著名な若手女優が裸になることは、それほど多くなくない。
主な日本映画
テンプレート:節stub 映画でヘアヌードになった女優の一覧。ビデオ映画も含める。
ヘア無修正で劇場公開された外国映画
西暦は日本公開年。代表例のみ。
- ボーイズ・ドント・クライ (1999年、キンバリー・ピアース監督、ヒラリー・スワンク)
- バベル (2006年、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、菊地凛子>)
- ラスト、コーション (2007年、アン・リー監督、タン・ウェイ)
- シルク (2008年、フランソワ・ジラール監督、渡辺奈緒子)
脚注
関連項目
外部リンク
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- ↑ MSN産経ニュース「【報告します!】そこまで脱いじゃうの!? 30代に「マタニティーヌード」大ブーム hitomiさんの成功も影響か」(2009年7月11日||
- ↑ J-CASTニュース「hitomiに負けずに妊婦が挑戦 「臨月ヌード」がブーム」(2009年7月3日||
- ↑ J-CASTニュース「小渕少子化相、hitomiの妊婦ヌード称賛」(2009年7月13日||
- ↑ 前評判との落差で物議をかもした伊東美咲(『海猫』)の例がこれに該当すると報じられている