末井昭
末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フリーの編集者、作家、パチプロ、サックス奏者。岡山県吉永町(現:備前市)出身。
目次
経歴
出版業界に至るまで
岡山の鉱山町の農家に生まれる。物心ついた頃、母親は結核で入院しており、祖母や親戚宅で育てられる。村は自給自足で、町からたまにくる物売りにも米で代金を支払っていたため、お金をしらない幼年時代をすごす。やがて、入院していた母が「もう治らない」という理由で、帰宅。初めてお金の存在を知る。
母親の金遣いが荒いため夫婦仲が悪くなり、「肺結核第3期」の母親はヤケになり、不倫相手であった隣家の若者と鉱山で使われていたダイナマイトで心中した(末井の最初の著書『素敵なダイナマイトスキャンダル』の“ダイナマイト”はここからきている)。なお、父親は4年後に再婚した。
小学校4、5年生ぐらいから、山で雁皮(がんび)という木の皮(高級和紙の原料)を取り町に出て売るようになり、そのお金で魚肉ソーセージを買う。
本人や家族は、中学を出たら働くつもりであったが、学校で一番成績がよかったため、担任教師の薦めで日本育英会からの奨学金で岡山県立備前高等学校の機械科に進学。
高校卒業後、大阪・枚方のステンレス線の製造工場に集団就職。弟は中学を卒業して大阪で働き、また、父親は川崎に出稼ぎに出てことで実家には継母だけが残った。
だが、大阪の工場の過酷な労働がいやになり3ヶ月で無断退職し、無賃乗車で川崎の父親の元へ。父親が勤める三菱重工で働き、父親とアパートに同居していたが、継母も同居するようになったため、アパートを出て下宿に住む。その下宿にいた女性と交際し結婚(後に離婚)。
もともと絵を描くことが好きで、小学校2年のとき描いた絵が県のコンクールに入選したこともあったことから、牛乳配達のアルバイト等をして資金をため、渋谷にあった青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜間部に入学。だが、学校で学生運動が起こり、入学数ヶ月後に学校はつぶれた。
新聞の「デザイナー募集」広告で、駒込にある社員10人ほどのデザイン会社に入社。主に看板のデザインをする。
その会社での尊敬する先輩が、キャバレー会社「ハワイ・チェーン」に転職し、横尾忠則のようなポスター画を描いていたのを見て、自分も「自己表現」を求めキャバレー会社「クインビー・チェーン」にデザイナーとして入社。新しい店のオープン企画として、店内を大阪万博の会場のようにデコレーション。店の真ん中にシンボルとして発泡スチロールで2メートル程の「チンポコの塔」を製作した。また、三島由紀夫が割腹自殺した日の朝、看板に使う赤い塗料を頭から被り、裸になって道路を転げ回るという「ハプニング」を、同僚のカメラマンと行った。
その後、デザイン会社を退職している際に、キャバレー時代の知り合いから「ピンクサロンの看板描き」として誘われ、「クラウン・チェーン」に就職。1年ほどつとめる。
出版業界へ
看板書きの仕事をしていた折、デザイン会社時代の同僚のカメラマンが、清風書房(高橋鐵監修の『愛苑』『りびどう』等の性科学雑誌を出版していた)に在籍していたことから、新規に刊行する若者向けのエロ雑誌『ヤングV』のデザインの仕事を紹介される。やがて『ヤングV』でイラストやピンクサロンの取材の仕事も依頼されるようになる。
1年後に清風出版は倒産したが、編集者が多数の出版社に散らばった結果、様々な会社から仕事を頼まれるようになり、一気に仕事が増える。表紙のデザインからイラスト、挿し絵、漫画、取材記事、カット、描き文字と何でもこなした。
そのうち、『実話雑誌』や『SMセレクト』を出していた、東京三世社の編集者の櫻木徹郎(のちに、ゲイ雑誌「さぶ」を創刊)と親しくなり、「兄貴分」とまで慕うようになる。櫻木は編集者をやりながら「天象儀館」という劇団に所属しており、末井も「天象儀館」を観に行くようになり、主宰の荒戸源次郎や脚本担当の上杉清文を知る(なお、南伸坊の『さる業界の人びと』は、末井と櫻木の二人のことを書いている)。
また、赤瀬川原平にあこがれ、彼が「絵・文字工房」をやっていた美学校に入学。しかし、赤瀬川の教室に行くのはためらいがあり、入ったのは岡部得三のシルクスクリーン工房であった。だが、森下信太郎からエロ雑誌『NEW SELF』の編集を頼まれ、多忙のため美学校は中退する。
『NEW SELF』創刊から
やがて森下が1977年にセルフ出版(のちの白夜書房)を創設したため、「ただ一人の社員」として入社し「専務取締役」となる。入社後はエロを扱う余地は残しつつも、『NEW SELF』の編集方針を末井の興味対象を中心に扱う方向に変え、田中小実昌、嵐山光三郎、南伸坊、平岡正明、上杉清文、赤瀬川原平、秋山祐徳太子、荒木経惟、梅林敏彦(ルポ・ライター)、三上寛、池田福男(写真家)、安西水丸、林静一、鈴木志郎康、佐伯俊男、巻上公一などに仕事を依頼する。
また、奥成達にエッセイを依頼したところ、「冷し中華思想の研究」を連載させてくれと言われ、冷し中華愛好会神奈川県委員会・編「月刊・冷し中華思想の研究」の連載が掲載される。やがて奥成は1コーナーでは物足りなくなり、『小説マガジン』を創刊(名義上は末井が編集長だが、実質は奥成が編集長であった。ただし、6号で休刊)
しかし、『NEW SELF』に掲載された堤玲子の小説「続・美少年狩り」の中に“オマンコ”という言葉が36箇所あったことが、警察から「問題」とされ、猥褻文書販売容疑で捜査をうける。『NEW SELF』は1年半で発禁処分となる。
『NEW SELF』後
1977年に雑誌『ウイークエンドスーパー』を創刊。雑誌名はジャン=リュック・ゴダールの監督作『ウイークエンド』から取って命名。一応「映画雑誌」として創刊されたが、売れ行きが鈍く、映画以外の題材が中心となっていく。執筆者は『NEW SELF』以来のメンバーが多く、荒木経惟の連載は2本になった。1本はエロ写真物。もう、1本は「荒木経惟の偽ルポルタージュ」と題して、さまざまな場所に取材に行き、荒木がその場のノリで写真を撮った。秋山道男が企画した特集「愛情スイカ読本」では、秋山がスイカとSMプレイを、櫻木徹郎がスイカにあわせた歯列矯正を、南伸坊が頭でスイカを割るエンターテイナーを、それぞれ演じた。雑誌は売れ行きがよく、30歳にしてローンで自宅を購入。
1981年、実験的写真雑誌『写真時代』を創刊。荒木経惟は「景色」「少女フレンド」「荒木経惟の写真生活」と3本の連載をもち、1980年代当時の写真表現の限界に挑戦する写真作品を追求した。また、赤瀬川原平の提唱する超芸術トマソンの紹介の場ともなった。
また、同じく1981年には、南伸坊が提唱した集団「HAND-JOE」(糸井重里:命名)に、上杉清文ともに参加し、後に鈴木祐弘、巻上公一、山崎邦彦も参加。兵庫県立近代美術館で、水戸黄門の扮装をして楽器演奏をするなどの活動をした。なお、上杉に薦められて、サックスを始め、写真家滝本淳助も加えて「ハンジョウ・オール・スターズ(H.A.S.)」というバンドも結成し、渋谷のライブハウス「ラ・ママ」でライブを行った。このグループの活動は、レコード「高級芸術宣言」(1984)及び書籍『高級芸術宣言』(1985 JICC出版局=宝島社)にまとめられている。現在はペーソスのメンバーとして音楽活動を行っている。
1988年、再び警察の実質的な『発禁処分』を受けて『写真時代』は廃刊。その後末井はパチンコ誌の創刊を思いつく。末井本人はパチンコそのものに興味はなかったが、「パチンコをしている人に興味があった」ことが創刊を思いついた理由と言う。こうして創刊された『パチンコ必勝ガイド』は、パチンコ雑誌という新しいジャンルを切り開く結果となった。
以後長らく白夜書房の取締役編集局長として、パチンコ・パチスロ誌を中心に同社の刊行物の発行を指揮する立場にあったが、2012年3月に取締役を辞任した。この時点では白夜書房を退社するわけではなく、当面は同社で編集者としての活動を継続するとしていたが[1]、同年10月末で白夜書房を退社[2]。以後はフリーの立場で活動している。
人物
- 漫画家の西原理恵子からは「すえいどん」と呼ばれている。彼女が作品中に書くすえいどんは、なぜか子泣き爺のごとく蓑をかけている。
- 女装家としても有名。パチンコ必勝ガイドのテレビCFでは女装の奇抜な格好で「デルタマ」というコピーを叫ぶ。
- 近年、「女装者」撮影シリーズ(週刊宝石)、写真集「たまゆら」ISBN 9784838710652「たまもの」ISBN 9784480876164 などでも有名な写真家 神蔵美子と再婚。彼女の写真集「たまゆら」では末井の女装姿が、また「たまもの」では当初坪内祐三と結婚していた神蔵との三角関係が描かれている。
- 株式会社 明月堂書店代表の末井幸作は養子。
- 先物取引に熱中していた時期もあり、その失敗により億単位の借金を作り、何度か「臨死体験をした」と語っている。
- 競輪好きで、競輪グランプリが立川競輪場で開催されるときは、阿佐田哲也杯の関係者室で観戦をしている。
著書
- 素敵なダイナマイトスキャンダル(北宋社1982年、角川文庫1984年、ちくま文庫1999年、復刊ドットコム2013年)
- 東京爆発小僧(角川文庫1985年)
- 高級芸術宣言 付・総合商社HAND-JOEの歩み 高級芸術協会著(平岡正明、南伸坊、末井昭、巻上公一、赤瀬川原平、糸井重里ほか) JICC出版局 1985年
- 東京デカメロン(角川文庫1987年)
- 174,140円の教訓(太田出版1989年)
- チンジャラ人間国宝(風雅書房1995年)
- パチプロ編集長(光文社1997年)
- パチプロ編集長―パチンコ必勝ガイド版(漫画)なかたひろお(白夜書房1999年)
- 「荒木経惟・末井昭の複写『写真時代』―疾風怒濤の1981~1988」(共著/ぶんか社2000年)
- スエイ式人生相談(太田出版2004年)
- 絶対毎日スエイ日記(アートン2004年)
- 純粋力(ビジネス社2009年)
- 自殺(朝日出版社2013年)
主な編集
- NEW SELF
- 小説マガジン
- ウィークエンドスーパー
- 映画少年
- 写真時代
- 写真時代Jr.
- 写真時代21
- MABO
- パチンコ必勝ガイド
- パチスロ必勝ガイド
- 漫画パチンカー
- 各種荒木経惟関連写真集(最近では「東京性」コアマガジン)
出演
ラジオ
脚注
外部リンク
- deco company limited. Suei Akira - 旧公式サイト「sueiakira.com」のアーカイブ
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