森山眞弓
テンプレート:政治家 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7日 - )は、日本の元官僚(労働官僚)、元政治家。旧姓名は古川 眞弓[1]。
労働省婦人少年局局長、参議院議員、衆議院議員、環境庁長官、内閣官房長官、文部大臣、法務大臣、白鷗大学学長(2007年2月~2013年3月)などを歴任した。現在は尾崎行雄記念財団理事長及び同財団咢堂塾(がくどうじゅく)塾長を務める[2]。
来歴・人物
生い立ち
北海道硫黄株式会社社長の古川俊雄の三人姉妹の長女として生まれた。津田塾専門学校外国語学科(現在の津田塾大学)へ入学。極東国際軍事裁判において翻訳のアルバイトをしていた。津田塾専門学校を卒業後、女性として初めて東京帝国大学法学部法律学科(現在の東京大学法学部法律学科)へ入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。大学3年生のときに森山欽司と結婚した[3]。
国家公務員上級甲試験(後の「国家公務員採用I種試験」にあたる)に合格し、東京大学卒業後、1950年4月に女性上級職員第1号として労働省に入省[3][4]。女性官僚の草分け的存在としてキャリアを築いた。1980年(昭和55年)、婦人少年局長を最後に労働省を退官。局長時代には男女雇用機会均等法の草案に尽力した。その模様は『プロジェクトX』で後に紹介されている。
政界
1980年(昭和55年)に労働省を退官し、第12回参議院議員通常選挙栃木県選挙区に自由民主党より立候補、1位で初当選する。 当時自民党栃木県連会長だった夫は彼女の立候補に積極的ではなかったが、この選挙で二議席を独占した。夫の森山欽司とはおしどり議員として知られた。連続3期当選したのち、第41回衆議院議員総選挙に鞍替え立候補するため、参議院議員を辞職した。同選挙では比例北関東ブロックより立候補し、当選する。以降連続4期当選しており、その間に選挙区を栃木県第2区に変更している(夫が死去した後の1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙で自身が衆院鞍替えを望んだが党内事情から断念、簗瀬進を擁立した)。
1989年(平成元年)、第1次海部内閣で環境庁長官として初入閣するが、女性スキャンダルで官房長官の山下徳夫が辞任したため、後任の官房長官に横滑りという形で就任し、女性初の官房長官となった。官房長官時代に、相撲界の神事としての不文律(女人禁制)を無視して内閣総理大臣杯を土俵に上がって授与しようとして日本相撲協会に拒否されると、森山やその支持者らがこの事態を(日本文化の伝統だけではなく)女性差別問題でもあると問題提起を行い、その後の女人禁制反対派の活動により各地で様々な伝統行事のあり方に議論を呼びかけることになった。選択的夫婦別姓制度推進・婚外子差別撤廃派でもある[5][6][7][8]。
1992年(平成4年)、宮沢改造内閣で文部大臣として入閣。1993年の選抜高校野球では女性で初めて高校野球の始球式を務めた。
第1次小泉内閣、および、内閣改造後の第1次小泉第1次改造内閣にて、法務大臣として入閣した。約2年4ヶ月の法相在任中、5人の死刑囚の死刑執行を命令した。また法相在任中の2002年(平成14年)に鈴木宗男事件が発生している。
郵政国会では自民党党紀委員長として、郵政民営化法案に反対した党員に対して除名や離党勧告などの党内処分を宣告した。
2009年(平成21年)の衆議院選挙に栃木2区から栃木3区に国替えをして立候補する予定であったが、対立候補の渡辺喜美が「森山氏出馬なら県内の全小選挙区にみんなの党から候補を擁立する」と発表。これを受けた県連が党本部に公認見直しを申し入れ、結果出馬辞退を発表した。
政策
ユースカルチャーに対する法的規制を積極的に推進している国会議員の一人としても知られている。近年においては、児童保護と性倫理の矯正という視点からアニメやコミックなどにおける児童キャラクターの性描写を児童ポルノ法によって規制するべく活動していた[9][10]。また女性議員政策提言協議会の会長として、ゲームソフトに対する広範な法的規制の必要性を主張している[11]。
エピソード
- テンプレート:要出典範囲。
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- 夫の欽司との間に1男2女を儲けたが、長男は昭和48年に柔道の試合中の事故で死去。森山の公式webサイトではこの時のことについて、悲しみを紛らわすため(労働省の)仕事に打ち込んだと記述している。
- 息子が2人いて、息子からは昔、「まあもちゃん」と言われていた[12]。
- 趣味は、カメラ,ゴルフ,スポーツ観戦など[13]。
主な所属議員連盟
- 日本教職員組合問題究明議員連盟 会長
- 地球規模問題に取組む国際議員連盟 会長
- 情報化教育促進議員連盟 会長
- 国立追悼施設を考える会
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- たばこと健康を考える議員連盟
- 世界連邦運動推進団体・世界連邦日本国会委員会第13代会長。
略歴
- 1944年(昭和19年)- 東京都立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)卒業
- 1947年(昭和22年) - 津田塾専門学校(現・津田塾大学)外国語学科卒。
- 1950年(昭和25年) - 東京大学法学部法律学科卒。労働省入省。
- 1970年(昭和45年) - 労働省労政局労政課長
- 1973年(昭和48年) - 労働省大臣官房国際労働課長
- 1974年(昭和49年) - 労働省婦人少年局長
- 1980年(昭和55年) - 労働省退官。参議院議員当選
- 1984年(昭和59年)- 外務政務次官就任。
- 1985年(昭和60年) - 国連婦人の10年世界会議日本政府首席代表
- 1986年(昭和61年) - 参議院議員再選。
- 1987年(昭和62年) - 参議院外務委員長
- 1989年(平成元年) - 環境庁長官
- 1989年 (平成元年)- 内閣官房長官(女性初)
- 1992年(平成4年) - 参議院議員三選、文部大臣
- 1995年(平成7年) - 自民党人事委員会委員長
- 1996年(平成8年) - 参議院議員を辞職し衆議院議員に当選、自由民主党行政改革推進本部副本部長
- 1997年(平成9年) - 自民党文教制度調査会長、自民党総務会副会長
- 1998年(平成10年) - 自民党政務調査会副会長、衆議院外務委員会筆頭理事、自民党総務会副会長
- 2000年(平成12年) - 衆議院議員再選、自民党文教制度調査会長、自民党総務会会長代理
- 2001年 (平成13年)- 法務大臣(~2003年)
- 2003年(平成15年) - 衆議院議員三選、自民党党紀委員長、裁判官訴追委員長、自民党司法制度調査会長。
- 2005年 (平成17年)- 衆議院議員四選、二度目の自民党党紀委員長に就任する。
- 2006年(平成18年) - 衆議院教育基本法改正の特別委員会の委員長に就任する。
- 2007年(平成19年) - 白鴎大学の学長に就任する。(~2013年)
- 2009年(平成21年) - 旭日大綬章受章。
著作
- 『法務大臣の八八〇日』河出書房新社、2004年8月。
- 『わたしの呼び名は「まあもちゃん」』岩波書店、2002年11月。
- 『春夏秋冬』河出書房新社、2001年1月。
- 『この日この時』東京書房社、1993年1月。
- 『非常識からの出発 - 女性官房長官・激動の六か月 - 』小学館、1990年11月。
- 『女と国会とコーヒーカップ - ナイロビへの道 - 』小学館、1985年10月。
- 『うさぎのじょぎんぐ : 労働省婦人少年局長の覚え書き』 サンケイ出版、1980年4月。
- 『各国法制にみる職場の男女平等』東京布井出版、1979年2月。
- 『各国の職場における男女平等法』教育社、1979年3月。
- (編共著)『太郎』東京書房社、1973年7月。
- 1973年(昭和48)1月に高校1年生で事故のため逝った長男について、友人や先生、親戚、家族が綴った追想・追悼文集。
(翻訳)
- キャスリン=ノット著『福祉国家の明暗 - スウェーデンの印象 - 』河出書房新社, 1964.9,
脚注
関連項目
テンプレート:S-par
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
宮澤弘
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 参議院外務委員長
1987年 - 1988年
|style="width:30%"|次代:
堀江正夫
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
高村正彦
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 法務大臣
第72代:2001年 - 2003年
|style="width:30%"|次代:
野沢太三
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
鳩山邦夫
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 文部大臣
第117代:1992年 - 1993年
|style="width:30%"|次代:
赤松良子
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
山下徳夫
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内閣官房長官
第52代:1989年 - 1990年
|style="width:30%"|次代:
坂本三十次
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
山崎竜男
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 環境庁長官
第22代:1989年
|style="width:30%"|次代:
志賀節
テンプレート:S-aca
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
小山宙丸
|style="width:40%; text-align:center"|白鴎大学学長
第4代: 2007年 -2013年
|style="width:30%"|次代:
奥島孝康
- 転送 Template:End
テンプレート:内閣官房長官
テンプレート:環境大臣
テンプレート:文部科学大臣
テンプレート:法務大臣
- ↑ 工藤幸雄『ぼくの翻訳人生』p.38(中公新書、2004年)
- ↑ http://www.ozakiyukio.or.jp/aboutus/index.html
- ↑ 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 別姓通信63
- ↑ 6.0 6.1 第166回国会 衆議院 法務委員会 25号
- ↑ 河野太郎の指摘 ごまけの歯ぎしり
- ↑ なお、このうち婚外子問題に関しては、2013年9月4日に最高裁判所が、相続において婚外子を差別する民法の規定が違憲であるとの判断を下している。
- ↑ 文藝春秋編 日本の論点2009
- ↑ ITmedia News「アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン」
- ↑ 女提協(女性議員政策提言協議会)の会長に
- ↑ サンデー毎日写真絵本「私のあだ名はまあもちゃん」
- ↑ 法務大臣時のプロフィール