日本国有鉄道清算事業団
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox 組織 日本国有鉄道清算事業団(にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだん、英文名称:JNR Settlement Corporation)は、1987年(昭和62年)4月1日にJRグループ各社へ分割・民営化された日本国有鉄道(国鉄)の固定資産売却益による長期債務償還や余剰人員の再就職促進などを行うことを目的として設立された特殊法人。略称は国鉄清算事業団(またはさらに「清算事業団」)。1998年(平成10年)10月22日に解散した。
概要
清算事業団としての安定収入源がないままに国鉄債務の一部を継承したほか、国鉄改革法によって以下のような債務も負うこととなった。
- 日本鉄道建設公団(鉄道公団)の債務(国鉄への無償貸付線、北海道、四国、九州の有償貸付線のほか、新幹線、青函トンネル、JR各社が経営を行なわないとされた新線の建設費に関するもの) (※鉄道公団の資産のうち、廃止路線や開業のめどが立たない新線などに関する部分も同時に継承)
- 本州四国連絡橋公団(本四公団)の債務の一部(大鳴門橋およびいわゆる「瀬戸大橋」の鉄道関連部分のための借入金) (※当該施設は本四公団が資産として保有)
- JR各社に引き継がれない車両の処分。そのほとんどは、動力集中方式の機関車や客車、貨車であった。このうちのごく一部は、後にJRや地方私鉄に売却されている。
- 経営環境がよくないことから当初より赤字経営が見込まれた北海道・四国・九州の各旅客鉄道会社に対する経営安定基金(毎年の経営で発生する赤字をその利子や運用益によって補填することを目的とした基金で、本州以外の三島の会社に対するものであったことから、俗に「三島基金」とも呼ばれる)
特に青函トンネルなどはその建設費を清算事業団に負わせることによって開業の目処がついたという面があり(施設は鉄道公団が継承)、「国鉄の分割・民営化」という騒動に紛れて様々な債務を負わされた様相があると同時に、継承した資産についても当初より以下のような指摘がなされていた。
- 売却予定地に関しては、汐留駅跡地や大宮操車場跡地のようにまとまった敷地は稀であり、ほとんどは「鉄道に至近」とは言っても敷地の形状や面積の点であまり活用性がなかったり、線路には近くても駅までは遠いなど、資産価値が高いとは言えないものばかりであった(有用な土地はほとんどがJR各社に引き継がれた)。また、鉄道公団から引き継いだ資産についても、開業路線と関連のある資産については鉄道公団に残されたため、清算事業団が積極的に資産価値を活用できるものではなかった。新幹線については、資産は当初は新幹線鉄道保有機構が保有し、その後は各旅客会社へ譲渡されたが、その貸付料および譲渡料は一部が新幹線鉄道保有機構および譲渡後の鉄道整備基金(後に運輸施設整備事業団)が引継いだ国鉄債務返済に充てられ、清算事業団が関与することはなかった。
- 国鉄からJR各社に引き継がれた資産は「国鉄からの出資」という形をとっており、その対価は株式として清算事業団が継承したが、その際の評価額は国鉄改革法の定めによって基本的に「簿価」とされており、「適切な評価替えが行なわれていないため、市価に比較して不当とも言えるほど安価である」と言われた。このことは、公開後のJR株式の株価高騰という形で顕在化した。また、著名人が集まって私的組織である「国鉄資産不正処分監視委員会」を結成することにもなった。
問題
さらに、債務償還計画の根拠となった土地などの売却益が著しく低く見込まれていたり(前述の国鉄資産不正処分監視委員会が公示価格などを参考にして行なった試算によれば、当局の売却益見積もりが7兆7千億円であったのに対し、その資産価値は14兆7300億円であったという)、その一方で優良な資産については当初の「できる限り高く売却して債務の償還に努める」という目的に反した処分が行なわれたと指摘されている。
- 汐留駅跡地やJR東日本株(第2次以降の売却)は「地価や株価の高騰を煽る」として売却が凍結された(当時はバブル景気の最中であった)。
- 東京駅周辺の土地については、10年間の期限付きであった清算事業団が解散間際に投げ売りをするのを期待して、周辺を勢力下においている大企業が意図的に応札を阻害したという噂もある(実際にほとんどの遊休地が清算事業団の解散直前に安価で放出されたとされている)。
結局、売却できずにいた優良資産はその後のバブル崩壊などによって当初見積もりよりもさらに安価に放出せざるを得ず、売れずにいた資産は清算事業団の解散直前に一斉処分が行なわれた(ほとんど投げ売りであった)ということもあり、債務償還計画はほぼ崩壊という結果となった。
国鉄の分割・民営化においては、大企業の清算によく見られる「債権の(一部)放棄」や「利払いの停止」が行なわれず、その一方で「事業の継続による収入」がないばかりか、清算事業に関わる人件費の拠出や資産売却の不調も相まって、ほとんどの売却可能資産を処分し、またJR各社(特に本州3社)に追加の債務負担をさせたにも拘らず、約30兆円もの長期債務が返済できないまま(むしろ利払いなどにより増加してしまった)、1998年(平成10年)10月22日に日本国有鉄道清算事業団法の廃止と共に解散した。
理事長
- 杉浦喬也 - 1987年4月 - 1990年2月
- 石月昭二
- 西村康雄 - 199? - 1998年10月
解散後
解散後、固定資産やJR株式などの処分資産は鉄道公団が継承した。その一方、債務については「日本国有鉄道清算事業団の債務等の処理に関する法律」によって国の一般会計に組み入れられ、国自体の借金となった(「税金」の形で国民が負うことになる)。
鉄道公団はさらにその後2003年(平成15年)10月1日に運輸施設整備事業団(前身の一つが新幹線鉄道保有機構)と統合されて独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構となり、同機構の国鉄清算事業本部が業務を継承した。2008年(平成20年)4月には、清算事業の進捗により事業本部制を解かれ、国鉄清算事業管理部・国鉄清算事業用地部など、清算業務を行なう組織の総称として「国鉄清算事業関係」の名称が用いられている。
日本道路公団民営化という似たケースを推進した猪瀬直樹は国鉄民営化を失敗と評している。現在も毎年国の一般会計で元本4000億円・利子6600億円、合わせて1兆円以上を税金で支払っていることを自身が発行するメールマガジンにおいて「国民をだました」と表現している。
関連会社
関連会社としてレールシティ東開発[1]・レールシティ西開発[2]・レールシティ関東[3]などが設立されたが、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構発足後の2004年4月時点にはレールシティ東開発1社に整理され[4]、2009年にレールシティ東開発も解散している[5]。
開発担当物件
レールシティ東開発
レールシティ西開発
- 日石横浜ビル
- カシオ本社ビル
- 協和エクシオ本社ビル
- 恵比寿ネオナートビル
- 近鉄新難波ビル
- オオサカガーデンシティ
注釈・出典
- ↑ タイムズスクエアビルなどを保有。テンプレート:PDFlink - 2012年7月12日閲覧
- ↑ 梅田ダイビルや明治安田生命大阪梅田ビル・みなとみらい地区の物件の一部を保有。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 国土交通省、2012年7月12日閲覧
- ↑ テンプレート:PDFlink - 総務省 政策評価・独立行政法人評価委員会、2012年7月12日閲覧
- ↑ テンプレート:PDFlink - 鉄道建設・運輸施設整備支援機