格安航空会社
テンプレート:複数の問題 テンプレート:航空機写真 格安航空会社(かくやすこうくうがいしゃ)とは、効率化の向上によって低い運航費用を実現し、低価格かつサービスが簡素化された航空輸送サービスを提供する航空会社である。ローコストキャリア、LCC[注釈 1]とも言われる。テンプレート:Main2
歴史
「IATAカルテル」
1940年代後半から、1945年の第二次世界大戦の終結に伴い、戦勝国である連合国諸国において民間航空が再興した。また軍で使用されていたダグラスC-47(DC-3)型機やC-54(DC-4)型機、アブロ ランカストリアンやアブロ ヨークなどの大型レシプロ輸送機が安価に払い下げられたことから、アメリカや一部のヨーロッパ諸国で航空旅行が一般化してきた。1970年代に至るまで、ほとんどの大手航空会社(Legacy Carrier, LC)は国際航空運送協会(IATA)と航空会社、各国政府の間で決められた事実上のカルテル料金体系を維持しており、乗客は割高な国際航空運賃を一方的に押し付けられていた。
アメリカでは、1938年にフランクリン・ルーズベルト大統領が当時アメリカの「国策航空会社」的存在であったパンアメリカン航空のファン・トリップ会長のロビー活動を受けて設立したCAB(アメリカ民間航空委員会)の決定により、国際線を運航できる航空会社が限られていた。さらに、その運賃設定もCABと航空会社が一方的に決めていたこともあり、このような国際線のカルテル体制が他国に比べてより一層盤石なものとなっていた(パンアメリカン航空は1950年代に世界初の「割引運賃」を導入したが、元々の航空運賃が非常に高価であったこともあり「格安」と呼べる金額ではなかった)。
「アフィニティ・チャーター」
1958年に、パンアメリカン航空が世界初の座席数が100席を超える大型ジェット旅客機であるボーイング707型機をニューヨーク-ロンドン線に導入した。それに続いて、1960年代に入ると、日本航空やエールフランス航空、英国海外航空やヴァリグ・ブラジル航空などの国営や準国営を中心とした航空会社がボーイング707型機やダグラスDC-8型機、コンベア880型機などの大型ジェット機を相次いで導入した。
大手航空会社の急激な新鋭機の導入を受けて、長年の間ヨーロッパ大陸と北アメリカ大陸間の主要な移動手段であったオーシャン・ライナー(大型客船)が完全に衰退した上に、それまで使用されていた大型レシプロ輸送機がチャーター航空会社を中心とした中小の航空会社に格安で払い下げられたこともあり、国際線の航空運賃の下落が期待された。
1970年代までの間に一般旅客が格安運賃で航空機を使って国内外を移動する手段は、イギリスのモナーク航空やレイカー航空、アメリカのデンバー・ポーツ・オブ・コール航空などのチャーター航空会社が運航する、わずかにIATAによって認められていた「アフィニティ・チャーター(旅行クラブの会員など、なんらかの関連性があるメンバーのみで乗客が構成された団体ツアー向けチャーター便)」などの特殊かつ限られた手段に限られていた。パンアメリカン航空や英国海外航空、サベナ航空やルフトハンザ・ドイツ航空などの大手航空会社は、このような「IATAカルテル」によって守られた割高な国際線の運賃体系と無競争状態、そして政府からの援助の下で高い収益を上げ、それを元にして現在から見れば「放漫経営」である経営状況だった[1]。
座席供給過多
1970年代に入り世界各国の大手航空会社が、これまでの国際線や国内幹線における主流機材であったボーイング707型機やダグラスDC-8型機、コンベア880型機などの倍から3倍程度(100-200席に対して300-450席)の座席数を持つワイドボディの大型機を相次いで就航させた。導入された機材には、パンアメリカン航空のトリップ会長の肝いりで開発され、その後パンアメリカン航空や日本航空、KLMオランダ航空やユナイテッド航空などが競って導入したボーイング747型機や、マクドネル・ダグラスDC-10型機、ロッキードL1011・トライスター型機などがある。大型機の就航がひと段落した1970年代半ばには多くの大手航空会社において座席数の供給過多が深刻化した[2]上に、矢継ぎ早の大型機の導入による設備投資が経営を圧迫した。
1973年10月に中東において発生した第四次中東戦争や、これを受けて同月に起きたオイルショック、1978年末のイラン革命を受けて起こった第二次オイルショックを受けて世界的な長期不況に陥り旅客数が減少し[3]、収益が悪化した。
その結果、多くの大手航空会社は空席を埋めるために、これまで自らの身を守り続けてきた「IATAカルテル」の範囲を大きく離脱しない範囲で、自主的に割引運賃を導入せざるを得なくなった。
「格安航空会社」の誕生
フレデリック・レイカーによる会社設立以降、長年の間アフィニティ・チャーター便を運航していたレイカー航空が、これまでの「企業本位」ともいえる不自然な状況を打破すべく、既存の大手航空会社の割引運賃を大幅に下回る格安な運賃により、「スカイトレイン」のブランド名で1977年にロンドン(ガトウィック)-ニューヨーク(ニューアーク)線などの大西洋横断路線に参入した。
レイカー航空は、格安運賃を求める多くの利用者(その多くは大学生などの若者のバックパッカーを中心とした個人客であった)から支持を受けて、イベリア航空やアリタリア航空、サベナ・ベルギー航空などの、「IATAカルテル」の恩恵を受けて割高な国際航空運賃を維持していた既存の大手航空会社を押しのけ、1981年には大西洋横断路線において6位のシェアを獲得した[4]。
対岸のアメリカでも、1978年にジミー・カーター政権によって施行された航空規制緩和(新規航空会社の設立や路線開設が事実上自由化された)の影響を受けて、1981年にドナルド・バーによって設立され、既存の大手航空会社の割引運賃を上回る格安な運賃で大西洋横断路線やアメリカ国内線に就航したピープル・エキスプレス航空や、それに先立つ1971年に設立され、航空規制緩和を受けて急速にその規模を拡大していたエア・フロリダが、格安航空会社のはしりとして脚光を浴びた。
間もなく、大西洋横断路線を主軸にしていた格安航空会社は、パンアメリカン航空やトランスワールド航空、ブリティッシュ・エアウェイズなどの大西洋横断路線を主要な収益源の1つとして運航していた既存の大手航空会社やIATAの意を汲んだイギリス、アメリカ両国政府の強い圧力、航空事故などを受け倒産した[5]。
レイカー航空の倒産は、同じイギリスのリチャード・ブランソンによるヴァージンアトランティック航空設立に大きな影響を与えた[6]。
「IATAカルテル」の崩壊
格安な国際航空運賃を求める消費者の声は収まることがなく、このような消費者の声に答えるべく、1980年代に入るとヨーロッパやアメリカ、日本などの多くの先進国においても、キャセイパシフィック航空や大韓航空、シンガポール航空などのIATA非加盟(現在は3社とも加盟している)で、既存の航空会社の割引運賃を大きく超える安価な運賃を売り物にした航空会社の勢力が増してきた。その上、IATA加盟航空会社でないことから、エコノミークラスにおいてアルコール類や映画用イヤホンが無償で提供された。多くの会社がカルテル運賃に囚われない団体ツアー向けの航空券などの格安航空券を個人向け市場に流通させたために、国内線、国際線を問わず世界的規模で価格競争が進んだ。
同時期には、「IATAカルテル」が代表する、既存の大手航空会社と政府が結託した結果起きていた航空運賃の高止まりに対する批判の声も高まった。同時に、IATA加盟、非加盟双方の航空会社間での価格競争が進んだ結果、1980年代半ばにはIATAに加盟している既存の大手航空会社においてもカルテル運賃システムが崩壊した。
これらを受けて、既存の大手航空航空会社もIATA非加盟航空会社のそれと肩を並べる正規割引運賃を相次いで導入した。そのほかに、団体ツアー向けの格安航空券を旅行代理店などを通じて個人向け市場に流通させるようになり、航空会社同士の価格競争がさらに進んだ。
サウスウエスト航空の成功
新興格安航空会社が大きな成功を収め、無駄を省き効率を追求したビジネスモデルが世界各国で高い注目を受けた。 その例として、アメリカのサウスウエスト航空は航空規制緩和の影響を受けてアメリカ南西部を中心に地道にその勢力を伸ばしてきた。アイルランドのライアンエアーは、1992年に合意されたEUの航空市場統合(航空自由化)後に、より安価な航空券を求める市場の声に対応して、ヨーロッパ圏内の中・近距離国際線における格安航空会社としての新たなビジネスモデルを確立した。イギリスのイージージェットは、インターネット経由の直販というビジネスモデルを前面に押し出してコスト削減と個人旅客の取り込みに成功した。
南北アメリカやヨーロッパにおけるオープンスカイ政策の展開や、アジア(特にASEAN諸国内)における同様の政策の展開や各国における所得の向上を受けて、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、サウスウエスト航空やライアンエアーのビジネスモデルを受け継いで、アジアやオーストラリア、中南米などでも各国の国内線や近距離国際線を運航する格安航空会社の起業が相次いだ。
格安航空会社の台頭
格安航空会社の運賃に対応できなくなった既存の大手航空会社の乗客の多くがこれらの格安航空会社に流れたことや、価格競争の激化によって既存の大手航空会社のシェアは下がった。2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ後の国際航空旅客の一時的な減少や、2003年3月に開戦したイラク戦争以降の原油価格の高騰などにより経営状況は悪化した。2000年代に入るとスイス航空やサベナ航空、ユナイテッド航空やヴァリグ・ブラジル航空などの、かつてのIATAカルテル下では繁栄を謳歌していた既存の大手航空会社が相次いで経営破綻、倒産し、そのうちのいくつかは姿を消すこととなった。
デルタ航空やユナイテッド航空、タイ国際航空やシンガポール航空、スカンジナビア航空やルフトハンザ・ドイツ航空などの既存の大手航空会社が、格安航空会社のビジネスモデルを部分的に取り入れた子会社の格安航空会社を相次いで設立した。格安チャーター便専門会社による定期運航の格安航空会社への相次ぐ業態変更や、オアシス香港航空のような長距離国際線を格安運賃で運航する格安航空会社や、シルバージェットのような長距離国際線のビジネスクラスを格安運賃で提供する格安航空会社の登場など、航空ビジネスにおいて格安航空会社の存在は、業界の勢力図を塗り替えるほどの大きな影響を与えている。
旅行代理店への影響
格安航空会社の台頭の影響を受けて、さらなるコスト削減のために大手航空会社は格安航空会社のビジネスモデルである「インターネット経由の直販」と、さらなる安価な正規割引料金を取り入れた。その結果、旅行代理店経由での格安航空券の販売数が減少を続けており、「IATAカルテル」崩壊後の1980年代に世界各国に広まった「大手航空会社が団体ツアー向けの格安航空券を旅行代理店を通じて個人向け市場に流通させる」というビジネスモデルが終焉を迎えつつあるという評価も多い。
多くの大手航空会社が旅行代理店へ支払う航空券の販売手数料の引き下げを行い、いくつかの航空会社は販売手数料自体の廃止を行った。これは、格安航空券の販売手数料を収益源の1つにしていた旅行代理店の収益構造の悪化を招いただけでなく、格安航空券の販売手数料を最大の収益源にしていた中小の旅行代理店の多くが事業停止に追い込まれた。
淘汰
格安航空会社の台頭は世界規模で進んだものの、2000年代後半に入り、比較的格安航空会社の歴史が古いヨーロッパやアメリカにおいて、格安航空会社同士の客の奪い合いとそれがもたらす価格競争による収益性の悪化、2008年に入ってからの世界的な燃料の高騰を受けて、経営破綻に陥る格安航空会社が相次いだ。格安航空会社が市場規模に対して増えすぎた上、その成り立ちから経営体力が比較的弱く本格的な淘汰の段階に入っている。
アメリカだけでも2008年の上半期だけで、フロンティア航空とATA航空、スカイバス航空、Eos エアラインズ、マックスジェット航空と5社の格安航空会社の経営が破綻した。アジアやヨーロッパ諸国においてもオアシス香港航空やシルバージェット、ビバ・マカオなど、複数の航空会社が経営破綻に追い込まれた[7]。
1990年代後半から2000年代にかけて既存の大手航空会社が子会社の格安航空会社を相次いで設立したものの、デルタ航空(ソング)やユナイテッド航空 (Ted)、カナダ航空(エアカナダ・タンゴ)、ブリティッシュ・エアウェイズ (buzz)、ニュージーランド航空(フリーダムエア)をはじめとして、親会社の顧客を奪ったり、価格競争に巻き込まれ、事業閉鎖や業態変更している例がある[8][注釈 2]。
マーケットごとの状況
アジア
格安航空会社の歴史は比較的浅いが、1990年代以降に東南アジアにおいては各国政府による積極的な航空自由化が推し進められている。さらに、急激な経済成長を背景にした所得の向上に伴い航空機の利用者数が急増しているマレーシアやタイ、インドネシアや、南西アジアの大国であるインドを中心に急成長している。
これらの地域においては、マレーシアのエアアジアやインドのエア・デカン、インドネシアのライオン・エアを代表に、独立系の格安航空会社も多い。それらに加えて、既存の大手航空会社が格安航空会社の子会社をもつケースも多い。シンガポール航空がタイガーエアを、タイ国際航空がノック・エアを、カンタス航空がジェットスター・アジアを設立し、これらを成長著しい東南アジア地域内及び中華人民共和国南部をはじめとした短距離国際線に投入するなど、その対応を強めている。
しかし、この波に対応できなかったマレーシア航空は、マレーシア政府によって赤字続きの国内路線をエアアジアに移管させられた。インドネシアのガルーダ・インドネシア航空やフィリピンのフィリピン航空などの他の既存の大手航空会社(その多くが国営、もしくは半官半民の国策企業である)も、国内や近距離国際線における競争激化が進む中で慢性的な赤字経営が続くものの、抜本的な経営改革が進まず苦慮している。
その一方、中華人民共和国では、これまで国内における航空会社間の競争が激化していたにもかかわらず、格安航空会社が存在していなかった。2004年に行われた航空業規制緩和を機に、初めての民間資本系格安航空会社の春秋航空が発足した。同じく格安航空会社が存在していなかった大韓民国においても、済州を本拠地とした新興格安航空会社の済州航空が営業を開始し、大韓航空自身も格安航空会社のジンエアーを設立した。
しかし、結果的に採算が取れずに運航を停止したものも多い。2006年には、ボーイング747-400で香港-ロンドン間という長距離国際線を運航する格安航空会社であるオアシス香港航空が運航を開始し、その新しいビジネスモデルの成否に注目が集まっていたが、燃料価格の高騰で経営状況が悪化し2008年4月に運航を停止した。他にも、タイのワン・トゥー・ゴー航空やインドネシアのアダム航空が死亡事故を起こした末に運航を停止した(後に、ワン・トゥー・ゴー航空は運航再開)。2010年3月28日には、経営不振が指摘されていたビバ・マカオがマカオ政府から財政支援を打ち切られ、運送事業許可を取り消された[9]。
ヨーロッパ
域内の航空自由化が進められてきたEU域内において格安航空会社は既に20%以上、イギリスに関しては50%のシェアを確保していると伝えられる。アイルランドのライアンエアやイギリスのイージージェットは、2004年の旅客実績においてブリティッシュ・エアウェイズを上回るなど、格安航空会社の中には従来の大手航空会社とそん色ない経営規模を有する会社もある。そしてライアンエアはエアリンガスの買収に名乗りを上げるほど成長している。
格安航空会社の多くはコスト削減のためにフランクフルト・ハーン空港やロンドン・スタンステッド空港、ロンドン・ルートン空港に代表される不便な空港を使うことが多かった。その一方で、最近ではブエリング航空のように大手航空会社と同じ空港を使用するなど、大手航空会社と同様の高い利便性を売り物にしている格安航空会社も出てきており、大手航空会社の顧客を奪っている。
アリタリア航空やエールフランス航空、KLMオランダ航空などの高コスト体質の航空会社は、このような動きに対応できなかった。高コストの会社は、収益性の高い長距離大陸間路線においては未だに大きなシェアを持っているものの、EU域内マーケットにおいては、これらの格安航空会社に客を取られたために軒並み乗客数が減少した。さらに、昨今の急激な燃料費の高騰を受け経営不振に陥り、他社との経営統合や身売りを余儀なくされている。また、ルフトハンザ航空やスカンジナビア航空、ブリティッシュ・エアウェイズなどの多くの既存の大手航空会社は、格安航空会社の子会社をつくりEU域内路線の一部をこれらに移管することで状況の打破を模索している。
さらに、比較的経済規模が小さく収入が低い東ヨーロッパへのEUの拡大により、今後もEU圏内における格安航空会社のマーケットが拡大することが見込まれているために、ドイツやイタリア、オーストリアなどの既存のEU各国において新たな格安航空会社の設立が相次いでいる。また、格安航空会社による大手航空会社やチャーター便運航専門航空会社の買収や、エア・ベルリンやトムソンフライ航空などの既存のチャーター便運航専門航空会社による定期運航の格安航空会社への業態変更も相次いでいる。
北アメリカ
アメリカ国内においてサウスウエスト航空などの格安航空会社はかねてから安定したシェアを確保していた。2001年9月のアメリカ同時多発テロ以降、ユナイテッド航空やデルタ航空、ノースウェスト航空やアロハ航空などの既存の大手航空会社が破綻、もしくは連邦倒産法第11章を申請し経営を再建していた。しかし、大手格安航空会社のサウスウエスト航空やジェットブルーは、堅調な経営を続けシェアを伸ばし続けている他、ヴァージン・アメリカやスカイバス航空などの新規格安航空会社の市場参入が相次いだ。
そのような中で、既存の大手航空会社は株主の厳しい要求の元、連邦倒産法第11章による保護下で、パイロットの人件費を中心にコスト削減を行い、その中でいくつかの大手航空会社は子会社として格安航空会社を持った。併せて、ユナイテッド航空やノースウェスト航空、コンチネンタル航空などの豊富な国際線を持っていた大手航空会社のいくつかは、収益性の高い国際線のさらなる効率化を図ることで活路を見出そうとした。
この結果、人件費については格安航空会社の相対優位性が低下したとの評価もある。しかし、格安航空会社に対抗する切り札と、新たなビジネスモデルを模索することを目的として既存の大手航空会社が子会社として設立した格安航空会社は成功を収めることなく事業が廃止され、アメリカ国内市場における格安航空会社の優位は続いている。廃止された会社には、シャトル・バイ・ユナイテッドやTed(2社ともにユナイテッド航空の子会社)やソング(デルタ航空の子会社)、コンチネンタルライト(コンチネンタル航空の子会社)がある。
その反面、市場規模を無視して乱立した格安航空会社同士の過当競争とその結果として起きた価格競争による収益悪化、それに追い打ちをかける形で起きた燃料費の高騰により、2008年に入り多くの中小規模の格安航空会社が経営破綻した。
南アメリカ
ブラジルは国土が広大で人口が多いために古くより航空業界の動きが活発である。2000年代に入り、同国初の格安航空会社であるゴル航空は、同国において低・中所得者層の主要な長距離交通手段である長距離寝台バスと比較できるほどの格安価格で国内線に参入し大きな成功を収めた。
2008年現在、同社はブラジル国内線において最大のシェアを持ち近隣諸国への近距離国際線を運航する。ヴァリグ・ブラジル航空(2006年に破産)を買収して傘下に収めるなど、その路線網を拡大しつづけている。
また2000年代に入り、格安航空会社の躍進により、ヴァリグ・ブラジル航空と同じく古くより同国の主要航空会社であったVASP航空やトランス・ブラジル航空なども運航停止した。ゴル航空の成功に影響され、同じブラジルのTAM航空が国内線において格安航空会社への業態変換を行い同じく成功を収めただけでなく、BRA航空やフレックス航空、エア・パンタナールなどの新興格安航空会社が次々に誕生するなど、長年大手航空会社が牛耳っていた同国内の勢力図は数年のうちに一変した。
また、ブラジルのみならず、メルコスール加盟後経済が安定した隣国のアルゼンチンや、1990年代以降安定した経済成長を続けるチリ、1億人近い人口と成長を続ける経済、そして豊富な観光資源を持つ上に、隣国にアメリカという巨大なマーケットを持つメキシコなどの南アメリカ諸国の多くで新規格安航空会社の参入や既存の航空会社の格安航空会社への業態変換が相次いでいる。
オセアニア
オーストラリアの大手航空会社がカンタス航空のみだったところに、イギリスのヴァージン・アトランティック航空が子会社で格安航空会社のヴァージン・ブルー(現在のヴァージン・オーストラリア)を設立し、ほぼ同時にインパルス航空という格安航空会社もでき、オーストラリアにも格安航空会社乱立の時代に突入した。カンタス航空は日本線を中心にオーストラリアン航空を就航させ、その後カンタス航空はインパルス航空を買収、格安航空会社の子会社であるジェットスター航空を設立し、その後リゾート客の多い中距離国際線を中心にその路線を拡大するなど、オーストラリアにおいて国内外における航空業界の変化がアンセット・オーストラリア航空の破産に伴い進んだ。破産したアンセット・オーストラリア航空は一度黒字路線のみ復活したが半年程度しかもたず再度、休止、消滅した。
さらにカンタス航空は2006年を境にオーストラリアン航空の業務停止を行い、すべての業務をカンタス航空にて行うことにし、随時安価なリゾート路線はジェットスター航空へ移行を行っている。日本線ではケアンズ-名古屋、ケアンズ-大阪はそれぞれ2007年8月、9月にカンタスよりジェットスターに変更されているが、2008年に入ってからの急激な燃料高騰を受け、これらの日本路線を含む国際線の大幅な減便を行うなどさらなるリストラを行っている。
日本
日本では、航空業界の規制緩和を機に、スカイマーク、AIRDOをはじめとする低運賃の新規航空会社が参入した。これらの航空会社はLCCを名乗ってはいないが、スカイマークは海外LCCのビジネスモデルに倣い、サービスの簡素化などLCCに近いビジネスを展開している。
2000年代後半より、外資系LCCの国際線参入が相次いでいる。2012年には新規国内LCC3社が運航を開始、LCC元年となった。これまで飛行機を利用したことのなかった新規需要層の取り込みも期待される[10]。
- 1998年9月 - スカイマーク、羽田-福岡間で初就航。
- 2007年7月 - マカオのビバ・マカオが、成田国際空港へ定期チャーター便を就航。(2010年3月運行停止)
- 2007年8月 - オーストラリアのジェットスター航空が、関西国際空港と中部国際空港(後に運休)へ定期便を就航。
- 2008年11月 - フィリピンのセブパシフィック航空が、関西国際空港へ週3便で就航。
- 2008年12月 - ジェットスター航空が、成田国際空港へ就航。
- 2009年3月 - 韓国の済州航空が、関西国際空港と北九州空港に定期便を就航。
- 2009年12月 - 韓国のジンエアーが羽田空港へ就航。
- 2010年3月 - 韓国のエアプサンが、福岡空港と関西国際空港に就航。
- 2010年7月 - シンガポールのジェットスター・アジア航空が、関西国際空港へ定期便を就航。
- 2010年12月 - マレーシアのエアアジア Xが、東京国際空港へ定期便を就航。
- 2010年7月 - 中国の春秋航空が、上海から茨城空港(一部は成田国際空港)へ定期チャーター便を就航[11]。
- 2012年3月 - ANAと香港の投資会社により設立された関西国際空港が拠点のPeach Aviationが国内線を就航開始[12]。
- 2012年4月 - リージョナルLCCのリンクが設立計画されるが就航前に資金繰りが悪化し破綻。
- 2012年5月 - Peach Aviationが国際線を就航開始[13]。
- 2012年7月 - JAL、オーストラリア・カンタスグループ、三菱商事の共同で設立されたジェットスター・ジャパンが国内線を就航開始[14]。
- 2012年8月 - マレーシアのエアアジアとANAにより設立された成田空港を拠点とするエアアジア・ジャパンが国内線が就航開始[14]。
- 2012年10月 - エアアジア・ジャパンが国際線を就航開始[15]。
- 2012年10月 - 春秋航空日本が設立される。
- 2013年6月 - 全日本空輸がエアアジア・ジャパンの全株式を取得することによって、マレーシアに本社を置くエアアジアとの合弁を解消。
- 2013年12月 - 同年11月にエアアジア・ジャパンから社名を変更[16]した、バニラ・エアが国内線・国際線を就航開始[17]。
- 2014年8月 - 春秋航空日本が国内線を就航開始[18][19][20]。
ビジネスモデル
格安航空会社は企業理念・規模や出身国の文化、空港側の事情といった背景によって各社ごとに多少の違いがあるが、ほとんどが以下のようなコスト削減手法を採用することで従来より低価格の運賃でも安定した運航を可能にしている[注釈 3]。
運航コストの低減
- 運航機種を1機種程度に統一し[注釈 4][注釈 5]、可能な限り、単一機種やその中での派生型(胴体延長型・胴体短縮型など)程度に機種を絞り込む
- 航空機メーカーから特定機種を大量に一括購入契約、または金融機関を通じたリース契約にすることで、機体コストを抑える
- パイロットの操縦資格と訓練コストを最小にする/客室乗務員の訓練コストを最小にする
- 整備の共通化によって、保守部品と保守機材、メンテナンス要員の訓練コストを最小にする
- 既存の航空会社が乗り入れている混雑した大空港をできるだけ使用せず、大都市周辺の混雑していない地方の中小空港(第2次空港/Secondary Airport)に乗り入れる[注釈 6][注釈 7][注釈 8]
- ボーディングブリッジを使わずにタラップを使用しての搭乗、いわゆる「沖止め」を行なうことで施設使用料を安価に抑える
- 設備を簡素化した格安航空会社専用ターミナルを利用する[21][注釈 12]
- 機内清掃は乗務員自身も行い地上要員数を最小で済ませる[22]
- 整備設備を自社で持たず、整備を他社に委託する
人件費の節減
- 飛行訓練に対するコストを削減するために、すでに乗務資格を取得している運航乗務員を中途採用する
- 乗務員を含めて社員の給与や待遇に掛かるコストを抑える[注釈 13]
機内サービスの簡略化
機内サービスの簡略化は「ノーフリル」(no frills、無装飾の意)とも呼ばれる。
- 機内食や飲料は有料販売にするか、簡素化する(さらに、外部からの飲食物の持ち込みを禁止したり、持ち込めても機内での飲食を禁止する場合もある)
- 預かり手荷物の無償枠を下げ、有料化を増やす、または完全に有料化する
- 機内シートには掃除しやすい本革もしくは合成革張りを使用する
- 座席指定を廃止し自由席とする/座席位置により価格差を設ける/座席指定を有料化する
- 毛布や枕などを有償化する
- 座席ごとのビデオや音楽放送、機内誌[注釈 15]・新聞・雑誌などの機内エンターテインメントを省く[22]
- 座席の前後間のスペースを詰める(ハイデンシティ)ことで座席数を増やす
- 座席クラスをエコノミークラスに統一する
航空券販売コストの低減
- 乗客自身がインターネット予約やE-チケットによって直接予約することで航空券販売コストを低減する。基本的には旅行代理店を使わず、その分の販売手数料を省く
- マイレージサービスのような旅客向けのアライアンスには加入しない格安航空会社が比較的多い[注釈 16][22]
- キャンセル時の払い戻しの要件を厳格化する、購入時期を問わずキャンセル料100%(=乗客都合によるキャンセル不可)とする場合もある
路線
格安航空会社のほとんどが、低消費燃料率で信頼性の高い中型ジェット旅客機を用いたポイント・ツゥ・ポイント方式での短距離や短中距離の路線を運航している[22][注釈 17][注釈 18]。
旅客運賃以外の収益確保
- 航空機にアドカラー塗装をしたり、機内に広告を掲出することにより広告主(スポンサー)から広告収入を得る
- オリジナルグッズや免税品(国際線)などの機内販売を積極的に行う
- 手荷物の有料化によって貨物搭載量の増量が期待できる[注釈 19][22]
顧客層
- 顧客層
- 従来型の航空会社が主要な顧客層として営業活動を行っている大企業社員の業務旅行需要や、旅行代理店などが企画・集客するパックツアーによる団体旅行とは正反対の、個人による観光・帰省旅行や、価格に敏感な中小企業の業務出張需要などを主な顧客ターゲットとしている。
- 顧客の満足
- 格安航空会社のコスト低減を重視した旅客便の運航では機内サービスは必要最低限なものだけ提供され、離発着時間に余裕がないので気象条件の悪化や軽微な故障などでも多くの便の運航時刻が影響を受ける。また、乗り継ぎ便への配慮もなされない。それでも格安航空会社を繰り返し利用する旅客は多く、彼らはそういったサービス内容でも低料金であることで満足し、割り切っていると理解されている。[22]ただし安全性に限っては同一の法令が適用されることから、国内のLCCと既存の大手航空会社において相違はない。
注釈
脚注
関連項目
映像作品
- ドキュメンタリー『特命リサーチ200X』F.E.R.C Research Report - Report No.1376『驚異の業績を誇るサウスウエスト航空の謎』(日本テレビ、1999年3月7日)
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- ↑ 『エアライン Empires of the Sky』アンソニー・サンプソン著 大谷内一夫訳(早川書房 1987年)テンプレート:要ページ番号
- ↑ 『JALグループ50年の航跡』日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空テンプレート:要ページ番号
- ↑ 『エアライン Empires of the Sky』アンソニー・サンプソン著 大谷内一夫訳(早川書房 1987年)テンプレート:要ページ番号
- ↑ 『エアライン Empires of the Sky』アンソニー・サンプソン著 大谷内一夫訳(早川書房 1987年)p.227
- ↑ 『JALグループ50年の航跡』日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空テンプレート:要ページ番号
- ↑ 『Financial Times』(2008年6月2日)
- ↑ 『Conde Nast Traveller』(2009年8月)
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120113/296210/
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ Peach初便就航について(Peach Aviationプレスリリース)
- ↑ Peachが国際線に就航(Peach Aviationプレスリリース)
- ↑ 14.0 14.1 テンプレート:Cite news
- ↑ エアアジア・ジャパン、成田/仁川線に就航(フライチーム 2012年10月29日付)
- ↑ エアアジア・ジャパン 新社名および新ブランド名 発表 バニラ・エア(発表当時 エアアジア・ジャパン) 2013年8月20日付
- ↑ バニラエア 東京(成田)=沖縄(那覇)、東京(成田)=台北(桃園)就航 バニラ・エア 2013年12月20日付
- ↑ Spring Japan(春秋航空日本㈱) スケジュール・運賃決定 春秋航空日本 2014年3月25日付
- ↑ 中国系LCCの「春秋航空日本」も就航延期 パイロット不足で8月まで Sankei Biz 2014年6月6日付
- ↑ 春秋航空日本、成田拠点の国内3路線を就航 YOMIURI ONLINE 2014年8月1日付
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 22.0 22.1 22.2 22.3 22.4 22.5 赤井邦彦著、『格安航空会社が日本の空を変える』、日本経済新聞出版社、2011年2月8日1版1刷発行、ISBN 9784532316693