丸の内

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ファイル:Marunouchi Skyline 2007.jpg
皇居側から見た丸の内のスカイライン

丸の内(まるのうち)は、東京都千代田区。丸の内一丁目から丸の内三丁目がある。人口は、2人[1]郵便番号は、100-0005。

概要

皇居外苑東京駅に挟まれた地区で、東京駅を中心に、北に隣接する大手町と共にオフィス街として発展している。丸の内ビルディング新丸の内ビルディング三菱東京UFJ銀行本店ビル、郵船ビルなどの大手銀行大企業のビルが建ち並び、日本の金融経済の中心地の一つとなっている。歴史的な経緯から三菱グループの本社が集中し、「三菱村」とも呼ばれる。

丸の内二丁目の明治安田生命保険相互会社本社本館(明治生命館)は国の重要文化財に指定されている。帝国劇場もこの地区にある。1991年新宿区西新宿2丁目に移転するまで東京都庁もこの地区にあった。

昼間人口と夜間人口の差が極端なのが特徴で、平日昼間サラリーマンでにぎわうが、夜間休日は東京駅周辺以外は行き交う人も疎らで閑散としている。サラリーマン関係のニュース報道される際、東京駅丸の内北口から多くのサラリーマンが歩いているニュース映像が流れることが多い。気象情報では東京駅近辺の映像が流れるが、これは豊田通商丸の内ビルから撮影しているものである。

西側の新宿副都心の台頭から、1997年8月3日に「漂流するオフィスビル超1等地-黄昏の街、丸の内」という特集が日本経済新聞夕刊9面[2]で報じられるなど、盛んに地盤沈下が指摘されたが、2000年代に入ってからは丸の内ビルディングなど老朽化したビルの建て替えや、地区の中心を通る丸の内仲通りに高級ブランド・ショップや飲食店を誘致するなど三菱地所主導の再開発で盛り返している。

無料巡回バスである丸の内シャトルが本地区を中心に、大手町地区から有楽町地区までの範囲を周回している。

地理

西は千代田区皇居外苑、北は同区大手町、南は同区有楽町日比谷、東は中央区銀座八重洲)との境界にあたる。 大手町・有楽町と合わせて「大丸有(だいまるゆう)エリア」と呼ばれることもある。

歴史

徳川家康1590年江戸城を居所とする前は、東京湾の一部で日比谷入江と呼ばれていた。1592年からこの入り江が埋め立てられて江戸城が拡張された。新たに外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになった。親藩譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれた。南北町奉行勘定奉行の奉行所、評定所も置かれた。

明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになった。陸軍兵営が移転した後の1890年三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられた。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、三菱ヶ原と呼ばれた。1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになった。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中する。

三菱一号館の竣工と同じ1894年、高知藩屋敷跡地に東京府庁舎(のちの東京都庁舎)が完成した。1914年三河吉田藩信濃松本藩の屋敷跡地が東京駅となり、以降1923年に丸ビルが完成するなど、ビジネス街として急速に発展した。1959年からの三菱地所による「丸ノ内総合改造計画」により煉瓦街は急速に建て替えられ、1970年代前半には建物の高さ(100・約30m)の揃った近代的なビルが整然と立ち並ぶ街に生まれ変わった。1974年三菱重工爆破事件ではテロの標的ともなった。

1991年東京都庁舎は新宿副都心に移転し、跡地は1997年東京国際フォーラム豊田通商東京本社(旧・東京都庁第三庁舎)となった。2005年から東京国際フォーラムを中心に開催されているラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭は、ゴールデンウィークの一大イベントとなりつつある。

2000年代に入って丸の内の再開発が急速に進み、2002年8月に竣工した丸の内ビルディングは開業から4か月足らずで入場者数が200万人を突破するなど、一躍観光スポットとなった。その後も2004年9月14日日本国有鉄道(国鉄)本社跡地、JTB本社跡地、東京中央ビルヂングの跡地に丸の内オアゾが、その3日後の9月17日に重要文化財の明治生命館を保存しつつ周囲を再開発した明治安田生命ビル(丸の内MY PLAZA)が、さらに2007年4月27日には新丸の内ビルディングがオープンした。2009年4月30日、丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が解体から41年を経て三菱一号館美術館の建物としてレプリカ再建された。

沿革

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ各町名ともその一部)
丸の内一丁目 1970年1月1日 丸ノ内一丁目(全域)、丸ノ内二丁目
丸の内二丁目 丸ノ内二丁目
丸の内三丁目 丸ノ内三丁目(全域)

地域

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手彩色絵葉書東京丸の内馬場先門通り明治期

企業

観光

名所・旧跡・商業施設

交通

鉄道

バス(東京駅全体の詳細については東京駅バスのりばも参照)

  • 都営バスS-1 東京駅丸の内 北口
  • 都営バス東20 東京駅丸の内 北口
  • 都営バス東20乙 東京駅丸の内 北口 - 平日のみの運行
  • 都営バス東22 東京駅丸の内 北口
  • 都営バス東43 大手町/東京駅丸の内 北口
  • 都営バス都04 東京国際フォーラム前/東京駅丸の内 南口
  • 都営バス都05 東京国際フォーラム前/東京駅丸の内 南口
  • 都営バス東98 馬場先門/東京国際フォ ーラム前/東京駅丸の内 南口
  • 東急バス東98 馬場先門/東京国際フォーラム前/東京駅南口
  • はとバス 東京駅丸の内 南口
  • 丸の内シャトル 新丸ビル/郵船ビル/丸の内マイプラザ/東京會舘/新国際ビル/三菱ビル
  • スカイバス東京

道路

首都高速道路・出入口

脚注

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外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Geographic Location

テンプレート:千代田区の町名 テンプレート:東京23区の地域 テンプレート:大手町・丸の内・有楽町高層ビル群

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  1. 2011年3月1日現在、住民基本台帳人口による。
  2. 漂流するオフィスビル超1等地-黄昏の街、丸の内
  3. 同年2月2日、自治省告示第22号「住居表示が実施された件」