住居表示
住居表示(じゅうきょひょうじ)とは、日本の住居表示に関する法律に基づく住所の表し方である。地番とは異なる。
概要
日本の住居表示は1962年5月10日に施行された住居表示に関する法律に基づいており[1]、町をわかりやすくしたり、郵便物を配達しやすくすることを目的にした制度である。
住居表示制度が存在する以前、住居(住所や事務所、事業所などの所在する場所)の表示は、慣習的に、例えば○○一丁目一番地というように、いわゆる町名番地(いわゆる地番)によって行なわれてきたが、町界が道路などの実際の境と必ずしも一致しておらず、また、地番も整然と配列されていないため、住居の表示が非常にわかりにくいものとなっていた[1]。
このことが住民の生活に不便を与え、各種行政事務の非能率の原因ともなっていた。この事実は特に全国の市街地について著しいため、市街地における合理的な住居表示制度の確立が急がれた[1]。
住居表示化されると、住所から場所の特定が容易になる。町名の変更を伴い、区画整理とセットで行われることが多い。例えば○○二丁目11番6号(○○2-11-6)という住所のとき、町名は「○○二丁目」で「11」あるいは「11番」を街区符号(がいくふごう)、「6」あるいは「6号」を住居番号という。
住居表示は特に都市部では積極的に導入され、政令指定都市では京都市を除いて採用されている[2]。住居表示の実施地区においては各街区の角に街区表示板、各建物に町名板と住居番号板(住居番号表示板とも言う)の2枚から成る住居表示板が設置される。なお町名板と住居番号板は通常、住居表示の実施地区において建物を新築すると必要になる住居表示の設定申請を市区町村に対して行うと当該建物の住居表示の設定通知書とともに交付または送付される。
住居表示が実施された地域については、市町村が住居表示台帳を備える。住居表示台帳は、街区符号や住居番号をつけたり、変更したり、あるいは廃止したりする原本となるもので、住居表示の運営管理の基となるものである。住居表示台帳は、関係人から請求がある場合には閲覧させる[1]。
住居表示が実施された場合は、実施地域の住民のほか、他地域に住んでいる者も、その地域の住居を表示する必要がある場合は、住居表示を用いるように努めなければならない。特に、住居表示が実施された地域について、国や地方公共団体の機関が、住民票、選挙人名簿、法人登記簿等の公簿に住居を表示するときは、必ず新たにつけられた住居表示を用いるため、公簿上、住居の表示の方法が一元的に法定化された[1]。
番号のつけ方
住居表示には、街区方式と道路方式があり、日本では概して市街地の形態、従来の慣習、住民感情等から、街区方式によるものが適しているといわれており[1]、原則として街区方式が用いられている。道路方式は欧米でよくみられる方式である[1]が、日本では例外的に山形県東根市において導入されている[3][4]。
街区方式
街区方式に適した町割りは、街かく式(街廓式)か結合式による町割りとされる。街かく式による町割りは、数個の街区をもって町を構成し、町界は主として主要街路をとる。結合式による町割りは、繁華通り等の主要街路を挟んで両側に並列する数個の街区をもって町を構成する。町割りに2方式があるのは、その地域の特性に応じて、いずれか適した方式による趣旨で、住居地域、工場地域等では街かく式が、商業地域等では結合式が適しているといわれる[1]。
街区方式は原則として道路に囲まれた区画(ブロック)が単位(街区)となり、1つの町名は複数(まれに1つ)の街区で構成される。昔からの町(通り)の区割りに配慮して1つのブロックを背割りで複数の町名に分ける場合もある。背割りとはブロック内の家屋や建物の背面を境に区画として分ける方式[5]。
街区符号
街区符号は、町ごとに駅や役場のような市町村の中心に近い街区を一番とし、順次、一定の方式にしたがって番号をつける[1]。街区は、町の区域を道路、河川、水路、鉄道または軌道の線路などの恒久的な施設等で画したもので、その規模は、およそ面積が3,000から5,000m²、戸数が30戸程度を標準としている[1]。
例外的な街区符号として、数字以外の文字を用いたもの(大阪市中央区上町「A番」、同区久太郎町四丁目「渡辺」、埼玉県鴻巣市本町一丁目「本一町」、同市本町一丁目「宮本町」、同市本町六丁目「富永町」同市本町六丁目「石橋町」、東京都港区新橋二丁目「東口地下街」(公道地下に位置する地下街)など)や数字以外の文字と数字を併用したもの(大阪市鶴見区諸口五丁目「浜6番」など)もある。京セラドーム大阪の住所は「大阪市西区千代崎三丁目中2番1号」だが、これはドーム建設に伴う再開発により、以前の2街区が「北2」「中2」「南2」に3分割されたことに由来する。
住居番号
街区周辺を市町村の中心に近い角を起点にし、そこから街区の外周に沿って時計回りに距離を測って10m( - 15m)ごとに区切り順番に1、2、3…と基礎番号(フロンテージ)をつける[1]。そして、建物の玄関または主要な出入り口が接する位置の基礎番号を住居番号とする[1]。このため住宅が1つの街区に均等間隔に整然と建てられても入口の玄関がそれぞれの住宅によって離れている場合、必ずしも住居番号が連番になるとは限らない。また、建物を建て替えた際に玄関の場所が変わった場合、住居番号も変更になることがある。
一方、狭い建物が並ぶ場合や袋小路にある建物がある場合、例えば○△一丁目1番1号の隣が2号、その隣が4号、さらにその隣も4号となるように、同じ住居番号を持つ建物が連続することがある。 自治体によっては住居番号に枝番(「4-2号」[6]、「4号2」[7]のような形式)を付けて対処するケースもある。
共同住宅などの場合は、基礎番号(複数の建物からなる団地などでは棟番号を用いることもある)と部屋番号を「-」でつないで戸別の住居番号とする(例えば第4棟2階4号室を「4-204号」という住居番号で表す)ことがある[8]。この場合は、住民票などの登記上でも○△一丁目2番3-456号のような表記になる。
道路方式
「道路の名称」と当該道路に接し、または当該道路に通ずる道路を有する家屋その他の建物につけられる「住居番号」を用いて、住居を表示する[1]。
地番との違い
地番は土地の場所、権利の範囲を表すための登記上の番号で住居表示は建物の場所を表す番号と言うことができる(ただし、登記上の家屋番号と住居表示の住居番号は全く異なる)。住居表示の実施された地域でも登記上では地番で表され、地番が消滅することはない。
(例)○○1234番地(実施前:住所、登記上とも)→××町三丁目2番3号(実施後:住所)、××町三丁目1234番地(実施後:登記上)
なお、ひとつの町を複数の町や「丁目」に分割したりするが地番は変更しないことを町界町名整理といい住居表示とは異なる。[9]
(例)△△5678番地(実施前:住所、登記上とも)→△△一丁目5678番地(実施後:住所、登記上とも)
建物のないところには住居番号が付かないため、建物の建築予定場所などを公式に表現する場合は地番を用いたり街区符号までの住居表示(「××町5番街区」のような形式)を用いたりする。
住居表示化されて長い年月が経過した地域では地番が表記された地図が少ないこともあり、一般住民には土地の地番の存在に気づきにくい。また、そのような地域では地番を宛所とした郵便物は配達不能である。
特徴
性質
- 住居表示に際してはわかりやすさ(のみ)が重視され、従来からの地名の保護体制がとられなかった。多数の歴史的な地名が消滅したので、戦後の「地名殺し」とも呼ばれる。その後、法律は一部改正されたが実際にはその後の住居表示でも改正法の趣旨が守られていないことが多い(楠原佑介、櫻井澄夫、今尾恵介などは最近のこの趣旨を意識しない町名変更を法律違反と主張している)。
- 伝統的な両側町、町内会など地域コミュニティとの関連性が失われたため町内会組織や祭りなどの伝統的な組織や風土、慣習などへも影響を与えた。そのため一部の市町村では旧町名復活の動きがあり、実際に金沢市のように一部の町名を復活させたケースも出ている(旧町名復活運動)。
- 戦後、とくに増加したのは戦災復興と同時に進められた区画整理に伴い、戦災前の区画を基にしていた従来の町域を現状のものに修正する目的もあった。金沢市のように戦災に遭わなかった街では古い区画が残っており、旧町名の復活も容易だったのに対し、空襲を受けた後に区画整理を実行した仙台市では、藩政時代の町名を復活しようという議論が起こった際、仙台市役所の現住所が複数の町名に跨がっていることなどが問題視された。
- 住居表示制度導入の可否を考える際、自治体は同じ土地において住居表示台帳(住居表示)と土地台帳上の台帳(従来の地番)の2種類を管理しなければならなくなり、混乱のもとになるとして否定的な自治体もある[10]。
- 住居表示制度を施行する際、正月は避けることが多い。これは、郵便局での年賀処理を考慮したものである。
脚注
関連項目
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